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40.

 

 内野の土グランドに広げられていたシートが取り除かれた。雨足は大分弱まってきていた。


 さあ、試合再開だ。


 七回表。先頭バッターは俺だ。


ピッチング練習で肩慣らしをする森を見るとビュンビュンいい球を投げ込んでいる。中断の間もぬかりなく肩を温めていたようだ。


 あの球を食らうわけか。


 平泉の前であんな風に言ってみたはいいが、やはり恐怖感はかなりのものだと実感する。


『やっぱりやめた方がよくないかな……』平泉が意識の中に語りかけてきた。


 そうか、こういうのも筒抜けなんだな。かっこわり。


『カッコ悪くなんかないよ、怖くて当たり前だもの』


 どうやらテレパシーというのは不公平なもののようだ。俺の頭の中は、隠し立てできない丸見え状態だが、チカラを使う本人、つまり平泉の方はというと送ろうと意識した内容だけしか、俺に悟られない。


現に俺は時折、聞こえてくる平泉の言葉しか受け取れないのだ。


『そういうことかな』


 屈伸運動をしてからバッターボックスへと向かった。スタンドに花開いた傘の群れ。内野席の一番上の通路に立っている平泉を目で確認した。


『もし、俺が失敗したら俺の姉貴を頼ってくれ。さっき電話しといたから状況は分かってる』


『うん』


 言ってから、そんなことリンクのおかげでとっくに伝わっていることに気づく。


『なあ、平泉。ちょっと聞いていいか?』


『うん』


『俺がバッターボックスでビジョンを使っていたこと、やっぱり軽蔑するか?』


『軽蔑はしないかな。だって一流と呼ばれる人たちは無意識的に志賀くんや私が持っているような能力を使っているんじゃないかって思うし。私たちほど強い力じゃないから、本人も気づいてないだけとか』


『優しいな~お前。ちょっとうれしかったぜぃ。……でもやっぱり俺のしてきたことは許されない。何より自分が一番許してないってことに今日、気づいたよ。いや、本当はずっと前からそう感じてきたような気もするんだ』


 バッターボックスに引かれた白線のギリギリ内側に立つ。


『これは子供のためじゃない。俺自身のケジメだ。自分勝手なのは百も承知のな』


 眉間に指をあて、ビジョンを開く。森の一球目は外角にはずれるカーブだった。


これではデッドボールに持っていきようもない。しかし、この球を当たりのいいファールにする必要がある。


なぜなら、まずは俺が外角狙いであることを森にアピールするためだ。これがデッドボールにすることができる内角をえぐるような球を投げさせる詰将棋の第一歩なのだ。


 ビジョンを解除した瞬間、森が振りかぶった。軌道は分かっている。俺はタイミングを少し遅らせてバットを振りぬいた。


――快音が響いた。


 ボールはライトのポール際へ一直線。


 まずい、きれろ!


 ホームランになっては困るのだ。たとえそれがチームを救う同点ホームランだったとしても。


 スタンドからため息がもれる。打球はポールの外側を通って行ったのだ。


思わず立ち上がっていた透谷高校応援席のヤツらが脱力している中、由美莉は祈るような体勢でじっと俺を見ていた。ベンチを見ると与謝野が俺に向かって叫んでいた。聞き取れなかったが、思いは伝わってきた。


 できることならここで同点ホームランを打って、歓喜の輪の中に身を投じたい。しかし、それはできないのだ。俺は期待に応えてやれない。


たとえこれが自分が正しいと思う道を選んだ結果だとしても仲間たちからすれば、俺は裏切り者でしかない。


 何の因果があってこんなことになったんだろう?


 一瞬、そんな気持ちが湧きあがって来るのに気づいたが、首を振ってかき消す。


再びビジョンを開くと予想通り、二球目も同じコースで球種も同じカーブ。


やはり森だ。恐ろしくプライドが高い。しかも、そんなプライドを持つのもうなずけるほど、キレがいい。まともに打ちに行っても一球目のようにはいかないだろう。


 しかし、実はそんなことは関係なかった。なぜなら俺の次の選択は空振りだから。そうしないといつまでたっても森は外角にこだわる。


 二球目を俺は腰砕けのスイングで空振りした。これで俺が内角に狙いを変えたように映るはずだ。


森ならば俺が狙っていると分かっている内角にズバッとストレートを投げ込んで三振を奪いにくるだろう。


 そして案の定、ビジョンは同じ答えを出した。しかし、頭に当てるには軌道が低い。俺の胸の高さだ。見事に打ちにくいし、見逃せばストライク。


雨の影響でボールが滑りやすくなっているというのに、なんちゅうコントロールだ。


「タイム」


 一度、バッターボックスを出てから呼吸を整える。ファールで逃げるか。いや、あの球は分かっていてもファールに出来るほど甘くはない。


下手するとバットの根元に当たってフェアグランドにボールが転がる。そもそも、空振りだって十分ある。どうすれば……


「直人!」


 声が聞こえ、俺の思考が途切れた。与謝野が俺に何かサインを送っている。


 バント?


 サードを見るとかなり後ろの守備位置だった。


 なるほど。ここで俺がバントするなんて夢にも思ってないわけだ。そりゃそうか、俺は高校に入って一度だってやったことがないし、ましてやスリーバント。ファールになっても即アウトだ。


普通の監督ならこんな戦法はとらないだろう。


 さすがは与謝野。意表を突きすぎる作戦だ。客観的にみても成功する確率は高いと思う。


しかし、それは俺がバントが得意という前提が必要なのだが。まあ、いい。成功する必要などないのだから。バントの構えになれば頭の高さは低くなる。


 バッターボックスに入るとプレイがかかった。一応、俺はビジョンを開いて確かめた。タイムをとったことで未来に影響することもあるからだ。


 球種は変わらずストレート。スピードもキレも同じだったが、若干高くなっていた。さすがの森もタイムの間に、ほんの僅かだが集中力を切らしたか。


 これで格段に成功の確率が上がる!


 と思ったらグリップを握る手が震えてきた。


 あれ?


 膝がガクガク震えてきた。カラダがいうことを聞かない。


 俺……ひょっとして怖いのか?


 頭の中は冷静なつもりでも、カラダが恐怖におののいていた。


 どこまでチキン野郎なんだ、俺は。かっこわり。


 森が殺人的な眼差しを向けている。


 本当に殺されそうな気分だ。


 マウンドでしなやかに森の左足が弧を描く。


 マジで怖えーよ。


 逃げ出してえよ。


 ようやく心とカラダ一致した。


 不思議と力が抜け、腰をかがめてバントの体勢に入る。


 何でこんなハメに。


 森の指先からボールが放たれた。


 もうダメだ。


 銃弾のような球が襲いかかってくる!


 うわあああああああああああああああああ


お読みいただきありがとうございます!

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