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短編(ドラマ、幻想、恋愛)

かまきり神社

作者: くまのき

 今朝、我が物顔で闊歩していた蟷螂(かまきり)が、夕方になると潰れて死んでいた。


 朝の蟷螂は人間さえも威嚇するほどの堂々とした姿だったが、今の蟷螂は小さく乾き、牛の足跡でえぐれた地面に埋まっている。

 一日中働き回り疲れていた少年は、気まぐれに蟷螂の死骸を拾い、ブリキ缶に入れ蓋をした。そして道端にそのブリキ缶を置き、花を添えた。

 数日経つと、ブリキ缶の前に、少年が添えたものではない新しい花と水が供えられていた。ただの野花と川水だが、少年にはその光景が神秘的なものに思えた。少年はブリキ缶に付いていた土埃を拭き綺麗にし、自分も新しい花を供えた。

 また数日経つと、ブリキ缶の上に簡素な木の屋根が建てられていた。少年はブリキ缶と屋根を綺麗にし、また新しい花を供えた。


 少年の家族は皆戦争でいなくなり、親戚達は少年を引き取る事を拒否した。少年は瓦礫の中から使えそうな道具や服などを拾い、農家や闇市で食べ物と交換してもらう生活をしていた。時には食べ物を盗む事もあった。その傍ら気が向いた時にブリキ缶の様子を見に行った。ブリキ缶には相変わらず花と水が供えて有り、それを見た少年もブリキ缶を綺麗に拭き、新しい花を供える。

 しばらくすると少年は、闇市に自分で店を出すようになった。以前より自由な時間は減ったが、やはり時々気が向いた時にブリキ缶の元へ行った。

 暇がある時に屋根を継ぎ足し、小さなお堂と呼べる程のものになった。


 少年が青年になった頃、金属輸入の商いを始めた。商売は軌道に乗り、青年は多くの金を得た。青年はブリキ缶のある土地周辺を買い取り、神社を建てた。

 その後、土地開発で周りの山々が切り崩された。青年が土地を手放さなかったため、平坦となった町の中、神社のある山だけが聳え立つこととなった。


 青年は老人となり、商売を息子に任せるようになった。引退した老人は、神主として神社に居を構えた。その頃には、神社の成り立ちを知る者は老人だけとなっていた。



「おじいさま、この神社の効能って何があるの」

 小学生の孫がそう聞いてきた。老人は、神社の場合は効能ではなく御利益と言うのだよ、と諭した後に言った。

「特に御利益が決まっているわけではない。各々の望みを神様が叶えてくれるんだよ」

「恋愛の効能は無いの?」

「恋愛、縁結びかい」

 老人はブリキ缶を思い出し、笑いながら言った。

「そうだね。もしかしたら、恋愛の御利益もあるかもしれないね」

「ふうん」

 そう言って老人との会話に飽きたのか、孫は立ち上がり、境内を走り回りはじめた。

老人は孫の姿を見て頬を緩める。老人にとって、この幼い少女と共に過ごす時間が何よりもの楽しみとなっていた。息子夫婦は、この神社のある山を下ったすぐ近くに住んでおり、老人もよく顔を見に出向いている。

 孫がふと足を止め、老人に尋ねた。

「おじいさま、この奥には何があるの?」

「そこは本殿というんだ。神様がおられる所だよ。」

「神様がいるんだ。見てみたいな」

「駄目だよ。神様の姿は無闇に見てはいけないんだ」

「ふうん」

 孫はまた走り回りはじめた。

 本殿の奥では、あのブリキ缶が桐箱に入っている。御神体が蟷螂の死骸である事は、老人しか知らない。その事実は、老人に小さな自尊心を芽生えさせる、誇りのようなものになっていた。

 しばらく後に息子の嫁が孫を迎えに来た。老人は寂しい気持ちを抑え、長い石階段を降りてゆく孫を見送った。


 数日後の深夜、老人は物音で目が覚めた。耳を澄ますと、境内から複数人の喋り声と、木の床を歩き軋むような音がする。毎日山上の静かな夜に慣れていたため、老人はその違和感にすぐに気付くことができた。

 居住用の建屋を出て様子を伺うと、本殿入り口の前に、数人の人影がたむろっていた。どうやら入り口をこじ開けようとしているようだ。

 物音の正体が泥棒である事を確信した老人は、瞬時目の前が見えなくなる程の怒りに駆られた。

 本殿の中には、蟷螂の入ったブリキ缶しか置かれていない。老人自身、あれが古い昆虫の死骸でしかないことは重々承知している。しかし長年祀り続ける事で、いや、もしくは誰とも知らぬ者が添えた花と水を見た時からかもしれないが、老人にとってあのブリキ缶は、まさに他教における御神体にも劣らぬ、崇拝の対象となっていた。

「何をしている!」

 老人はそう一喝し、手にした懐中電灯の明かりを付け、人影達に向けた。老人は目が衰えているためにそれぞれの顔を確認する事は適わなかったが、明かりに照らされた泥棒達はまだ小さな子供達だった。その事に老人は驚いたが、子供達が一斉に逃げようとしたので我に返った。

「待ちなさい」

 そう叫んで追いかけるが、老人は既に足腰も衰えており、子供達に追いつく事ができない。子供達は境内を駆け抜け、石階段を素早く降りて行った。老人は悔しさと腹立たしさで、腹の底からの大声で「こら!」と怒鳴った。

 その瞬間、子供の悲鳴と、石階段を転げ落ちる鈍い音がした。

 老人が石階段の中腹まで降ると、少年が深刻な顔をして登ってくるのが見えた。少年は老人の姿を見ると一瞬青ざめたが、友達が階段から落ちて動かなくなったのですぐに助けてほしいと懇願した。上の建物に電話があるので救急車を呼べと少年に言い渡し、老人は石階段を降りた。

 階段の下では一人の子供が血を流しながら倒れており、その周りで数人の少年達がおろおろと立ち竦んでいた。老人は倒れている子供の傍に駆け寄り、懐中電灯で照らした後、暫くその光景が信じられずに絶句した。

 子供は、老人の孫だった。



 一緒にいた少年達によると、どうしても神様が見たくなり、悪戯心で本殿へ忍び込んだのだという。そしてその計画を持ち出したのは、孫本人だった。


 病院から神社へ帰ると、既に夜は明けていた。老人は疲れ果てていたが眠る気分にはなれなかった。

 老人は正服に着替え、本殿へ赴いた。

 錠を開き本殿へ入り、桐箱を手に取り蓋を開き、中から錆び付いて黒ずんだブリキ缶を取り出す。

 ブリキ缶をこじ開けると、黒く、乾いた、炭のような小さな破片が入っていた。手に取ろうとした部分が、ぼろぼろと崩れ去った。

 老人はその蟷螂の死骸だったものを長い間見つめていたが、暫くすると境内に出て、地面に向けてブリキ缶をひっくり返した。

 黒い破片は粉々に砕けながら風に乗り、跡形も無く消えてしまった。


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