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20話



明くる朝、日が昇り始める頃に目が覚めたシュテーリアは行儀が悪いことを知りながら寝台を降り、夜着のままバルコニーに出た。


母の指揮の下に整えられた庭園は学院の庭園と比べても負けずとも劣らない出来栄えだ。

ふと、ある舞台を思い出す。

バルコニーに立つ貴族の女性が離れた想い人との現状を憂うシーンが有名な作品だった。


「ロミオ、どうして貴方はロミオなの…」


何の気もなしに有名な台詞を口にする。

正直、これだけ聞いたら「親が名付けたからじゃね?」で終わるのだが……作者としては、そういうことでは無いらしい。


「シュテーリアはどうしてシュテーリアなんだろうね?」


予期しない声が背後から掛かり、シュテーリアは声にならない叫びを上げる。

5年くらい寿命が縮みそうな程度には驚いたのだが、声の主はクスクスと上品に笑っていた。


「ごめんごめん、おはよう。僕の最愛の(ひと)


そう言いながら朝焼けに輝くプラチナブロンドを揺らすフェルキスは、同じく輝くシュテーリアのプラチナブロンドを指で弄ぶ。


(最愛の、(ひと)?)


フェルキスは今まで愛でる言葉の後に子や天使、お姫様、青薔薇、妖精など色んな比喩を使ってきたがシュテーリアをここまで露骨に1人の女性として表したことはあっただろうか…

いや、無いはずだ。

どんな言葉にも必ず愛玩の感情がそこにはあったことをシュテーリアは知っている。

蠱惑的に揺らぐ翠眼がえも言われぬ緊張をはしらせる。

今まで向けられたことの無い熱がそこにはあった。

揺らぐ翠眼が伏せられ、シュテーリアは小さく息を吐いた。

緊張から解放されたものの、呆れたと言わんばかりに肩を(すく)めるフェルキスから解放された訳では無い。


「全く…今は何月だと思ってるのかな?」


腕に掛けているのはフェルキスの上着だ。

それをシュテーリアの肩にかけ、シュテーリアごと腕の中に収める。


「まだ上春の月だよ?こんな薄着で出るなんて…倒れたばかりだと言うのに君と来たら……」


フェルキスのお小言は続いたのだが、少ししてピタリと止む。

黙ったままのシュテーリアが心配になったのだろう。


「シュテーリア?お小言は飽きてしまったのかな?」


シュテーリアとしては飽きたというより昨日の絶対零度の魔王様然としたフェルキスが脳裏から離れないのに、先程の蠱惑的な熱を帯びるフェルキスや目の前にいる麗らかな春の日差しのようなフェルキスとの温度の違いに気持ちが追い付いていないだけだ。


「お、おはようございます…」


やっとの事で出した言葉がコレである。

少しでも物音が鳴れば聞き落としそうな程の小さな声での挨拶にフェルキスは再度クスクスと笑う。


「昨日は恐ろしい思いをさせたね。でも、謝ることはしないよ」

「はい」


謝る必要などないのはシュテーリアにも分かる。

自覚が足りなかったのはシュテーリアであり、フェルキスはその自覚を促しただけなのだ。

用意周到すぎる気がしないでもないのだが…そこは置いておこう。


「わたくしは…その、本当にお兄様のお隣に相応しくなれるのかしら……」

「……今でも十分だよ。それこそ僕がシュテーリアがシュテーリアであることを疎ましいと思う程にはね。まぁ、でも…ソレはもういいかな」


腰に回っていた手に力がこもり、空いた手で軽く顎が掬われた先にあるのは軽く啄むような触れるだけの口付けだった。


(……んっ!?待って?まっ……はっ!?!!キ、キキキキキスされた!?)


シュテーリアの脳内は大混乱である。

前世と今世合わせてもシュテーリアの恋愛スキルは0なのだ。


「おっ、おおおおにっ…さまっ…!」


腕の中で羞恥心を隠そうと暴れるが熟れたチェリーのように赤く染まった顔を隠すことも許されず、フェルキスの胸をパタパタと叩く。


「ぷっ、くくっ、シュテーリア首まで真っ赤だよ」


赤く染った首筋を撫で、滑らかさを目一杯愉しんでから額にもう一度唇を落とす。


「君が悪いんだよ?…」

「なっ!お兄様が悪いのですわ!わ、わたくしの初めて……」


フェルキスが続けていた言葉を掻き消すしてシュテーリアは狼狽える。

12歳の少年に弄ばれるのも癪なのだが、何分不慣れな前世18年+今世3年である。

役者だったのならキスの1つや2つ…と思うのだが残念ながら雅にそんな役は来なかったし、宛てがわれるのは専ら神経質な少年か俗に言う腹黒鬼畜メガネ的な役柄が多かったのだ。

あくまでも主人公にはならない位置だ。

生きた年月を考えればファーストキス如きで騒ぐものでもないのだろうが、そもそも相手が兄妹ともなれば別である。

不服を申し立てればフェルキスは両親から受け継いだ造形美を活用して憂いを帯びた表情を作り上げた。


「シュテーリアは僕では不服なんだね」


そうでは無いが、そうだと言いたい。

言葉に詰まりながらも視線だけは逸らさずにいればフェルキスは笑みを深めて捲し立てる。


「こんなに可愛がっているのだから初めてくらい僕にくれてもいいんじゃないかな?そもそもロミオって誰なのかな?あんな恋焦がれるような声で呼ぶ程に愛しい人をいつの間に選んだの?ソレは君に見合う男なの?それとも何処かの羽虫なのかな?こんなに僕が大事にしてきたと言うのに羽虫如きに愛する君を掠め取られたと思うと不快で仕方ないんだけど、君はどう思う?ねぇ、シュテーリア…君は僕の腕の中で愛でられていればいいと思うんだよね。で、その羽虫は何処にいるの?僕が探し出したらいい?会えないように君を閉じ込めた方が早いかな?あぁ、でも存在してると思うだけで鬱陶しいし消してしまった方が僕の心の平穏が保たれるかな?…そうだね、消してしまうからソレについて僕にだけ教えて?」


魔王様ご降臨である。

妹至上主義ここに極まれり…と、やけに冷静に脳内で呟いて言われた言葉を咀嚼する。

何だか色々と物騒な発言があった気がするが、まずは勘違いを訂正しなければいけないだろう。


「お兄様、ロミオという人物はこの世に存在しないわ。ソレは偶像ですもの」


シュテーリアの言葉を受けても未だ信じきれていないようだ。


「以前読んだ物語にそんな台詞があったのを思い出しただけなの」

「本当に?」

「嘘など吐いてません!」


訝しげに眇られる翠眼は随分と疑り深い。


「わたくしにはお兄様だけだもの!」


シュテーリアは渾身の一言を捻り出し、フェルキスに抱き着いた。

前世で妹の菜々子によく使われた手だ。

お願い事があると決まって「お兄ちゃんしかいないの!」と言いながら抱きついてくるのだ。

それを文句を言いながらも可愛いと思い、良い様に使われていたのは言うまでもない。


一瞬だけ丸みを帯びた翠眼は、ゆっくりと三日月を作り出す。


(なんか間違った気がする…!)


瞬時に後悔が押し寄せるものの背に回した腕を離せずにいると、フェルキスの嬉しそうに弧を描く唇は「僕だけ、ね」と小さく動いた。


暫く脳内で作戦会議をしながらフェルキスの腕の中で身動ぎしつつ過ごせば太陽は上がり、本格的な朝を迎えようとしていた。


「シュテーリア…」


フェルキスが名前を呼ぶ耳触りの良い声は切ない程に優しく、的確に異性としてシュテーリアが愛しく離れ難いのだと伝えてくる。


(でも、兄妹だわ…)


国の法としても、宗教的に見ても、兄妹の恋慕は許されるものでは無いのだ。

フェルキスが抱えるソレを育んでも悲劇しか産まない。

体温は子供らしく高く、肌寒い朝である今は離したくないとさえ思うがシュテーリアは静かにその手を離す。


雅として知っている妹への深い愛情と、フェルキスが向けるシュテーリアへの深い愛情は同じものだと強引に思い込み、諌めるなら今しかないのだと自分自身に言い聞かせる。

腕を回してしまったのは不安が少し薄らいだことによる安堵と与えられる重苦しいまでの愛情がシュテーリアの身の内を狂わせたのだ。

今はそんなものにかまけている暇は無いのだと言い聞かせながらフェルキスの言葉を待った。


「僕はね、君の隠す真実が何であっても構わないんだ…ただ」


その後に言葉は続かなかった。


「…お兄様、そろそろミリアムが来るわ」


フェルキスが抱く感情は兄妹にあってはならないものだということは、いくら恋愛スキルが0なシュテーリアにも理解できる。

だからこそ受け入れる訳にはいかないのだ。

離れた体温が寂しいと感じるのは寒いからであって特別な感情などない、と自重気味に笑った。


「敬愛するお兄様、わたくしはお兄様の妹で良かったわ」


悲哀に沈むフェルキスの表情は元のシュテーリアには見せたことの無い表情なのかもしれない。

底知れない僅かな優越感を覚えながら1歩後退り、距離をとる。


フェルキスの想いをそのまま受け取ることは出来ないから…と誰に聞かれている訳でもないのに言い訳をして「今はまだ信頼し身を寄せるのはお兄様だけよ」と続けた。


ミリアムが来る前にフェルキスは自室に戻り、シュテーリアは鏡台の前に座っている。

去り際に長い睫毛を震わせながら何か呟いたフェルキスの表情が離れない。

出来ることなら素敵な女性と出会い恋に落ちて欲しいと願わずにはいられないのだが…フェルキスも、そしてシュテーリアも貴族。

貴族の結婚は政治的な意味合いが強いものだと理解している。

恋愛結婚と言われる両親でさえ、両家に利があるから許可されたものだ。

自分達もいずれはエアリステ侯爵家に見合った異性と何の感情も抱かないまま婚約を結ぶのだろうと諦めている。

全力で回避したいところではあるが王族とシュテーリアが婚約することになればフェルキスは伯爵家から相手を見繕うことになり、シュテーリアが王族以外と婚約することになればフェルキスの相手はおそらくルルネアが筆頭候補と思われる。

ルルネアが義姉になるのも悪くは無いと思いながらも、胸の奥にチリつく何かを感じた。


(なんだこれ…)


これが何なのかを知りたいと思う反面、知ってはいけない気がした。

落ち着かせるように深く呼吸をして、腹部を撫でる。


(…なんか、胃がチリチリする)

「如何なされました?」


気配なく側に控えていたミリアムに本日2度目の寿命が縮む思いをしてシュテーリアの朝支度は始まった。



次回投稿予定は5月11日0時です。

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