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19話



次に目を開けた時には既に学院長室におり、目の前には豪奢な椅子に座り朗らかに笑うフリオの姿があった。


「よく来たね、エルリック、シュテーリア嬢。さぁ、詳しい報告をしてもらおうか」


ソファーに座るよう促され、エルリックに続いて腰掛けた。

エルリックから教室で巻き起こった事故について詳細を語られ、フリオの眉間に深い皺ができる。


「シュテーリア嬢、君の体や魔力に異変はないかい?」

「ございませんわ」

「そうか。それは不幸中の幸いだ」

「その…ルル様は……」

「うむ。ルルネア王女については後ほど報告が来るはずだが、怪我などは無いようだ。そう心配せずとも良い」


背もたれに深くもたれかかったまま深く息を吐き、フリオは濃い青の瞳を細めエルリックに視線を移す。


「ルルネアには無属の資質は無いとの報告があったはずだが」

「えぇ。私もそう報告を受けております」

「ルルネアの魔法教師を務めていたのは…ジルベールか」


ハウゼン侯爵家嫡男の名が出たことにシュテーリアは眉を顰める。

派閥については両親やフェルキスに言い聞かされているため熟知したつもりだったが、ハウゼン家はエアリステ侯爵家と同じ王国派に組みしているはずだ。

そんな家の嫡男が同じ派閥の最も権力を持つ王兄フリオ・バーデンス公爵に虚偽の報告をしたと言うのか。

現ハウゼン侯爵は王国派だが、息子のジルベールは別だと言うのだろうか…

それであれば縁者から養子でも取り、同じ思想の者に家を継がせそうなものだが……

いや、そもそもハウゼン侯爵家にはジルベール以外に3人の男児がいる。

派閥が違うのであれば後継の座をジルベールだと公表する必要は無かったはずだ。

それにしても随分と高位な人物の名前が出てきてしまったものだと思う。


「エルリック、今回の狙いは何だと考える」

「そうですね……おそらくは…」


エルリックの視線がシュテーリアを捉え、一瞬だけ気遣わしげな色を見せて視線をフリオに戻した。


「エアリステ侯爵家又はシュテーリア個人かと…」

「……だろうな」


シュテーリアの表情が明らかに強張り、頬が引き攣る。

4年生になるまでは…ゲーム開始時期以前であれば、危険などなく安全に過ごしていけるものだとシュテーリアは思っていた。

それが、まさかこんなにも早く命の危機に晒される事になるとは考えていなかったのだ。


「わたくし、ですか?」

「リアは知らないかもしれないが…フェルキスは何度となく命を狙われている。入学式や社交界での君の姿を見て、君も狙いの中に入ったのかもしれない」

「以前のシュテーリア嬢は両親とフェルキスという強い光によって眩まされた存在であったが、表舞台に立った今では君もまたエアリステの威光を放つ1つになった。それを愉快に思わぬ者は必ずいる」

「…わたくしが学院長室に呼ばれたのは、それを理解させる為、ですわね」

「その通りだ」

「怪我や体調の異変の有無だけであれば学院長室でなくても構いませんものね」


自然と声が震え視界が歪んでいく。

正直に言えば怖いのだ。

前世でも今世でも命を狙われた事など無いのだから当然ではあるのだが…

遠くない未来にその事態が起きることは理解していたし、回避する為の準備を整えつつ、気持ちも徐々にではあるが切り替えていくつもりだった。


「わたくしは…」


自身が思った以上にか細い声だった。

周り全てが敵になってしまったのではないか…そう思える程に不安と恐怖に苛まれる。


「学院の中であれば私が居るし、フリオ様もいらっしゃるから今後この様なことは無いよう万全を期することは出来るが普段はそうもいかない。フェルキスも常に側にいるのは難しいだろう」

「……っ」


事実を告げられているだけだ、対策もしてくれるとエルリックは言っている。

大丈夫…ゲーム開始までは死なないはずだ……

でも、次はさっき受けた火傷ぐらいでは済まないかもしれない。

傷の消えた右手を見て、受けた痛みを思い出せば背中に汗が流れる感覚がした。


何より「フェルキスも常に側にいるのは難しい」この一言がシュテーリアの不安を増長していき、次々に最悪の事態が浮かぶ。

フェルキスだけは何があっても近くで守ってくれる、そう無意識に思っていたのだ。


(怖い怖い怖い怖い…嫌だ。本当に命を狙われるなんて……たかがゲームの世界のくせに!現実じゃないくせに!なんで、なんで俺が……)


体温が急速に上がり鼓動が耳の奥から聞こえる感覚に襲われ…何かが壊れると思った。

途端に止めどなく涙が溢れ、可視化する程にシュテーリアの魔力が溢れ出す。

それに呼応するように助けを求めるような少女の声が聞こえた。


「リア、落ち着きなさい!リア!!」

「シュテーリア嬢!」


シュテーリアから溢れ出る魔力は赤、青、黄、緑、藍、紫が混ざり合い歪な変化をしていく。

まるで何かを象るような…


「た、たすけ…て……ぉに、さま……」


隣に座るエルリックがシュテーリアの腕に触れて魔力に干渉しようと試みるがシュテーリアの拒絶が強く簡単に制御できる状態ではなかった。

シュテーリアの魔力の多さが仇になっているのだろう。


断りもなく学院長室の扉が開き、慌てる素振りもなく立ち入って来たのはフェルキスだ。


「やっと来たか。遅いぞフェルキス」

「申し訳ありませんフリオ様。貴方や父から回される執務の量が余りに多くて」


少しの嫌味を吐いてからフェルキスは事も無げにシュテーリアの手を取り跪く。


「シュテーリア、僕を見て?」

「フェル…に、さま…こわい、の……《私》が…」

「……リア、大丈夫だよ。怖い事からはお兄様が守ってあげるから…《君は》ゆっくりおやすみ」


労わるように優しく頬を撫でられ落ち着きを取り戻したシュテーリアは1度目を閉じ…すぐに目が開く。

瞳を揺らすシュテーリアをフェルキスは至極満足そうに、そして愛しげに小さく「おかえり」と言った。

多少収まりを見せていた魔力が再び荒れ始めるが先程よりはマシな状態なのはフェルキスの触れている場所から彼の温かな魔力が流れ込み、シュテーリアに安心感を与えているからなのだろう。


「おに…さ、ま……」

「シュテーリア、何が怖いのか教えて」

「死に、たく…ない、死にたくない!」

「誰にも殺させやしないよ。安心していい」

「でも!」

「シュテーリアもエアリステ侯爵家にもっと相応しくならなくてはね?」

「…どう、いうこ、と?」


恐怖と不安で震えて冷たくなったシュテーリアの指先を温めるように口付け、フェルキスは優しい声音で穏やかに言う。


「命を奪うことに慣れるんだよ」


今まで見たことが無い程に酷く冷え切った微笑みだった。

その表情にシュテーリアの魔力は少しずつ凪いでいく。

漠然とあった恐怖は畏怖という形で自分に体温を分け与えるように指先に口付ける存在に向けられていた。


「慣れないわ…」

「いいや、そのうち慣れるよ。奪われない為には相手の大切な何かを奪わなくてはいけないからね」


それは、フェルキスが誰かの大切な何かを奪ってきたという宣言に他ならない。例えば…命や、愛する人だろうか。

シュテーリアの髪を頬を優しく撫でていたその手は一縷の躊躇いも無く他者の大切なモノを散らせてきたのだとシュテーリアに愛を告げるのと同じ声音で告げるのだ。

呆然とフェルキスを見つめ、言葉が出てこない。


「でも、そうだね…できる限り愛しいシュテーリアの手は汚させないようにしよう。大丈夫だよ、既に準備はできているからね」


何の、とは聞けなかった。

いや、正しくは声が出て来なかったのだ。


「今日は疲れただろう?ゆっくり休むといい」


フェルキスはシュテーリアの隣に腰掛け、青白く熱を失っていた体を抱き締め安眠効果のある魔法を掛ける。

少しづつ体に体温が戻るのを感じ、シュテーリアは微睡みの中に沈んでいく。

愛しい妹の可愛らしい寝顔にフェルキスは至極嬉しそうに笑い、フリオとエルリックはそんな彼を怪訝そうに眺めていた。



ーーーーーーーーーー



シュテーリアが目覚めれば、そこは見慣れた私室だった。

見慣れた可愛らしいアンティークの調度品は娘を溺愛する両親が揃え、サイドテーブルに飾られたテディベアは7歳の誕生日にフェルキスがプレゼントしてくれたものらしい。

ふとテディベアの首元に飾られたリボンの中央にあるブローチに視線を奪われた。

可憐なシュテーリアには不釣り合いな無骨なブローチだが、春空色の大きな宝石はまるでシュテーリアの瞳をそのまま取り出したかのように美しい。

ブローチは10歳の誕生日にフェルキスから贈られた物だ。

テディベアに手を伸ばし、腕の中に収めたときノック音がする。


「シュテーリア、起きているかい?入ってもいいかな?」


少しだけ返事をするのが躊躇われたが「はい」と一言だけ返す。


入室してきたフェルキスは普段通りの優しさを携えている。

後ろに控えるのはシュテーリアの専属侍女のミリアムではなく昨日フェルキスから与えられた従僕チェルシュだった。

ベッドから出ようとしたのを止められ、そのまま頭元に何個も置かれたクッションを背もたれにして座る。


「少し話をしようか」

「…はい」


返事をしつつもチェルシュの存在が気になって仕方ない。

不思議そうにチェルシュを見上げたが佇む彼の表情を読むことはできなかった。


フェルキスはベッドサイドに用意された椅子に腰掛け、いつも通りの声変わりを迎えたばかりの高過ぎず低すぎない声音で話し出す。


「シュテーリア、まず君に理解し納得し受け入れてもらわなければならないのは…」


貴族の世界は欲に塗れた豪華絢爛な薄汚い世界で、足の引っ張り合い罵り合いは最早貴族の嗜みの1つ、命の奪い合いですら日常だと言う。

そして、シュテーリアは侯爵家の中でも最も権力を保持するエアリステ侯爵家のとびきりに優秀で月も恥じらうほど美しい令嬢であることを自覚しろと言うのだ。

シュテーリアを得たい者が多いのと同時に消したい者も多いのだと。


「だからね、用意したんだよ。シュテーリアを護る剣を」


フェルキスはチェルシュに視線だけを向ける。


「言っただろう?コレはシュテーリアの為の従僕だって」


チェルシュは恭しく頭を下げる。


「教育は僕の影がしている。まだ1ヶ月ほどだからね…教えなければならないことは山積みだけど他の従僕よりは使えるよ」


使える、とはどういうことなのか……


「自分の専属には自分の色を持った宝石を下賜するのが貴族の仕来りというのは知っているかな?」


小さく頷けば「何を与えようか?」と問われる。

ふとテディベアにつけたブローチが目に入る。


「お兄様に貰ったブローチ…」


くすくすと笑う声が聞こえる。


「あぁ、そうだね。それはシュテーリアが着けるには不似合いだからね」


フェルキスがシュテーリアに贈るにしては無骨なブローチだからこそテディベアに装飾として身に付けさせていた。

最初から下賜させるつもりでブローチをシュテーリアに贈ったのだとすれば、目の前の少年はどれだけ先を見据えて動いているのかと驚きを隠せない。

腕に抱いたテディベアからブローチを外してチェルシュの手に乗せた。


「チェルシュ、これで良いかしら…」

「有り難き幸せでございます、お嬢様」


本来の彼は柏木隼人(かしわぎはやと)という人物で、自分と同じ日本で生まれ育ち、平和な世界で生きてきたはずなのに何故《剣》と言われてそうも冷静に居られるのかがシュテーリアには理解できなかった。


「貴方は…剣であることに不満はないの?」

「滅相もございません。フェルキス様に拾われた時よりこの命はお嬢様の為に使うものと決まっておりました」


至極当然であるかのようにチェルシュは言う。


「お兄様、わたくし少しチェルシュと2人で話したいの」

「あぁ、影と信頼関係を築くのは大事な事だからね。いずれ僕の影とも会わせてあげよう」


そう言い残しフェルキスは部屋を出ていく。

部屋に残ったのはチェルシュ1人であり、二人の間に静かな時間が過ぎる。


「椅子に、座って…」


促せば言葉もなくチェルシュはそれに従う。


「怖くないの?……俺は」


そこまで言ってチェルシュは人差し指を自身の口元に当ててシュテーリアの声を制止した。


「お嬢様、私は路地裏で目を覚まし何度も死にかけ、《彼》を捨てる覚悟をし、そして生き延びてきたのです。何度も人から物を奪い、何度も人を殺めました。そうしなければ生きてこれなかった。血に染まらず生きている貴族が妬ましく、羨ましいと思っていました。でも、フェルキス様を知った時安心したのです」

「安心?」

「えぇ。貴族であろうとも我々と同様に自らの手を血に染める者がいるのだと。汚れた世界にいるのは自分だけではないのだと安心したのです」


覚悟なら自分もしたはずだ。

入学式で倒れた時に確かに覚悟をしたのだ。

でも、現代日本という平和な国で生まれ育ってきた思考を捨てきれなかったのだと今は思う。


「わたくしは本物のシュテーリアにはなれないわ…」


チェルシュが小さく首を振った。


「貴女こそが本物に相応しいのでしょう。フェルキス様が求めるのは雅に生きるシュテーリア様です」


彼は、遠回しに雅を捨てなくて良いのだと言うがフェルキスが求めているのは本物のシュテーリアなのではないのか?


「フェルキス様が仰っていたのです。純真無垢な存在は愛でるだけの駒なら都合良いが隣に立たせるには不十分だと」

「今のわたくしはお兄様の隣に立つことを認められていると言うの?」


チェルシュは頷き、シュテーリアを見据える。


「人の命を奪うことに躊躇うわたくしが?」

「躊躇われるのであれば私がやりましょう。その為の貴方の従僕です」

「でも…」

「では、責は私が負いましょう。身分も何も持たない私だからこそ切り捨てるのも簡単なはず」


聞き分けのない子供に淡々と言い聞かせるように語るチェルシュに対し、シュテーリアは声を荒らげる。


「出来るわけないじゃない!貴方はわたくしの従僕なのでしょう?!貴方の成す事の責はわたくしが負うものよ!!」

「……その通りでございます、お嬢様」


チェルシュを鋭く睨んだとき、彼が酷く優しい表情をしていることに気付いた。


…分かってしまった。

もう逃げられないんだ、と。

雅がシュテーリアに転生したその瞬間からこうなる事は運命だったのだ。

そして、チェルシュもフェルキスの手を取ったその日からこうなる運命だったのだ。

ただ、チェルシュの手に在る証は簡単に渡してはいけない物だった。

それを渡さない事、受け取らない事が最後の選択肢だったのかもしれない。

あまりに残酷なこの世界の貴族という立場の者は前世の舞台上で演じた貴族では足りないのだとシュテーリアは理解する。


「覚悟を決められましたか?」

「決めなきゃいけないのでしょう?」

「……はい」

「貴方も決めたのね」

「えぇ。初めて人を殺めると決めた時に私は何よりも先に《彼》を殺したのです」

「そう…わたくしに出来るかしら…」

「出来ますよ。何事も慣れでしょう」

「そうね。慣れるのよね……お兄様も言っていたわ」


淡々と話すことで昂った感情を抑えていく。

感情を表に出さないのは貴族としての基本だ。

家庭教師を務めていたエルリックに学んできたものを脳内で反芻する。

それらは、雅が考えるエアリステ侯爵家の令嬢に相応しい内容だった。

だが、その授業を受けておきながらゲームのシュテーリアが純真無垢なまま育つとは到底思えなかった。

その疑問を《Tears》を知らないチェルシュに投げかける。


「おそらくですが…彼女はお嬢様と同じ教育を受けていなかったのでは?」


それは考えていなかった。

ゲームのシュテーリアに与えられていたものが自分にも与えられているのだと思っていたのだ。


「そもそもフェルキス様がお気付きであるお嬢様の変化を旦那様がお気付きになられていないとは考えにくいのです」

「そう、よね…その通りだわ」

「そして、旦那様とフェルキス様はよく似ていらっしゃると皆が申しております」

「えぇ、似ているわ」


純真無垢な存在は愛でるだけの駒であれば都合良いが隣に立たせるには不十分…

先程聞いた言葉を反芻し、自分の中で噛み砕く。


ゲームのフェルキスや父はシュテーリアが相手の手に堕ちると知っていて助けず、切り捨てた…?

あのシュテーリアは所詮、駒だから…

何より、あのシュテーリアには代わりがいる。

ヒロインという代わりが。

切り捨てたと理解できなかったのはフェルキスが妹至上主義に見えていたからで、それが演技だとしたら…

そこまで思考し、無意識にテディベアを抱く力が強まる。


「わたくしは…彼も彼女も可能な限り隠すわ……」


必要なのは貴族令嬢のシュテーリアではなく、エアリステ侯爵家に相応しいシュテーリアなのだ。

そして、フェルキスは今まで雅がシュテーリアとして取ってきた行動を相応しいものとして見ている。

今までやってきたものは継続するべきだろうと結論付けチェルシュに顔を向けた。


「ありがとうチェルシュ。幾分か冷静になれたわ」

「それはようございました」

「今までわたくしが行ってきたものや、考えてきたものは引き続き行おうと思うの」


決意表明をして、シュテーリアは妖精姫らしく嫋やかに笑う。


「それと…貴方の全てはわたくしのものなのよね?」


肯定するチェルシュにニヤリと口角を上げた。


「今後は食事だけじゃなく、ヘアアレンジも着替えも全て行えるようになっていてもらえるかしら?」

「きっ、着替え!?」


想像していなかった命令にチェルシュの顔が引き攣る。


「あら?わたくしの従僕なのでしょう?もしもの時に困るじゃない。例えば誘拐されたり、監禁されたり…暴漢に襲われたり…ねぇ?」


そう告げれば神妙な顔をして納得をしたようだ。


「ミリアムさんに習います」

「分かってくれて良かったわ」


上げた内容は全てこの先に起こる可能性が高いものなので、今からそれらに対して準備しておくのも間違いではないだろう。


「それと…たまにでいいの、苦しくなった時だけでいいから彼に戻らせて……」


今にも泣き出しそうなか細い声で伝えれば、チェルシュは眉尻を下げて「仕方ねーな」とシュテーリアに届く程度の小さな声で言った。


タイミング良くミリアムが訪れ、そのまま夕食になり2人は主従に戻る。


次回投稿予定は5月10日0時です。

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