03.
「四番ショート、志賀くん」
内野席だけ解放された県営球場に俺の名前がアナウンスされた。ブラスバンド部の小気味いい演奏が俺を鼓舞する。選曲の古さが少し気になるが、まあいい。気分良く三打席目のバッターボックスに入る。
一打席目、二打席目といずれもツーベースで打点を稼いだ。今は七回裏、ツーアウトランナー一塁二塁。与謝野の好投もあって5対〇でリードしている。勝利は揺るぎない。
スピードだけはまあまあのノーコンピッチャーの方を見ると、にらみ返してきやがった。戦意は失ってないようだ。それでこそ倒しがいがあるってもんだ。
――さ、ここからが儀式の始まり
ピッチャーに視線を向けたまま、中指の腹で軽く眉間を押した。経験上、イクラをつぶすくらいの力でやるのがベストだと知っている。弱い電流のようなものが頭を駆け抜け、一瞬視界が真っ白になった。
そして、すぐさまその“白”は輪郭を持ち始め……未来の光景が飛び込んできた。
そう、俺はちょっとした予知能力を持っているのだ。眉間にある『スイッチ』を押すと未来が見える。それを俺は『ビジョン』と呼んでいた。ちなみにスイッチを押す力の強弱でどれだけ先に飛ぶかコントールも可能だ。
ビジョンではちょうどピッチャーが振りかぶったところだった。さて、お手並み拝見といこうか。
「!」思わず目を閉じてしまった。
ピッチャーの指先から放たれたボールは真っ直ぐに俺の顔面に向かってきたのだ。
ノーコン野郎め! ワザとじゃないことは信じてやる。しかし、許しはしない!
ピッチャーが振りかぶる。今度は現在進行形の出来事だ。
俺は顔面に向かってくるボールを剣道のメンを打つようにはじき返してやった。
大歓声の中、ボールは外野スタンドを超え、場外に消えた。
× × ×
蒸し風呂のような満員電車のドアが開く。解放された人混みがホームに溢れかえった。
ホッとため息をひとつ。
通学の時間、俺には公式戦以上の集中力が要求される。両手はポケット、もしくは腰から上が鉄則だ。しかし、その程度なら何の苦労もない。一番の難題は下半身の制御である。
多感な男子高校生にしてみれば、この時期の電車内はトラップだらけと言えるだろう。やたらと女子が無防備になる。
袖やボタンの隙間から見えていたり、汗ばんで透けていたり、たまにスカートのファスナーを上げ忘れて丸出しというMVP級の女がいたりと、とにかく下着チラ見天国なのだ。
少しでも気を抜くとゲームオーバー。下半身にビッグウェーブが押し寄せ、「あれ? さっきから何か固いものがあたってるんだけど、何かしら……へ、変態!」と破滅の階段を転げ落ちることになる。
ちなみにここでひとつ重要なのはイケメンどうかである。イケメンであれば多少のことは穏便に済むものだが、非イケメンだとそうはいかない。つまり、与謝野なら許されても俺の場合は弁解の余地もなく即ジエンドという訳だ。
だから電車は嫌いだ。毎朝、恐ろしく疲れる。
しかし、今日は気分がとてもいい。昨日は8対〇でコールド勝ち。幸先のいいスタートがきれた。調子に乗ってスマホで占いをチェックする。由美莉が教えてくれた野球占いアプリだ。
「満塁ホームラン! 今日は何をやってもことごとく成功します」と出た。
──今日の俺は無敵だぜ!
と思わず心の中でガッツポーズした矢先、靴ひもが緩んでいることに気づいた。水を差された気分だ。改札へと続く長い階段の途中だったが、仕方なく俺はその場に腰を落とした。
「?」
視界の端に何やらヒラヒラと風になびくものがあった。これは……スカート?
見上げるとウチの学校の女子の姿があった。俺は階段の下から覗きこんでいるような格好になっている。
──ヤバい、見えそうだ……。
並みの男ならば本能的に釘付けになってしまうところだろう。しかし、俺は違う。確かに俺はどスケベだがコソコソするような真似は性に合わない。俺がパンツを見るのは女子から正当に許諾を得た時だ。
「見てもいいよ」「おっとそいつはありがてえ」「ちょっとだけよ」「がってんだ」とばかりにな。スポーツマンとはそうあるべきだと固く信じている。
俺は自分のポリシーに従って顔を背けようとした。しかし、あろうことかその女はスカートを手で押さえ、腰のあたりまで伸びた黒髪をなびかせながら俺の方に顔を向けた。驚いているような怒っているような目だった。
勘違いするなよ、俺はやましいことは何もない。靴ひもを結ぼうとしただけなのだから。
身の潔白を示すために、俺は敢えて正面からその女と視線を合わせた。
「あ……」
とんでもない事実に気づいてしまった。
手にはスマホ……そして、偶然にも斜め上に向けられたこの絶妙な角度……
これは! 完全に盗撮の体勢だあああああ!
気づくと目の前に刺さるような視線を飛ばして立っている長い黒髪のJKがいた。
3年C組、平泉鏡香。俺のクラスメートだ。
ちなみに今の今まで一度たりとも話したことはなかった。っていうかクラスの誰もコイツとまともに話したことないと思われる。休み時間も一人で窓の外を見ているイメージしかない。別にイジメに遭っているわけではないのだが、クラスでも完全に孤立している。コイツの方がクラスメートを拒絶しているのだ。いつも全身から「近寄るな」オーラを発しているから誰も近寄ろうとしない。
ケッ、寄りによってこんな女とこんな形でお近づきになるなんて……。
「誤解だッ。俺は……」
「最低ね」
平泉は抑揚のない声で言い放つと、くるりと体を回転させて階段を上って行った。
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