第3章 殺人犯は生存者
茫然自失なところに現れた『DghT』――否。彼女にもまた、名前はある。『魔法行』の根源に迫り、いよいよ全てが暴かれる。
※死体描写注意
第3章 殺人犯は生存者
やってしまった。そう思った。
その場に死体はない。
凶器もない。
辺りには魔法石が綿ぼこりのように舞っている。きらきらと、崩落したビル全体を包むように舞っている。緑色のベール。
そして血だまり。
「……やった」
自分に知らせるように鞠は呟いた。
鞠はこれまで、仕事でも何でも、殺人だけはしなかった。そもそもしてはいけない。止むを得ないときにのみ、やらざるを得なくなる。
『寺』脱走時はその止むを得ないときだった。しかし、鞠は――誰も殺さなかった。殺しはしない、という誓いが強かったから――
「やった……」
――その『やった』は、過去形としての言葉ではない。
それは、独立語。
何か達成したときに、嬉しさと共に発せられる言葉。
「殺せた……」
今まで、人を殺したことがなかったのだ。
それを今、ようやく人を殺した。
「……あーあ」
勝者、鞠が呟いたのは、後悔のため息だった。そりゃあ悔いるだろう。殺したくない人間を殺したのだから。
やはり、魔法使いは危険なのだ。
「あーあ。生き残っちゃったなぁ……」
魔法使いの何が怖いかというと、当の本人に何も代償がないということだ。ダメージを負うわけではない。思考と直接的にリンクしている力。それが魔力である以上、本能で魔法が発動し得る。
『MWM』が神経を支配したように。『CPS』が無意識を支配したように。逆も成り立つのだ。
だから――鞠は、生き残った。
……その理屈でいくと『CPS』もまた生き残っていることになるが、勝ちと負けの違いは大きい。
実際、勝負は互角だった。……思いの強さが、魔法の強さならば。
しかし、精神状態には大きな違いがあった。自暴自棄な『CPS』。死んでしまったら後のない鞠。それが、『CPS』が死に、鞠が生き残った理由。
そして言い訳だった。
「はは……私、最強」
言ってみた。
言ってみただけだった。
最強? だから何だ?
最強であることに意味はない。
「あは、……はぁ」
もう一度、ため息をついた。
ゆっくりと、腰を下ろした。足が――震えている。手も震えている。がくがくと。
表情は、引きつったような笑いだった。
「殺すって、こういうことだったんだ……」
初めて知った。殺人の味。この味は殺人を常にしている者には分からないだろう。ようやく、自分の手で命を奪えた、長年の目標を達成できた時の反応。
人を――殺した。
自分で、震えている自分の体を抱いた。
「う、ううぅぅぅ……」
唸る。自分の尊敬していた人を、殺してしまった。殺して、殺してしまって……。
「……っはぁ! ま……鞠ちゃん!?」
「ひぃゃあああああっ!!?」
変な声? 異常な声だ。おかしな声が出てしまった。驚く。驚き過ぎた。
人を殺したのだ。人として悪いことをしたのだ。怒られる。感情の順序を飛ばして、鞠は驚きへと瞬時に変貌した。
誰かの声が聞こえただけで、飛び上がり、奇声をあげ、また尻もちをつくほどには。
「あ、う、あぁ……」
「ま……鞠ちゃん?」
「あ、ああ……」
声が出ない。恐怖か? 恐怖に似ているとは思う。しかし少し違う気もする。
「ま……鞠ちゃん、聞こえる?」
なんとか、首を縦に振る。
「息、吸って」
吸う。少ししか吸えなかった。
「……吐いて」
吐く。吐き過ぎたかもしれない。
「手を開いて、閉じて、もう一度開いて」
言われた通りに行動する。
「もう一回、深呼吸して」
吸う、吐く。
「落ち着いた?」
「あ……ありがと。ちょっと、落ち着いた……」
「私、誰か分かる?」
「『DghT』……よね? 生きてたのね……」
首肯し、鞠に向かって、ゆっくりと近づく。
「何があったの? 鞠ちゃん……」
鞠のもとに座り、手に触れる。そうした後に肩に触れる。
「左手は……?」
「ごめん、なくなっちゃった」
「大丈夫。大丈夫……止血するから」
『DghT』は服を破ろうとする。そこを、鞠は抱きしめる。
――鞠は、必死だった。人を殺したという罪の重さ。罪の十字架。それが、まるでそのまま胸に突き刺さるような感覚。心臓を貫かれ、血液が爆ぜるように。
その痛みに、耐えなければならない。初めての感覚。こんな初めて――つらい。
「う、ううぅぅぅ……」
年下である『DghT』に、みっともなく、抱きついて、抱きついて……震える。ぎゅっと、強く抱きしめる。左手は――無いけれど。
――怖いのだ。
得体の知れない――死というものに対する、純粋な恐怖。それは受ける側はもちろん、殺す側だって同じこと。……今回、殺害以前に覚悟していなかったから、それはもっとひどいことになった。
覚悟なき殺人。
当然、それは激しい自責の念に苛まれる。
彼女も、それが分からないではなかった。だから、抱きしめられるがまま、抵抗を一切しなかった。
力を加えられすぎて、苦しくても――一切、何も言わなかった。
とにかく早く止血をしなければ、処理をきちんとしなければ、と思っていた。
その後、落ち着いたところで止血を済ませた。鞠の物質製造のおかげで、治療はなんとかなった。痛みの中でありながら、鞠が物質製造ができたのは――安心、していたからだろう。しかし流石に、左手を製造することは――できなかった。
――怖かったのだろう。
もうこれ以上、恐怖を与えまいと、それ以外のことをてきぱきと進めた。
あの後の話だ。
『寺』メンバーは戦闘に特化した人物が多かったため、『魔法行』直属の戦闘部隊に加えられることになった――なんて、ぼかすような言い方はもうやめよう。
『CPS』対策部というのが、『CPS』脱走後に秘密裏に作られた。そこの戦闘科に所属したのだ。
『CPS』対策部というのは文字通り、『CPS』から『魔法行』を守るための部署だ。『魔法行』からの唯一の脱走者。それだけの力を有した彼女を、『魔法行』が警戒するのは当然だった。『魔法行』はその組織が存在し続けることこそ大事なのだ。魔法使いを、隠す。
そしてそのためにも、戦闘力が必要になるかもしれないというわけで、『CPS』対策部戦闘科だ。
いくらかの魔法使いがそれに所属している。
……いや、所属していたと、過去形で話すべきか。そこには『3N』も所属していたのだから。
そう、『3N』は特に戦闘に特化した人材だ。
元いた非常事態対策部でも重用され、戦闘に関する科の総称、『戦う部隊』においては引っ張りだこだった。そこを、『魔法行』の全権を挙げて『CPS』対策部戦闘科に所属させた。
彼女には通常通りの仕事をして、訓練をして――『CPS』との戦いを前提に――すぐに『CPS』に対応出来るようになされていた。だから、『CPS』が『魔法行』に現れた時に最初に対応したのは『3N』だったのだ。
もちろん、リベンジというものもあっただろう。
しかし、結果的には……彼女はリベンジを果たすことはおろか、以前よりも『CPS』にダメージを与えることができなかった。そして、死んでしまった。
しかし、『CPS』対策部戦闘科は『3N』一人だけではない。そう、『寺』メンバーだ。風使い『14C』、タロット使い『RRQ』、そして電撃使い『DghT』だ。『HRB』はその魔法の性質上、『CPS』対策部特殊研究科に配属されたが。
そのうち『RRQ』は、『CPS』襲来の余波に巻き込まれて、死んだ。
きっと『14C』も死んでしまっただろう。
それはある意味仕方のないことでもある――タロットは、トラップ。いつ来るかわからないし、そもそも精神感応系の魔法は『CPS』には効かない。風なんて全く役に立ちはしない。
しかし、電撃はどうだろうか? 『CPS』が『MWM』と対峙した際、唯一まともに食らってしまった魔法は、電気によるものだった。そうでなくとも、電撃はある種の最強だ。重力よりもはるかに強い力を持ち、核力よりも効果範囲が大きい。全ての化学反応を支配する力。
その力は、『CPS』に匹敵するのではないか?
その発想の下で、『DghT』は特殊な立ち位置をとっていた。
すなわち、魔法の、改造。
電撃の魔法をより制御できるように、より強力になるように。そのための資金が費やされた。『CPS』対策部、特殊研究科――
『CPS』対策部には研究科というものもあり、こちらは主に『CPS』の戦闘に関するデータを収集していた。どう戦えばいいかというものを考えるものだ。
それに対して、特殊研究科は研究科ではやらない二つの研究を行っている。一つ目は魔法殺し――『else』が放った銃の開発。もう一つは、『DghT』の改造。
その結果、彼女は以前よりも格の違う魔法使いになった。以前のように電子を動かすだけではない。
ご存知だろうか。ベータ崩壊の逆。すなわち、陽子に電子を組み入れることによって、中性子を生み出す。原子核を動かす――核融合へと繋がった。
『DGHT』。彼女は電撃の魔法使いではなく。核融合の魔法使いへとなったのだ。
それが、無駄に終わってしまう。
「……ふぅ、ちょっと、休憩しない?」
「……あと、一人やったらでいい?」
「了解」
鞠は魔法石を使い瓦礫を持ち上げ、そしてそこにいる――死体を、引き上げる。
弔い、のようなものだった。
「…………」
無言で、胸の上で十字を描く。……一体、何回十字を描いただろうか。
鞠は周囲を見渡す。
……まともに立っている人はいない。というか、人がいない。建物すらまともに立つことを維持できていない。
『CPS』はまずこちら側――中核となる本部以外を破壊したらしい。
……何故だろう? 『魔法行』の中核ではなく、その外側を最初に破壊したのは、どうしてだろう?
いくつか、想像できる理由がある。
一つは、本格的に『魔法行』を潰そうとしていたということ。完膚なきまでに、完璧に。一人も生存者を出さずに終わらせるために。その場合、中核を先に叩くのは危険だ。効率的ではあるのだろうが……中核には強い魔法使いがいる。そこで殺されてしまっては、元も子もないから?
二つ目は、『CPS』に濾過さんの心が反映されていた場合。すなわち私と戦うのは後でが良かったから……どうだろう。自意識過剰と言われればそれまでだが。しかし、それなら左手がなくなったことが説明つく。左手だけがなくなり、それまでだった理由が。
しかしこれも確証はあまりない。
三つ目は……うーむ。もう分からない。外界との出入り口は本部屋上のその上だ。つまり本部を通らずに『魔法行』内部に侵入することは不可能だ。近くから潰して行く方が良いに決まってる……。
「鞠ちゃん! 鞠ちゃん!」
「……ん?」
見れば、『DghT』が何か騒いでいる。……何か見つけたのだろうか?
どこの誰とも知れぬ体を安定した場所に置き、『DghT』のところへ行く。
「この本……!」
「どうしたの? こんなの、ただの……!?」
一目見て、異常な本だと言うことが分かった。本部崩落と同時に、ほとんどの本はぶち撒けられ、折れ、曲がり、破れ、そうでなくとも汚れていた。土、コンクリートの粉塵、ガラスの破片、その他インク類……しかし、その本は様子が違った。
新品同然。
瓦礫の中から拾ったとは思えないほど、綺麗だった。
これが本屋や、書斎で見る本だったなら、ここまで驚きはしなかった。というか、驚かないだろう。
ただし、この異常事態では、正常は異常だった。
「タイトル……うぅ、読めない」
「でしょ? これ、明らかに……魔道書ってやつじゃない?」
「魔道書って……そんなチープなものが存在してたのね。外界のフィクションにしか無いものだと思ってたわ」
「そう? 学校でさ、教科書のこと魔道書って言わなかった?」
「あー、私、学校行ってないから」
「え? そうなの?」
「うん。魔法の勉強だけをするように言われてたから。学校っていろいろやるじゃん。なんかそういう感じらしくて」
「へー……」
「んー。まあ、学校ってものには行ってみたかったかな。もう叶わなくなっちゃったけど」
それはそうと、と鞠は目の前の問題に話を戻す。
「この本……開くことすらできないのね。糊付けされてるみたい」
「どうにかして開けられないかな?」
「魔法石の粒子を入れてみるわ。紙だから隙間は大きいはず……うーん。ねぇ、やっぱりこの本変よ。魔法石が入り込むどころか、接触することも出来ないんだけど」
「ちょっと、待って」
『DGHT』が本に手を触れる。次の瞬間、本から眩しい光が放たれた。いや、違う。『DGHT』の手から電撃が放たれたのだ。
ゼロ距離。
「……わお、本当だ。焦げ一つつかない」
にもかかわらず、それは全く変化しなかった。
温度変化も、していない。
「うーん。でも触れるんだよね。つまり摩擦はあるってこと?」
「いや、何か膜的なものがあるんじゃないのかなぁ。魔法石の感覚からしたらそんな感じだったんだけど。それが、全ての物理現象を受け止めている……みたいな?」
「あー。ありそう。つまりその膜にはどんな力もかけられるわけだ。だから持てると。でもその実中身には何も影響を及ぼさない……だから本が開かない」
「ねぇ、この膜……破れないかしら?」
「どうやって? 合わせ技とか?」
「合わせ技は危険よ。お互い、ガードがおろそかになる可能性があるから。コンボ技にしましょう。私、時空移動ができるから」
「えーっと……ああ、つまりこういうこと? 私がまず攻撃する。その攻撃を鞠ちゃんが10秒後に送る。そして十秒後に私がもう一度攻撃する。鞠ちゃんはその間、防御に集中する。……これでいい?」
「ええ。そんな感じでいいわ。作戦の発案が早いわね……えっと、って、あなたの名前、何?」
「『DGHT』。全部大文字だよ」
「……あれ? 真ん中の2文字は小文字じゃなかったっけ?」
「変わったの。ふふん電子だけじゃなく、核も操れるようになったからね」
「へぇー……って、まあそっちじゃなくて」
「?」
不思議そうな表情をする『DGHT』。
「あなたの本名よ。魔法名じゃなくて」
「本名……」
「ええ。人としての、名前」
「……星宮、かなえ。久しぶりにこの名前言ったわ」
「かなえ……良い名前じゃない」
褒められて、少し顔を赤く染める『D……ではなく、かなえ。
「お母さんは違う名前が良かったらしいんだけどね……あー。……うん」
鞠はそこではっと思い出す。そうだった。彼女の両親は既に亡くなっているんだった。鞠は今、彼女の傷を、抉ったのだ。抉ってしまった。
幸いなのは、その当人を鞠が殺した――ということを、この2人は知らないということだ。
「……ごめん」
「いいよ、別に。鞠ちゃんも、似たようなものだったんでしょ」
「ん……」
どう返そうか? ……返しようがなかった。鞠はその言葉に、結局何も返せなかった。
「さっ! さっさとやっちゃおう! やっても意味があるのかは分からないけど……」
そして、実験があった――
「「し、死ぬかと思ったー!!」」
というわけで。
「やっぱりこれってそういうもんじゃないの? 核爆弾直撃で傷一つ付かないなんてさ」
「でもそれってどんな魔法なのよ」
「うーん……あー」
どんなに硬いものでも、必ず壊れる。
ダイヤモンドだって燃える。
クォーク同士の結合だって、切れる。
「アリスに、聞いてみよっかな」
「……誰? アリスって」
「ちょっとごめん。少し待ってて」
鞠は赤い方の魔法石を手に取る。そして、赤い光を発する――
「これって……」
「知っているのかアリスさん!」
「かなえ何それ……」
アリスを呼んで、例の本を見せた。その途端に、アリスはその本をひったくるように受け取り、じっと見つめていた。
「知っているも何も……というか、何でこれがここにあるのかってのが、驚きなんだけど」
アリスはその本を置く。テーブルなんかないから瓦礫の上だ。もちろんその本はノーダメージ。小石に傷つけられることもない。
「まず……この状況。一体何があったの?」
「えーと……」
かなえを見る。かなえも私を見ていた。説明を私に任せているようだ。
濾過さんだと言うべきか言わないでおくべきか。どう説明しようか。
「まあ……いろいろあったの。脅威はもう無くなったけど……私が生まれ育ったところが、今こんな有様になってます」
「…………」
鞠の左手を、アリスは見る。痛々しいその傷に、アリスは目をそらした。自らの左腕を、右手で抑えた。
……その傷に対して、アリスは何も言わなかった。
「例の彼と彼女も?」
おそらく、彼とは轆轤。彼女とは濾過のことだろう。
「あぁ、いや、そういうわけじゃ……」
あるのだが。関係しているのだが。言いたくはなかった。それを見て、アリスは
「そう」
と言った。
「詳しくはいいわ、マリア。話したくないこともあるだろうしね……」
そう言って、アリスは考える。腕を組み、右手を顎にかける。
「順番に説明して。ここって、どこ? というよりも、何?」
「『魔法行』……っていう、魔法使いを閉じ込める機関。外界との接触は、かなり制限されてるの」
「はぁーん……なるほどね……」
「えっと、ちょっといい? えーと……アリス?」
「ん? そうよ。えーと……」
「あ、『D……じゃなかった。かなえ。星宮、かなえ……です。あの、鞠ちゃんとはどんな関係で?」
「……ああ、まあ、言っちゃっていいわよね。親子よ。娘がいつもお世話になっております。ね」
「……言っちゃうんだ……まあいいけど。お母さん。時空移動で繋がる、変な家族だけどね」
「――マジで?」
「うん、そうよ。マジよ」
びっくり驚くかなえ。そして考えずにはいられなかった。
私の両親にも、会えないものか――と。
「まあ、詳しいことはマリアから聞いて……ああ、マリアってのはこの子の名前よ」
「鞠でもあり、マリアでもある……魔法名みたいなものなのかな」
「そう思ってくれれば、理解は楽かもね。……どうしようかなぁ、名前」
平等鞠。
マリア・ラーヴァー。
「この本ね。私も知ってる本よ」
「知っているのか!」
「あんたのそれは何なのよさっきから」
「不思議の国を作るために、あの人……ええと、マリアのお父さんね。あの人が尽力してくれたって言ったじゃない。その不思議の国。不思議の国を形作るための、いわば投影装置みたいなもの。それがこの本よ」
「投影装置?」
「思うに、『魔法行』は不思議の国の延長なんだと思うわ。この本は……まあ、端的に言えば、
世界を生み出す力がある
……まあ、ちょっと誇張した言い方だけどね」
「どういうこと?」
「まあ、最初から言うわ。私は……彼から、まずその本をもらった。そして不思議の国の情景を、この本で作ったの。この本には人の思う情景を生み出す力……魔法があるの」
「思うがままの状況……」
「確かに、それだけの力があるとしたら、ここまで頑丈であっても不思議じゃない。でもそしたら、『魔法行』がこんな有様になることはないよね?」
鞠は問う。
「そうね。でもそれは、初めに開いた人しか使えない魔法なの。初めに開いて、一回きり。私はあのレンガ街の情景と、鏡の国を考えたわ」
「うーん? だったらこんな現代的な……ああ、お母さん失礼。こんな建物が建っている、建っていたのは変だよね? 一回しか使えないんでしょ?」
うん、とアリスは首肯する。
「可能性は二つね。現代風に作り変えたか、新しく作ったか。情景を生み出して、そこで終わりだから……工事とかで作り直すことができる。もしくは他の人が生み出したかね」
「他の人?」
「初めに開いた人――これを領主って言うわね。領主は本を開いて、情景を生み出す。それからは今みたいに、封印された状態になるわ。でも、領主は、誰かにその役割を渡すことが出来るの。領主の肩書きが移動された時、また本が開けるようになるの……封印が、解けるの」
「それが、新しく作るってことね……」
「そうね。で、もし私がここの領主だった場合は――
」
アリスは立って、くるりと回る。自ら裏返るように、反転するように。
「こうやったら、鏡の国に行くはずよね。でも、行かなかったわね。つまり、前者である可能性は消えるわ。私が作った世界を、改築したという説はなくなった」
「……んーまあ、この時代お母さん生きてないだろうしね。領主が死んだら効力を失うとか、そういうのじゃない? その本」
「かもしれないわね。となると、この本が開けない理由はこれしかない」
アリスは人差し指をぴっと立てる。
「別の、領主がいる。マリアの説が正しいならば――その人はまだ、生きている」
「生きて……?」
誰だろうか?
――なんて、思考はそれほど必要ないのだ。これはただの、思いつき。
「『A』が……生きている」
――普通に考えれば、このビルの崩落によって、共に命を落としていると推測できる。しかしもし、生きているのだとすれば? もしも『A』が――『魔法行』の領主なのだとすれば?
ならば、なぜここに現れない? あの人が、死ぬことなんて、考えられない。自称、運命を操る魔法使い。そんなこと出来るわけないと思うが――時空移動だって、運命には抗えなかったのに――それでも彼女が、この『魔法行』の領主ならば。彼女なら、この場所に、未だ、来ていないのはおかしいことなのだ。
「私……ちょっと、行ってきていいですか?」
鞠は言った。アリスは何をしたいかわかっている様子だ。腕を組み、一息つく。
「鞠ちゃん、どこに?」
かなえはいきなりのことに驚く。
「『A』。『魔法行』の領主を、探してくる。そうしないと、駄目な気がする」
「駄目って――」
「かなえちゃん」
アリスはかなえの肩に手を置く。
「領主がいなければ、ここはずっとこのままよ。私は最初の領主として、この状態を放っておけない。こんな――めちゃくちゃな状態は、嫌なの。……行ってきて。ここは私たちに任せて」
アリスにも、執着がある。『彼』が託した、世界とマリア。どちらも大事で、どちらも子供のようなものだ。信用を失って自殺未遂をするほどに。
だからこの世界をなんとかしようとするし、マリアには自らの意思を貫いて欲しい。だから、アリスは止めようとしなかった。
「はい。すぐ――戻ります。きっと」
「ええ。気をつけて。一粒の砂にも世界を。一輪の野の花にも天国を見、君の掌のうちに無限を」
アリスの言葉を受けて、マリアは返す。
「一時のうちに――永遠を握る」
「何の詩ですか?」
かなえは聞いた。
「イギリスの、詩よ。かいつまんで言うと……可能性を追い続ける、探求者の詩。もしくは、楽観主義者。でも私は……奇跡を信じ続ける、祈祷者の詩だと思うわ」
『A』はある建物の前にいた。
じっと、その建物の屋上を見つめている。
「っはぁ、はぁ……え、『A』……」
真っ赤な髪が風になびく。『A』が、こちらを振り向く。
「……『MA』。あなたも……来たのね」
――いつもと、雰囲気が違っていた。しかし彼女は、間違いなく『A』だった。
「『A』……どうして、こんなところに……ここは……?」
「病院よ。この戦いの――この魔法戦線の、全ての元凶。始まりの場所……」
「……?」
この戦争の元凶。戦争なのか? 彼女は今戦線と表現した。……この戦線の元凶は、誰も否定できまい……濾過さん。いや、『CPS』か。彼女が元凶であることは、もはや疑いようもない。
しかし、その元凶。元凶の――元凶?
「ほら、来たわよ」
鞠も屋上を見る。
「……!!」
屋上から、人影がこちらの方に歩いてくるのが見えた。
平等轆轤は、ある家の中にいた。傍には門番が倒れている。
「……まあ、こんな感じなのか」
そして先のつながっていない階段を見つけた。降りる階段。その途中でぷっつりと途切れていた。
途切れた先?
そりゃあ、空中しかないだろう。
「結構、高いな……」
そこを見つめながら轆轤は呟く。
そして、意を決して、飛び込むことに決めた。
「あんまり、死にたかぁねぇんだがな……」
これは天国の話でも地獄の話でもない。
現実の話かどうかはともかく、彼は――平等轆轤は、
生きていた。
そして今、『魔法行』へ向かった。
崩壊してしまった、『魔法行』へ。
彼は生きている。
第3章・終
第4章へ続く