妹の思惑
薄暗くなった帰り道を、途中で合流したうちの猫の寧子と走り抜ける。
いつも帰る時間よりだいぶ遅い。まばらだがついに雨まで降ってきてしまった。これなら朝兄ちゃんに言われたとおり折り畳みの傘でも持ってくればよかった。
数時間前の自分と、しつこく食い下がってきた男にチッと舌打ちする。
遊びにいっていい?というように話しかけてきたヤツを思い出すとさらに苛々が増した。
だから「久々に緑華先輩の手料理が食べたいな〜…なんちゃって。」とへらりと笑って見せたヤツに、反射的にエルボー・スマッシュからのドロップキックをかましたのは仕方の無いことだ。
駅から15分ほどの閑静な住宅地にある、他と一線を引く大きな庭付きの一戸建て。先に言っておくが「大きな」が修飾するのは一戸建てでなく庭の方だ。
ぱっと見襤褸い一軒家が今の私と兄ちゃんの家だ。ぱっと見が襤褸いだけで中は広いし、兄ちゃんが掃除洗濯料理など家事全般をこなしてくれているからいつも綺麗だし、たまに私が日曜大工気分で家具を作ったり修復したりするから、他の共働きの両親の家より立派だろう。
ついでに兄ちゃんは気付いてないようだが今うちで使ってる卓袱台は脚を私が付け替えたものだ。無駄に彫りを入れたから、爺ちゃん愛用の昭和の雰囲気漂う卓袱台は今では立派なロココ調(脚だけ)である。
家の扉を開いたらふわりと芳ばしい匂いがした。これは…鰹節か?
匂いを嗅いだとたんお腹がギュルルルル、ゴギョルラルルルとまるで生きているかのような音をたてた。
早く食べて、といわんばかりの芳香が私を押す。まっていろご飯、今行くぞ!
学校指定の白いスニーカーをポイポイッと投げ捨て、濡れた靴下のまま廊下を早足に行けば後ろから「に"ゃあぁああぁ」と批判の声が上がった。寧子は猫のクセに綺麗好きだからな。足跡が廊下に付くのは嫌らしい。
だが私をご飯が待っている。ご飯より優先されるべき物などこの世には存在しないんだ。すまんな。
リビングの半開きになっていた扉を開けば先ほどより強く香る鰹節。卓袱台の中央に鎮座するそれは、私の目をそれ一点に惹き付けた。
「お、おぉぉ…始めて見る料理だ…兄ちゃんの新メニューだ…。」
まだ湯気をたてるそれや味噌汁、ご飯は炊きたて作りたて特有の芳しい香りを放っていた。
流石兄ちゃん…私が帰ってくるジャストの時間に出来立てほやほやのごはんを用意してくれてるなんて…流石兄ちゃんだ。マジハイスペック私の誇り。
「いただきます…!!」
私が最初に箸をつけたのは勿論中央に鎮座しておいでなさった新メニュー。黄金にも近いキツネ色のそれを一つ箸でつまみ上げた。
ほう…鰹節の衣か。あんまり強くつまみ上げると崩れそうなこの弾力からして中は豆腐とみた。隣においてある小皿にめんつゆらしきものが入ってるからこれに付けて食べるのだろう。
少しだけめんつゆにつけてから、それに勢いよくかじり付く。
「〜〜ッッ!!〜ッ!!!」
なにこれウマァッ!…ウマァッ!!
サクッとした食感と香ばしさを誇る鰹節の衣と、程よく火が通りアツアツふるふるになった豆腐。それだけでは味が薄いために添えられたであろうめんつゆは、鰹だしのものなのかとてもよく合っている。さらにご飯も一緒に食べればよりその旨味が引き立たされた。なめこの味噌汁も、新鮮ななめこがもきゅっとしていて美味しい。
はぁ…至福の時だ…。今この瞬間今日あった苛々とか全部吹き飛んだわ…。
一心不乱、という言葉を体現するかのように豆腐の鰹衣(名前がわからない)とご飯と味噌汁を食べてたらあっと言う間に食べ終わってしまった。
あぁ、美味しかった。ごちそうさまでした。
後ろを振り返れば兄ちゃんがリビングの入り口にたっていた。上の部屋で勉強してたのかな?流石兄ちゃん優等生。
「アツアツのうちに食べてやらないと、料理が可哀想だ。やはり、飯は出来立てが一番だな。」
兄ちゃんもそう思ったから私のために出来立て作ってくれてたんだよな、ありがとう。そう続けようとしていまだに自分が雨で濡れたまんまだった事を思い出した。
いかんいかん。このままでは風邪を引いて兄ちゃんに迷惑をかけてしまう。
そのまま風呂場に行ったら兄ちゃんにしては珍しくお湯が沸かされていなかった。よし、今日はいつものお礼と言うことで私が洗おう。ついでに風呂洗いは私の出来る数少ない家事の一つだ。
久々に自分で洗った湯船に浸かりながらふー、とため息をつく。
温かいご飯に温かい風呂、そして何より父さんや母さんの代わりに暖かい愛情をくれる兄ちゃん。私は本当に、幸せ者だ。
ついでにこのあと、着替えを忘れた晶嘉のために兄ちゃんはこっそり着替え一式を持って行きます。