06.
俺が通う県立透谷高校は高台にある。駅からは蛇行した一本の坂道を、延々二十分登る。道の両脇には背の高い木がうっそうとしている不気味な山道だ。
ほとんどの生徒が電車通学だから、朝は同じ制服を着たヤツらが道路を埋め尽くす。
反対に、夜はまるで心霊スポットだ。民家はないし、街灯もまばら。人も車もほとんど寄り付かない。
実際にここで幽霊を見たというヤツもいるし、UFOを見たというヤツもいる。隣の県で行方不明になった若い女の死体がこの山のどこかに埋められているという噂もあれば、平家の落人が呪詛の言葉を吐きながら最期を遂げたという伝説もある。
まあ、そんなデタラメがまことしやかに語られるような雰囲気の場所だってわけだ。
しかし、罰ゲームのような通学路にも救いが一つだけある。
途中で木々の列が途絶える場所があって、そこからは彼方に広がる海が見渡せる。そしてその手前には人口十万人ほどの小さな地方都市の街並み。ありふれているけれど、俺はその景色が好きだった。
しかし、そんな心のオアシスで朝イチからイヤなものを見てしまった。一気に不快指数がマックスになる。由美莉と与謝野がイチャつきながら登校していたのだ。
「お前ら、付き合ってんの?」後ろから声をかけた。
びくっとして由美莉が振り向いた。与謝野は相変わらず澄ましたままでむかつく。
「ちちちち、違うってば。わわわ、私はヨサっちのボディガードをしてるだけなんだから」
「はぁ? お前みたいな巨乳非力娘が与謝野のボディガードなんかできるかっての!」
「非力? 非力かどうか試してみる?」
由美莉は頬をヒクヒクさせながら指を鳴らした。
「す、すみませんでした!」
――ゴンッ
即座に深く深~く頭を下げたのだが、そこにゲンコツを振り下ろされた。
「なんだよ! 謝ったじゃねえか!」
「どさくさにまみれて巨乳って言っただろ!」
「淫乱よりマシだろ?」
――ゴンッ
もう一発喰らった。死ぬほど痛い。
「お前を見てると口は災いの元っていう言葉の意味がよく分かるよ、ハハ」
与謝野が例のイケメンスマイルを繰り出してきた。やたらと歯が白い。芸能人か、お前は。
「イヤー! 与謝野くんが笑った!」
途端にこれだ。周りで息を潜めていた女子練習が一斉にぎゃあぎゃあ騒ぎ始めた。田んぼのカエルか、お前らは。
「分かった? これよ、これ。私はこれからヨサっちを守ってるの」
由美莉はそう言うと、狂犬のように睨みをきかせた。今にも牙を剥いて「ガルルル」と唸りそうだ。しかし、相手は大軍。一方、由美莉は孤立無援だ。
「何あの女。胸デカ過ぎじゃない?」
「なんか頭悪そう」
「っていうか牛みたいじゃない? 絞れそうなんだけど」
由美莉は分かりやすく肩を落とした。さすがの由美莉も同性からの攻撃には弱いのか。
「悪いな、由美莉……俺、平気だからボディガードとかしないでいいよ」
「いーや。あの女ども何するか分かったもんじゃないし。ウチの大事なエースに万が一のことがあったら困るし」
「ウチの大事な四番はボディガードしなくていいのか?」
「アンタに近寄る女なんていないでしょ」
「うん、そうだね」
由美莉の差別発言にほんのり傷ついていると、突然周りにいた女どもがサササと退散していった。
何だこれは? 嫌な予感しかしないのだが……
すると案の定、どんよりとした空気を切り裂いて、ドスのきいた怒鳴り声が聞こえてきた。
「てめえ、どうしてくれるよ!」
「すみません!」
メガネをかけた線の細い男子生徒が土下座をしていた。見るからに不良としか思えない三人組がそれを足蹴にしている。恐らく肩がぶつかったとかそんな些細なことで因縁をつけられているのだろう。
「悪いと思ってんなら誠意ってもん見せろや」
なるほど、こういう台詞、テレビドラマで覚えたんだろうなと思わず感心してしまった。まあ、ただのカツアゲに過ぎないのだが。
こんなものに取り合っているほど暇じゃないし。俺たちは甲子園を目指して予選の真っ最中だ。ゴタゴタに巻き込まれてはたまったもんじゃない。
「与謝野、行こうぜ」
与謝野の肩をポンと叩いた。が、与謝野は俺の手を振りほどくと、ツカツカと不良たちの前に歩いて行った。
またか……ま~た~か~よ!
与謝野のこういう正義漢っぷりには心底呆れ返る。ほっときゃいいんだよ。そんなことして何の得があるって言うんだ。お前がそいつを助けても、そいつはお前を助けちゃくれねえ。助け合いだとか絆だとか全部、見かけだけの嘘っぱちだ。人間なんて結局、自分のことしか考えやしねえ。俺は悲観して言ってんじゃねえし、それでいいと思ってる。単に俺たちが生きている世界がそういう仕組みってだけのことだ。
「なんだよ、お前」
「カッコつけてんじゃねえぞ!」
不良たちのドスのきいた声は相変わらずステレオタイプなテレビドラマのチンピラみたいだが、突然の乱入者登場に少し戸惑いの色が混じった。
与謝野はメガネくんを庇うようにして立っている。
「もういいだろ」
「うっせー! どけや!」
不良トリオがガンを飛ばしながら与謝野に近づいて行く。
こりゃ、一戦交えるしかねえな。ま、せいぜいガンバレや、与謝野。俺は先に行くぜ。
背を向けた瞬間、袖を引っ張られた。
「?」
振り返ると由美莉が祈るような目で俺を見ていた。
行けってのか? 俺に行けってのか?
与謝野は一人で大丈夫だって。せいぜい一、二発喰らってイケてる顔がちょっとばかし腫れあがるくらいだろ。むしろその方がいいくらいだ。俺たち非イケメンと釣り合いがとれそうだし。
さらに強い力で袖を引っ張られた。
由美莉の瞳が揺れている。可愛過ぎて有無を言わせない圧力だ。
何だよ、こんな時だけ女を発揮するってズルくね? ズリーズリーズリー!
はぁ……面倒くせええええええ!
俺はしぶしぶ与謝野の後ろに立った。
「派手な感じにはすんなよ、大会中なんだからな」
「分かってる」
絶対、分かってない。こいつは野球もケンカも全力投球、何事にも手を抜くってことができないバカ正直な馬鹿だ。
「一応、俺も立っとくけど、基本、お前一人でやってくれよ」
「ああ。そのつもりだよ」
不良が殴りかかってきた。
「死ねやあああ!」
与謝野がひょいっとよけた。勢い余ったパンチは俺の顔面に一直線。
そりゃねえだろぉおおおおお!
思いっきり眉間をぶん殴られた俺は吹っ飛んだ。
視界が白いものに包まれる。
このシチュエーションでビジョンかよ――
長い髪の女が一人、歩いている。
見覚えのある後ろ姿――平泉だ。
平泉が何かに気づいて振り返った。
やってきたのは――トラックだ!
トラックは歩道に乗り上げ、俺の目の前で平泉の体を無残に吹っ飛ばした。
俺がビジョンから戻った時、目の前には不良三人が倒れていた。そして、与謝野はメガネの男子生徒に何度も何度もお礼を言われていた。
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