16.
なんて無茶苦茶な話なんだ! シュール過ぎるだろ!
家に帰ると、そそくさと二階の自室へ駆け込んだ。かあちゃんにいろいろと詮索されるのはゴメンだ。とにかく今は心を落ちつけたい。
ベッドにダイブしたまま動かないでいると、メールの着信音。由美莉からだった。
「大丈夫?」
そのシンプルな言葉は心に染みた。さすが由美莉だと思った。たった一打席見ただけで俺の異変に気付いたのだ。チームメイトも監督も全く気にとめていない、たった一度の三振で。
「ありがとな」ベッドに横たわったまま、俺はそう呟いた。
そして、こう返信した。
「大丈夫じゃねえから、パイズリで慰めてくんね?」
すぐに「死ねッ」と返事がきた。
なんだか可笑しくなって一人で笑ってしまった。こんな俺の姿を見たら由美莉は「キモッ」と言うに決まっている。言葉とは裏腹な優しい眼差しで。
ベッドからすくっと身を起こす。脱力している場合ではないのだ。
今は予選の真っただ中。負けられない試合が続いている。そしてこれから予選を勝ち上がっていくにつれ相手はどんどん強くなる。
そんな時、俺が打たなかったら……。四番が足を引っ張っていたら……。
考えただけでも背筋が凍る。
俺は何としても由美莉を甲子園に連れて行かなくてはならないのだ。
やるしかない!
でも……どうやって?
俺のポリシーからすれば正面したいところだ。
しかし、「ちょっとおっぱいに顔うずめさせてくんね?」は無理に決まっている。俺は女と付き合ったこともない、一介の童貞だ。
言葉巧みに乙女心を揺さぶり、言いなりにさせるようなことなど、経験もなければ修行も足りない。
姉貴もそう思ったのだろう。帰り際にそっと睡眠薬を渡された。「これを使えば楽勝」とのことだ。
んなわけあるか!
俺を犯罪者にする気かっつーの!
即座に捨ててやろうと思ったのだが、やめた。実を言うと「一応、持っておこうかなぁ」なんて思ってポケットにしまった。……あくまでも「一応」だ……万が一、使う時が来るかもしれないし……その時、すぐに出せるように胸ポケットに……ってそれ一体どんなシチュエーションなんだ?
こうやって本来善良であるはずの人間が犯罪へと導かれるのだろう。「魔が差す」という言葉がリアルに感じられて恐ろしい。
まぁ、それは置いといて、結局のところアクシデントを装って平泉の胸に顔面ダイブする他ないのだろう。
急に素振りがしたくなった。明日からの戦い(野球じゃない方)に向けて、心が湧き立っていくのが分かる。じっとなんかしていられない。
俺はバットを握り、ギリギリ素振りができるくらいのささやかな我が家の庭に向かった。
× × ×
いつもより一時間早く起きていつもより早い電車に乗り、駅に降り立つ。まだ、登校時間まで大分ある。人もまばらだ。俺は改札の真ん前にある周辺地図の看板の横に陣取った。
朝からクソ暑い。しかも、ここは直射日光をモロに浴びる。しかし、ベストポジションだから仕方がない。売店の前やタクシー乗り場の端の日陰スペースからでは見落としかねないのだ。平泉の姿を。
あの事故以来、平泉は俺を避けてか電車の時間を変えているようだが、この時間から待ち構えていれば必ず会えるはずだ。
俺はこれから痴漢まがいの、人として最低なことをやらねばならない。しかし、甲子園という崇高な目的のためだ。少々の犠牲は仕方がない。
油断すると襲ってくる自己嫌悪の波をやり過ごしつつ、じっとりと額ににじむ汗を手でぬぐいながら、俺はひたすら平泉の姿を探し続けた。
三十分ほど経ったころ、改札が大勢の生徒たちを吐き出した。俺がいつも乗る電車の一つ前に乗ってきた連中だ。
じっと目を凝らす。人混みの中、あっけないほど簡単に平泉を見つけた、というよりも気づくと目の前にいたと言った方が正確か。平泉は俺を見て、一瞬目を見開いた。
あまりに突然だったため思わず言葉を失う。
「……」
「……」
しばし、改札前で向かい合って立ちつくすような格好になったが、他の生徒の肩がぶつかったのをきっかけに平泉は、俺から目を逸らして歩き始めた。
すぐに後を追う。
何もいきなりおっぱいにダイブしようなんてことを考えちゃいない。
それじゃ本当に犯罪だ。しかも、駅前に交番あるし……
まずは気軽に話ができるようになっておくために一緒に登校するのが狙いだ。
仲良くなれば、怪しまれずにおっぱいダイブの間合いに入れるはず。そして、そこで躓いたとか言ってアクシデントを装えば完全犯罪(結局犯罪じゃねえか……)、即ちミッションコンプリートだ。
「おはよう」
横に並んで声を掛けると、平泉は前を向いたまま視線だけよこした。そして不機嫌そうに小さく口を開いた。
「なに?」
あれ? ある程度リアクション薄なのは予想してたけど……いや、きっと噂を気にして照れているだけだ!
気を取り直してもう一発ジャブを打つ。
「今日も暑くてヤになるよなぁ」
「で、なに?」
こいつ会話を続ける気が全くありやがらねえ……こうなったら、ズバッと相手の懐に踏み込むしかない。 渾身のアッパーカットをお見舞いしてやる!
「俺に話しかけられるのイヤか?」
「そうね」
――ガーン!
カウンターが返ってきた!
そこは普通「え? その……イヤじゃないけど……恥ずかしいし……」と言って顔を赤らめるところじゃないのか? 「ごめん、私、感じ悪いよね……」「いや、お前の素直じゃないところ、俺は嫌いじゃないよ(爽やかな笑顔)」「志賀くん……(見つめ合う)」という展開まで想定していたというのに。
開始一分でノックアウト寸前になっていると、平泉が初めて俺の方に顔を向けた。
「あなたへの借りは返します。私なりのやり方で」
「べ、別に俺はそ、そんな」
「志賀くん」
途中でぶっ込んできやがる。付け入る隙がない!
「だから、話しかけないで。迷惑なの」
冷徹な殺人マシーンのような目で言い放つと、平泉は歩くペースを一気に上げた。俺はひとり、取り残されてしまった。
これが平泉鏡香の本領発揮というやつなのか? 今まで俺は「ターミネーター」と陰で言われている平泉のイメージは、勝手に作られた虚像だとばかり思っていた。
井伏や坂口の話だと、平泉に告白した男たちは例外なく、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になって帰ってきたという。
ゴシップ野郎どもの話を真に受けるわけではないが、今のは結構……グサッときた。
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