運命の人(三十と一夜の短篇第18回)
「あなたは今日からの二週間の間に、何人かの人と食事を共にします。その中に運命の人がいるでしょう」
占い師の言葉を聞いてミチカは驚いた。
確かにこの先二週間仕事の予定の中には、打ち合わせや会合など、普段よりも人と合うことが多かったのだ。
* * *
はっきりした悩みがあるわけではない、ミチカは自分ではそう思っていたが、占い師はミチカの顔を見るなり「お仕事のことでお悩みですか?」と、しっとりした声で問い掛けて来た。
彼女はいわゆる街角の占い師で、ミチカも今までに時々見掛けてはいた。
だが今日はなんとなく、その声に吸い寄せられ、気付いたら椅子に座っていた。
「そう……そうかも知れません。あの、そういう人多いんですか?」
若い女性なら当然「恋愛について?」と言われるものだと思っていたミチカは、ついそのように問う。
失礼な質問だったかも知れない、と口にしてしまってから思った。だがその占い師はふっと微笑みを浮かべて首を横に振る。
「いえ、若い女性のお客さまの場合、やはり恋愛や結婚についてのご相談が多いですね。でもお客さまのお顔にはこれからの人生そのもの――特に、仕事運についてのお悩みが浮かんでいるように見えたので」
声を掛けられたついでに、ほんの少しだけ時間潰しをして、ポジティブで調子のいいことを聞いていい気分になって帰ろうか――などと、ミチカは軽い気持ちでいた。だが占い師の言葉が、どこかで見ていたのではないかというくらいに現状に当てはまっていたため、非常に驚く。
「すごい占い師さんなんですね……?」
「いえ、私などまだ――ただ、お客さんの場合は割と波長が合うようなので、他のお客さまよりもよく『見える』のだと思います」
「ほぇぇ……」
ミチカは膝の上に乗せた黒いバッグをぎゅっと握り締める。一般的なOLが持つにしては大きめのそのバッグの中には、来週プレゼンで使用する予定の原稿の束が入っていた。
「……占っても?」と、占い師は首を傾げる。
そこでミチカはまた驚く。
「え、もう始まってたんじゃないんですか?」と目を丸くすると、占い師は目を細めて柔らかく笑う。
「どうなんでしょう……占い師さんによって始まり方は違うんでしょうけど、今は私が勝手に話し掛けてしまっただけで、まだお客さまから『占って欲しい』というお言葉は聞いておりませんので」
そういえば、何に悩んでいるかは見事に当てられたが、ミチカからはまだ何も話していない。
ミチカは何度もうなずきながら思案する。
「そうか……そうですよね。すみません、えっとじゃあぼんやりなんですが、これからわたしがどう進めばいいのか――仕事でも恋愛でもなんですけど、全体運? みたいのを見ていただけますか?」
「承知しました……ではまず、ここにお名前と生年月日をお書きください」
ミチカの目の前に差し出された紙とペン。その指はほっそりとしており、透明なマニキュアが塗られている。
この辺りはテレビなんかでよく見る入り方だな――と思いながら、ミチカは名前を書き込む。
これで住所や連絡先などと言い出したら警戒しなきゃ、とまだ少し構えていたが、この占い師はそれ以上何も言わなかった。ただ、書いている間ずっとミチカの手元を見ていたようで、それだけが少し気になった。
「ありがとうございます」
紙を受け取りまじまじと見つめている占い師の目はくっきりとした二重で、どちらかというとたれ目気味だが、性格がきつそうにも見える顔立ちだった。
カラーコンタクトなのだろうか、ほの暗いランプ型のライトに照らされている瞳は緑色掛かった色合いだ。薄いピンク色の唇は意思が強そうに引き結ばれている。
濃い目の茶髪はゆるくカールしており、肩の辺りで揺れていた。
ミチカはつい自分と占い師の容姿を比較してしまう。
ストレートの黒髪、奥二重気味で鼻もそれほど高くない。眼鏡を掛けているせいもあって『どこにでもいる平凡な顔立ち』と評されることが多い。
ミチカは、見栄えよりも能力で覚えてもらおうと必死に勉強し、仕事に向き合っているが、仮に能力が同じくらいなら、この占い師のような印象に残る眼をした――正直に言えば自分よりは美人な――女性の方がクライアントには受けがいいことも事実だった。
「もう少し化粧をするなりパーマをあてるなりしてみたらどうかね」と打ち合わせ先の社長に言われたこともある。
「そもそも自分の見た目すらデザインできない人の作品は――」と苦笑された時は余計なお世話だと思いつつ、悔しさが込み上げた。
やがて占い師は、小さくうなずきながら紙をテーブルに置いた。
「冴島 満華さん……あなたやっぱり、今仕事の方向性に悩んでらっしゃるようね――それから、人間関係、そのものにも」
「――はい、そうなんです」
嫌なことを思い出した直後で、つい悔しさがその声に滲む。一緒に打ち合わせに行った同僚の男性は、ミチカがデザインしたパッケージを自分の手柄のように説明して、結局彼が主担当者として任命されたのだった。
占い師は生年月日を指でなぞって確認すると、ぶ厚い辞書のような手帳を持ち出した。皮の表紙が丸く膨れるほど、ページの間にさまざまな色の紙や付箋が挟んである。水色の付箋が一番手前に挟まれているのを、ミチカは目にした。
「――これ、私の命ともいえるものなんですよ」
ミチカの興味津々という視線に気付いた占い師は、少し照れ臭そうに微笑んだ。
若く見えるのに勉強家なのね、とミチカは思う。
仕事をする姿勢として、彼女を見習った方がいいのかも知れない――そんな、自省の念も湧いて来てしまう。
「そうですね――あなた、自分の人生が変わることを予感していたのかも知れない。あなたは今日からの二週間の間に、仕事やプライベートの付き合いで、何人かの人と食事を共にします。その中にきっと、ミチカさんの運命の人がいるでしょう……それは、今後の人生で非常に重要になって来る三人との出逢いです」
――人生で重要?
「それって、あの、彼氏とかそういうことですかっ?」
勢い込んで身を乗り出したミチカの言葉にはつい力がこもる。占い師は目を丸くしたが、ミチカも一瞬遅れて我に返った。仕事の相談をしに来たはずなのに、何故恋人のことなんて気にしているんだろう。
「やだあたし……ごめんなさい」
赤面しながら姿勢を正すと、占い師は慈愛に満ちた微笑みを向けた。
「あるいは、そうかも知れません。相手がどのような立場になるのかは――」
そう言って今度はカードを取り出し、シャッフルし始めた。
途端に、見ているだけで息が詰まるような張り詰めた空気を感じる。
邪魔してはいけない――そんな風に思いながら、流れるように動く占い師のしなやかな指先を見つめていた。
「――ここからカードを引きますが、ミチカさんがお引きになります?」
「あ、いえ、お任せします……」
「ふむ」と占い師は小さく呟き、数枚のカードを引き始める。
「もういいかな、というところでストップと声を掛けて下さい」
二枚目を引いたところで占い師はそう言う。ミチカはコクリとうなずいた。
「あ――ストップ、です」
五枚目のカードを引いた時に、ミチカは言う。そんなにたくさん引いたところで、欲張りと思われそうな気がして来たからだった。
占い師は興味深そうな表情で並べたカードを眺める。
「どう……ですか?」
おずおずと窺うミチカに、占い師はにっこりと微笑む。
「そうですね、まず――」
左端のカードを指差して占い師は言う。
「仕事。新しい出会いがあります。それはミチカさんの夢でもあり、でも方向を変えるきっかけになるかも知れません」
「はぁ」
どうとでも取れそうな言葉だ、とミチカは考える。
仕事上での新しい出会いなんて月に一、二度は必ずあるが、それで何か変わった試しは今のところまったくない。
「それから裏切り。これは……どちらになるのかはわかりませんが、信じていた相手に裏切られるようなことがあるでしょう。でも、裏切られたことに気付かないかも知れません」
「え……気付かないなんてことがあるんですか?」
裏切り、と聞いて真っ先に同僚の顔が思い浮かんだ。だが彼は堂々と手柄を取って行ったのだ。あれで気付かないわけがない。
と、なると誰の話なのか、ミチカには想像がつかない。
「そうですねぇ――『オレオレ詐欺』なんてのがありますでしょ? 今はなんていうんでしたっけ……まぁ、そういう詐欺で、騙されたと気付かないままの人も結構多いんじゃございませんか?」
占い師の喩えは、やはりミチカには縁遠いものだった。だが、自分には関係ないと思っている人ほど騙されやすいという話もある。
「そっか。じゃあ詐欺とかに気をつけなきゃ」
「詐欺だけじゃないですけどね」と、占い師は小さく笑う。
「仕事では同僚がヘッドハンティングされるかも知れないし、恋人が実は二又掛けてたなんてこともあるかも知れませんし――あ」
ミチカの表情がどんどん暗くなって行くのを見た占い師は、「ああ! ごめんなさい。そういうつもりでは」と、慌てた様子でつけ加えた。
軽く腰を浮かせた彼女の脚がテーブルに当たり、ランプが揺れる。
「すみません。私、ついズバズバ言い過ぎちゃうんで、注意されてるんですよね……『お客さんを不安にさせる占い師はよくない』って。ごめんなさい」
「え、あぁえっと?」
ミチカはきょとんとする。
「でも、その、普通に生きているだけでも騙されたことのない人はいないと思うのでそんなに落ち込まずに――って、こんな言い方じゃ駄目ですね」
先ほどまでの余裕に満ちた占い師の表情が一転、同じ年頃の女性の表情に変わる。その様子に親しみを覚えて、ミチカは微笑んだ。
「上手いことしか言わない占い師さんよりはずっといいと思いますよ。占い師さんのアドバイス通り、うっかり騙されないように気を付けます」
「ごめんなさい――で、次のカードなんですけど」
コホン、と咳払いをして占い師は気を取り直す。
「あら――これは協力者が現れるというように出ていますね。仕事なのか私生活なのかはわかりませんが……非常に重要な気がします」
「そうですか。それは期待しちゃいますね」と、ミチカは思わず身を乗り出す。
「四枚目は『ライバル』ですね。お互いを高め合うようないいライバルができるでしょう。その人を大事にして下さい」
余裕を取り戻したらしい占い師の声はまた落ち着いた口調に戻ったが、最初の頃のミステリアスさは薄れ、親し気な表情でミチカに微笑み掛ける。
「そして五枚目――へえ」
「どうしたんですか?」
目を丸くした占い師にミチカは問い掛ける。
占い師はじっとミチカを見つめ、それからおもむろに口を開いた。
「非常に興味深いカードです。ずっとあなたを想い続けている人がいるようですよ――心当たりは?」
「ないですよぉ?」
笑いながら即答するミチカ。
合コンですら誘われないのだ。月曜から金曜まで――月の半分は土曜や日曜の休日出勤もあっての――職場と自宅の往復で、どんな出会いがあるというのか。
「じゃあ身近過ぎて気が付かないのか、逆に今は遠くから見ていてこれから出会うのか……お仕事は何をしてらしてるのか伺ってもよろしいですか?」と、占い師は首を傾げる。
「あ、はい。デザイン事務所でデザイナーやってます。こう、パッケージデザインとかポスターとか。ポスターなんかは文章も一緒に考えなきゃいけないので、コピーライターのはしくれでもありますね」
「デザイナーさんって絵を描くだけじゃないんですね」
感心したように占い師は何度もうなずく。
「そうなんですよ……それで今――あ、そうですね、その運命の人と出会うのも、多分その仕事関係が大きいと思います。というか、だったらいいなぁっていう」
言葉にしてみると、にわかにミチカの胸は高鳴って来た。仕事でのいい出会いならば、もしそれが恋人という立場ではなくても、きっと充実した日々を送れるようになるに違いない、という希望を抱き始める。
「どうでしょうね。多分仕事の相手もいると思いますが……差支えなければ、今後どのようなお仕事をなさりたいのか伺ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい。やっぱりデザイナーとしてなんですけど――」
その後、いくつかのアドバイスをもらい――やはり、「もう少し見た目を可愛らしくした方が出会う確率がぐんとアップしますよ」とも言われたが――四千五百円を払ってミチカは席を立った。
去り際に、占い師は思い出したように付け足す。
「あ、そうだミチカさん。あなた喉が弱そうなので、エアコンには気を付けて」
「ありがとうございます――そんなこともわかるんですね?」
ミチカは感謝とともに、驚きを隠せなかった。
そして、今週末は美容室で髪色を明るめにしてもらおう、と思いながら帰路についた。
* * * * * *
それから数日後のこと。
繁華街の外れの、とあるビルの二階の一室で、若い女性がノートパソコンに向かっていた。
部屋自体はかなり広そうだが、書庫や飾り戸棚で左右が仕切られており、見える範囲はせいぜい十二帖かそこらの広さだ。
更には、奥にあるデスクにも書庫の中にもその上にも紙の束が山積みになっていた。そのせいで余計にその空間が狭苦しく感じられる。
部屋の中央付近にある応接セットの低めのテーブルにパソコンを乗せて、ソファに浅く腰掛け前のめりになりながら、女性はタイピングしている。その姿勢は、はたからは少し窮屈そうにも見えた。
「普通に素行調査とかすればよかったんじゃないの? なんでこんな回りくどいこと……」
ミチカについての資料をまとめている占い師――だった女性――の傍らで、若い男性が覗き込みながら首を傾げている。
女性はタイトなノースリーブのサマーニットに身を包み、金髪を高めのポニーテイルに結わえて、すっかり別人のような雰囲気になっている。彼女が腰掛けているソファには、茶色のカツラと占い師然としたローブ風の衣装が放り出されていた。
「一応一般的な調査もしてるけどね。今まとめてんのはそっちの資料。来週ミチカさんと会うことになってる某社長さんに渡して、ヘッドハンティングの準備をね――でもさぁ、それだけじゃあ面白くないじゃん? あ、その衣装たたんどいてよカズミン」
「仕事に面白いも何も……ってか寧々さん、このピラピラした衣装とか、経費余計に掛かってません? それに、なんで俺とか月光さんがセッティングやら手伝わされてんのかさぁ……」
そう言って、カズミンと呼ばれた青年は手にした占い師の衣装を改めて見つめ、ため息をつく。
「ただでさえ、ここの事務所って赤字っぽい雰囲気じゃないですか……所長みたいにもっと探偵らしい仕事とか――」
「あんたはうちの経理かなんかかい? この衣装もあそこのショバ代も必要経費だよ。あたしは前からあそこで占い師やってるし、実際腕がいいってんで何人も馴染みの客がついてんだからさぁ」
ターンと音を立てEnterキーを弾いた女性――寧々は、青年を一瞬睨む。だがすぐその表情は得意気な様子に変化した。
「へえ? 占いに常連さんとかいるんだ」
「あぁ、もっとも、常連になるとあの場所で会う人はごくわずかだね。顔馴染みになったら喫茶店やファミレスとか、あとは電話で話をする人もいるし……で、そうなってくると占いっていうよりアドバイザーみたいなもんで。最初はアフターケアとかなんとか言っとくんだけどね、まぁ六、七〇パーくらいの人がその後も定期的になんやかや相談しに来るよね」
寧々はノートパソコンの傍らに置いてあった、分厚く丸くなった手帳を手に取る。手前の方のページには、新しいピンク色の付箋が挟まっていた。
「ひょっとして、それも仕事になっているんだ?」
青年は眼を丸くして感嘆する。
「その通り。ってか、うちらの商売ってのはそうやって動いてんだよ。わかったかい? このあたしがやることにムダなんてないんだから――っと、早速お客さんから連絡だよ。これが一番大事なタイミングだからねぇ、邪魔すんじゃないよ?」
得意気にまくしたてると、寧々はゴテゴテとデコられた普段使いの携帯とは違う、シンプルな携帯電話をバッグから取り出した。
「もしも――あぁ! ミチカさん、お元気ですか? どうし――えぇ、そう、早速おひとりお会いしたかも知れないんですね? あぁ、それはよか――アドバイス通り? 髪色とお化粧を変えて? まぁ、そう、それは――」