第十一話:洞穴
圭兎が倒れて、すぐに駆け寄った颯華は彼の脈を確かめる。今回はこれまでとは違い、完全に安定した脈だし、呪いの文字も消えているので、少しだけは安心した。
彼のおかげで辺りにはゾンビは一体もいなくなっている。だけど、油断してはいけないのが、この滅亡世界だ。
三人で圭兎を支えながら、少し離れた安全な場所へ向かうことにした。
「おっと、その前に服を着て」
エリカに言われて服を着ていないことに気づいた颯華は慌てて服を着た。しかし、袴なので着るものが多いため、時間がかかる。
まずは桜の花柄の長襦袢という身長と同じくらいの丈の長さの肌着を着て、次に赤一色の着物を着る。そして、最後に真っ白な袴を着た。
彼女が着替えている間に鏡子が圭兎にキチンと服を着せていた。
しばらく歩くが、安全に隠れられそうな場所を見つけられなかった。空はもう暗くなっている。彼らがこの滅亡世界に来てから、おそらくは八時間くらい経っている。しかし、それは滅亡世界での時間だ。実際の彼らが過ごしている世界では数分しか経っていない。
これからどうしようかと途方に暮れていると突然、視界が真っ暗になった。
『えっ?』
三人は思わず同じように声を出してしまう。空には満天の星空と満月が浮かんでいた。だけど、今は何も見えない。だからと言って、焦るわけにはいかない。
この程度で焦っていると、起きた時に圭兎にバカにされる。三人が彼のことを理解している部分は多い。
だからか、まずは落ち着いて灯りを探す。しかし、それはすぐに見つかった。おかげでどうやら三人はどこかの穴に落ちたらしいことが、わかった。
上から満天の星空と満月が一部分からしか見えないからだ。つまり、灯りも一部分しかない。そして、砂埃などが月と星に照らされて、キラキラと光りながら、舞っている。
「「わあぁ……」」
エリカと鏡子は純粋に綺麗と思い、感嘆の声を漏らす。その横で颯華はあるものに視線を奪われている。
決して神々しさも兼ね揃えた、美しい存在がいたわけではない。
彼女の視線は天からの光で、微かに光り輝いている石碑に向いている。感嘆の声を漏らしていた二人は、颯華のその状態に少ししてから気がついた。その瞬間に彼女は石碑に吸い寄せられているかのように、フラフラとした足取りで、石碑に向かう。
二人は止めようと思わない。ここでジッとしているだけなら、二人だけで圭兎のことを支えられる。だから、二人は颯華の好きなようにさせた。
颯華は石碑にたどり着くとすぐさま、割れ物でも触るかのように優しく石碑を撫でた。その瞬間に彼女は「うっ!」と痛そうに頭を押さえる。そして、その場でうずくまった。さすがに二人は心配になり駆け寄った。そのせいで二人は気づかなかった。
圭兎は支えられていたから、急に離されて倒れたかと思うと、亡霊の如く、ゆらゆらと立ち上がり、ゆらゆらと三人に近づいていく。
しかし、うずくまっている颯華はもちろんのこと、その状態の颯華を心配そうに確認している二人は気づけない。
圭兎はそれでも確実に一歩ずつ近づいていっている。誰も気づかないうちに彼は三人に手を伸ばせば届く距離にいた。そして、エリカの肩を叩いた。
突然、肩を触れられたので慌てて振り返る。しかし、彼のことが視界に入った瞬間に安堵した表情を浮かべる。でも、彼は見たことがないほどの満面の笑みを浮かべていた。
笑みから、優しさを感じられたので、見惚れてしまう。しかし、その判断は間違いだった。
彼は突然、彼女の胸ぐらを掴むと音もなく壁まで移動をした。すぐに壁に体を押さえつけながら、彼女の口と鼻を呼吸できないように押さえた。
「んん!! んんんっ!!」
エリカは何かを訴えている。訴えるだけでも無駄だとわかっていながらも。
二人は遠くて聞こえるはずがなく、圭兎は耳を貸すはずがない。だから、彼女はバタバタと暴れる。
暴れているため、拳や蹴りが当たっている確率は非常に高い。そのため普通の状態なら、彼はやめるはずだ。そう。普通の状態なら。
暴れるエリカなどお構いなしに圭兎は数センチだけ離れて、空いている方の手を平均サイズの彼女の胸の谷間へと持っていく。
「んっ!?」
彼の行動に驚きながらも、息苦しさと恥ずかしさが混ざり合い、顔を真っ赤にしている。
彼女のその表情を知ってか知らずか、彼女のボタンを、ゆっくりと外していく。もちろん、リボンも外されている。
そこまでされるとエリカは抵抗をやめて、彼を受け入れた。圭兎のことを羨望していた感情は薄れていく。代わりに彼女が勘違いしている感情が濃くなっていく。
彼に身を委ねる決意を胸中でした瞬間に彼の手が、ある場所で止まった。ボタンは一番上を合わせての三つ程度しか開けられていない。彼が手を置いている場所。それは彼女の心臓部だ。
すると、彼は完全に押さえていた口と鼻に呼吸ができる程度の空洞ができた。おかげで、意識がなくなる寸前で押しとどまった。
心臓部からも手を離された。
彼は空いた手で自分のズボンのポケットを弄る。すぐに目的のものを探り当てたのか、ポケットから手を出す。その手に持っていたものは鋭利なハサミ。死ぬかはわからないが、人を刺そうと思えば刺せそうだ。彼はそのハサミをエリカの眼球に向ける。
普通は恐怖などで助けを呼ぶだろうが、彼女は助けを呼ぶ気が起きない。まるで死を受け入れているようだ。その意思を見てか、圭兎はハサミを思いっきり振り下ろした。
顔面にハサミを向けられていたので、反射的に目をギュッと閉じた。
訪れると思っていた痛みは一向に訪れない。代わりに顔面の圧迫感はなくなる。しかし、すぐに生温かい何かが、頬に付くと重力に従い、下に落ちていく。同じく重力に従い、エリカも地面にお尻から落ちる。
軽い痛みに目を開けると、すぐに重力に従い落ちたものが、彼の手のひらから出ている血だとわかった。なぜなら、ハサミが刺さっている彼の手のひらが、目の前にあったからだ。
「悪い。呪いに呑まれていた」
悪いものでも食べたのか、圭兎が貴族に謝罪した。そのあり得ない状況にエリカは呆然と彼を見ている。
突然、ジッと見られたので、居心地悪く思ったのか、そっぽを向く。
「その汚らわしいものを見せるな」
何を言っているのかと疑問に思ったが、すぐに圭兎に制服のボタンを外されていたことを思い出す。しかし、慌ててボタンを留め直すということはしない。代わりにイタズラを思いついたようで、ニヤニヤとした表情を浮かべる。
そっぽを向いているが、離れていない圭兎に近づく。
「留めたよ」
「そうか。さっきは本当に悪」
圭兎の言葉はそこで止まった。それも仕方ない。なぜなら、三つしか外していなかったボタンが全て外されていたからだ。
「や、やめろ! 目が腐る!」
彼は顔を赤くしながら言い、自らが着ている学ランのボタンを片手で全て瞬時に外し、エリカの肩にかかるように投げた。
「洗濯して返せよ」
「うん」
汚いから洗濯して返せと言ったつもりだとエリカはわかったが、なぜかこのような関係を心地よく思った。
彼女の頭からは圭兎に襲われそうになった時に、身を委ねようと思ったことはらすっかり忘れ去られていた。