25話
「シュテーリア嬢、今日登城してもらったのは他でもないルルネアに関する話だ」
騒々しく緩んでいた室内の空気がピリつく程に冷え、緊張が走る。
シュテーリアが予想していた通りの内容ではあるのだが、自然と指先が冷たくなるのを感じた。
それでも平然とした表情を保てるのは時に厳しく見守ってくれるフェルキスが隣にいるからかもしれない。
ともあれルルネア本人が望んで事を起こしたとは思ってもいないが、それであれば王女を駒として扱う様な何者かが王家の近くに居るということなのだ。
いや、王族そのものの可能性もある。
「まずは危険な目に合わせてしまい申し訳なかった。ルルも反省している。王家としても今後あのような事か起こらないよう対策を考えている」
「いえ、王家の方に謝罪して頂くようなことは何もありませんでしたわ。ルル様のお優しい御心が休まっていれば宜しいのですが…」
アレは事故であり、故意に行われたものでは無いのだから謝罪をする理由にはならないのだと告げる。
緊張を解いたランスは天井を仰ぎ見た。
「ルルは、火元素の資質が異常に高いのだが…何かの理由で火が怖いらしく発現すら出来ない状態だ。その理由をあの子は誰にも話そうとしない。授業を始めたばかりの頃は、皆どうにか扱えるようにと考えていたんだが、当時の家庭教師から無属元素どころか闇属性そのものの資質が無いと報告を受けて、周りへの影響が無いことから火元素の授業だけは取り止めていた。それが今回の事の起こりだ」
暴走した時に発現する魔法は資質が高いものに限定されることから火元素以外の発現はない。
無属元素の資質が無ければ他者への干渉は起こりえない。
魔力の過剰増幅が起きた時には他の元素魔法を使うか魔力を結晶化させることで消費させれば暴走には至らないだろう。
そう国王は考えたという。
真っ当な措置だとシュテーリアも深く頷いた。
無属元素が齎すものは《変化》《変換》であり、操術元素は《操作》《転移》などが主だ。
影に属する者が闇属性魔法の強化に集中するのは無属元素と操術元素を強化する為である。
時に潜入の為の変装、時に瞬時の転移など用途は様々だ。
また操術元素の中には魅了魔法も含まれており、これに無属元素の《変換》を組み込むことで特定の人物、更に中位魔術師にもなれば特定範囲内の人間を操ることすら可能なのだ。
更にこの魅了魔法を防ぐ手段も無属元素と操術元素の魔法を組み合わせることで発現する。
ゲーム内のシュテーリアは操術元素の資質が著しく低かった為にバディウスの魅了魔法を防げなかったのだ。
故にシュテーリアはバディウスの思うがままに操られ、ふと自我が戻った時にヒロインの魔力に干渉できるよう変化させた無属元素の魔力を結晶化させ、無属元素の資質が低いヒロインに託したのだ。彼女がバディウスに操られないようにする為だった。
そして、この2つの元素はただ資質があったからといって簡単に扱えるものではない。
魔力を持たない物質に干渉したり転移させるのは相応の魔力コントロールができれば難しいものではないのだが、魔力を保持する人間や魔石を干渉、又は転移させるとなれば対象以上の魔力量と緻密な魔力コントロールが必要になるのだ。
もし、対象より余りに低い魔力量で転移や干渉を施せば使役者と対象に甚大な被害を及ぼす。
最悪、死に至ることもあるという。
故に闇属性を学べる者は、それを必須とされる者…王族、公爵家、侯爵家、影を生業とするヒスパニア伯爵家に限られ、他に学べる可能性があるのはシュティエール学院の魔法学科と騎士学科に進んだ者だけなのだ。
ちなみに騎士学科では転移と魅了防御に限られた内容だという。
今現在重要であるのは元素が持つ効力よりも王族に近しい者の中に王女を操り、侯爵家の令嬢…それもハルニッツとバディウスの婚約者候補に何らかの危害を加えようと目論む人物がいるということだろうか。
既にハウゼン家嫡男のジルベールを捕えて聴取を行ったということだが、彼はルルネアに対する措置が決まった後に家庭教師の任を引き継いだに過ぎず、彼の知る事柄ではなかったという。
何よりジルベールにとってルルネアは親しい叔母の子である。
ジルベールの王族に対する忠誠心や柔和な人柄から鑑みても害を成すとは考え難いものだという。
彼は保釈され、今はランスの侍従を務めているらしい。
別に監視する為ではなく、そもそもルルネアが学院に入学した後はハウゼン侯爵家の嫡男としてランスの側仕えになることが決まっていたのだという。
では、ジルベールの前にルルネアの家庭教師を務めていた者はと聞けば、その人物は故郷のニルヴェーナに帰ったあとから消息不明であるとランスは言う。
元来、王族の家庭教師を務めていたのはカリアッド侯爵家だったのだが、先々代の時にその役職から外されている。
その為、代役となったのがニルヴェーナに属する者だったということだ。
フェルキスも影を使い件の人物を探したが少しの足取りも掴めなかったらしい。
既に消されただろうというのがランスとフェルキスの考えだ。
「何故ルルを使ってシュテーリア嬢を狙ったのか、そもそも何故シュテーリア嬢なのかが分からない。君は未だ弟達の婚約者候補でしかない。既に婚約が済んでいるユネスティファや王族である俺達、そしてその側近が狙われたというなら理解できるのだが…」
確かにそうなのだ。
公爵家と同等の権力を持つエアリステ侯爵家を妬み、恨む者は必ずいるだろう。
だが、その感情のままに王族を使ってまで害を成すとは考え難い。
シュテーリア個人を狙うにしても、だ。
そして、あの事故…いや事件の時にシュテーリアが火元素魔法を使うことは誰も知らなかったはずなのだ。
唯一、エルリック以外は。
「叔父様な訳ないわ」
静寂に包まれた室内で絞り出した言葉は全員に届いたらしい。
「無いだろうね。叔父上が王族に、エアリステに…何よりシュテーリアに牙を向くというのは世界が破滅しようと有り得ない」
「同意する。エナからエルリック様の話はよく聞くが彼が何らかの理由があってエアリステ侯爵家に反しなければならなくなったとするなら既に大元の暗殺に向かっているだろうな」
「考えなかった訳では無いんだよ?あの場でシュテーリアに火元素魔法を使うよう指示できたのは叔父上だけだからね」
シュテーリアが考え付くことはランスやフェルキス達であれば既に考えが及んでいて当然なのだろう。
では、他の人物はと考え、ふと過る。
シュテーリアを狙う側に転生者が居るのではないか、と。
ゲームでのシュテーリアはヒロインの覚醒に最も重要な人物であり、ヒロインの覚醒は国を救うことに直結するのだ。
まだヒロインが現れていない現時点でシュテーリアを消せばヒロインの覚醒は潰えることになる。
自分がもし国を滅ぼす側であった場合、シュテーリアの重要性を知っていたとしたら確実にシュテーリアを消し、尚且つヒロインも消すだろう。
まだヒロインは庶民でしかない。
消すのは意図も容易いはずだ。
だが、転生者が居たとしてTearsの内容を知っているとするなら、それは現代日本で生きていたという事に他ならない。
平和だった現代日本に生きていた人間が国を滅ぼすようなことを考えるのか?そう考えてシュテーリアは考えを改めた。
身近にいるではないか、と。
生き抜く為にこの世界の暗部に染まり、人を殺すことを選択した人物が。
「お兄様、わたくしのお願いを聞いてくださいませ…」
可愛い妹のお願いにフェルキスは、場にそぐわない柔和さを纏って問う。
「何かな?言ってごらん」
「影を数人用意して頂きたいの。お兄様から頂いた従僕は、わたくしの側から離せないでしょう?」
転生者がいるという前提で考えれば現時点で王族に近付いていても何ら不思議はない。
そして、ヒロインが殺されることは回避しなくてはならない。
生きて学院に編入して来て貰わなくてはならないのだ。
いざとなれば彼女にシュテーリアの魔力を渡し、聖女として覚醒してもらえばいい。
その為には、まず彼女を探し出し守らなければならない。
シュテーリアの緩くウェーブのかかったプラチナブロンドを弄びながらフェルキスが愉快そうに口角を上げた。
「他でもない君のお願いだからね、用意してあげよう。それで、使い道は教えてくれないのかな?」
「まだ内緒ですわ」
にこやかに返せば、フェルキスがそれ以上問いかけてくることは無かった。
これで話は終わりかと思ったが、そうでも無いらしい。
確かにランスから頼み事というものは聞いていなかったな、と彼に視線を移した。
「それでだ、俺からの頼み事なんだが……ルルの友人として話し相手になってやってくれないか?シュテーリア嬢であればルルも何を恐れているのか話しやすいのではないかと思ったんだ」
ルルネアの火に対する恐怖の理由を聞くのは確かに重要だろうことはシュテーリアにも分かる。
とは言え、家族や長年側にいる者にも言えないような内容を会って数日のシュテーリアに話すだろうか?
「わたくしで宜しければ…ですが、あまり期待はされませんようお願い致しますわ」
「あぁ、分かっている。それと以前聞いたカリアッド侯爵令嬢との勝負についてだが…」
嫌な予感というものは得てして当たるものである。
「ルルとピュッツェル伯爵令嬢も含むことになった」
「なっ…!」
何でだよ!と出かけた声を飲み込み、あくまでも優雅に問う。
「わたくしとエルテル様の対決でございませんか。全てにおいて対等な良きライバルを得られて嬉しく思っておりましたのに…」
そう告げれば「ライバルは多い方が張合いがあるだろ?」と返された。
妹を心配しているのも本心だが、シュテーリアで遊びたいのも本心という事だろう。
「ですが、ノーレ様も突然勝負に含まれてもお困りになるのでは?」
「ん?あぁ、既に了解を得ている」
何でだよ!と声には出さないが余りの用意周到さに目眩すら覚える。
「ルルの話し相手をするついでに勉強も見てやってくれ。君の為にもなるだろう?」
要するに、頼み事という体の決定事項を俺様王太子は下臣に言い付けたにすぎないのだ。
クツクツと笑いながら「話し相手の件は既に了承を得たしな?」とランスは言う。
手のひらの上で転がされている感は否めないが拒否などできる訳もなく……
「喜んでお受け致します」と不服そうに返すのが精一杯の抵抗だった。
「では、さっそくルルに会ってきてくれ」
はぁ〜〜〜????と盛大に言いたい気持ちを押し込めてシュテーリアは所持していた扇を広げ、口元を隠した。
右頬が引き攣るのを感じながらシュテーリアは口を開く。
「ご連絡もしないままルル様の私室へ向かうなど、できませんわ。それにお見舞いの品も持参しておりませんもの」
そうは言っても相手はランスだ。
シュテーリアの返答に否は用意されていないと思っていいだろう。
案の定、お見舞いの品は出勤した父が代わりに持ってきていると言うし、ルルネアの侍女たちには既に今日シュテーリアが向かうことは伝えられていた。
知らないのはシュテーリアとルルネアという当事者のみだ。
恨みがましくフェルキスを見れば、眉尻を下げて「ごめんね」と謝られた。
正しく兄は王太子の側近だったのだ。
次回更新予定日は5月21日です。




