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22話



現在、シュテーリアはセレンディーネと2人きりで向かい合っている。

侍女も不在のまま私室の扉を閉めていられるのはセレンディーネとの関係が個人的に家に招く程の親しい友人であり、女性だからである。

新しく用意させたダイニングテーブルセットには銀の装飾が美しい青く透き通った硝子で作られたティーセットが並ぶ。

ミリアムに淹れてもらった紅茶をゆっくり味わい、ソーサーに戻して優雅に微笑みかけ……2人同時に溜息を吐いた。


「ごめんなさいセレンディーネ様…お止めしたのだけれど……」

「いいえ、その…歓迎して下さって嬉しかったわ」


思い出すのは玄関ホールでの出来事だ。

初めてシュテーリアが親しい友人を招くと知った母フェリシアと侍女たちは感動の余り玄関ホールに侍従を全員集合させ、セレンディーネを大仰に歓迎したのだ。

国内最大のウィラント商会を持つクルソワ家の令嬢というのも相俟ったのかもしれないが、家令のステヴァンと共に侍従全員が寸分狂わぬ協調を見せて頭を下げた時にはセレンディーネだけでなく、よく躾られた彼女の侍女でさえ一瞬頬を引き攣らせていた。


2人の間に多少の沈黙が続いてからシュテーリアが切り出す。


「時間は有限ですわね」

「えぇ、まずは《自己紹介》させて下さいませ」


こくりと頷き続きを促すと、セレンディーネではない誰かの表情が作り出された。


「私の前世は野中春陽(のなかはるひ)という日本人で、25歳の女でした。仕事は実家の定食屋で働いてました。趣味は絵を描くことと…推しの……あ、いや、舞台を観に行くことです!」

「この世界については…」

「知ってはいるんですけど詳しいかと聞かれれば、そうでも無いというか…たぶん私が知ってるのは正しい内容じゃないと思います。その、シュテーリア様は?」


演劇が好きというのは話が合うかもしれない、と嬉しく感じながらシュテーリアは自身の前世について話す。


「俺は古市雅と言います。前世では舞台俳優をしていて、18歳の男でした。主に2.5次元の…っ!?」

「古市雅っ!?」


ガタンという音と同時に身を乗り出すセレンディーネと視線がぶつかる。

信じられないものを見るような表情をした彼女にコクコクと小刻みに頷いて見せれば、彼女は軽く反る程に背筋を伸ばし額の前で両手を組み、鮮やかなオレンジの瞳を閉じた。


「神に感謝します…こんな、こんなところでみや様に会えるだなんて……もう死んでも、はっ!ダメだ!!みや様を愛でるチャンスがっ!私の最推しを愛でるチャンスがっ!!実家に居座って毎月給料の8割貢いできた甲斐があった……!」


感動しきりにころころと表情を変えながら呟く内容は全てシュテーリアの耳に届いている。

溌剌そうではあるが貴族令嬢の見た目をしたセレンディーネと今の彼女の中身との差が激しい。

それにしても彼女の最推しが自分だったとは思いもよらず嬉しい話が聞けた。

彼女が敵側に堕ちることは無いと思っていいはずだ。


「とりあえず、座りません?」


落ち着いてくれと声を掛けると彼女は「はっ!」と声に出してから今更な澄まし顔を作り上げて腰を落ち着けた。


「みや様…にょた……尊い……」


残念ながら全く落ち着いてはいないようだが、話を進めることにする。


「この世界に来たのって、いつ頃なんです?」

「わ、私が来たのは5歳の頃ですね!もうすぐ10年になりますよ!」

「は!?…10年前って、俺まだ役者やってない……」

「ん?私が死んだのは、みや様が腹黒アイドルを演じてる頃ですよ!観劇した帰りにテンション上がりすぎて信号無視しちゃって、それで車に轢かれました!!」


明るく自分の死因を語る彼女は何とも言い難いが、吹っ切っているようなので触れずにおこう。


「腹黒アイドルって、俺が転生する半年くらい前…転生する時間軸バラバラなのか……」


ボソッとした呟きを聞いた彼女は顎に手を当てて首を傾げる。


「みや様がシュテーリア様になったのはいつなんですか?」

「3年前ですね」

「なるほど。確かにバラバラですね…まぁ、世界が違う訳だし、そう大きな問題でもないと思いますよ」

「確かに…えっと……春陽さんが知ってるTearsの世界って舞台の内容だけだったりします?」


疑問を投げ掛けるが彼女からの返答はなく、目を見開いたまま停止している。


「あの、大丈夫?」

「ーーはっ!みや様に名前を呼ばれた感動で……すみません!!」


佇まいを整えて彼女は改めてシュテーリアに向き合う。


「私が知ってるのは舞台の設定だけで間違いないです。ゲームは未プレイなんですよ。ただ、友人が原作ファンだったので粗方の内容は聞いてます。あれですよね?エアリステ兄妹めっちゃ死ぬし病んでるしヤバいっていう……」


そこまで言って、カップに伸ばしかけた手を止めた。


「シュテーリア、死にますね?舞台だろうと何だろうと……」

「はい。既に誰かに狙われてるっぽいです」

「え、ヤバくないです?」

「ヤバいです」

「生きましょ?」

「生きたいんですよ」

「ですよね」

「はい」


リズム良く一問一答を交わして互いに沈黙し、話を再開させたのはセレンディーネだ。


「ランス殿下やティファにも死んで欲しくないので、できる限り全力で協力しますよ」

「助かります…」

「原作は詳しく知らない上に舞台見たのもだいぶ前なんで忘れてる事も多いしアレなんですけどね!とは言えですよ?なんか性格違う人多いですし、先の展開を知ってるに越したことはないけど、決めつけるのは微妙ですね」

「そうなんですよ。性格が違うせいで何が起こるか全く分からなくて…」

「まぁ、楽観的と思うかもしれませんけど…とりあえず起きた問題に一つ一つ対処していくしかないのかなぁ、と。それに…少なくとも超シスコンと権力持ちの超モンペがついてるし……」


名前が出なくても誰のことか分かる言い方だと思う。前者は兄弟、後者は両親だ。


「正直なところ、シュテーリアの命を救うだけならフェルキス様にぜーんぶ話しちゃうのが1番楽な気がするんですよねー…信じて貰えなかったら頭おかしくなったと思われるけど」


確かにそれも一考の余地がある。

フェルキスには既にシュテーリアに何らかの変化が起こっていることは知られているのだ。

前世の創作物に全く同じ人物の出てくる作品があったと言えば何らかの策は練ってくれるはずだ。

だが、シュテーリアとしてはフェルキスの性格も問題なのである。


「フェルキスは…自分の代わりになる人間がいるなら大事なものを守るために簡単に命を奪えるし…捨てれるんですよ。ゲームでも、舞台でも……」


何より、現実のフェルキスはゲームや舞台以上にシュテーリアを本当の意味で大切に思っているはずだ。

彼自身が頻繁に命が狙われているのに、これ以上背負わせるのは控えたい。


「それに、自分で対処できるようにならないとエアリステ侯爵家の娘として……」


自分自身に言い聞かせるよう呟いて、冷たくなった紅茶を眺める。


「…確かにエアリステ侯爵令嬢としては、ある程度は自分で対処できないといけないんでしょうね。まぁ、でも味方はちゃんといますよ。情報集めなら任せてください。伊達に商家の娘やってないですよ」


優雅に微笑むその顔は正しくクルソワ伯爵令嬢そのものであり、頼もしい姿がある。

そういえば、とセレンディーネは続けた。


「そもそもセレンディーネってゲームに居ましたっけ?友達からこの名前聞いたことないんですけど…舞台には居なかったけど、ゲームに居たならモブって訳でもないんですかね?」


紅茶を1口含んで冷えたなりの味わいを楽しみ答えようとしたところに扉を叩く音がし、ミリアムから声が掛かる。


「お嬢様、チェルシュがデザートをお持ち致しました」

「もうそんな時間なのね。入ってちょうだい」


言葉を切り替え、入室の許可を出す。

わざわざ着替えて来たのだろうか、チェルシュはコック服ではなく侍従と同じく黒の執事服に身を包んでカートを押している。

ミリアムに紅茶を淹れ直してもらう間にチェルシュにはデザートの準備を任せた。


「チェルシュ、貴方は残りなさい。デザートの説明をして貰うわ」

「畏まりました、お嬢様」


侍女達が部屋から出ていくのを視線だけで見送り、チェルシュに説明を促す。


「こちらはフォンダンショコラというケーキになります。中にはお嬢様が御要望されたキャラメルガナッシュが入っております」

「フォンダンショコラがこの世界で作れるんですか!?…………あっ」


見事な失言である。

まだチェルシュが転生者である事は伝えていないにも関わらず、彼女は《この世界》と言ってしまったのだ。

慌てて取り繕うが、チェルシュもまた視線のみで「どういうことだ」と聞かんばかりの鋭さを見せている。


「必要以上に取り繕う必要はないわ。セレンディーネ様、彼も転生者で前世はシェフを務めていたらしいの」

「え、えぇ…こんな近くにもう1人……」

「出来れば先に教えていただきたかったですね」

「ごめんなさいね、色々あって伝えるのを忘れていたのよ」


悪びれもせず伝えてシルバーを手に取り、フォンダンショコラを割った。

中からトロリとしたキャラメルガナッシュが出てきて、零れないように気をつけながら添えられた甘さ控えめの生クリームに付けて口に運ぶ。

見た目、味、全てにおいて合格点を出して構わない出来だと言える。

味に不満がないのは前世で自ら作ったものに近いからなのではあるが、シェフを務めていた者が作って前世の自分と同じレベルのものが出来上がるというのは何とも微妙な気持ちにはさせられる。


「作っていて不満が残ったのではなくて?」

「えぇ、やはり食材一つ一つへの理解がまだ進んでいませんので時間が足りませんでしたね」

「…いや、十分美味しいですよね?うちのカフェで出したいくらいなんですけど。それとキャラメルガナッシュのフォンダンショコラって初めて食べました。本当に美味しいです………」

「これは、わたくしが前世で妹の為だけに作っていたものなの」

「妹さん、なんて羨ましい…みや様の妹というだけでも羨ましいというのに……」


一口進む毎にセレンディーネの言葉数が減り、その表情は令嬢のものでも春陽のものでもなくなっていく。

紛れもなく商人としての顔だ。

頭の中であらゆる計算が成されているのだろう。


「シュテーリア様、チェルシュさん、レシピを買わせて頂きたいと言ったら、どれだけのレシピを売っていただけますか?」

「わたくしのは一般家庭のお料理程度のものですからセレンディーネ様もご存知の料理が多いと思うわ」

「それよりも時間を掛けて貴族向けのカフェをオープンするのはどうでしょう?私が作る料理は平民向けにしてはコストパフォーマンスが良くないと思うんですよ。この世界で考えると。まずは料理人の育成と食品の品質向上に向けて動きながら、この世界に合ったレシピを増やしていくのが良いのでは?」


セレンディーネは唸りつつも「確かに…」と呟いてシュテーリアに向き直る。


「エアリステ侯爵家とクルソワ伯爵家での共同開発と共同経営となれば、わたくしの一存で決めれる範囲ではありませんわね。シュテーリア様はどうお考えですか?」

「わたくしとしては既にお父様に了承を得ているようなものですから、あとはセレンディーネ様の説得にかかっておりますわ」

「お任せください。ウィラント商会はわたくしが大きくしたようなものだもの。お父様のこともパパッと説得してみせます」


セレンディーネは不敵な笑みを浮かべ拳を握る。

ゲームに存在していたかも分からない商会を王族の目が届く位置にまで押し上げた彼女の言葉は実に頼もしい。

ただ、問題が無い訳では無い。

料理人の育成の場もそうだが、何より権力のパワーバランスが崩れすぎるのだ。

クルソワ伯爵家の経営するウィラント商会は他の商会を圧迫している状態である。

1つの商会だけが盛り上がるのは良いとは言えないだろう。

その事を伝えればセレンディーネは、ニヤリと口端を上げた。


「それでしたら、もう1つお家を巻き込みましょうか……」

「どちらのお家かしら?」

「ラーベラ男爵家ですわ」


ラーベラ男爵家の持つミケロ商会は服飾関係に特化していたがウィラント商会の台頭により今は風前の灯火と聞く。

それを生き返らせると彼女は言う。


「確かラーベラ男爵は物静かな風見鶏でしたわね?」

「えぇ。そう聞いておりますわね」

「ふふっ…それは、いいわ」


ラーベラ男爵という男は力というものに弱いのだ。

上手く恩を売れば確実にこちら側に寝返る。

そう、ラーベラ男爵家は改革派なのだ。

ヴァルデリックが中立の教会派からほぼ王国派に立ったことで王都、ハウゼン、ヒスパニア、アッセルフィガー、ヴァルデリックに囲まれたラーベラ領は今や改革派の領地から孤立している。

改革派の戦力を落とすには十分な好条件だ。

それに、エアリステもこれ以上表立って力を付けるべきでは無いとシュテーリアは思う。

フラペンスの台頭によって、漸く権力が分散してきたのだ。

エアリステはできる限り裏方へと回り、広告塔としてだけ派手に動けば良いだろう。


「それに、カリアッド侯爵令嬢のご友人も減らせますわね」

「……あぁ、ヴァシュカ様のことね」


エルテルの派手色のせいで朧気にではあるが、くすんだ灰色のドリルを思い浮かべた。


「えぇ、わたくし同学年ですの。彼女、エルテル様にご不満があるようでしたわ」

「まぁ!」

「少し、近付いてみますわね」

「お願いいたしますわセレンディーネ様」


やり取りが一段落ついたところでシュテーリアはチェルシュを見て一先ず紅茶のおかわりを要望した。


次回更新予定日は5月13日0時です。

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