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93話



シュテーリアが目を覚ましたのは見慣れない寝台の上だった。

宝物庫に居たことさえ夢か幻だったのではないかと疑うが、子爵夫人が声を掛けたことであれらが現実だったことを自覚する。


「シュテーリア様、お加減はいかがですか?」


脂汗の浮かぶシュテーリアの額を肌触りの良いハンカチが滑る。

子爵夫人の後ろでミリアムや子爵家の侍女が忙しなく動くのを見て、朧気だった意識が徐々にはっきりとしたものになり掠れた声で「大丈夫です」と小さく告げる。

大丈夫と言うには些か気怠さや頭痛がのこっているが貴族たるもの簡単に弱っている姿を見せてはいけないと教えられているし、あくまでも強がりと言っていい『大丈夫』という言葉だった。

夫人もそれを理解していた。

故に離れることはせず侍女から手渡された冷たいタオルを赤く腫れたシュテーリアの瞼に乗せて、その流れのままに頭部に手を当てる。

じわりと優しい温かさを感じ、治癒魔法をかけられているのだと分かって少しずつ強ばっていた体から力が抜ける。


「あり……と」

「無理をするものではありませんよ。痛ければ痛い、苦しければ苦しいと助けを求めて良いのです。いずれ耐え忍ばねばならない時が訪れるでしょうが、今はまだ……」


聞き苦しく掠れた感謝の言葉を制して優しく言い聞かせる夫人の表情は慈愛に満ちている。

タオルで隠れているためにシュテーリアから見えてはいないが温かな魔力から夫人が心からシュテーリアを心配していることは通じていた。

通常の精神状態ではないものの夫人の優しさに触れて心を落ち着かせ、じわりと滲む涙がタオルに吸い込まれていく。


「さぁ、お飲み物をご用意させましたわ」


一度タオルを取り、ミントの風味があるスッキリとした水で喉を潤して再び横になる。

ふと窓に目を向けると日除けのレースカーテンの向こうに見える空は夕日で赤く染まっている。


「お父様は……」

「侯爵様は国王陛下よりお呼び出しがありましたので教皇猊下と共に登城されましたよ。代わりにご令息様を当家に向かわせると仰っておりましたから心細いでしょうがご令息様がいらっしゃるまでは私で我慢して下さいね」


フェルキスの死に様が脳裏に焼き付いているせいでシュテーリアの表情は芳しくなく一層陰が落ちる。


「夫人は……子爵様とロト様からお話を聞いておりますか?」

「えぇ。婚姻を結ぶ際に夫から伺っております」

「……わたくしの側にいてはロト様にも危険が及びますわ。どうかお考えなお」

「いいえ。ロトは覚悟を決めております。当然、夫も私も親として覚悟しております」

「でも、でもっ!」

「シュテーリア様、我がラルゴット子爵家は聖女様にお仕えすることこそを誉れとしておりますわ。お義姉様を亡くした時も悲しくなかったなどとは申しません。ですが、最期の時までサラマリア様にお仕えできたことはお義姉様にとって最も幸福なことだったと信じております」

「聖女は悲劇を生むただの人間です」


神に愛されていようが特別な魔法が与えられようが聖女自身に特別な役割などないのだ。わざわざ命を懸けてまで付き従う理由などないはずだとシュテーリアは言うが夫人は自嘲気味に笑んで首を振った。


「ロトでなければ、そうだったかもしれません。ですが、ロトにはシュテーリア様のお側に仕える理由があるのです。例えシュテーリア様が聖女ではなくとも、あの子はシュテーリア様に付き従う道を選んだと思いますわ」

「わたくしはロト様に何かをした覚えなど……」

「あの子の夢を叶える機会を下さるのでしょう?」

「夢、ですか?」

「えぇ、作家になるというあの子の叶わなかったはずの夢をです」


ロトは作家を目指す少年だ。しかし、聖女に付き従う者として生きなければならなかった。それは宿命だった。

いずれ聖女が現れれば作家への道は閉ざされ、諦念を抱えながら従者への道に進まなければならなかったのだ。

まだ分別の付かない頃は聖女なんか現れなければ良いと泣いて喚いた日もあったという。

だが、聖女として目覚める可能性が高い人物が誰なのかを知った時にロトは一縷の希望を抱く。

劇団を所有するエアリステ侯爵夫人の娘が主であるのならば作家になる夢を紡いでくれるかもしれないと思ったのだ。

その日からロトは必死に物語を書き続け、拙かった文章は成長を遂げて他人に読まれても恥ずかしくないものになった。

シュテーリア自身が演劇に造詣が深いことは嬉しい誤算ではあっただろうが結果としてその努力は実を結びシュテーリアの目に留まる。

ロトにとってはシュテーリアが聖女であることは希望の一つでもあるのだと夫人は語った。

もしかするとロトだけではなく他にも同じ思いを抱く子がいるかもしれないとも言う。

例えば庶民の中に何かを学びたいと願う子もいるかもしれない。

その場合、高位貴族の令嬢で更に聖女として目覚めた後のシュテーリアにならば王妃に次ぐ権限が与えられることも有り得るし、何よりその頃には王兄フリオ・バーデンスの実子だとも知れ渡っているだろう。

王家の直系、教会に属する聖女、シュティエール学院の学院長を務めるフリオの娘であるならば庶民に施しを与えるために学問所を開設することすら容易いし、なんら不思議なこともない。

少なくとも女性が表立って権力を持つことを厭う貴族社会において国全体に影響を及ぼす何かを成し遂げられる女性は、いずれ王妃になるであろうユネスティファか聖女になるであろうシュテーリアの二人だけだと言った。

そして、庶民の為に動くならば聖女であるシュテーリアであるべきだとも。

夫人が持つ聖女とはこう在るべきという姿を押し付けて、聖女はシュテーリアで良かったのだと言って見せる慈悲深いその微笑みは余りに残酷だった。

庶民に何か施しを与えるというのも他者の夢を繋ぐというのも夫人の願いだ。

聖女とは無償で全てを許し、全てを愛し、全てに施しを与える者なのだと言わんばかりに夫人はシュテーリアの手を握り「ロトをお願い致しますわ」と言った。


シュテーリアから表情や感情が抜け落ちていっていることにすら気付かないほど夫人は聖女を語る己自身に陶酔し、それを無心で聞くシュテーリアは先程まで見ていた夢を思い出した。

きっと、それは夢ではなく過去の事実だったのだろうと悟る。

次々と死んでいく彼女たちは聖女だった人たちで、彼女たちは大切な誰かを失い、その上で聖女というものを押し付けられて生き、その多くが自ら命を絶ったのだ。

内心で乾いた笑いを零したシュテーリアの耳に微かな馬の嘶きが届いた。


「ご令息様がいらっしゃったようですね。お迎えに」

「いいえ、もう大丈夫です。わたくしの方からお兄様のもとに行きますわ」


一分一秒でも早く夫人から離れたかった。今すぐにでも子爵家から離れたかったのだ。

ミリアムを呼んで手早く身嗜みを整え、夫人に感謝を述べて部屋を出るとロトが待っていた。


「ロト様……ご迷惑をお掛け致しました」

「いいえ。あの、その……母の言ったことは気にしないで下さい」


言葉に詰まり気不味い雰囲気の中でロトは小さく「聖女を語る時の母が嫌いなんです」と言ってシュテーリアに手を差し出した。


「フェルキス様のところまでお連れします」


自嘲気味に言ったロトの手を取って玄関ホールに向かうとフェルキスが何やら子爵と話しているようだったが、すぐにシュテーリアに気付いて子爵に頭を下げた。


「シュテ──っ!?」


フェルキスが驚くのも無理はない。多少表情が強ばっていたとは言え普通に歩いてきていた妹が一瞬目を離した隙に声を殺して大粒の涙を零しているのだ。

ただ、ロトの手を離して泣きながら自分に駆け寄ってくるというのも愛しいし優越感に浸れるものだなと思いながらフェルキスはシュテーリアを抱きとめる。


「どうしたの?何か悲しいことでもあった?」

「いき、て……」

「ん?」

「お兄様が生きてるの」


要領は得ないが一先ず詳しい話は後回しにし、シュテーリアを横抱きにして簡単にロトに挨拶をして子爵邸を後にした。

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