14話
午後の授業は各自の目標設定だ。
とは言え、実の所シュテーリアは専門学科に進むまで何も学ぶものがないのだ。
なる気は毛程にもないがエアリステ家の義務として3歳から妃教育のプログラムが組まれており、尚且つ今教壇に立っている鬼教師が家庭教師だったのだから最早当然のことと言える。
何なら基礎教育に関しては基礎教育を受ける最終学年である2年の授業内容すら終わっている状態だ。
そもそも前世の記憶があるシュテーリアにとっては簡単なものである。
刺繍や魔法、芸術分野、妃教育に関して言えば《シュテーリアの方》の基礎能力が高かったことも幸いしているのは間違いない。
魔法は既に基本的なものは全て網羅しているし……と本格的に困っていたが、それはハルニッツとバディウス、サストリーとドミトリーも同じようだ。
双子が才能を発揮するのは魔法学科に進んでからになるがシュテーリアと同じく既に基本は終えているのだろう。
ちなみに王族は、基本を終えてからの入学は義務といえるのだが……一体ルルネアはどうしたのかと心配になった。
右斜め前に座るルルネアの背中は、またしても微振動を起こしているのだが、隣に座るバディウスは眉尻を下げたまま特に何かを言うでもなく見守っている。
ルルネアのことは気になるが、まずは自分の目標を設定しなければ…と手元の紙に向き合うことにした。
結局、勉学における目標が思い浮かばず紙に書いたのは《領地における収益増加に向けての農産物の品質向上と品種改良への着手》である。
10歳の貴族子女の目標にしては何とも言い難いが
、エルリックが満足するものではあったらしい。
ルルネアはというと…「刺繍中に針で指を刺さない」である。
なんとも可愛らしいものだった。
登校初日ということもあり、目標を提出し終えた生徒から順に帰宅許可が下りた。
シュテーリアはフェルキスと帰宅するように言われている為、エルリックに挨拶をして文官棟にある王族執務室へ向かった。
ーーーーーーーー
何度かドアをノックし声を掛けるが案の定返答はない。
またか…とドアノブに手を掛けたがノブが動くことは無かった。
ランスもフェルキスも不在なのである。
「どうしよう……」
どこに居るのかも分からないので無闇に動き回ることも出来ず立ち尽くしていると胡桃色の髪をおさげにした丸眼鏡の給仕が通りがかる。
「少しいいかしら」
「はい。どうかなさいましたか?」
「ここにお兄様がいらしたはずなのだけれど、ご不在のようで…」
「王太子殿下と侯爵令息様でしたら図書室に向かわれましたよ」
「まぁ、そうだったのね。ありがとう」
給仕に感謝を伝え、図書室に足を向けた。
図書室に向かう為には中庭を通るのが近道であり、シュテーリアもエルリックに教えられた通り中庭を横切ろうとしたのだが、思いもよらない人物に捕まった。
太陽の光の反射が眩しいドリルは間違いなくエルテルである。
隣に立つのは煉瓦色のドリルを持つノーレだ。
長時間形状記憶されたままのドリルに感心するも、関わりたくない2人である。
だが、その願いも虚しく踵を返そうかと足を止めた時、声を掛けられた。
「あら、目標さえ無くご入学された方が中庭で寛ぐ時間などあるのかしら?」
正直なところ、相手をするのは面倒なのだが声を掛けられたものは致し方ない。
無視などしてしまえば尚更面倒なことになるのは火を見るより明らかなのだ。
心の中で深い溜息を吐いて、わざわざ近付いてくるエルテルを見据え、妖精の微笑みを顔に貼り付けた。
「そうですね。学院で習う基礎教育は全て終わらせてから入学したもので勉学においては特に目標など考える必要が無かったのです。すぐに目標が立てられた方が羨ましいですわ」
「まぁ!シュテーリア様はご自分が優秀であるとひけらかしたいのかしら!?なんて、はしたないの!!」
「そうですわ!淑女たるもの慎みを持つべきですわよ!!」
まるで歌劇のように大仰に言ってのける様には感心するが、エルテルは自分自身を貶めていることに気付いていないのだろうか。
追従するノーレが居るせいで尚更だ。
「殿下方の婚約者に選ばれるかどうかは別として妃候補に名を連ねる者として当然の義務ですわ。高位貴族の爵位を頂いている家名を持つ者は、これを当たり前の事と理解していると思っておりましたが…」
呆れたように言葉を連ねれば、エルテルは口を引き結び押し黙る。
エルテルという淑女は果たしてこのような愚かな人間だっただろうか、と疑問が湧く。
彼女は正しくヒロインにとっての悪役令嬢ではあったが、シュテーリアに対しては優秀なライバルであったはずだ。
ゲームの中でも優秀だったシュテーリアを罠に嵌めるだけの能力がある才女だったはずなのだ。
4年に進級するまでに真摯に勉学へ向き合うことでゲームの中のエルテルに変貌していくのかは今の段階では分からない。
前世で見知ったはずのキャラクター達が余りにも違う行動を取ることに微かな恐怖を感じ始めた。
だが、それも致し方ないのかもしれない。
そもそも、シュテーリア自身がシナリオと違う行動を取っている上にセレンディーネという存在すら出てこなかった人物が主要人物である王族やユネスティファ、シュテーリアに積極的に関わっているのだ。
いっそこのままエルテルには愚かな人物のまま育ってもらった方がシュテーリアにとっては都合が良いのかもしれない。
シュテーリアとヒロインに匹敵する程の魔力を持っているはずのエルテルが才能を伸ばしきれなければ優秀な悪役令嬢は消えるのだ。
それはシュテーリアの死という未来に大きく関わる。
「とは言え、エルテル様のダンスの美しさは然る事乍ら刺繍の腕前も素晴らしいものと聞き及んでおりますわ。いずれ刺繍の腕前も披露してくださいませね」
「なっ!ご自分の優秀さを笠に着てわたくしを馬鹿にしておりますの!?」
とりあえず褒めて褒めて褒めちぎって今以上に横着してくれれば……と思い口にしてみたが失敗したようだ。
今までお貴族様らしく真丁寧に嫌味の応酬をし、見下したような発言をしていたのだから普通の反応だろう、と納得してしまった。
こんな所だけ察しが良いのは不都合極まりないのだが、言ってしまったものは致し方ない。
そもそも、刺繍が上手だなんて聞いたことも無いし口先だけの褒め言葉だったので見破られたとしても大した痛手でもないのだ。
最初から互いに悪印象しかないのだから、今更エルテルからの印象が更に悪くなろうと今までと何も変わらないのだから。
エルテルが才能を伸ばすのなら、それの上を行くまでである。
今はこの場を乗り切るために演じるだけだ。
「エルテル様を馬鹿にするなど…本心ですのに分かって貰えず残念ですわ」
憂いを帯びた春空の瞳を僅かに潤ませ視線を逸らせば、エルテルは更に憤慨する。
「その態度が馬鹿にしていると言っておりますのよ!」
「まぁ!では、エルテル様はわたくしよりも劣っていると自覚なさっていらっしゃるのね?」
シュテーリアの内心と言えば、面白くなってきたから煽ってみようかな!である。
最早どちらが悪役令嬢に相応しいかと聞かれればシュテーリアに軍配が上がるのではないかと思う。
表情無く真顔での問は、エルテルの高過ぎるプライドを逆撫でするのには十分だろう。
そして、生垣の隙間から見える2つのプラチナブロンドを愉しませるのにも十分なはずだ。
「なんですって!!」
「あら?劣っているご自覚があるから馬鹿にされていると思うのですわ」
「エルテル様が貴女如きに劣るわけが無いじゃない!長期休暇前のテストで勝負ですわ!」
「えっ…」
「まぁ!宜しくてよ?是非勝負致しましょう?ねぇ、エルテル様」
ニタリと口角を上げて獲物を捕えるシュテーリアとシュテーリアを見上げながらも狼狽えるエルテルの様子は、蛇に睨まれた蛙宛らである。
後日、生垣に隠れた王太子のせいで個人戦ではなくタッグマッチになりルルネアというハンデを負うことをシュテーリアはまだ知らない。