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95話



「もう少し、考える時間を下さいませ」


目を伏せたシュテーリアにルルネアも今はまだ問い質すには早いのかと言葉を飲んで不服そうに了承し、それを聞いたフェルキスが深い笑みを携えた。


「では、王女殿下。殿下にはマナーレッスンのやり直しをご提案致しましょう」

「ふぇ?!」


間の抜けた表情と声が徐々に戸惑いを深める。


「お祖母様から合格点を頂いたというのは私の聞き間違いだったようですので」

「い、いや!合格点は貰ったわ!」

「なるほど。殿下はご学友のお邸に連絡もなく訪問し、勝手に立ち入り、ノックも声掛けもなくご学友の私室に立ち入ることがマナーだと言いたいのですね?」

「ひゃっ」


シュテーリアと連絡が取れなくなっていたことに焦り、自分がどのようにして侯爵邸に立ち入ったかを今になって自覚したルルネアの顔が青ざめていく。

普段のシュテーリアであれば少なからず助け舟を出しただろうが、今のシュテーリアにそんな余裕があるはずもなかった。

視線を逸らしたまま沈黙を守るシュテーリアの姿に諦めたのかルルネアはフェルキスの言葉に乗るふりをして城へと帰って行った。


「そういえば休み明けからチェルシュの料理講座が始まると母上が言っていたよ。緊張しているだろうから声を掛けてあげたらどうかな?」

「そう……そうね」


返答をしてもシュテーリアの頭を占めるのは自分の傍にいることで彼が死に至る確率が高まるということばかりで、他のことは考えられない。

シュテーリアの影を務めるチェルシュにも、そしてエルリックにも選択肢はあるべきだと思った。

今のチェルシュであれば他家でも雇って貰えるだろうし、エルリックは元々ヒスパニア伯爵家の人間であってエアリステの人間ではない。

主がシュテーリアでなければいけないことはないはずだ。


ふとフェルキスがシュテーリアの頬を撫でて跪く。


「いいかいシュテーリア。君の存在は君が思っている以上に多くの人の人生に影響を及ぼしている。それは君の身近な人だけではなく、他家の貴族であったり他領の民であったり様々だ。その多くの人は君が君を蔑ろにし、その存在を軽視することを許さないだろう。そして、どんなに辛くともイシュツガルに凛と咲く花であることを望むだろう。それは……君が望んだことでもあったはずだ」


確かに、と目を伏せる。

自身の価値を上げる為に、社交界の花になる為に動いてきたのは自身であって、他の誰でもない。

間違いなく自身が望んだことだ。

真っ直ぐにシュテーリアを見据えるフェルキスの翠眼から逃げるように瞳を閉ざしても彼の声が止むことは無い。


「聖女覚醒の条件は父上から聞いたよ。もし生贄(それ)が僕なのだとしたら喜んで受け入れるよ。君から愛されていた証になるんだからね。もし君が愛する他の誰かなのだとしたら──」


フェルキスの声が止み、シュテーリアの春空が大きく見開かれる。


「なんで、なんでそんなに簡単に死ぬことを受け入れるの!?だから言いたくなかったのよ!わたくしはお兄様に生きていて欲しいの!わたくしが何の為にお誕生日にこれを贈ったのかくらい考えて!」


フェルキスの喉元を飾る黒のクラバットを掴んで引き寄せる。

嗚咽混じりに泣きじゃくるシュテーリアを優しく抱き締めるフェルキスは「……ごめん」と呟く。

彼にとって自分の命は優先されるものにはならない。

いついかなる時もフェルキスにとって優秀されるのは国の存続に重要なものだ。

次期宰相候補など探せばいくらでもいて、エアリステの跡継ぎにはミコルトがいる。

そして、ミコルトも同じように学び、同様の思考をしている。それはエアリステ特有の考え方でもあるかもしれない。

実際にフェルキスとミコルトに何かがあった場合、エアリステ侯爵家には祖父の兄弟の家から養子が迎えられることが決まっているし、誰が本家に迎えられるかすら決まっている。

フェルキスの謝罪は、愛しい人がここまで言っても尚自分の命を優先することを考えられないことへの謝罪だった。

シュテーリアもそれは分かっていた。

前世で彼を演じていたことがある。他の誰よりも彼の思考を理解していると自負できるだけの素養があるのだ。


二人の間にある沈黙破ったのは部屋の外から掛けられたミリアムの声だった。

登城する予定があったらしく名残惜しそうに部屋を出て行くフェルキスを見送り、解決策など浮かばないシュテーリアは独り膝を抱えた。

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