16話
チェルシュと話す機会は思いの外早く訪れた。
食後、翌日の準備をする為に厨房に訪れるとそこにチェルシュがいたのだ。
「ご苦労さま、明日の準備をしても良いかしら?」
食器を洗う手を止め、チェルシュは歓迎の一礼をする。
「はい。私も手伝わせていただいても宜しいでしょうか」
「えぇ、宜しくてよ」
スラム出身だと聞いているが、それにしては言葉遣いや立ち振る舞いに教養が見え隠れするのは一体どういうことなのだろうか。
思考を巡らせ、いっそ直接聞いてみようか…と思ったのと同時にチェルシュが不思議そうに口を開いた。
「何をお作りになるご予定でしょう?」
「そうね……タコスというものなのだけれど…」
「……タコス、ですか?」
「えぇ、分からないわよね」
「……いえ…タコス、確かに簡単に作れるな……」
シュテーリアに聞こえるか聞こえないかギリギリの声であったがチェルシュは確かに「作れる」と言った。
この世界のどこにも無い《タコス》という料理を、だ。
シュテーリアは表情を変えることなくミリアムを見る。
「ミリアム、少し席を外してもらえるかしら?」
「ですが……」
「彼は従僕として弁えているわ」
「…畏まりました」
ミリアムが厨房から出ていくのを確認し、チェルシュの隣に立つ。
「貴方、名は?」
「チェルシュと申します」
「そちらじゃないわ。あるでしょう?もう1つの名前が」
チェルシュの濃紺の瞳が揺れる。
真実を答えるかどうか悩んでいるのだろう。
数秒目を閉じて彼は意を決したようにシュテーリアと視線を合わせた。
「……柏木隼人です」
「日本人?!」
「…えっ?!」
「わた……俺は、古市雅と言います。はぁ〜、日本人で良かった…」
「うわぁ…お嬢様も……って、俺!?その見た目で俺!?」
チェルシュにとっては驚愕の事実である。
数多の淑女が憧れを抱く妖精のごとく可憐な美少女の中身が男だというのだから、それも仕方ないことだろう。
「そー、俺。起きたら美少女になっててビックリしたわ」
「ナチュラルに性転換しててよくやり切ってんな」
「演技は得意だからね〜」
「でも、夢は壊れるな」
なりたくてシュテーリアのような可憐な美少女になった訳ではないのに全くもって遺憾である。
勝手に夢を抱いておいて何という言い草か。
話を聞けば、彼は柏木隼人という29歳の男性で前世では名のあるレストランでシェフをしていたらしい。
ここは乙女ゲームの世界だと話したが彼自身は《Tears》の存在すら知らなかった。
原作や舞台、全てのものを引っ括めた上で「知らない」と言っている。
「10歳も上…すみません、敬語を……」
「やめやめ。この世界だと俺の身分じゃ敬語使われることなんてないから気持ち悪いわ」
見た目は15歳前後なのだが前世では29歳と一回り近く年上だったので敬語を…と思ったが拒否された。
軽口を叩ける気さくな兄貴、といった性格なのだろう。
転生した時は名前も無く、俗に言うストリートチルドレンだったという。
余りに金が無く困っていたところに現れた美貌の少年フェルキスからかつあげをしようとし、返り討ちにあった上で何故か拾われたらしい。
見るからに良い所のお坊ちゃんが丸腰で居れば目を付けられても致し方ないので、そこは流すことにする。
チェルシュという名はフェルキスに付けられたものだと彼は言う。
侯爵令息が何故そんな物騒な場所に1人で居たのかは知らないそうだ。
チェルシュはトルティーヤを作るのに必要な材料を揃えながら話を続ける。
「この世界の飯マズ具合ヤバくね?料理長が調味料入れる度にぶん殴りたくなるんだけど」
「あ〜、俺も味のこと言ったら『お嬢様の領分ではございませんよ』とか言われて厨房から出されたんだよね」
「まじか〜。雅くんはさ、料理慣れてんの?」
「うん。子供の頃から作ってるし」
「やっぱ飯は美味くなきゃだよな〜」
2人で深く息を吐き、調味料が揃う棚を見つめているとミリアムが入ってくるのが視界の端に映る。
本音としては、もう少し隼人と雅の会話を楽しみたいところなのだが、チェルシュは従僕とはいえ男だ。
長時間2人きりというのは兄妹ですら許されないのだから当然のことだろう。
従僕として屋敷内にいるのだから、いつでも呼び出すことは可能なので惜しむこともないか、と即座に切り替える。
「チェルシュ、貴方に頼みたいことがあるのだけれど宜しいかしら?」
「へ?……は、はい」
シュテーリアへの切り替えの早さにチェルシュは多少まごつきながら反応をする。
「わたくしとお兄様のお弁当を作って貰えないかしら」
「私が主体で、ですか?」
「えぇ、当然よ。貴方にしか任せられないわ」
「…お任せ下さいお嬢様!」
「期待しているわね」
嬉しそうに笑うチェルシュに期待しかないし、これで確実に一食はまともな物にありつけるのだ。
シュテーリアとしても喜ばしいことこの上ない。
「トルティーヤだけ先に作っておこうと思ったのだけれど、チェルシュがいるなら全て任せても良いのかしら?」
「はい、お任せ下さい」
「お弁当はピクニックに合うようにしてちょうだい」
「ピクニックですか…バスケットに全て詰めるとなると乾燥しますね……」
「それなのだけど、わたくしの魔法で何とかなると思うのよ」
「あぁ、温度と湿度を調整するってことですか?」
「そう。長時間品質が保てるような温度と湿度が分かれば出来るわ」
「なるほど。まずは、それを保てる器が必要ですね。探しておきます」
互いに顔を見合せ頷く。
何とも話の飲み込みが早くて助かる少年だ。
「貴方の昼食の分も作っておきなさいね。出来ればミリアムのも…。それと次の休日なのだけれどクルソワ伯爵令嬢がお見えになるわ。デザートを考えているから貴方の意見も聞かせて頂戴」
「畏まりました」
恭しく礼をするチェルシュの口元が緩んでいるのを見てシュテーリアも満足気に笑む。
思いがけない場所で思いがけない拾い物だ。
偶然とはいえフェルキスがチェルシュと出会い、拾ってくれたことに心から感謝したい。
気分良く私室に帰る途中でにこやかに笑むフェルキスと会った。
「やぁ、シュテーリア。彼に会ったかな?」
「……チェルシュのことですか?」
「うん。良い子だろう?可愛い君の側に置いといても安全そうだったからね。思わず拾ってしまったんだ」
「お兄様…ありがとう存じますわ。彼、大変優秀そうで助かりますわ」
嫋やかに笑めばフェルキスも当然かの如く笑み、シュテーリアの長いプラチナブロンドを撫でた。
「アレは、シュテーリアの為の従僕だよ。もう少し教育は必要だけれど…好きに使いなさい」
「はい、お兄様」
意味ありげに視線を流し、就寝の挨拶をしてフェルキスは廊下を歩いていく。
向かったのは父の書斎だろう。
まだ執務をするつもりなのかと心配になるが父もそこまで無理はさせないだろう…とシュテーリアは私室へ向かい、長い1日を終えた。