23話
喉を潤して改めてチェルシュに対し口を開く。
「料理人の育成はウィラント商会の経営するカフェでいいと思う?」
「…貴族の舌を唸らせる為には相応しい場所での研鑽が必要かと思われます」
「平民向けのカフェでは不足する、と」
「はい。それにラーベラ男爵家を表に立たせるのであればクルソワ伯爵家の影が見えない方が宜しいでしょう」
確かにチェルシュの言い分には一理ある。
貴族の大多数が平民と同じ物を食べる訳でも無ければ、平民と同じ味覚を持っているなど貴族の矜持が許さないと考えているのだろう。
それに、流行を作り上げるのはシュテーリアの役割だ。ラーベラ男爵家に恩を売りつけるのはエアリステ侯爵家でなければならない。
最も重要なのは、ニルヴェーナ公爵やカリアッド侯爵に横槍を入れられてラーベラ男爵の腰が重くなってしまう事だろう。
「それでしたら、学院の食堂を使うのはどうでしょう?貴族の子息子女が集まっていますもの。学院長も1度シュテーリア様の作られた料理を口にしていますし、検討してくださるのでは?」
「それは良い案ですね。何より学生の口コミ力を侮ってはいけません。料理人の腕に応じてカフェ出店の噂を広めていけば親たちも食い付いてくるでしょう」
「学院でしたら既に制服の件でやり取りしてるので、そこそこ早く話を纏めれると思いますし……ウィラント商会と同様に学院での役割が得られたとなればミケロ商会も相応に持ち直すでしょうね」
「料理人の講師にはチェルシュが就くべきだと思っているのだけど…」
チェルシュが徐ろに「あっ」と声を上げた。
「実はフォンダンショコラを作っている最中に料理長からとても魅力的な喧嘩を買いまして……」
「は?」
思わず素の表情が出たシュテーリアを視線だけで諌めて、チェルシュは続ける。
「勝てば料理長に味というものについて叩き込むことが出来ますよ、お嬢様。そして、料理長に叩き込んだ後なら私も学院の食堂で講義することが出来るようになりますね」
なるほど、とシュテーリアは頷く。
「どんな勝負をするのかは分からないけど、まずは何としても料理長に勝ってちょうだい」
「畏まりました。全力で取り掛かります」
一体何故そんな事になったのかはシュテーリアには知る由もないが、エアリステ家の食事事情が改善されると言うのなら願ったり叶ったりである。
チェルシュには大いに頑張って貰いたいものだ。
その後、互いに飲食店に勤めていたこともあり、セレンディーネとチェルシュを中心としたやり取りは問題なく進む。
前世では芸能業界以外で働いたことの無いシュテーリアにとっては有り難いことだ。
さて、と一拍置いてチェルシュは完食された皿を片付け始める。
「では、いよいよシュテーリア様に本領発揮して頂く時間が参りましたね」
頭の中に疑問符を浮かべているとセレンディーネが嬉々として胸の前で手を合わせた。
「建国祭でのお召し物ですよ!この世界の誰もが見たことの無い、そして誰もが感嘆するドレスを作りましょう!!」
気合いの入り過ぎているセレンディーネに苦笑を零してチェルシュが立ち去る中、入れ替わりに入室したのは母フェリシアとミリアム、セレンディーネの侍女リューイだ。
リューイの手には大きなトランクがあり、中にはデザインに必要な一式、採寸に必要な一式、生地のサンプルがファイリングされた書物が入っていた。
「まずは採寸しましょうね、シュテーリア様」
フェリシアに礼をしたあと、実に怪しげな笑みを浮かべたセレンディーネはメジャーを受け取り、シュテーリアを立ち上がらせた。
ミリアムが着ていたドレスを脱がしに掛かる。
制止する間も無くあれよあれよという間に下着姿になったシュテーリアの挙動は相変わらず不審なものではあるのだが、セレンディーネとリューイは事も無げに採寸を進めていく。
「まさか、10歳にしてこのプロポーション…流石としか言い様が……」「Dカップですって?まだ幼女体型のお嬢さんが多いというのに…」などとセレンディーネが呟く声を無視してシュテーリアは頑なに目を瞑る。
本来は慣れるべきなのだろうが目に毒なのだ。
だから、どうか想像させないで欲しいと薄く目を開けてセレンディーネを見て、目が合う。
「シュテーリア様、大変お美しい肢体ですわ…デザインが次々と浮かびます!」
熱の篭った瞳を向けるセレンディーネには残念ながらシュテーリアの思いが通じる事は無かったのだが、再度ミリアムにドレスを着せて貰っている間にいくつかのデザイン画が出来上がる程度には彼女の情熱を燃え上がらせることは出来たようだ。
淹れ直して貰った紅茶を口に含み、デザイン画を眺める。
「こちらは年齢に相応しくないと思うのだけれど…」
フェリシアの進言は真っ当なものだ。
ホルダーネックの背中の大きく開いたマーメイドラインのデザイン画に軽く触れる。
「そうですね。そちらは…シュテーリア様がもう少しお育ちになった頃に……そう、もう少し…ふふっ」
セレンディーネの情熱は少しだけ変態的なのかもしれない、と一抹の不安を覚える。
中夏の月にある建国祭は王城で催される社交会としては唯一就学児であれば未成年の参加が許されており、各家の夫人たちが娘を着飾ることに並々ならぬ熱意を向けている。
初代国王である覇王ヴァレンティノ王とその妻である絶世の美女と誉高いメレナ王妃、そして戦神マグノスを崇め奉る式典もある為、印象としては硬めの装いが求められるのだ。
もう1つ、下冬の月にある教会の聖堂で催される最高神ルフィツィアの生誕祭は自由度が高く、こちらに全力を注ぐ家も少なくはない。
社交会と呼ぶ程のものはなく、こちらは式典が終われば近親者とホームパーティーを行う。
前世でいうクリスマスだ。
もし、背中の大きく開いたこのデザインのドレスを着るとなれば生誕祭か…デビュタントとして参加する社交会が最適だろうと思う。
そういえば、とセレンディーネは問い掛ける。
「シュテーリア様の建国祭のエスコートは勿論フェルキス様ですよね?」
「えぇ、そうで…す?」
互いに顔を見合せて首を傾げる。
ミリアムですら首を傾げているのだが、そう言えばエスコート役は決まっていない。
ここにいる者にとって、《シュテーリアのエスコートはフェルキス》というのは至極当然のことになっていた。
別の者がその位置に立つ訳がなく、フェルキスがその場を誰かに譲る訳が無いと。
シュテーリアでさえ、そう思っていた。
だが、フェルキスは婚約者の居ない貴族の嫡男であり、彼の感情がどうであれいつ婚約者が決まってもおかしくない立場でもある。
絶対にシュテーリアのエスコート役だという保証はないのだ。
「…お兄様に尋ねてみた方がいいかしら?」
フェリシアに問い掛けるがフェリシアは優雅にカップをソーサーから取り上げ、ミリアムに視線だけで発言を促した。
「いえ、フェルキス様がお嬢様のエスコート役をどこぞの羽虫に任せるとは思いません。人目に付く場に出る以上、確実にフェルキス様がお隣にいらっしゃるでしょう。それに、お嬢様のお隣にはフェルキス様以上に相応しい方などおりません」
「えぇ、当然ね」
満足気にフェリシアが頷いたのを見てシュテーリアは一先ず聞き慣れた羽虫発言を簡単に聞き流す事にした。
シュテーリアの身近にいる者は漏れなくフェルキス信望者であり、シュテーリアに近付く男たちを羽虫と呼ぶようだ。
ミリアムの発言は、これが漫画の世界であれば確実にドヤァという効果音が書かれているに違いない。
「では、フェルキス様のお衣装もこちらで揃えて誂させて頂きますので後日採寸を…」
「後日というのは手間になるわね。フェルキスなら私室にいるでしょうし、ステヴァンを呼ぶからミリアムはリューイさんをご案内なさい」
「畏まりました、奥様」
「いえ、ステヴァンさんにご足労頂く必要はございませんわ!わたくしの護衛をお連れ下さいませ。彼にも相応の技術は叩き込んでありますので。念の為、リューイもお連れ下さい」
「ふふっ、流石クルソワ家の護衛ね。では、護衛の方とリューイさんをフェルキスの私室にお連れして」
「畏まりました」
フェリシアは扉が閉まったのを確認し、光の小鳥をフェルキスに飛ばした。
「今、建国祭の衣装の為に私室に人を遣わせたわ。愛しいリアの隣を歩きたければ私室に居なさい。採寸するわ」という軽く脅迫にも取れる発言をあの可愛らしい小鳥がフェリシアの声で発するのかと思うと些か目が遠くなる気分である。
「わたくしはこちらのデザインをフェルキス様とシュテーリア様に建国祭で着ていただければ、と思っていたのですが」
セレンディーネがテーブルに広げたデザイン画に目を向ける。
騎士服を基調とした胸下辺りまでのショート丈のジャケットとシンプルなAラインドレスだ。
首元にはジャボを、襟には薔薇の襟章と荊のコード刺繍が入り、肩は肩章と飾緒で飾られ、縁は全て髪色と同色の金糸で縁取るようだ。
Aラインドレスにも襟と同様に薔薇と荊のコード刺繍を施すらしい。
フェリシアが納得したのを見て、生地選びに移る。
セレンディーネの中でイメージが固まっていたのだろう。
彼女が出したサンプルは檳榔子黒の藍下黒という色のタフタ生地だ。
藍色で下染めし上から黒で染め重ねたその色には高級感があり、生地の性質も相俟って硬質でかなり気品高く見える。
ジャボには大柄のレースを使用し、硬質な中にも夏らしく涼やかさを…ということだ。
式典ではジャケットを着用、社交会ではジャケットを脱ぎベアトップのAラインドレスに様変わりする仕様である。
途中で戻ってきたミリアムとリューイを交ぜて細部を詰め、満足のいくデザインが出来上がったようだ。
フェリシアの満足度も高いらしく何度もセレンディーネを褒め称えていた。
続いてフェルキスの礼装だが、こちらも檳榔子黒の藍下黒ではあるが近衛騎士団の礼装と同じ生地を使った縦襟のフロックコートである。
装飾や刺繍などに関してもシュテーリアと同様のものに揃えるということだ。
ジャボに付ける装身具は互いの瞳の色を用意するという。
それはそうと、口には出来ないがセレンディーネに言いたい。
この衣装、色や細かい部分は違うが…雅が軍師役を演じていた時の衣装じゃないか?と……
流石、雅を最推しと言うだけのことはある。
ここまで詳細に覚えているとは思っていなかったのだ。
交わした視線の先でセレンディーネは気まずそうに笑った。
まさかシュテーリアの中身が雅だとは思っていなかったのだろう。
全てが決まった頃には日が傾いており、セレンディーネとリューイは足早に帰宅することになったのだが、両者共に頬が綻ぶのを隠しきれていなかった。
ふとシュテーリアは思い出す。
(金額の話してない!?)
満足気なフェリシアに訪ねようと口を開きかけたところで、フェリシアが自身の口元に人差し指を立てる。
「リア、そのお話は必要ないわ。最愛の息子と娘を飾るのはわたくしの楽しみなのよ?来年はミコルトも居るんだもの、より楽しみだわぁ」
切れ長の目を三日月に変えてフェリシアは至極楽しげに笑った。
夕食後に父レイスとフェルキスにその事を伝えたのだが反応はフェリシアと同様であり「一体何を気にしているのか分からない」といった様子だ。
隣に座っていたミコルトと言えば、来年の自分を思い少々げんなりとした様子ではあったのだが、シュテーリアが着飾るという部分においては全く異論がないらしく、さも当然のように振舞っていた。
それにしても、とシュテーリアは思う。
食品については前世に劣るが、服飾品については前世を凌ぐ高品質なものが多いと思える。
宝石や生地や糸など全て魔法による加工がされており、その魔法の強度によって値段が変わるらしいのだ。
食品にもやれよ…と思わないでもないのだが、おそらくこの世界では食の重要度が低いのだろうと無理に納得することにした。
次回更新予定日は5月15日です。




