閑話8【王太子と公爵家の姫】
煌びやかな学院にあるサロン。
向かい合うのはイシュツガルの王太子とその婚約者、そしてニルヴェーナ公爵令嬢の三人だ。
お茶に手を付け、一様に落ち着き払った様子で互いの腹を探る。
そんなことは彼らの間では日常茶飯事だ。
「マリーナ、君が参加しているとは思っていなかったな」
「あら、私だって王の系譜に連なる者ですわ。是非とも殿下方のお手伝いをできればと思いましたの」
「それにしては随分と雑だったようだが?」
「何がとお聞きしても宜しいかしら?」
「いくつかの刺繍が、ですわ」
二人の間に割って入った冷めたユネスティファの声に令嬢の冷ややかな視線が動く。
「まぁ、どなたの作品かしら」
「そうね、貴女の親しいご友人方のものが多いかったわね。まるで駄目になることが分かっているかのような出来栄えだったわ」
「そう……刺繍が苦手だったのかしら。私が下級生の手助けを申し出てしまったから、彼女たちも言い出せなかったのかもしれないわ」
「毎年高得点を取っていた令嬢たちが実は刺繍が苦手だったなんて……いつもは誰かに助けて頂いてるのかしら?マリーナ様はご存知?もしどなたかに助けて頂いているなら採点のし直しを学院長に提案しなければなりませんわ」
「確かに。俺も君の友人が刺繍を苦手にしているとは思っていなかったよ」
ランスが離れて立っていた侍従に合図を出し、彼が持っていた無傷のドレスをテーブルに広げる。
ドレスには誰がその刺繍を施したか分かるように刺した者の名が見えない場所に記されており、粗雑な刺繍の施されたドレスには確かにマリーナに最も近しく親しい友人キャルル・シュベルツ伯爵令嬢の名前があった。
「私もキャルルが刺繍を苦手にしているとは思ってもいませんでしたわ」
驚いた顔をする裏で疑惑を残すようなことをした友人に腹を立てているだろうにマリーナの表情が苛立ちを表すことはない。
「この様な出来で満足していただなんて私も信じられませんわ。確かにユネスティファ様の仰る通り学院長に再審査を進言せねばならないでしょうね」
記された名前をゆっくりと撫でて平然と言い放つマリーナを軽蔑するような表情で見るユネスティファに対し、ランスは王太子としての任を遂行している時と何ら変わりない。
──切り捨てるか、奴隷のように扱うか、見物だな。
ランスが腹の中でそうほくそ笑んでいることにマリーナは気付いているだろう。
彼女は優秀で狡猾だ。
色香に惑わされた愚鈍な公爵や毒花のような夫人程度であれば追い落とすことは容易かっただろうが夫人が嫁入りした際についてきた優秀な従僕の存在がランスやエアリステ侯爵の予定を狂わせていた。
その男が現在ニルヴェーナの実権を握っているといっても過言ではない。
従僕によって教育されたマリーナはイシュツガル式ではない教育を受けているが夫人とは違い毒花とは程遠く気品高い部分もある。
マルクスの教育に失敗したことで尚更力を入れて教育しただろうことも想像に容易かった。
過去、国王が襲撃された事件の黒幕がニルヴェーナであることは明らかだというのに証拠不十分で詰めきれないのもそのせいだ。
実際、あの日国王は一度死んだ。
ランスがまだ幼く王席を担えないことからフリオが王席に就くことも考えられたが妻を亡くし不安定だった当時の彼にその席を担うことは不可能だった。
ランスとフリオを抜かせば次に王位継承順位が高いのは前ニルヴェーナ公爵だったが高齢であるが故に息子の現ニルヴェーナ公爵の名が上がる。
しかし、それを許す訳にはいかず自暴自棄気味のフリオが下した決断は死んだ国王を生き返らせるというもの。
高位の全属性魔術師のみが扱える禁忌の魔法を彼は知っていたのだ。
己の最も高い資質全てを失う代わりに亡き者を蘇らせることができる。ただ、それも永くはない。
ランスの成人までもてば良い方だろう。
人は一度死ねば全ての魔力を失う。
それは蘇ったとしても戻ることはなく、国王は国王としての責務を全うしているとは言えない。
現状、国王が国防のために注ぐべき魔力はランスとモストン公爵が担っており、全属性でなくなったフリオは入っていない。
これらの事実は王妃と王太子、モストン公爵とエアリステ侯爵キーセン侯爵ハウゼン侯爵フラペンス侯爵のみが知っている。
王太子の側近で言えばフェルキスとヴィルフリート、そしてハウゼンの嫡男のみが知っているものでもある。
未だ弟妹たちや婚約者であるユネスティファにさえ隠された事実でもあった。
気品溢れる笑みを浮かべる目の前の令嬢が裏では己こそが王女だと不敬にも豪語していることも知っている。
間違いなく嫌悪の対象であるにもかかわらず己が王女と呼ばれる存在になるために手段を選ばないという姿にランスは感心さえ抱いた。
叛逆を許すつもりも、このまま逃すつもりもないが己の望みを叶えるべく非情にも非道にもなれるというのは確かに王家の資質を持っていると思ったのだ。
ニルヴェーナの娘でさえなければ、王家に叛意さえ持っていなければユネスティファの側近にと引き入れることも考えただろう。
だが、それが叶わない間柄である以上はゆくゆくは消すことになる。
ランスは自分の喉元に手を当て、愉快そうに微笑む。
「もし飼い猫だったならば躾はしておくべきだろうと思わないか?」
「猫は躾たとて気まぐれですもの。言うことなど聞きませんわ」
「ならば家から出さないことを定めなければならないな。あぁ、家に留めおくことさえ出来ないほど飼い主に資質がないのかもしれないな」
表情を崩すことなく押し黙るマリーナと視線を合わせたまま肩肘をついて頬を乗せ、喉元にある手を滑らかに動かした。
まるで人の首を落とすときはここに刃を通すのだと言わんばかりに。
「飼い猫の不始末は飼い主が負うべきだと思うのだが、マリーナはどう思う?」
「えぇ……そうですわね」
「同意見で安心したよ。少しは大人しくなってくれると良いのだが……」
そう残してランスはユネスティファの手を引いて席を立つ。
サロンを離れて少しした頃にガンッと何かを強く叩く音が響き、腹黒い笑みを浮かべた。




