19.
「調子はどうだ?」
「まぁ見てろよ」
与謝野と軽く言葉を交わしてバッターボックスに入る。三回戦を明後日に控え、みんな練習に熱が入っている。俺以外は。
二年のピッチャーを相手にバッティング練習を始めた。一球目、二球目、三球目……いつまでたっても快音ゼロ。
監督は何も言わないが、明らかに不安を覚えている様子だ。与謝野もチラチラこっちを見ている。「見てろ」とは言ったがホントに見るなよ。
情けない気持ちでいっぱいになる。控えピッチャーが手加減して投げた球すらまともにとらえられないのだ。
ビジョンを使わないバッティングは小学生以来だった。まるで野球とは違うスポーツをやっているかのような気分になる。
俺にとってバッティングとはボールの軌道を確認した上で、正確なバットコントロールで捉えるものだ。そこには“駆け引き”や“読み”は存在しない。ピッチャーとの勝負ではないのだ。
例えて言うなら、動くボールを打つゴルフ。本質的に両者はまるで別モノだ。一朝一夕に上達するわけがない。
バッティング練習を終え(というよりも諦め)、素振りに入る。
こんなことをしていていいのだろうか?
ふと疑問がよぎる。
毎日欠かすことなく五百回やってきたことが、全く意味のないことのように感じられた。
ミッションは未だ進展がないまま放課後を迎えている。今朝の拒絶っぷりもあって、今日一日、平泉に近づくことすらできなかった。
ほんの少しでも心が通ったように思ったのは俺の勘違いだったのか?
あの手紙には心がこもっている気がした。素直に嬉しかった。しかし、俺はあまりに楽天的過ぎたということか。
考えてみれば、弁当の受け渡しにわざわざ体育倉庫を使うこと自体、俺とは仲良くしたくないという意思表示なのかもしれない。
しかし、そんなに俺が嫌いなら何で弁当をつくってくれるんだ?
料理に疎い俺でも、かなりの手間がかかっているのは分かる。嫌いな相手に対してそこまでするものだろうか?
もしかして、俺が嫌いだからこそ、借りをつくったままでいるのがイヤなのか? それなら何となく分かる気がする。しかし、俺、そこまで嫌われるようなことしたっけ?
いや、待て。
平泉は恥ずかしがっているのではないだろうか?
与謝野のおかげでストーカー扱いはなくなったとは言え、俺と平泉の関係を怪しんで詮索してくるヤツらは多い。平泉は人目を気にしているだけかもしれない。
そうだ、学校以外でなら俺を避けたりしないのかもしれない。 現に病院では普通に会話できたし……
――病院?
そうだ! 病院だ。平泉の親父が入院していると聞いた。あれからまだ三日しか経っていないから、おそらく退院はまだだろう。
それなら平泉は学校帰りに見舞いに行くはず。わざわざ早退までして駆け付けようとしたのだから。
俺は 素振りをやめ汗をぬぐった。
× × ×
そろそろ診察時間が終わろうという時間なのに、待合室のソファは混んでいた。
平気と言えば平気なのだが、監督に「体が痛むから病院に行く」と言って練習を切り上げた手前、一応診察を受け湿布と塗り薬をもらった。
本来の目的ではないにせよ、これでウソをついたことにはならない。
元来、俺はウソをつくことにかなりの抵抗がある人間なのだ。たとえそれが取るに足らない小さなウソでも。
しかし、最近はウソをつかざるを得ない状況が続いている。そして、この先もしばらくは変わらないだろう。ビジョンが回復するまでは。
自分でも気がつかないうちにため息をついていた。
しかし、これはやらなくてはならないことなのだ。自分のためだけじゃない。由美莉や与謝野、そしてチームメイトのみんなのためにも。
気を取り直して平泉の姿を探す。面会時間終了まであと二時間あまり。病院に出入りするなら、必ずここを通るはずだ。
ピンクの花柄ワンピースを着た髪の長い女の後姿が目に入る。
好みかも……。
俺にとってワンピースはポイントが高い。超ミニスカートにニーソックスの次にランクインする。しかも花柄。清楚な感じがたまらない。
女の顔を見たい衝動に駆られたが、よく見ると、その後ろ姿は見覚えがあるような……
「!」
平泉じゃねーか!
急ぎつつも走らないように気をつけて後を追う。平泉は大きなトートバックを提げて病院を出て行った。
ちょうどいい。外で声をかけよう。
入口の自動ドアをくぐると、平泉が走っていくのが見えた。
一瞬、俺に気づいて逃げられたのかと思ったが、平泉の行く手を見て理解した。バス停に向かったのだ。バスは平泉を飲み込むと、扉を閉めて発車した。
あっという間の出来事に思わず立ちつくしてしまう。しかし、ここで諦める訳にはいかない。
俺は玄関脇に停まっていたタクシーに乗り込んだ。
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