07.
殴られた眉間の痛みが消えねえ。
こりゃ、ビジョンを使うにしてもイチイチ激痛モードじゃねえかよ……
数字と変な記号が並んでいる黒板を見ると、いつもは絶対睡魔が襲ってくる数学の授業でも、眠気が起きない。ルーティンを崩されると野球にも影響が出るんだけどな。
ふと今朝ビジョンで見た光景が蘇る。毎日通る通学路で起きた無残な事故。あんなに強い衝撃がスイッチに加わったことなど初めてだから、正直、どれだけ先の未来なのか時間の感覚が分からない。しかし、平泉の他に生徒の姿はなかった。となると下校の時間か……。下校は各自、時間帯が違うから、そういうシチュエーションもありえるな……
無意識に分析している自分に気づいた。
何をやってんだ、俺は。
小学生の頃、予知能力を扱った映画を見た。主人公は世界の終わりを予知し、それを防ごうと奮闘する。しかし、予知能力のことなど誰も信じてはくれない。主人公はたった一人で孤独な戦いに挑み、世界を救う。これだけ聞いたら確かにヒーローの物語だ。しかし、ヤツは最後どうなったか? その功績を誰にも知られることなく、誰にも感謝されることなく死んでいったのだ。しかも周りに狂人扱いされたまま。
ヤツはカッコいいか? 冗談じゃない! 俺はヤツみたいにはなりたくない!
首を突っ込めばどうせロクなことにならないに決まってる。やめとけよ、俺。仮に平泉に何か借りでもあるなら話は別だ。親しい友人でもそうだろう。しかし、平泉は友達でも何でもない。昨日まで一言もしゃべったこともなかった女だ。しかも俺を変態扱いしやがった。敵か味方かの二者択一なら間違いなく敵だ。そうだよ、あの女は敵だ。敵に塩を送るのは上杉謙信だけで十分だ。
よし、何もしねえ。俺は何もしねえぞ! やったー、これにて一件落着!
………………らくちゃく?
終業のベルが鳴ると平泉はさっさと教室を出て行った。
尾行してみようか……
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
購買へと向かう生徒の波にまぎれ、平泉の後を追う。その距離十メートルといったところか。平泉は角を曲がり、体育館へとつながる渡り廊下の方に歩いて行った。
ここから先はダメだ。渡り廊下にはほとんど人がいないから気づかれる危険性が高いのだ。
俺は角を曲がらずそのまま少し進んでから立ち止まった。後ろから来た女子グループを適当にやりすごし、窓越しに渡り廊下の方を窺う。
平泉は渡り廊下の奥、中庭の石段に腰かけて弁当を広げていた。
こんなとこで一人で食ってんのかよ……
中庭は校舎の陰になっていて何だか薄気味悪い。さらにゴミ置き場が近いせいで臭いもヒドい。用がない限り誰も寄り付かないし、ましてや弁当なんか食う場所じゃない。
平泉の足元に猫が近付いてきた。学校に住み着いているやせ細ったボロ雑巾のような猫だ。猫を見れば例外なく「きゃあああ、かっわいい~」と奇声を上げる女子高生たちですら見向きもしないほど汚い。
平泉が弁当箱の中からおかずをつまんで差し出した。猫は平泉の手から直接食べている。全く警戒する様子はない。いつもこうして平泉におかずを分けてもらっているのだろう。
平泉はいつしか笑みを浮かべていた。
え? 平泉って笑うの?
いつもの能面のような顔からは想像だにできない柔らかな表情に面食らった。そして、よく見るとその光景はひどく寂し気なものに見えた。
――孤独
俺はなぜかいたたまれない気持ちになって背を向けた。廊下を購買の方へ歩いて行く。
本当は平泉に警告してやろうと思っていたのだ。クラスメートのよしみだ。それくらいはしてやってもいいだろ。
まぁ、まだ放課後まで時間はあるさ。
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