11話
昨夜は早く寝た、というか寝落ちた為に早起き……かと思えば、実の所はそうでもない。
きっちりミリアムに起こされての起床だ。
全く爽やかでもなく瞼がまだ重い気がする。
「おはようございます、お嬢様」
「…おはよう、ミリアム」
鈍い反応を示し、重い体を何とか動かして顔を洗った。
ほんの少しだけ目が覚めた気がしたが、まだ頭は回らないようだ。
すぐさま夜着を剥ぎ取られ、シュテーリアの肢体が目に入る。
(うああぁぁぁ!待って!!まだ直視はできないから!!!)
元は根っからの男子なのだ。
真珠のような滑らかな肌には未だ慣れないのだから致し方ないと思って欲しい。
そもそも菜々子に構いすぎて恋人すら出来たことがないのだ。
恋愛スキルは0と言っても過言ではない。
未だに母親であるフェリシアの豊満な胸に視線を彷徨わせる程なのだ。
転生当初のつるぺた幼女体型ならまだしも今のシュテーリアは10歳にしては育ち過ぎているのだ。
何度も言おう。育ち過ぎているのだ。
咄嗟に目を瞑れば、ミリアムの困惑が手に取るようにわかったのだが彼女の手は普段通りシュテーリアの身支度を整えていく。
コルセットを装着し、真新しい制服に袖を通す。
前世で言うところのクラシカルゴシックというものだろうか。
白のフリルシャツに青藍色のハイウエストAラインスカートを合わせる。膝丈スカートのボリュームをドロワーズとパニエで調整すれば雰囲気が全く違うものになるのだから、世のデザイナーの能力は凄まじいものだと思う。
もちろん素足を晒すのは、はしたない事とされる為、白い厚手のニーハイソックスをガーターベルトで固定している。
子供らしさを残したまま薄く化粧を施してもらい髪を整え、ブルーダイヤの青薔薇を飾れば、そこにはいつもの様に青薔薇の妖精姫が現れる。
あとは朝食の後にジャボを取付けブローチで飾り、青藍色のケープを羽織れば身支度は完璧に終わり、フェルキスと共に学院に向かうだけだ。
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シュテーリアは馬車の中で優雅に書類に目を通すフェルキスを眺めていた。
3年からは専攻学科ごとに制服の色が変わる為、フェルキスが着る芸術学科の制服はシュテーリアとは違う。
彼が纏うのは杜若色の制服であり、1年生の女子制服と同様にクラシカルな装いだ。
シックな白のシャツにクラバットとブローチ、黒のベスト、杜若色のロングコートとズボンである。
以前は統一された制服だったらしいが、2年程前に学科によって別の色を纏うことに決まったという。
その背後には、どうやらクルソワ伯爵家がいるらしいのだが……おそらく発案者はセレンディーネではないかと思う。
何せフェルキスが着る制服のデザインを前世で見た事があるのだ。
スチームパンクの世界観を持ったオンラインゲームだったと記憶している。
それにしても…とフェルキスから視線を離し窓から街並みを見つめる。
クッション性の高い座席のおかげで臀部に痛みがはしることはないが、これも未だに慣れない1つである。
前世の車に比べて快適とは言い難いのだ。
特に揺れによる酔いが…
馬車に乗って最初に行われるのはフェルキスによる酔い止めの魔法を掛けてもらうこと。
本来であれば進行方向を前にした上座に座るのは立場が上であるフェルキスなのだが、今はシュテーリアが座っている。
「無理をしてはいけないよ」と優しく促され大人しく受け入れたのだ。
兄のなんと優しいことか……大量の縁談がきているのも納得である。
シナリオを考えれば現段階でフェルキスが婚約することは無いのだが、ゲームとの相違点があることを思うと心配もある。
まだフェルキスにはシュテーリアの保護者でいて欲しい、というのがシュテーリアの意向だ。
学院に到着すると噴水の中央に佇む知恵の女神シュティエール様に祈りを捧げ、学び舎に足を踏み入れる。
昨日の豪華さや喧騒は取り除かれ、厳かな雰囲気の漂う場所に様変わりしていた。
フェルキスのエスコートによって教室に到着したものの玄関口から遠く、正直に言えば1人では迷子になっていただろう。
1年生の教室は中央棟の2階の中央教室とは聞いていたが、そもそも2階の中央ってどこだよ!とは言えなかった。
そして、到着しても尚中央教室とは何ぞや?という状態だ。
「お兄様、エスコートありがとう存じます」
「構わないよ。これからは毎日シュテーリアをエスコートできると思うと僕も嬉しいからね」
相変わらずのアルカイックスマイルが眩しい。
そして、未だ笑顔のフェルキスが見慣れない者たちが驚愕しているのだが、当のフェルキスは意に介していないようだ。
「フェルキス…その表情をもう少し他の者に向けてはどうだろうか」
声を掛けてきた赤い瞳には朝にも関わらず既に疲れが見える。
「ハルニッツ殿下、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
兄の挨拶に習い淑女の礼をとれば、ハルニッツも挨拶を返してくる。
本当に俺様傲慢王子の影も形もない。
腹黒王太子とお転婆王女の間に挟まれる苦労性の王子にしか見えないのだ。
「おはよう、リア!!」
小走りでシュテーリアに体当たりをしながら抱きついたのは桜色の瞳を輝かせたルルネアである。
一国の王女が小走りとは実にはしたない…
だが、お転婆王女には見合った行動だろう。
「おはようございます、ルル様」
「うんうん!今日も私の青薔薇は淑やかね!」
天真爛漫を地で行くルルネアは、何に満足したのか分からないが元気良く頷いている。
「ルル様は朝にお強いのですね…」
「いいえ!朝は苦手だわ!!でも、リアに会えると思ったら学院に通うのも悪くないと思ったの!」
臣下冥利に尽きる発言である。
とは言え毎朝体当たりを決められるのは如何なものかと思い、ちらりとハルニッツへ視線を向ければ思いもよらない場所からルルネアに手が伸びた。
「ルル、シュテーリア嬢が困っているよ。朝の挨拶は淑女らしく…ね?」
夜色の瞳を穏やかに伏せてルルネアを引き剥がしたのはバディウスだ。
「バディ兄様…だって、会えたのが嬉しくて……」
「とても可愛らしいけれど、他の者の目もあるから……」
下ろせば肩まであるだろう甘そうなミルクティー色の髪を後頭部で1本に束ねたバディウスは、ルルネアの藤色の髪を優しく撫でている。
こんな穏やかそうな王子が腹に一物も二物も抱えているとは誰も思わないだろう…いや、そもそも本当に抱えているのか?とシュテーリアは逡巡する。
フェルキスやルルネア・ハルニッツに変化があるようにバディウスに何らかの変化があっても可笑しくはないのだ。
今後は尚更バディウスの行動を注視していこうと心に決める。
「ルル、バディの言う通りだ。お前は一国の王女なんだから…」
「うぅ…はぁい……」
不服そうに返事をしたルルネアに笑顔を向けてから改めてバディウスにも挨拶をすれば、彼はにこやかに挨拶を返してくれた。
何故か分からないがルルネアは始終嬉しそうである。
どうやら王族の兄妹仲は良いらしい。
ふとフェルキスが思い出したように口を開く。
「あぁ、そうだ。シュテーリア、私は今日1日執務室にいるから何かあれば、そっちにおいで」
「執務室…」
「うん。あ、どこにあるか分からない時は先生に聞くんだよ」
「フェルキス!わたくしが連れていくから問題ないわ!」
片手を腰に当てて胸を叩くルルネアにフェルキスは困ったように笑んだ。
「ルルネア様は、まずお勉強を頑張りましょうね」
「うぐ…」
小さく呻いたルルネアに既視感を覚えた。
まるで菜々子のようだ、と。
『こんなの将来使わないじゃん!』と言いながら勉強から逃げ出そうとする菜々子を捕まえて、お兄ちゃんの手作りお菓子という餌で釣り、机に向かわせていた前世が酷く懐かしい。
存外、女の子はお菓子に目がない。
「ルル様、お勉強頑張りましょうね?テストで良い成績を出せた時には手作りのお菓子を用意しますわ」
その言葉にルルネアは目を見開き、小さく「えっ…」と口にした。
何かまずいことを言っただろうか…と逡巡し、気付く。
王族である王女にたかが臣下の、それも令嬢の手作りお菓子など不敬と捉えられてもおかしくない。
毒物混入の恐れだってあるのだ。
おいそれと口にできる物でもないだろう。
「も、申し訳ございません!王女殿下に手作りお菓子など……」
「違うの!嬉しい!!わたくし頑張るわ」
至極嬉しそうに目を細めるルルネアは、今にも飛び跳ねそうな勢いで声を上げた。
いや、厳密に言えば彼女の中では飛び跳ねる気満々だったと思う。
ただ、ハルニッツとバディウスが咄嗟に肩に手を置いて抑えていただけのことだ。
ルルネアは本当に菜々子のようで雅の部分が可愛い妹が帰ってきたような喜びを感じていた。
今も《俺》の可愛い妹は元気にしているだろうか…
そんな事を考えながら、執務室に向かうフェルキスを見送り、与えられた席についた。