26話
侍女に案内され私室に向かう道すがら、ある会話を耳にする。
「王女殿下には申し訳が立たず王太子殿下の侍従を務めて良いものか…父上は、どう思われますか」
「その事については陛下も王太子殿下も納得されている。お前は誠心誠意、王太子殿下に付き従いなさい」
「ですが、私は…私なら気付けたはずなのです。宰相殿のご令嬢にまで危険を及ぼしたとなれば相応の罰をお受けしなければ……」
「この様な場所で話すことではないな。それに、陛下の決定に不満があると?お前は主君である陛下に異を唱えると言うのか?」
「その様な事は!」
「ならば持ち場に戻れ。これからは決して間違いを起こさないよう細心の注意を払い、王太子殿下の為に命を賭して働きなさい」
姿を見る事は出来なかったが会話の内容から察するにハウゼン侯爵とその息子ジルベールだろう。
話を聞く限りハウゼン侯爵家の国王に対する忠誠は疑うべくもないものなのだとシュテーリアは理解した。
ジルベールは、たまたま家庭教師の座に就いたのか、それともシュテーリアと同じく嵌められたのかは分からないが彼も被害を受けた1人でしかないのだと思う。
「どうかなさいましたか?」
先に進んでいた侍女が慌てて戻ってくる姿を捉え、シュテーリアは小さく首を振った。
「いいえ、案内の途中なのにごめんなさい」
再び侍女に連れられ、今度こそシュテーリアはルルネアの私室の前で足を止めた。
2度扉を軽く叩き、中に居るだろうルルネアに声を掛けるが返答はない。
「お休みになられているのではなくて?」と侍女に問うが彼女は緩く首を振った。
「いいえ、先程お声掛けしました時にはお返事を頂きましたので……」
「まぁ…では、わたくしルル様に嫌われてしまったのかしら……悲しいわ」
ルルネアから姿が見えないのを良い事にシュテーリアは声だけを沈ませ、扉の前で室内で呻く藤色からの許可を待つ……こともなく、間髪入れずに許可が出た。
侍女が扉を開け、ソファーで蹲るルルネアに挨拶をする。
「ルル様、今日は抱きついてくれないのですね…寂しいですわ……」
「うぅぅ……だって、だってぇ……」
俯き2つに縛った藤色を揺らしながらルルネアは桜色の瞳を歪ませ涙が零れるのを耐えているようだ。
「お隣に行っても宜しいですか?」
ルルネアが小さく頷いたことでシュテーリアは隣に腰を下ろし、スカートを握り締めている彼女の手に自分の手を乗せた。
「ルル様、怖い思いをしましたね…」
「違うわ!怖い思いをしたのはリアよ!!わた…わたくしは……」
「あら、怖かったなどと言ったかしら……驚きはしましたけれど」
空いていた左手を自分の頬に当てて小首を傾げルルネアを見れば、ルルネアはくりくりと大きな瞳が零れるのでは無いかと思う程に目を見開いている。
「リアは…怖くなかったの?」
「魔法の扱いに不慣れな方にとって多少の暴走はよくある事ですわ。それに……嫋やかな青薔薇は意外に頑丈ですのよ?」
クスクスと控えめに笑えば、ルルネアは桜色を伏せて「そう、なのね」と言った。
シュテーリアは、力が入ったままのルルネアの手を包み、彼女の気持ちが落ち着くのを待つ。
ややあってルルネアは顔を上げた。
表情は晴れやかとは言えないものの、先程よりは幾分かマシだろう。
「ルル様、お見舞いの品をお持ちしましたのだけれど……実は、わたくしも中身を知りませんの」
「えっ、リアが選んだのではないの?」
「いえ…その……」
事のあらましを話せばルルネアは肩を竦ませ、呆れ顔を隠そうともしない。
その上、シュテーリアの為にも勉強を頑張るとまで約束してくれたのだ。
そして……おそらくテーブルに並べられたモノがお見舞いの品だろう。
シュテーリアにとっては見覚えのある、だが頼んだ覚えのない……ミルクレープ。
(いつ作った!)
シュテーリア、心のツッコミである。
侍女に詳しく聞けばレイスはお見舞いの品を持ってきたと言うより連れてきたというのが正解だったという。
要するにチェルシュが城の厨房で作ったものがここにあるのだ。
本来であれば彼はエアリステ家の厨房で料理長との対決に向けたレシピを考案していたはずだったのだが…今頃、極度の緊張から青褪めているであろうチェルシュを心の中でサラッと憐れんでからシュテーリアはミルクレープの味を堪能することにした。
別室でも王族やその側近達がこのミルクレープに舌鼓を打っている頃だろう。
よく頑張った、と簡単に褒めておくのも忘れない。
ルルネアもシュテーリアがミルクレープに口をつけたのを見てフォークを進める。
「…美味しい!美味しいわ!!こんなの食べたことない!」
それもそうだ。そもそもシュテーリアでさえ、ここまで美味しいミルクレープを食べたことは無かった。
粗悪な材料でここまで美味しく作るとは…チェルシュ侮るべからずである。
「リアは、こんなに美味しいモノを食べてるのね。羨ましいわ……」
「つい先日わたくしの従僕となった者がお料理に詳しい者だったのです」
「まぁ!じゃあ、シュテーリア主催のお茶会ではその方のお菓子が楽しめるのかしら」
先程まで曇っていた表情は今や燦然と輝く太陽のようだ。
やはり女の子はどの世界においても甘いものに目がないらしい。
彼女の表情につられるようにシュテーリアの表情も明るいものに変わっている。
「ふふっ、ルル様が試験で良い結果を残せた時には特別なものをご用意致しますね」
「っ!特別……!!」
勿論ルルネアのやる気を引き出すのも忘れない。
トラウマについては一朝一夕で聞き出せるものではないだろうと思い、口に出すのをやめた。
やっと笑ってくれるようになったのだ。
わざわざ太陽を陰らせる必要もないだろう。
ミルクレープと甘めのフルーツティーを堪能しながらルルネアとの会話が弾む。
思いの外、彼女はコミュニケーション能力に優れており話し上手だった。
「そうそう!聞いてよリア!!お父様ったら、わたくしの婚約者にフェルキスを当てようとしてるのよ!有り得ないわ!!」
その言葉に治まっていたはずの痛みが戻ってくる。
だが、フェルキスの婚約者候補にルルネアが上がるのは当然のことなのだ。
「フェルキスの1番はリアだわ!リアと姉妹になれるのは嬉しいけれど、姉妹よりも親友になりたいの!!今までだってリアに会いたいってフェルキスに何度もお願いしてたのよ!なのに、いっつも駄目って言うの!意地悪なの!」
入学式の日までどれ程シュテーリアに会うのを待ち望んでいたかを熱弁するルルネアを前に胸の痛みは跡も残さず消えていったが、爆弾投下は続く。
「それに結婚するなら、わたくしのことを1番に愛してくれる人がいいわ!バディ兄様みたいに!!」
「えっ?」
「……わたくしバディ兄様と結婚したいわ」
「ご兄妹ですよ!?」
唸りながら拗ねるように唇を尖らせ「リアはバディ兄様と婚約しちゃダメよ」と言ってきた。
婚約者候補ではあるが、なりたいとは思ってもいないのだ。
コクコクと頷けばルルネアは満足気に笑う。
「ねぇ、リアは?誰かお慕いしてる方はいないの?」
「わ、わたくしですか!?……いや、その……」
王族の婚約者候補である自分が王族のルルネアに話していい内容でも無ければ、そんな相手など居るわけがないのだ。
「おりませんわ」と返している最中、脳裏には先日間近に迫った蠱惑的な翠眼が浮かぶ。
「ふふっ、じゃあリアはエアリステ侯爵家にずっと居ればいいわ!」
「それは貴族の娘としては難しいと思いますが…」
「そうかしら?意外と何とかなるわよ!」
何故か胸を張って答えたルルネアは天真爛漫な王女そのものだった。
その後もルルネアとの会話は止まることなく、フェルキスが迎えに来ることも無い。
既に日は落ち、夜と言って良いだろう。
いつ帰れるのだろうか…と思い始めた頃にルルネアの侍女が徐に口を開いた。
「さぁ、姫様、お嬢様。お召し換えの時間ですよ」と……
次回更新予定日5月23日0時です。




