43.最終話
「大会三日目、今日は甲子園初出場の透谷高校が優勝候補の……」
イヤホンをはずすと病室の窓から雲一つない空を見上げた。
仲間たちはこの空の下で今、夢を実現させている。心から誇らしい気持ちになった。
与謝野は俺が餞別として渡した「ゴスロリナンパ夢芝居シリーズ、秋田県のみるくちゃん」を宿舎で見てくれただろうか?
あのマニア心をくすぐるハイパーチラリズムプレイを見てりゃ、マウンドでビビりあがって股間が委縮することもねえだろ。
今頃、ビンビンにいきりたって、スタンドにいるおっかけ女子どもが目のやり場に困ってるはずだ。それに……
由美莉もいる。
やつら二人は、甲子園に旅立つ前に付き合い始めた。俺への気遣いは必要ねえってのに、さっさとくっついちまえばよかったんだ。遅すぎだ、バカ。
しかし、すげえよ、与謝野。お前は本当に由美莉を甲子園に連れていっちまうんだもの。
俺みてーに、準決勝でリタイヤして、目下、肋骨を初めとする合計7本の骨を折って入院中のバチ当たり野郎とは大違いだ。
本物のヒーローってお前みてーなヤツのこと言うんだな。
テレビに映る与謝野は、マウンドの土を何度も踏んで感触を確かめている。
しかし、初戦から優勝候補って。思わず笑いがこみ上げた。
「何でニヤけてるの?」
花の水を替えて戻ってきた花柄ワンピースの女が言った。ホント、お花がお好きなことで。
「今、デカ乳チアーガールがパイオツゆっさゆるゆら状態で映ったからさ」
「……」
能面のような顔で見事に俺のあいさつ代わりの下ネタをスルーしてくれるのは、平泉さん、あなたしかいませんよ。
本当は「もう、エッチねえ、男の人って」「そりゃそうさ、女の価値はパイオツさ」「私なんかBカップだし、こんな私、ダメだよね……」「ダメなわけないだろ? 大きけりゃいいってわけじゃない。問題はさわり心地さ」「じゃ、私のおっぱいでも我慢してくれる?」「ああ、もちろんさ。君のは柔らかいもの」「じゃ、触ってみる?」「ああ、じゃ遠慮なく。ちょっと失礼して」「どう?」「まずまずだな」「ダメ、そこは……」「へへ、ダメじゃねえってカラダは言ってるぜ」って展開が理想なんだが……。
「試合、始まるよ」
「あ、ああ」
いかん、思わず妄想スイッチを押したまま、別の世界に接続しそうになってしまった。
平泉をそんな目で見てはいけない。そう俺は自分に戒めたのだ。
なぜなら、平泉は命の恩人だから。
子どもを抱きかかえたまま土砂に飲まれた俺は、三十メートル下の渓谷へと落ちた。
平泉の不気味な呼びかけが功を奏したのか、警官たちは全員無事だったそうだ。
平泉は必死で警官たちに俺が子どもを抱きかかえたまま土砂に埋もれてしまったことを訴えた。しかし、日没と共に捜索は打ち切られた。
それでも平泉はわずかに意識のあった俺にリンクし励まし続けてくれた。そして、警官たちを頼ることなくリンクをたどって居場所を突き止め、俺を助けてくれたのだ。
目を開けると泥まみれになった平泉がそこにいた。すでに日付が変わろうとしていた。
平泉のほかに姉貴と姉貴が調教しているマッチョの芥川さんの姿があったのが謎だが。ま、平泉一人じゃ俺の上に積もった土砂を取り除くのは無理だっただろう。
幸いなことに子どもは無事だった。名前は「羅伊雅」クンと言うんだそうだ。すげー、キラキラ? ネーム。
すぐさまライガクンを父親が入院しているのと同じ病院に送り届け、見つけたのは芥川さんってことにしてもらった。
俺が名乗り出てしまうと野球部のヤツラに言い訳できねえし。何でデッドボールくらったお前が、峠で土砂崩れにあってんの? みたいな。
芥川さんは警察から表彰されたが、本人は褒めちぎられて傷ついたそうだ。真正ドMだから仕方ないものの、きちんと表彰式に出席したのは大したもんだ。
彼は死地に赴く兵隊のような心持ちだったに違いない。
と、いうわけで俺はデッドボールによる脳震盪でふらついて階段から落ちて骨を折りまくったマヌケとして、この病室でオナニーすらできないベッド生活を送り、こうして仲間たちの姿をテレビで見ているわけだ。
うれしいのは、平泉がこうして毎日見舞いに来てくれること。たまに、「アーン」してくれたりする。やらしいヤツじゃなくて、食べさせてくれるやつ。
窓から入ってくる風に平泉の長い黒髪がなびいていた。そういえば、教室でもこんな風景を何度も見た気がする。思わず目を奪われた。
「なあ、平泉」
「なに?」
ベッドの傍らの丸椅子にちょこんと座った平泉が俺を見た。
「俺たち、友達だよな」
「……」
「だよな?」
「う~ん……もうちょっと考えさせて……あ、始まった」
与謝野が一球目を投げた。コースをついた球威のあるストレートでストライク。
今日の与謝野は絶好調らしい。
そして、俺はさっきの「もうちょっと考えさせて」を言い終わった後、ほんのちょっとだけ唇のはしっこが緩んだのを見逃さなかった。
「いたずらっぽく笑う」というどっかの小説で見た表現の10分の1くらいの可愛げはあったと思うよ。
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