ボクと彼女の不思議な生活
パタパタパタ
リズミカルなスリッパの音が廊下を響かせていく。
今日も彼女の忙しない一日が始まったようだ。
シャッ シャッ
勢いよくカーテンを開けたら、少し曇りがちな空を見上げてつぶやいた。
「んー……昼までに晴れるって本当かな?まあ、いっか」
ふんふんと歌いながら脱衣場へ戻ったら、洗濯機のボタンを押したらしい。
今度は少し低い音が部屋に響いていく。
ゴウン ゴウン
あれ、今日は機嫌がいいみたいだ。
ふんふんと歌詞のない適当な歌を口ずさみながら、足音はスキップをするように軽やかなままの彼女にボクは首をかしげる。
今日は、何かあるのかな?
昨夜、帰ってきてから何か言ってたかなあと考えこんだボクに、思い出したように彼女が振り返った。
「そうだ、水やり!」
ジュウゥゥゥ……
ベーコンともやしを炒めている途中で、さっきよりも慌てた様子の彼女が「水、水!」と走り回った。
「ごめんね、おはよう」
うん、おはよう。
シュワワ……
ああ、気持ちいいなあ。
「気持ち良さそう。ごめんね、昨日は忘れてたね」
うん、そうだよ。忘れないで。
それより、何かあったの?
ボクに水をやりながらも、まだ調子外れな歌はそのままだ。
チラッと見上げるボクの視線に気付いた彼女が口の端を上げて、大きな瞳も細められた。
「ふふっ、あのね。今日は外回りなんだ」
え?それって、つまり……?
ボクがうかがうように見上げたら、彼女は秘密を打ち明けるようにそっとボクに近付いて、小さく囁くように教えてくれた。
「うん、そう。井原先輩と一緒」
わあ!良かったね!
「ふふふっ、ありがとう。君も喜んでくれる?」
もちろんだよ!
じゃあ、髪型とかも気合いを入れたほうがいいんじゃない?
「んー……どうだろう。やり過ぎると周りにからかわれるしな」
そう言いながら視線を外したことで、火がつけっぱなしなことにも気が付いたらしい。
わわっ、火事になる!
「わわわっ!?はー……セーフセーフ」
……ふぅ、危なかった。
もう、気を付けてよ。
少し抗議をするように睨んだら、ボクに向かって両手を合わせた。
「ごめんごめん」
そう言って、今度はボクの頭を撫でるように枯れた葉をつまみながらつぶやいていく。
「せっかくのチャンスだもん。少しは頑張ろうかな……」
そうだよ!
「うーん、よしっ」
メイクを派手にするのは仕事の終わりまで我慢することにして、いつも着ている素っ気ない学生のようなシャツを、少しだけフリルがついたものに変えようとボクに見せに来た。
「どうかな?」
んー……これなら、外回りに出掛けるから良い服にしたってことで誤魔化せるかな?
色は白のままだし派手じゃないから、変な顔もされないと思うよ。
でも、髪型がなあ……。
「外回りの時は、邪魔にならない髪型じゃないと……」
あちこち移動するし、何より商品の説明をする時の彼女はとっても動き回る。
ボクが初めて彼女を見た時も、身ぶり手ぶりで全身で説明をしていく彼女に驚いたものだった。
少し昔を思い出して、小さく笑うボクを彼女がつついていく。
「もうっ、髪型のことも考えてよ」
ごめんごめん。
でもね、そのフリルだけでも雰囲気が変わるから、井原くんも「お?」って思ってくれるんじゃないかな。
「そう?面倒くさくなって、テキトーなこと言ってない?」
言ってない、言ってないよ。
少し睨むように見つめた彼女に、きちんと向き直ってしっかりとうなずいた。
そもそもこの家に来るまで、週に一回は会っていたんだよ?
その後に入社した彼女よりも、ボクの方が井原くんとは付き合いが長いんだから信用してよ。
この家に来るまで、とあるお店の棚にずっと並んでいたボク。
そんなボクを彼女が見つけるまで、ボクの目の前を通っていた井原くんのことは彼女よりも知っているんだ。
ガラス越しにボクを見つめながら、今週はこんなことがあったとか、新人が入ったとか。
お店が閉まったあと、必ずいろんな話をしてくれたんだ。
途中で彼女の話が増えたと思ったら、たまーに一緒にボクに話しかけてくれるようになった時は驚いたよ。
一人の時の井原くんは、疲れきった顔で愚痴が多かったのに。
彼女が元気一杯だからか、一緒に笑って楽しそうなんだから。
でも、ボクも彼女も気付いていた。
ボクの前でだけしか、井原くんは愚痴をこぼせないってことに。
それなら誰かに買われる前に、彼女が引き取る形で家に連れていってくれたんだ。
お酒の勢いって怖いよね。
ずっとお店に残っていたからもあるけれど、ボクはそんなに安いものじゃあないんだよ。
おかげでしばらく彼女はもやし生活になってしまって、ちょっと申し訳なかったな……。
それでも井原くんが買わなかったのは、お金だけの問題じゃない。
ボクにとっての天敵、猫を飼っているからなんだ。
でも、家に来て話しませんかという一言を、彼女はまだ伝えていない。
焦げる手前で完成させた野菜炒めを食べながら、今度は彼女がボクをジロッと睨んできた。
あ、箸を人に向けたらダメじゃないか。
……まあ、ボクは人ではないけれど。
「だって家だよ!?それに休日に呼ぶにしても仕事帰りに寄ってもらうにしても、そ、そんな仲じゃないしっ」
そう言った彼女は茶碗をつかんでガツガツと流し込むように口に運んでいった。
あっ、そんなに勢いよく入れたら喉につまっちゃうよ。
「ゴホッゴホッ……」
あーあ。もう、ボクは止めたのに。
つまったことでか、自分の想像したことでか、真っ赤な顔になった彼女は静かに味噌汁を飲んで落ち着いたらしい。
「はー……」
ボクも小さくホッとして、何かを決心したように見上げた彼女に視線を向けた。
「でも、先輩はずっと君に愚痴を言ってたんだもんね。吐き出せるところがなくなったら困るよね……よしっ!」
ごちそうさまを勢いよく言って、さらにパァンッと両手を合わせた彼女は何かを決断したらしい。
そのままの勢いで立ち上がって、それでも丁寧に洗ったら。もう一度、パァンッと両手を合わせていった。
ど、どうしたの?
なんだか尋常じゃない気合いの入れようだよ?
「うん。今日がチャンスって言ったのは自分だもんね。君と久しぶりに話さないかって聞いてみる!」
……ん?
ちょっと待って。
それだと家に来ませんかという、艶っぽいお誘いじゃなくない?
「そそ、そんなこと、言えるわけがないでしょ!?」
……。
ええー、ちょっとちょっと。
じとぉっと見つめたボクの視線に気が付いたのか、彼女がプイッと顔を逸らした。
顔どころか耳まで真っ赤だよー。
「うるさいっ!君だって、井原先輩と久しぶりに話したいでしょ!?」
そうだけどさあ。それで、本当に良いの?
「いいのっ。だ、だってほら、場所はわたしの家なんだし」
……そうだけどさあ。
「もう、ごちゃごちゃうるさい!行ってきます!」
バタンッ ガチャガチャ
カッカッ……
ヒールを響かせながら、今度は部屋の外の廊下を軽快に鳴らしていく彼女に「行ってらっしゃい」とボクは小さく伝えた。
……うーん。まあ、一歩前進ってとこかな?
少しだけ開けたカーテンから、日が射してきた空を見上げる。
まだ寒い冬の空は、薄い水色と灰色が混ざったような色をしていた。
あれ、洗濯機の中の物、彼女は干していったっけ?
動いている音はしないから、きっと帰ってきてから思い出すのだろう。
……まあ、いいか。
伸びの代わりに蔓を揺らして、久しぶりの井原くんとは、どんな話をしようかと考えることにしようかな。
こちらをお読みいただき、ありがとうございます。
とある日の、朝の出来事です。
少しでも気に入っていただけたら幸いです。




