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エッセイ

星座はどこにある?

作者: 仲山凜太郎

 小学生の頃、星座というものがどうしてもピンと来なかった。

 夜空を見上げても星なんか見えない。いや、月と明るい星は見えるが、数も明るさもとても星座を作れるものではない。その頃はまだカシオペアぐらいは見えた覚えがあるが、今やどこにも見えなくなった。プラネタリウムの映す星空はどこか嘘くさく感じた。

 星座は既に過去のもの、漫画や小説の題材ぐらいでしかない。もっとも、星座はなくなったわけではない。ただ、今は見えなくなっただけだ。


 小さな頃、母の実家である仙台に行ったことがある。仙台といっても結構な山の中で、店などはバス停近くのコンビニというより雑貨屋と呼んだ方がいいのが一店舗あるだけだ。

 夜、小便に起きた私は外に出た。当時、実家の便所は家の外にあったのだ。

 外に出た途端、私は尿意を忘れた。頭の上に見慣れない無数の光があったのだ。

 星空だった。満天と呼ぶべき星の数だった。もちろん思い出補正もあるだろうが、私にとってそれはいきなり未知の世界を見せつけられた気分だった。

 星座どころではない。星がありすぎてどれがどれだかわからない。北極星、アンタレス、ベガ、アルタイル、今までそれがどこにあるのかわからなかったが、その時はどれがそれだかわからない。例えが古いが「ウォーリーを探せ!」みたいだった。

 そして私は、月の光でも影が出来ることを知った。


 遙か昔、灯りなんてものがない時代、夜はとても恐ろしい時間だったに違いない。何も見えない中、人類が作り出せる光と言えば、火が放つ光だけだったろう。夜目が利き、動き回っては襲い来る肉食獣はどれほどの恐怖だったか。

 そんな夜を照らしてくれる月や星は、人間達にとってどれだけありがたい、神々しい存在だったか。

 人々はどんな気持ちで月や星を見ていたのだろう。

 あれは何だろう? 太陽が沈むと代わりに現れ、太陽には遠く及ばないものの夜に輝く無数のあれは?

 いや、案外とそんなことは思わなかったかも知れない。あるのが当たり前だったから。

 星を知らない人に星とは何かを説明する時、恒星とか遠い遠い場所にある別の太陽とか、そんな理屈で説明してはいけない気がする。太陽や愛、正義と同じように、言葉で説明したら途端それらは陳腐な存在になってしまう。

 人々はずっとずっと長い間、星を見つめ続けていただろう。見つめ続け、想い続け。

 だからこそ、文字通り星の数ほどある中から、特定の星を見つけ、それが時間、時期に合わせて動くことを知ることが出来た。星が今、どこにあるかで今の時間、月日の変わりを知ることが出来た。私たちが時計を見るように、彼らは空を見たのだ。

 人々はそんな月や星に自分とは違う、自分たちを超越したものを見たのかも知れない。

 それは巨大な「何か」

 ある人は巨大な生き物に、またある人は天空に浮かぶ身近な道具に見えたのだろう。

「おい、あの星とあの赤い星、あれをこうしてああして繋げると●●に見えないか?」

「あそこにある星をああ繋げると、まるで●●みたいだ」

 決して不思議なことではない。私たちもよく天井の染みや壁の模様、草木の生え方やそれらが作る影が人の顔や化け物に見えたりするではないか。

(星々を天井の染みなどと一緒にするな!)

 はっ、今、私の中のロマンが文句を言ったような気がする。

 とにかく、人々は夜空をキャンパスに、星と星を繋げて様々な絵を空想の中で作り上げたのであろう。一人ではない。皆が競い合って星を繋げた絵作りに夢中になった。太古の夜は他にすることがない。せいぜい子作りぐらいである。

 それらの絵は、人々の中で磨かれ、雄大な絵はより雄大に。華麗な絵はより華麗に。

 もちろん、中にはくだらないものだってあったに違いない。

「おい、あの星の並び。ち×ちんに見えないか?」

「却下!」

 くだらない絵は下げられ、優れた星の絵が残り、皆がそれを受け入れた。

 そのうち、人々は絵だけでは物足りなくなってきた。そして自分たちが作り上げた星の絵に「物語」をつけ始めた。簡単な仕草の説明から始まり、少しずつ肉付けされ、やがては壮大なドラマとなった。

 自分たちの世界とは遙かに違う、遙かに広く、遙かに強く、遙かに美しく理不尽な世界。それらを物語として紡ぎ出すことが、星を描くことだったに違いない。

 物語を通じて、人は星と自分たちとを結びつけたかったのかも知れない。

「天において一際強く輝くあの星。あれこそが王の力の源であり、未来の姿なのです」

「おお、そうかそうか」

「あ、流れた」

「……こやつの首を切れ!」

 なんてオチもあったかもしれないが。

 とにかく、それは私たち作家志望者が自分の夢を、理想を物語として書くのと同じだったのだろう。

 彼らは夜空を原稿用紙に、星をペンに物語を書く大作家だった。一人ではなく多くの人達が引き継ぎ、直していく。それは紛れもない名もなき大作家達の何百年という時を駆けて書き上げた作品だった。

 そして、そのそれぞれの星につけられた物語のタイトルは、やがて「星座」と呼ばれるようになった。

 ……と勝手に思う私がいる。


 時は流れ、星は見えなくなった。星座なんて嘘くさいと感じるほどに。

 どうして見えなくなったのだろう。

 空気が汚れたからだろうか? 違う。人々が星に求めたのは光だけではない、導きだ。人は世界を進む時、太陽や月、星の位置で方角を知った。今、自分がどこにいて、どちらを向いているのか。それを教えてくれるのが星だった。

 人は自分で灯りを作り出し、方角や時を知った。

 星の導きはもういらなくなった。だから人は星を見なくなり、見えなくなっても平気になったのだ。

 地上に無数の星が輝き始めた時、天の星の輝きは失われた。

 人が地上の星ばかり見始めた時、人は空を見るのを止めた。


 もっとも、星はそんな人間の態度など気にしないかも知れない。

 人間達が勝手に憧れ、勝手に物語を作った。

 人の作る物語など、星にとっては自分の知らない場所で知らない人が勝手に自分に憧れ、勝手に決めつけ、そして勝手にそれに飽きて止めただけ。

 ここまで書いてふと思った。

 地球人が勝手に星々に名をつけ、物語を作ったように。別の星の人達も、地球に、いや、地球を照らす太陽に独自の名前をつけ、独自の物語を作っているのだろうか。

 実際、地球や地球人を自分たちの名前で呼んでいる宇宙人が出てくる作品はいくつもある。

 彼らは太陽に、地球にどんな想いを寄せ、どんな物語をつけてくれただろうか。

 星座というのは、星々の名前ではない。星に寄せた想いの名前なのだ。


 そのうち、人々は地上の星に星座をつけはじめるのかも知れない。

 大都市に集まる無数の灯りをつなぎ、それを骨格に様々な形をつけ、物語を作り出すのだろうか。いや、それに近いものは既に出来ているのではないか。夜、灯りに溢れた場所とない場所を比べて生活格差を語るシーンなどはいくつかの漫画で出ている。

 遙か上空から地上を見た図に、地上の灯りを結んで地の星座が作り出されるのは、時間の問題なのかも知れない。


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