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12話



1年生最初の授業は学院で学ぶ内容についての詳しい説明だった。

担任である漆黒の長髪と冷たさを窮めた涼やかな目元が印象的な見目麗しいエルリック・ヒスパニア先生は伯爵家の二男で大変優秀な魔術師であり、学院長フリオの信頼も厚いという。

何を隠そう母フェリシアの弟であり、シュテーリアにとっては学院に入学するまで家庭教師でもあった男性だ。

簡単に彼のことを紹介すると、神経質そうな見目そのままに鬼教師である。

例え相手が可愛い姪であっても授業中は容赦なく厳しいのだ。

出来ません、などと言えばモノクルの下の目が冷たく光り有無を言わさない空気を作り出す。

そんな彼が1年生の担当というのは些か問題があるのでは?と学院長に問いたいところである。


長い説明に飽きたのかルルネアを含む一部の生徒は外を見たり、あらゆる場所に視線を移している。中にはノートに落書きする者も…

エルリックの心地良い低音が眠気を誘うので、それを耐えているのかもしれない。

特に下位貴族の子供は、王族や高位貴族に比べてそれほど長時間に及ぶ厳しい教育を受けていないのだから当然のことだろう。


「飽きてしまったかな?」


深い笑みの威圧に飽きを見せていた生徒たちの背筋が伸びること数回。

エルリックは竜胆色の瞳を伏せてこめかみを数度軽く叩き、冷たく光る瞳を何故かシュテーリアに向けた。


(えぇ…)


確実にあの目は「何とかしろ」と言っている。

正直、お前が何とかしろ!と言いたいところだが今のシュテーリアは一生徒でしかない。

心の中で盛大に悪態をつきながら静かに挙手をした。


「シュテーリア・エアリステ、発言を許します」

「ありがとう存じます、ヒスパニア先生。子供の集中力というものは、それほど長く続かないものと思います。休憩を挟むか、授業で使う予定の教室を周りながらの方が宜しいのではないでしょうか」

「ほぅ…しかし、君は幼い頃から私の授業を問題なくやり遂げていたと思うが?」

「それは…」


怖かったからだとは言うまい。

逃げ出そうものなら般若の如く黒々しい雰囲気を携えて追ってきたのだ…最早、トラウマ事案である。

追ってきたエルリックに捕まれば、折檻こそ無いが小脇に抱えられ椅子に縛り付けられ淡々とした数時間に及ぶ説教を受けることになるのだ。

追加でフェリシアからの説教までついてくるのだから尚更恐ろしい。


「それは?」

「慣れ…で、ございます…」


しどろもどろに答える姿のなんと無様なことか…とは思う。


「そうか…慣れで何とかなるのであれば問題ありませんね。皆さん、慣れなさい」


一刀両断だった。

流石にこれにはハルニッツとバディウスも開いた口が塞がらないようだ。

王族でこの反応なのだから下位貴族の子供たちは言わずもがなである。

ルルネアに至っては微かに震えているようにも見えるが、エルリックの威圧から助ける術はないのだ。諦めて慣れて欲しい。

それと、出来れば恨めしい視線を向けるのもやめて欲しい。


シュテーリアだって今朝の朝食の時間までは少なからず学院での授業は楽しみだったのだ。

鬼のような家庭教師の授業を受けることも無く、優しい先生の授業が受けれるのだと喜んでいた。

それが朝食の時にフェリシアから「フリオ様にお聞きしたのだけれど、エルリックが教師になってシュテーリアの担任を持つそうよ。安心して任せられるわ」などと聞かされたシュテーリアの心情も慮って欲しいものだ。


(せめてもう少し愛想良くできないのかよ…)


どれだけ悪態をつこうとも、もう逃げられないのだから諦めが肝心だろう。

級友たちには悪いが、運の尽きだと思って頑張れ。としか言い様がない。


生徒たちが限界を迎えプルプルと震え出した頃、漸くエルリックによる恐怖の授業から一時解放され、思い思いに動き出す。

多くの生徒は王族に取り入ろうと目論んでいるのかハルニッツとバディウス、そしてルルネアを囲んでいたのだが、シュテーリアは席に着いたまま胡乱な表情を浮かべ近寄ってくる2匹のポメラニアン…ではなく、2つの人影を視界に入れた。


「シュテーリア嬢、ヒスパニア先生のアレは普段通りなのかな?」

「怖かったよ〜、アレは無いよ〜」


鏡合わせの同じ顔が項垂れたまま佇んでいる。

サストリーとドミトリーだ。


「間違いなく普段通りですわ。諦めてくださいませ」

「そっかぁ…アレが通常なのか〜……」

「叔父は最大限努力した者にはどのような立場の者であれ賛辞を送りますが、努力を怠るような者にも同様にどのような立場の者であっても嘲り謗りますわ。覚悟なさいませ」

「はは…学院は基本的には爵位なんて関係ないしね……」

「いいえ、学院だからではありません。そもそも、やるべき事をやらない者など敬う必要がない。そのようなつまらない事で優秀な人材の首を刎ねるのであれば刎ねれば良い、という考えなのです」

「……何だか、凄い人だね」

「僕、やっていけるかなぁ……」


やって行ける行けないの話ではなく、やって行かなくてはならないのだと言えばドミトリーは頬を膨らませた。


「わかってるよぅ!でも、僕らの家庭教師はあんなに厳しくなかったんだ!!その日の課題をしておいたら遊んでても許されたし!!」

「えっ…高位貴族の家庭教師にそんなお優しい方が存在するのですか?!」

「「えっ……」」

「えっ……」


受け入れ難い事実、正に晴天の霹靂である。

入学前のフェルキスや現在のミコルトを請け負っている家庭教師はエルリック以上に厳しい老齢の男性であり、領地に住む祖父の執事を務めていた人物だ。

彼は父レイスの師でもあり、今のエアリステ家にとって重要な人物であることは間違いない。

エルリックは授業から離れれば優しい叔父なので、その分マシなのだが…

彼は簡単に気の休まる時間を与えない、とフェルキスとミコルトが言っていた。

故にシュテーリアにとっての家庭教師とは全てにおいて優秀であり、恐ろしい人物と相場が決まっていた。

まさかエアリステ家よりも家格が上であるモストン公爵家の家庭教師が優しいとは思っていなかったのだ。

課題が終わったら更に課題が上乗せされるのが常だったシュテーリアには全く想像が付かない。

実に羨ましいことこの上ないのだが、今こうして辱めを受ける事もなく侯爵令嬢として過ごせているのは間違いなくエルリックの教えのおかげでもある。

感謝はしている。

でも、たまにはちゃんとした休日が欲しかったなぁ……と心の中で我儘を言いながら双子へ視線を移すと憐れみの視線とぶつかった。


「エアリステ家の子供は、どの時代でも優秀だって父上が言っていたけど……」

「優秀になれるとしてもアレは、やだ〜」


悲しげに瞳を潤ませるドミトリーと遠い目のサストリーに同情をしないでもないが、幼少期からエルリックの授業を受けてきた身としては複雑な心境だった。


「わたくしが乗り切れたのですもの。御二方も乗り切れますわ」


慰めにもならない言葉を吐いて教室の入口に目をやると、そこには心休まる時間に終わりを告げる鬼教師の姿があった。


「皆さん、学院内を案内します。他学年は授業中なので私語は慎むように」


教室毎の簡単な説明を受け、休むことなく次々と回って行くがエルリックは授業に必要のない場所は案内する気がないようだ。

例えば美しい花々が咲く庭園、友人との会話を楽しむサロン、多くの生徒と交流が持てる食堂。

ゲーム内でイベントが起こるような場所は、ほぼ案内されなかった。

唯一、口頭で案内があったのは食堂だ。

「向こうにあるのは食堂です」程度のものだったが…。


最後に案内されたのは馬術場だった。

ちょうど騎士学科の5年生が授業を受けているようだ。

男子生徒が大半を占める中で情熱的な赤い髪を靡かせる姿がやけに目を引く。

ユネスティファである。

身長が高く、馬術着を纏い引き締まった表情の彼女は男装の麗人さながらである。

何故、未来の王太子妃が騎士学科なのか…という疑問は貴族の子息子女全員が持ったことだろう。

いや、ハルニッツとバディウスも「何故…」という表情を浮かべている。

最早何も疑問に思わず「ティファお義姉様…素敵ですわ……」と感嘆しているのはルルネアだけだ。


ユネスティファを筆頭に騎士学科の生徒たちが馬術担当の教師に何らかの指示を受けたようで、各々が持ち場に散っていく。

ユネスティファは颯爽と1年生達が集まる場所にやってきた。


「ご機嫌よう、1年生の皆さん」


立場に見合った礼をとり、表情を緩めるユネスティファの凛々しさに多くの令嬢から吐息が漏れた。


「ヒスパニア先生は少々お厳しい方だと聞きました。皆さんも歩き続けてお疲れでしょう?今から歓迎の催しを行いますのでお茶を飲みながら上級生の馬術をお楽しみ頂ければと思いますわ」


砂埃がかからない程度の距離を置いた場所に騎士学科の男子生徒によってテーブル席が用意され、一人一人の前に茶菓子と紅茶が準備された。

促されるままに席につけば、隣には当然のようにルルネアがいる。


見習い騎士の制服に着替えてきた6名の生徒は自宅から連れてきた愛馬に跨り隊列を成す。

繰り広げられたのは2人1組で行われる騎乗の模擬戦だ。

勿論、安全面を考えて剣先は潰れている。

それでも彼等は真剣に雄々しく催しを勤め上げている。

自分たちこそが国を守り、王を守り、民を守るのだと自覚と誇りを持っているのだろう。

そこに派閥などというものの隔たりは感じられない。

馬が駆け剣戟が響く馬術場は戦場さながらだった。

初めて見るソレに圧倒され、シュテーリアは始終息を飲んでいたのだ。

騎士を目指す少年達は目を輝かせて雄々しく立ち振る舞った先達を眺め、少女達は声も上げずに自然と乙女らしい表情を作り上げていた。


先輩たちに拍手を送りハルニッツが催しへの感謝を述べれば、騎士学科の生徒たちは騎士の礼をとった。

全員が剣を掲げ跪く様は美しい光景だった。


ここで午前の授業が終わり、エルリックから解散が告げられる。

多くの生徒たちは学食へ向かうようだ。


「叔父さ…ヒスパニア先生……」と遠慮がちに声を掛けるとエルリックが目敏く間違いを正してくる。


「シュテーリア・エアリステ、ここでの関係は教師と生徒です。以後、気を付けるように」

「はい。申し訳ございません」

「それで、どうしました?」

「あの、お兄様は昼食をどうなさっているのですか?」

「今日は執務室に籠ると言っていましたね。彼のことだ、昼食を抜くのだろうね」

「まぁ!相変わらずの執務中毒者ね!!」


多少の怒りを込めて声を上げたユネスティファに、エルリックは眉を顰める。


「ユネスティファ・キーセン、執務中毒者とは…」

「ランスとフェルキスのことよ」


至極当然のように出された名前は本来であれば呼び捨てにできる人物ではないのだが、婚約者の立場であるユネスティファには問題のないことだ。


「ランスもフェルキスも執務にかかると食事も睡眠も忘れるのよ。あれが中毒者じゃなくて誰が中毒者だと言うのかしら…そうは思いませんか、ヒスパニア先生」

「……そう、ですね。」


エルリックの狼狽え具合から察するに、おそらくエルリックも《そう》なのだろうと思う。


「シュテーリア様、わたくしの着替えが終わり次第一緒に食堂へ向かいませんこと?執務中毒者たちの餌を買いに行きますわ」

「あ、はい!是非ご一緒させてくださいませ」

「先に食堂へ向かっていて下さいな」

「はい」


餌とは…「言い方!」と声に出そうになったが、シュテーリアはそれを飲み込んだ。

厩舎に消えて行くユネスティファを見送り、ふと気になったことを小声でエルリックに問う。


「ヒスパニア先生、厨房をお借りすることは出来るのでしょうか…」

「……君が作るのか?」

「駄目でしょうか……」

「いや、フリオ様に聞いてみよう」


光魔法で光小鳥を出し、小鳥に「フリオ様、エルリックです。シュテーリア・エアリステが厨房の使用許可が欲しいと申しておりますが、如何しますか」と言えば、小鳥が羽ばたき姿を消す。


ものの数秒で戻り、小鳥からフリオの声がした。

一言、「許可する」と。

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