30.
「ほら、早く!」
平泉の背中を押して跳び箱から下ろし、平均台やらバスケットボールなんかのボールカゴやらがある倉庫の隅のデッドスペースに押し込んだ。
その幅はおそらく一メートルもない。小さなユニットバスくらいのスペースだ。そこに二人して強引に座り込んだものだから、最大級の満員電車にいるのと同じように体が密着した。
ガラガラと引き戸が閉まる音がする。
男女の吐息が入り乱れ、服がこすれるような音が聞こえてきた。ここからは跳び箱が邪魔で見えないが、行為が始まったのは間違いない。
このシチュエーションは俺の計画通りなのだが、一つ想定外のことがあった。
非常に気まずい。
薄暗がりの中、平泉と体をくっつけ合って、お盛んなカップルのチュパチュパ音を聞いている。これは何らかの企画モノAVの設定としか思えない。
平泉はうなだれたまま膝を抱えていて表情が分からない。
ある程度の気まずさは予想していたことだ。むしろ、平泉がどんな顔するか見てみたいという悪戯心すらあった。
しかし今……俺はドキドキしていた。
体育倉庫のスエた臭いを浄化するかのような平泉の髪の甘い香り、そして、肩や太もも、触れ合う部位から伝わる平泉の柔らかなで少し汗ばんだ湿り気のある感触。
不意に平泉が髪をかきあげた。形の良い耳が露わになる。俺は吸い寄せられるようにしてそこに顔を近づけた。
「終わるまで待つしかないな」
小声でそう言うと、平泉はビクッと肩を震わせ俺を見た。
あれ……? 何か目が潤んでない?
もしかしてOKってこと?
いやいや、何のOKだってんだ。
馬鹿な事考えるなよ、俺。
理性をぶっ飛ばされるほどにその瞳は俺にダイレクトに刺さった。
しかし、それは決して欲情しているからというわけではないはずだ。欲情? 俺はこんな時になんてことを……ルビコン川を渡ってしまいそうだった理性がかろうじて引き返してきた。
平泉はこんなありえない事態になって泣きたい気分なのだろう。すまん、平泉。もう少しの辛抱だ。
ガガガ、グワォン!
乱暴に引き戸が開けられた。そして、聞こえてきたのは……
「ほら私の言った通りですの、先生」
姉貴の声。
「何やってんだ! お前ら!」
この野太い声はガタイのいい生活指導のおっさん教師だ。
「……昼寝です」
男が抜けぬけと間抜けな言い訳をした。
「このバカップル共は学校の体育倉庫をラブホ代わりに使うという、高校生にあるまじき狼藉をはたらいておりますの! 万死に値しますわ、オーホッホ」
「ちょっと職員室まで来い!」
ズルズルと引きずるような音がした。恐らく、おっさん教師は剛腕を振るってカップルを強引に連れて行こうとしているのだろう。
「先生、ちょっとお待ちになるですの」
「あ? なんだ? えっとお前は……あれ? すまん、俺は生徒全員の名前を憶えてるつもりだったんだが、お前の名前が出てこない」
「オホホ、お気になさらずですの。私はずっとひきこもりで不登校でしたの。志賀蘭子と申しますの」
本名名乗ってどうすんだよ! バカ姉貴!
「志賀? 志賀直人の妹か?」
「いいえ、そんな輩とはなんの関係もございませんの」
「で、なんなんだ?」
「ここを見ていただきたく存じますの」
「何だ? こりゃ」
「これは隠し撮り用カメラですの」
「どういうことだ?」
「この場所がこんなハレンチな利用のされ方をしていると知った者どもがカメラを仕掛けておりますの」
「何? 一体誰が……」
「オホホ、すでに犯人は取り押さえておりますの。体育倉庫の外からスマホを使ってカメラをコントロールしようとしておりましたから、私が縛っておきましたの。ご案内するですの」
「そ、そうか。手際がいいな」
「あ、一つ忘れておりましたの」
「まだ何かあるのか?」
「こんな不祥事が起きたのも、ここに鍵がかけられていないからにちげえねえですの。先生、どうか鍵をおかけになってくださいませんの」
「ああ、当然だ」
よし、計画通りだ。姉貴、サンキュー! 若干、姉貴流のアレンジが加えられているが(新聞部を縛ったりなんか)ま、許容範囲だ。
俺の狙いは邪魔者を取り除き、平泉と二人でこの体育倉庫に閉じ込められることにあったのだから。
ガチャリという音が聞こえたかと思うと、倉庫の中はシーンと静まり返った。俺と平泉は“ユニットバス”から抜け出ると互いに顔を見合わせた。
「どうしよう?」
「アレしかないな」
平泉は俺が見上げた方向を見た。そこには体がやっと通れるほどの小さな窓があった。高さは三メートルといったところか。
「あそこまで登るつもり?」
「ああ」
俺は、傍らにあった木製の四足の椅子を指さした。
「あれを踏み台に使おう」
実はこの椅子の脚の一つは折れやすいように事前に切れ目を入れてある。平泉を先に行かせるように働きかけ、平泉が椅子の上にのった瞬間に脚が折れて、落下。そこに俺がいて平泉を受け止める。
そのどさくさにまぎれて平泉の胸に額を押し当てるというのが、このミッションの最終仕上げなのだ。
「じゃ、俺が下で支えてるから、登ってくれ」
「……」
「どうしたんだよ。早くしろよ」
「……上、見ないで」
「あ」
そうだ。このシチュエーションでは平泉のパンツがモロに……
「わかってるって。俺を信用しろよ」
“信用”という言葉を使いながら俺は一瞬自問自答した。俺って信用できる人間だったっけ? というかそもそも、この行為自体が平泉に対する背信行為だ。パンツを見る気はなかったとはいえ。
「わかったわ」
平泉はそう言うと椅子に足をかけた。短めのスカートから白い太ももが覗いた。
いかん!
俺は慌てて体育倉庫の薄汚れた床に目を落とした。平泉の体重がのると切れ目を入れた部分が軋み始めた。
「そこから、手を伸ばせば梁に手が届くだろ? それで体を持ち上げれば……」
見上げると、平泉が俺の言った通りにしていた。ちなみに視界の端っこで平泉のパンツが見えた。
スマン、平泉。不可抗力だ。
その瞬間、バキッという音とももに脚が折れた。
「キャッ」
平泉の体が俺の上に覆いかぶさってくる。目と目が合った。
平泉は瞳を見開いている。俺は、その視線を少し下方にずらした。目の前には平泉の推定Bカップ……
バサッ。
平泉の体を受け止めるような形で床に倒れた。
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