32.
病院に着くと、オナニー号を放り出して、二人で病室へと急いだ。俺はどこの病室か知らないんだけど。
看護師の「院内では走らないでください」の言葉を振り切り、ロビーを抜け、階段を駆け上がりナースステーションのすぐ前にある病室に辿りついた。
平泉は立ち止まった。呼吸に合わせてブラウスが上下しているのが見えた。
「……」無言のまま平泉がドアを開けようとすると、中からすすり泣くような声が聞こえた。
「遅かったみたい……」
ドアの取っ手を掴もうとしかけた手を、戻そうともせず平泉はそう言った。その宙ぶらりんな格好がやけに印象的だった。
亡くなったのは大江健介、23歳の大学生だ。二年前、バイク事故で派手に横転。一命をとりとめたものの、意識が戻ることはなかったそうだ。
平泉は、しばらく時間を置いてから病室に入り、遺体に面会し、家族と言葉を交わした。
俺は部外者ながら、ドアの隙間から一部始終を見ていた。
「部活、行けなくなっちゃったね」
ひんやりとした薄暗い病院の廊下のソファで平泉はそう言った。時刻は午後八時二十三分。
「いいさ。さっき監督に電話した。病院にいるって。ま、ウソじゃねえからいいだろ」
平泉はさっきからずっと俯いたままだ。
「友達だったのか?」
「……」
「……」
「おかしな女だって思った?」
「お前が変なのは前からだろ?」
平泉が微かに笑うのが見えた。
「私、健介くんとは一度も話したことがないの」
「どういうことだ? もしかして一方的なストーカーだったとか」
「バカ。話したことがないっていうのも、違うかな。私が初めて健介くんと意思疎通を図ったのは事故のあと」
「意思疎通?」
平泉は、俺の顔を真正面から見つめた。そして、自分の耳たぶをそっとつまんだ。
「なんだよ」
「私ね……」
一瞬、平泉の姿が二重にダブって見えた。そして、意識のどこかで何かが開くような不思議な感覚を覚えた。平泉の声がダイレクトに頭の中に響いてくる。
目の前にいる平泉は俺を見つめたまま、口を開いていないのに。
『私、テレパシーが使えるの。こうやって自分のメッセージを相手に届けることもできるし、相手の心を読むこともできる』
『じゃ、これってテレパシーなの?』
『そう』
気づくと、俺も言葉を発することなく平泉と会話が成立していた。
『ラジオをチューニングするみたいに、耳たぶをつまむの。そうすれば、自分の思った人の心と私の心がつながる。今は志賀くんにチューニングしてる』
『じゃ、今までも俺の心の中、のぞいてたのか?』
『それはしてないかな。志賀くんとリンクするのは今が初めて。だって怖いもの』
『怖い?』
『そう思わない? 人の心の中をのぞくって。特に親しい人の心の中は』
『ま、そんなもんかもしれねえな』
『でも私、中学のころまでは友達にもテレパシー使ってたかな。友達の気持ちを読んで、自分が求められていることを知って、それに合わせて行動してた。当然、中には顔で笑って、心の中で私を非難している人もいて傷つきもしたけど、そんな人の気持ちに配慮して行動していると、私のこと好きになってくれるの。でもね、私一人だけ無視していた子がいて……人と関わるのが苦手でいつもクラスで孤立していた子。その子はずっと私にSOSを出していて、私もそのことに気づいていたけど、何もしなかった。他の子たちに好かれようとするのに一生懸命で、気にかける余裕がなかったわ。三年の三学期の初め、その子、死んだわ。自殺だった』
『お前、そのことに責任を感じて……』
『友達にテレパシー使うのはやめようって思ったかな。こんな能力を自分のために使うからひどいことになるんだって。でも、そんなに簡単にやめられなかったかな。ちょっと友達がいつもと違う様子だったら、嫌われたかな、なんて思ってすぐに心を読んでしまうの。だから、友達をつくるのをやめた。そうすれば人の心の中なんて気にならないから』




