9話
並べられたドレスの数々に視線を動かし、シュテーリアは本気で頭を悩ませる。
「こんなに用意して下さったのですか!?」
「シュテーリア様は何色でもお似合いになると思いまして…これでも厳選させましたの。既製品で申し訳ないのですけれど、シュテーリア様のお好きなものを選んで下さいな」
頬に手を当て「どれも素敵だわ……」と悩めば、セレンディーネが1つのドレスを手に取った。
それは普段のシュテーリアでは選ばない色とデザインのドレス。
10歳の少女には相応しくないのではないか、と敬遠してきたデザインだ。
ベアトップの美しい青のベルラインドレス、スカートの部分には青と白の生地が使われており、胸元には豪奢な金糸で薔薇と蝶の刺繍が施されている。
「こちらはユネスティファ様の為にわたくしがデザインしたドレスなのですが、お色を展開して売り出すことになったのですわ。是非シュテーリア様にも着て頂ければと思いまして…」
確かに大人の雰囲気を持ったユネスティファならばこのドレスを着こなせるだろうと思う。
「わたくしにも似合うかしら?」
シュテーリアが不安げに呟けば、セレンディーネだけでなく後ろで控えていたミリアムとセレンディーネの侍女までもが大きく頷いた。
「では、こちらのドレスでお願いしますわ」
侍女2人が「こちらの」辺りで動き始めていたのを無視し、もう一度選んだドレスに目を向ける。
既視感があるのだが、全く思い出せないのだ。
「さぁ、お嬢様!着替えますよ!」というミリアムの声にハッとして、シュテーリアは着せ替え人形よろしく目を閉じた。
装飾には、入学式で使った青薔薇とエメラルド・真珠・ダイヤモンドが使われている。
それをミリアムに付けて貰いながら、シュテーリアは思考する。
並べられたドレスや装飾品はどれもデザインが異なり、センスも良い。
次の社交界の花を目指すのであればクルソワ家……いや、セレンディーネとの繋がりを得るのは必至だろう、と。
衣服や飲食物や芸術品、その全ての流行を作り出す側に立つにはシュテーリアには知識が少ない。
母に習うだけではダメなのだ。
ただ、前世の知識を使うにしてもシュテーリアの前世は男なので女性の衣装に詳しいかというと否である。
是非、セレンディーネの力を借りたいところだ。
「……セレンディーネ様、もし宜しければ中夏の建国祭のドレスについて相談に乗って貰えませんか?先程見せて頂いたドレスもこちらのドレスもとても素敵なのですもの。わたくし、セレンディーネ様のデザインしたドレスが着たいですわ」
その言葉にセレンディーネは大仰に喜んでみせる。
「まぁ!わたくしで宜しいのですか!?シュテーリア様のドレスに携われるだなんて、神に祈ってきた甲斐がありましたわ…」
神に祈るほどにシュテーリアのドレスが作りたかったのか……と感心しないでもないが、ここまで周到に用意しているのだから、これも当然の流れだろう。
何より、エアリステ家が使ってきた針子が後継を取らないまま引退するということを聞きつけてランスやユネスティファに相談したのではないかと思う。
それもこれもランス殿下の筋書き通りか…そこはかとなく不愉快である。
フェルキスが側に居ては飲み物をかけるなんて出来ないだろうし、飲み物をかけるという騒動が起きなければ派閥の違うクルソワ伯爵家の令嬢セレンディーネと急激に近付くことも無かっただろう。
現在イシュツガル王国には3つの派閥がある。
王国派にはバーデンス公爵家、モストン公爵家、エアリステ侯爵家やキーセン侯爵家、ヒスパニア伯爵家など忠義に厚い名家が並ぶ。
教会派には現教皇の生家フラペンス侯爵家を筆頭にクルソワ伯爵家、ヴァルデリック伯爵家、ピュッツェル伯爵家など中立を保ってきた家名が多く。
改革派にはニルヴェーナ公爵家、カリアッド侯爵家、シュベルツ伯爵家、ラーベラ男爵家など、なかなかに癖のある家名が並んでいる。
教会派の中立を保っている家をどちらが取り込めるかが大事なのだ。
ここでゲーム知識込みで話すのであれば、改革派の裏には第一側妃の母国であるスウェード王国とイシュツガル王国と争いの絶えないグウェイン王国の存在があるのだが、シュテーリア10歳の段階でそれが露見していたとは思えない。
だからこそ、今のうちに国内の地盤固めが必要なのだ。
既にフラペンス、クルソワ、ヴァルデリックは王国派の縁を強固にしており、ピュッツェルは改革派へ流れている。
最近では、教会派の集りにすら顔を出さなくなっているらしい。
そういえば……と、最近公にされた縁組を思い出した。
フラペンス侯爵家の嫡男とヒスパニア伯爵家の二女、クルソワ伯爵家の嫡女セレンディーネとキーセン侯爵家二男、ニルヴェーナ公爵家三女とピュッツェル伯爵家嫡男の婚約である。
貴族の婚姻は政略的なものが多く、恋愛結婚は珍しい。
この3組は明らかに政略結婚なのだろう。
(あと3年で動き出すのか…第一側妃と改革派は王国派を、エアリステ家を壊しにかかる……その鍵はグウェイン王国からの侵略とユネスティファ様の暗殺…そして、シュテーリアの誘拐……重すぎるだろ3年後…)
深く溜息を吐こうとして、止めた。
ここにはセレンディーネが居るのだ。
モスグリーンの間から覗く鮮やかなオレンジの双眸は、やけに物言いたげにシュテーリアを見据えていた。
「シュテーリア様、お聞きしても宜しいかしら?」
「えぇ、何でしょうか?」
「先程の…カリアッド侯爵家とピュッツェル伯爵家に社交界の花が咲かないと仰られた件なのですが、シュテーリア様は次代の社交界の花になられる覚悟をお持ちだと判断して宜しいのですか?」
「……そうね、ならなければいけないの。それは、わたくしが未来を開く為に重要なものなのです」
「未来を開く…なるほど」
視線を交わらせながら答えれば、セレンディーネは何かを決意したように何度も小さく頷いた。
「では、建国祭に向けて流行を2つ仕掛けましょう。1つはドレス、1つは…スイーツなど如何かしら?」
シュテーリアには聞き慣れない、だが雅には聞き慣れた単語が紡ぎ出される。
背中に冷や汗が流れる感覚がやけにハッキリとしていた。
「スイーツ……ですか?」
「えぇ、スイーツです。お分かりになりますでしょう?」
セレンディーネの表情や声音に敵意は無い……と思う。
事実、無いのか…彼女の淑女としてのスキルがそう見せているだけなのか…
突然の極度の緊張に冷静な判断ができない。
「……後日、我が家に招待しますわ。ご都合の良い日を教えて下さいませ」
「まぁ、嬉しい!わたくし、シュテーリア様と共に流行を作ってみたかったのです!!」
鈴の鳴るような声で一頻り喜ぶセレンディーネを眺めてから、2人は会場へと戻った。
転生者が雅だけであるとは思っていなかったが、これほど近くに居てこんなにも早く遭遇して来るとは思ってもいなかった。
そして、転生者である可能性としてはルルネアが高いと思っていたのだ。
まさかの事態である。
不測の事態もいい所なのだ。正直、最早社交会どころじゃない程にシュテーリアの思考は乱れている。
心音がバクバクと煩い。
敵では無いだけ良いのか、それともシュテーリアと同じように未来を変えようとしているのか…
今考えても、こんな誰が聞いているとも分からない場所で話すことなど出来はしないのだ。
(うぁぁ……頭痛い……)
再び会場に戻ったシュテーリアは、注がれる視線を跳ね除けて一直線にある場所へ向かった。
「おにぃさまぁ……」