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馬鹿の一つ覚え

午後6時頃、見慣れた家に辿り着いた彗月は、いつもとは少し様子が違うことにすぐに気付いた。

普段ならば、どんなに疲れていようと自分の食事を作らねばならず、奮起を無理矢理捻り起こす。しかし今、家の中からは奮起どころか寒気を誘う何かが漂い、鼻腔へと流れ込んでくる。もしや…と考えるまでもない。いつもと違う何かがあるとすれば、いつもと違う誰かが要因だ。


「鈴音!」


ただいまもそこそこに靴を投げ捨て、彗月は一直線に台所へと直行した。普段滅多に声を荒らげることのない彗月の怒鳴り声に、そこにいた鈴音はビクリと身を強張らせ、久々に冷や汗を浮かべた苦笑いで「えへへ…」と答えた。


「は、彗月…意外と、早かったね…」


「早かったね、じゃない! これ、なに」


「カレー」


「カレー?」


なるほど、コンロに据えられた鍋の中には、人参やジャガイモがゴロゴロと見られる。しかしそれらは全て炭同然にまで黒く染まり、何が何やらよく分からない。何かがぷかぷか浮かんだそれは、世間がカレーと呼び親しむものの原型を残してはいなかった。


「鈴音、いいことを教えよう。これはカレーとは言わない」


「人が作ったものを!」


「人が作った? てっきり鈴音が採掘でもしたのかと」


「ひどい!」


鈴音の考えていたことなら、推察は容易だ。彗月を残るつもりのなかった大学に引き止め、更には家にまで乗り込んでしまった以上、何かしら彗月の役に立とうとでも考えたのだろう。だがこれでは逆効果だ。

もっとも、鈴音にそこまで言うつもりはなかった。問題は鈴音が1日分の食料を使ってしまった、ということだ。このカレーもどきを食した暁には、翌日をトイレの中で過ごす羽目になるだろう。

残された選択肢は、1つしかなかった。


「出かけようか、鈴音」


ふたりの故郷とは違い、大学は田舎という言葉が具現化したかのような街にあった。外食をしようと思えば、自然と行き先は絞られる。


「あ、彗月。私ここに来たの今日が初めてだから、何があるかわからないんだ。何あるの?」


「ラーメン」


「…ほかには?」


「昼間のコンビニ」


「ほ、ほかには……?」


「んー、田んぼ?」


本当にそれだけしかない。大学からの景色など、見渡す限りただ田んぼだけなのだ。駅1つ分も歩けば街なのだが、歩けば1時間はかかる。更に間の悪いことに、ふたりの家は大学から見ると南側…そして、街とはまるで真逆の方角だったのだ。

観念したのか、がっくりと肩を落とした鈴音と並び、彗月は閉めたばかりの扉に手をかけ、沈黙の20分の後、寂れたラーメン屋の暖簾をくぐっていた。

駐車場に車は全く見当たらない。日常だな、と確認してから、彗月は鈴音の後に続いて中に首だけ突っ込み。

店内の様子を観察するよりも先に、素っ頓狂な鈴音の声がまず響いた。


「あっれー、たしか米原(よねはら)さん?」


米原と呼ばれてぺこりと会釈をしたのは、店の制服である真紅のエプロンとバンダナを身につけた眼鏡の女性だった。おとなしそうな雰囲気は鈴音とは真逆。日常的に騒がしい鈴音と仲良くなるタイプの人間には見えないのだが…。


「鈴音、知り合い?」


「んーん、ただ同じ学科のだけ」


あっけらかんと答え、鈴音はすたすたと適当な席に座り込んでしまった。

よく一度も話したことのない人間の顔と名前を一発で記憶したな、といらぬ感心をしてしまってから、彗月は鈴音の向かい側に腰を下ろし、味噌ラーメンをふたつ注文した。


「へー、彗月、覚えてたんだ?」


注文を終えてお冷に手を伸ばす彗月に、鈴音が突然面白そうに尋ねた。


「なにを?」


「味噌ラーメン、私が好きだって」


「馬鹿の一つ覚えみたいに、毎回味噌ラーメンだろう?」


「む…一言余計」


がつん! と机下からの見えない一撃を与えてから、鈴音はふいっと顔を背けた。その横顔に、彗月は息を呑んだ。

小学生の頃、彗月が鈴音にあげたヘアピンが光っていた。お粗末な安物だが、彗月が初めて鈴音にプレゼントした記念の品。まだ使っているとは、思ってもみなかった。


「やっぱり…馬鹿の一つ覚えだな…」


下手くそな料理と言い、味噌ラーメンと言い、ヘアピンと言い。

事故の後も、鈴音は何も変わっていない。2ヶ月間も昏睡していたのに、表情、仕草、全てが記憶のまま。それなのに、自分でも分からないどこかで違和感を感じてしまう。彗月がいしきのうちでは気付かないどこかで、鈴音は確かに変わっている。

馬鹿の一つ覚え。そう、馬鹿の一つ覚えみたいに第一志望にこだわっていた鈴音が、なぜかこの大学にやってきた。やっぱりムリだ、と諦めたわけではなく、自ら望み、センター試験も受けないで。

一体何が鈴音を変えたんだろう。

冷たい視線が、彗月の思考を中断させた。液体窒素が隣でぶちまけられたような突然の冷気に、彗月は落ちかけていた視線を上げ、顔を引きつらせた。


「いつまで言ってんのよ…馬鹿彗月ィーッ!」


さっきよりも強烈な一撃を足に受けながらも、彗月は焦点のずれた思考を彷徨っていた。

馬鹿の一つ覚え。彗月が馬鹿なら、きっと鈴音は、いつの彗月も覚えていてく

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