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42.


 広い幹線道路が終わり、くねくね曲がる山道に入った。目を開けていると酔いそうだ。


「大丈夫?」


 俺が目を閉じているのを気にしてか、平泉の心配そうな声が耳に届いた。


「ああ」


 気づけば手に平泉の温もりを感じる。ずっと手を握ってくれているのだろう。


「ビジョンは保てそう?」


「全く問題なし。ってか、元に戻んないんじゃねえかってくらい安定してっぞ」


「ええ? それってヤバくないかな?」


「ま、それは後で考えるか。とりあえず優先順位は子どもだ」


 目を開けると、そこはもう峠だった。タクシーを降りる。視界の中で降っていない強烈な雨が皮膚をたたく。こりゃゲリラ豪雨ってやつじゃねえの。


警察車両があちこちに停まっているのが見えた。ということはつまり、俺の見ている未来でもまだ捜索が続いているということだ。


「平泉、ダメだ。まだ見つかってないみてえだ」


 平泉が一瞬強張ったのが、手のひらを通して伝わってきた。


 なんとかせねば…なんとか……


 現場を一通り見渡す。山道の途中の急カーブの真ん中あたりでガードレールがぐにゃっと曲がっている。恐らくあそこから車が落ちたのだろう。ということは、その下で捜索が行われているはず。俺は、平泉の手を引っ張ってガードレールの傍まで走って行った。


「!」


 眼下には三十メートルはあろうかという切れ落ちた深い渓谷が蛇行し、さらに、斜面に沿って生えていた木が無残な形で倒れ、泥が表面を覆っている。恐らく土砂崩れだ。


「土砂崩れが起きたみたいだ」


「え? でも……こっちはまだ起きてない」


 立ち入り禁止と書いた黄色いテープが張られているあたりで警官と押し問答している風(あくまでも音は聞こえないからね)の男が目に入った。恐らくテレビか新聞の記者だ。


 俺はそいつに駆け寄ると、男の手にしているメモを覗き込んだ。


 『16時20分 土砂崩れ 捜索中の警官三名巻き込まれる』


 殴り書きで書かれたその汚い字は、なぜか事の大きさをリアルに感じさせた。男がしている腕時計を見ると13時35分。


つまり俺が見ているのは明日の昼過ぎのビジョンで、メモに書かれているのは今日の出来事。背筋が寒くなった。


「平泉、今何時だ?」


「4時過ぎかな……」


「何分だ? 正確に言ってくれ」


「8分」


「マジかよ、あと12分しかねえじゃねえかよ!」


「なんとかなるよ……なんとかなる!」


 平泉はリンクを使って、俺の思考を読み取ったらしい。声のトーンが目の前の危機におびえていた。


 二次災害を防ぐためだけだったら手はありそうなもんだが、子どもまで救うとなると……どうすりゃいいんだお手上げだすなわち私はこれでさようならとはいかねえよ。


「クソったれめ! 平泉、とにかく何とか捜索を辞めさせてくんねえか? 俺は子どもをどうにかする」


「分かった」


 平泉の気配がふっと消えた。警官を説得しに向かったのだろう。しかし、何て言って説得するんだ? 女子高生の言うことを警官が簡単に信じるとは思えねえ。


『大丈夫』


 平泉がリンクしてきた。


『どうすんの?』


『呪いの言葉かな』


『は?』


 一瞬の沈黙の後……


『山の神が怒っておる~たたりじゃぁ~たたりじゃぁ~、はよう、捜索を辞めて引き上げるのじゃぁああああ。そうでないと土砂崩れが起きるぞぉおおお』


 声をしゃがれさせているが、明らかに平泉の声が頭に響いた。


 そして、回りが


「なんだ今の?」「お前聞こえたか?」などとザワつき始めた。なるほど、平泉は自分の視界に入るやつら全員にリンクさせて呪詛の言葉を吐いたのだ。


 しかし、ちょっと迫力不足なんじゃない? やっぱJKの声にしか聞こえんよ。


『たたりじゃぁああああ』


 もう一発、きた。しかし、声質に改善はみられない。


『たたりなんだからね!』


 平泉の悲痛な叫びが響く。捜索を辞めるような動きは感じられないが、少なくともここにいる連中に警戒心を植え付けることはできているだろう。がんばれ、平泉。


 記者の腕時計を見ると、13時43分、あれから8分たってるから、今の時刻は16時16分。ってことはタイムリミットはあと4分。


ややこしい計算だが、頭の悪い俺でも計算間違いはしねえレベル。つまり、救いようもないほどマジにあと4分しかねえわけだ。


 さっきから、ずっと土砂崩れが起きたあとの斜面に目を凝らしている。俺にできることはこれだけなのか? 


ビジョンを打ち切って闇雲に捜索を手伝ったって、ムダな気がする。そして、捜索を手伝うことすら警官たちに止められるだろう。


 こんなチカラ持ってったってなんもできねえのかよ! 俺は。


 と毒づいたところで、ビジョンの中で捜索中の警官が手を振り始めた。一気に捜索隊全員が駆けつける。


おそらく、誰か見つかったのだ。それが子どもなのか、それとも二次災害をくらった警官なのか……


 んなことわかんねえけど、もう確認してる時間なんかねえ! 


 俺は、歯を食いしばって顎を引き、それから頭を思い切り振った。


一瞬、白いモヤに包まれ、ビジョンが消えた。なんでそうやったのか分かんねえけど、何となくこの長い長いビジョンの打ち切り方がわかった。


 そこに広がっていたのは、さっきまで俺が見ていた大量の泥が押し寄せて木がなぎ倒された風景ではなく、草が覆い茂る緑色の斜面。そして、粒の大きな雨が葉っぱを激しく揺らしていた。


 さっきビジョンの中で捜索隊が集まっていた場所はあのへんだ。周囲より少しだけ背の高い木が目印になる。


そして、そこには警官の姿はなかった。それも納得だ。斜面に引っかかって大破している車とはかなり距離がある。あさっての方向ってやつだ。


 待ってろ、ヒーローが助けに行くぜ!


 俺は颯爽とガードレールを飛び越し、かっこよく一直線に駆けていくつもりだったんだが、実際は転げ落ちた。


そういや、俺、ヒーローじゃなかったっけ。ま、いいや。走るより早かった気がするし。かなりいてーけどさ。


「おーい、……? えーと、子どもよ! どこだあああ!」


 名前を聞くのを忘れていたことに今更気づいた。間抜けだが、それが俺だ。


胸のあたりまで茂った草を掻き分けて叫ぶ。ものすごい勢いで泥水が斜面を滑り下りていく。足場は緩い。足を取られて立っているのも厳しい状況だ。


『志賀くん! もう時間がない!』


 平泉がリンクしてきた。


『分かってる! だけど……』


『私もそこ行く』


『来るな! 頼むから。お前まで守る自信はねえ』


『守ってもらわなくても……あ!』


 その時、ごぉおおおおという地鳴りと共に、地面が崩れ始めた。


 万事休す。


 そんな言葉が頭に浮かんだのは生まれて初めてのような気がする。


これで、ハイさようならってこと? 試合終了のサイレンですか? 肝心な時にはいつも勝てねえ。こんなペテン師みてえなチカラを使っても


勝てねえ。負けっぱなしのミジメなゴミ野郎ですか、俺は。万事休してしまってゴメンなさ~い。


 押し寄せる土砂。体が固まってしまった。「唖然」って言葉がふさわしいと思うよ、これは。


いや、「驚愕」かもしんねえな。要するにチビりそうってことね。


『逃げて!』


 平泉、もう逃げらんねえと思うんだが。


ま、せめてかわいいJKの顔でも拝んどくか。


土砂に飲み込まれる寸前、俺は平泉が立っている方に顔を向けた。


その時、視界の端をかすったのは、藪の中にまぎれた「赤」……


戦隊モノのレッドの人形だ。そして、その人形を握りしめている手は……。


 俺は無我夢中で、「明らかにアウトだろ!」と突っ込みたくなるほど絶望的な一塁へのヘッドスライディングよろしく、茂みに隠れているはずの、ちっちゃな手の持ち主めがけて――



「うおおおあおおあおおおおあおおおおああああ」



――飛んだ。


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