七
オープニングイメージ、abingdon boys schoolで『アテナ』。
誰得? 俺だよ。
少し勢いを増した風が若葉を揺らす。まだ暑いと言うほどではないが日差しが大分強くなってきた、そんな季節。
慈水は北之浜城の一角にある縁側で、湯飲み片手に手紙を読んでいた。
随分と長いその内容は、帝都における誠志郎の生活を細々と綴ったものだ。
目を細めて――元々細いが――それを読む慈水。表情が穏やかなのは、弟が息災であることに安堵したためであろうか。
と、背後に気配。振り向かなくとも誰かは分かる。
「それで、誠志郎の様子はどうだと?」
煙管と煙草の入った岡持を片手に現れるのは兼定。隣に座った父に穏やかな笑顔を見せて、慈水は応えた。
「ええ、元気でやっているようですよ。今のところ特に問題はないようで」
「ま、お前と同じように仕込むだけ仕込んだからな。早々恥をかくようなこともあるまい」
言いながら煙管に煙草を詰め、火付け棒で火をつける。ゆっくり吸ってから煙を吐く。そしてしばらく兼定は煙管を吹かしていた。
穏やかな天気。雲がゆっくりと流れ、鳶が鳴きながら天空を旋回している。二人はのんびりとその空気を味わっていた。
ややあって、慈水が「しかし」と口を開き、微かに眉を顰める。
「なぜ誠志郎の動向を知らせる手紙が私宛に、しかも小巻殿から届くのでしょうか?」
「うむ、なぜであろうな?」
首をかしげる男二人。その様子を奥から見守っていたはつりは、やれやれと肩をすくめた。
七・あけぼの、揚々なりて?
誠志郎の朝は早い。
まだ薄暗い、二の刻半(午前五時)には道場の小部屋で目を覚ます。そそくさと胴着に着替え、まだ少し肌寒い庭先へと出る。
手には故郷から持ち込んできた、丸太のような木刀。重さは約一貫。(4㎏弱)それをまず正面に構えた。
振り上げ、振り下ろす。そしてもう一度振り上げたときには持ち手が逆に――左手が前に構えられている。そしてそこから振り返り、振り下ろす。持ち手を変え、振り上げ、振り返り、振り下ろす。一往復を一つと数え、黙々とただひたすら続ける。これを千回。最低でもそれが出来なければ無鎧流では技の一つも教わることが出来ない。一貫もあるものだ、ただ腕の力で振り回すのではすぐに持ち上がらなくなる。逆の肩の力を抜き、丹田に力を込め、その力を手で持ち上げるような感じで木刀を保持し、振るう。これが基本だ。
ただひたすら前後に振るう。速度は徐々に上がり、風を切る音がびゅうと鳴る。それは四半刻(30分)ほど続いた。
千を数えて木刀はぴたりと止まる。こふうと深く吐かれる息。うっすらと汗にまみれた誠志郎だが、これでまだ終わりではない。構えを解いて適当なところに引っかけてあった手ぬぐいを取り、汗をぬぐいながら道場へと上がる。
木刀を置いて今度は袱紗の細長い包みを手に取る。封を解き、現れるのは父兼定から贈られた気導剣。
軽く掲げ一礼。そうしてから金具を帯に引っかけ提げる。実刀を使った型の稽古は今まで愛用の脇差を用いて行っていた。が、身体的に成長を続けている誠志郎にとって役者不足になりつつある。そう言う意味で剣を贈られたのは渡りに船と言っても良かった。
す、と左手を鞘に添え、右足を半歩前に。呼吸を整え鯉口を切る。正面の虚空に、相対する者を想像。
抜刀。一瞬で鞘を押し出して引き抜く。右上に切り上げ、返す刀で横薙ぎ。さらに右へと斬り下ろす。
そのまま踏み込み今度は突き。引き抜いて袈裟斬り、逆に薙ぎ、正面に兜割。
振るう、振るう。振るうごとに速度が上がっていく。風が鳴り、大気が震える。一連の型を目にも留まらぬ速度でやりこなす。持ち手を、踏み足を入れ替え、四方八方から斬りつける。
気導剣はその構造上、同じ長さの太刀よりも五割から倍は重い。誠志郎に与えられたものは元々小振りだとはいえ、そいこらの打刀よりは重量がある。それを難なく振り回せるのは、先ずは地力を鍛えるという無鎧流の鍛錬あってこそのことだ。
びたり、と停止。基本の型、それを数度繰り返してからの青眼の構え。深く息を吐き、右肩の前で剣を立てるように構えを変える。柄尻に添えられた左手を滑らせるように上げ――
じゃきりと装填器を操作。丹田からの力を全身に回すように意識創造。
「しっ!」
ど、と目にも留まらぬ踏み込み。そして打ち込むと同時に引き金。かちんと微かな金属音と共に打ち込まれた剣は、ぼ、と音を立て大気を割る。
金剛剣。次いで流れるように刃を振り払い、装填器の輪になった部分に指を引っかけくるりと太刀を回す。
じゃきりと装填器が鳴る。燃料電池が込められていたならばこの動作で廃莢と次弾の装填が行われる。剣が構え直され、今度は袈裟懸けに振り抜く。破斬剣。そして振り抜いた姿勢から再び剣を回し、持ち手を入れ替える。
そして左腰からの突き。どぅ、という音が一瞬遅れて響いたのは、剣先が音速を超えた証拠だ。
【甲貫突】。金剛剣、破斬剣とならんで気攻剣技の基礎とされる技である。使い手が放てば大口径の徹甲弾なみの威力となり、重厚な鎧ごと人体をぶちぬく。それに気導剣の威力を上乗せすればどうなるか、言うまでもない。
突きを放った姿勢のまま、ふううと息を吐く誠志郎。端から見れば見事と言わざるを得ない一連の技であったが、本人は少し浮かない顔だ。
「(……やっぱり早々うまくはいかない、か)」
今放った一連の技、見た目はともかく実質の威力は理想の四割から五割、といったところだ。鍛錬を積み重ね、また実戦を経験したことで成功率こそ上がったが、威力がそれに伴わない。多分身体の制御と技に上乗せする気の案配がまだ上手く合っていないのだろう。微妙に歯車がかみ合わないような、そんな感覚がある。
焦っても仕方がないとは分かっていても、気は急く。もう少しで手が届きそうなのに今一歩届かないのがもどかしい。そんな気分だ。
その後、しばらく剣を振るう。半刻ほど続けて剣を収め、井戸水で汗を流し着替え。母屋に赴く。
「おはようございます」
「はいおはよう。朝ご飯出来るから、もう少し待ってね」
まず挨拶を交わす相手は、台所で腕を振るっていたなずな。元々は独り者である五郎左が家事の全てを自分で賄っていたが、最近はすっかり彼女にお株を奪われているという。挨拶を交わしながらもどことなくしょんぼりしているような五郎左を横目に誠志郎も配膳などを手伝い、朝食の準備が整う。
炙った目刺し、菜っ葉のおひたし、納豆、根深汁(ネギの味噌汁)。ご飯がよそおわれ、頂きますと手が合わされた。
誠志郎はそれなりに健啖家である。自覚はないが他人の何倍もの修練を重ねたその肉体は、成長期と言うこともあってそれ相応の栄養分を要求してくるのだ。決して行儀悪く荒々しいわけではないが、もくもくと飯を平らげていくその姿になずなは少し苦笑する。
なるほど、食費にしては少々多い額が渡されるわけだ。まあ作った方としては作りがいのある光景ではあるけれど。
多めに炊いた飯、それのおひつ半分以上を一人で空け食事を終える。ごちそうさまでしたと頭を下げ、自身に宛われた部屋に戻り食休みにしばらく横たわる。そうしてから手早く登院の準備を整えた。
白い胴着に黒い袴、そして教導院の紋が入った黒い羽織。教導院の略式制服を身に纏い、腰に脇差を差し帯に小物入れを提げる。肩掛けの鞄を引っかけ部屋を出て、母屋の二人に行って参りますと頭を下げる。
駆け出す。気を張り巡らし身体能力を強化。そして上半身をほとんど揺らさない疾駆。発電用の水車が居並ぶ川縁を、畑の中まばらに立つ家々の間を、飛ぶように音を押さえて駆ける。本来ならば春川道場から教導院まで歩いて半刻はかかる。だが誠志郎の疾駆はその時間を三分の一ほどまで縮めていた。
教導院に近づけば、誠志郎と同様に外部で下宿している学徒たちがぽつぽつと登院している光景に出くわす。教導院の寮は上級貴族から下級貴族まで全ての学徒を受け入れられるよう設備が整っているが、何割かの学徒は外部で下宿したり実家が用意した住居に腰を据えていたりする。教導院の設備に不満を持っていたり環境を考慮したりと理由は様々だが、普通は徒歩で四半刻以内で住居を定める。(それ用の下宿屋なども多く営まれていた)春川道場ほどの距離に居を定めているのは珍しいと言えた。
生徒たちの姿を確認したあたりになって誠志郎は疾駆を止め、呼吸と装いを整える。勢いのまま学舎に飛び込むような真似はしない。そこまで急ぐ必要もないし、第一周りに迷惑だ。それくらいの気遣いは当たり前のことだろう。
正門をくぐり教室へと向かう。通常上級貴族と下級貴族は分けられて組となる。誠志郎は男爵、準男爵が集められた最下級の組の一つに属していた。最下級とは言っても数だけなら教導院の中でも最大の派閥だ。何しろ男爵と準男爵だけで全貴族の七割から八割を占める。子女子息の数もそれに準じるのは当然だ。
毎年教導院の門を叩く学徒の数は、大体一つの領国から三人程度。多くても五人を超えることは滅多にない。これに法衣貴族や上級貴族の子らが加わって毎年数百人程度の学徒が訪れることになる。
無論その全てと顔見知りになる、というわけにはいかない。先も言った格の差、地元の地理関係や交流関係、因縁など様々な要因が重なって、関わり合いになる人間は限られてくる。時間が経てば自然に派閥なども出来上がってくるが、今はそこまで人間関係が構築されていない。
となれば、自然と近場の人間と連む形になるわけで。
「……なるほど、見城殿の領地は外海に近い位置となるわけかい。うちとはある意味真逆だなあ」
良く日に焼けた、地元の漁師を思わせる外観の少年が頷きながら言う。
【島散 橋蔵】。北之浜と同じく門崎領旗下、西界道沿いで内海に面した小領地【凪浪】の跡継ぎである。門崎の東側、隣の領との境に近く、街道沿いの良い位置にあり風光明媚、また温泉などもあるため宿場を備えており、結構栄えている。
ただ耕地が少なく農業収入が若干少なめであるため、規模としては北之浜とさほど変わらない。現段階では昇格の目もほぼ無いと言って良い。
距離的に少々離れているとはいえ同じ門崎。うち解けるのにそう時間はかからなかった。
そんな彼に、誠志郎は気楽な様子で応える。
「本当に外海と面している所とはまた違うけどね。海流も少々早い程度でまだおだやかなものだって」
「大結界による海流操作ってすごいらしいからなあ。慣れてても事故が多発してるらしいし」
「その代わり本来遠洋に行かなきゃ獲れないような魚介類も近場で漁ができるんよ。一長一短さね」
さらに話に加わる声がもう一つ。門崎から少し離れた本土の領国【砂灘】の出身者、【木豆埜 智助】。地理的な条件などが原因で荒野と砂漠が広がるかの地にて、逞しく生きる開拓者の息子である。最近準男爵から男爵に格上げされたばかりで礼儀作法などまだまだ未熟な家柄の出であるが、人なつっこく明るい少年であった。誠志郎たちとは同じ海沿いで漁の盛んな小領地の出ということもあって、わりと早くにうち解けた。
取り敢えず誠志郎と良く関わるのは今のところこの二人である。まあ出だしはこのようなものだろう。
とにもかくにも、誠志郎は授業が始まるまで二人と会話を交わす。教室のあちらこちらで同様の光景が見られた。今のところ大きな集団や孤立している人物などは見受けられない。小領地の出身者が集まっている組などこのようなものである。特に誠志郎のような跡継ぎでない次男坊などしがらみも薄く、人間関係を損なうような事態にはなりにくい。
まあ場合によっては色々な因縁やしがらみのある領地なども存在するが、教導院側もそのあたりは考慮に入れ組を作っている。滅多なことで諍いなど起こらないものだ。
そして時間となり、教官が現れ講義が始まる。午前中は貴族としての基礎知識を学んでいく時間となっていた。礼儀作法、立ち振る舞いから必要と思われる知識、学問。それらを数時間で教え込まれる。誠志郎などそもそも大体は叩き込まれているため言わば復習に近いが、それは少数派で大概の場合基礎の基礎しか教えられておらず、ここで本格的なことを学んでいく。
実の所、単に貴族としてのいろはを学ぶというのであれば午前中の講義だけでいい。教導院の肝は午後にあった。
いわゆる選択講義である。様々な技術、学問を教える教室の中から自分が望むものを選び自由に受けることが可能であった。建前上。
将来的に必要な知識を得ることも目的であるがもう一つ。同じような立場、考えを持つ人間との交流。貴族の茶会の下準備のような役割も兼ねていた。
この時間、自由選択講義であればある程度上下の差なく学徒が混じる事もある。特に武術戦術の類を教える講義であれば、まず腕っ節がものを言う。出しゃばりも過ぎれば教官や周囲から叩かれるが、礼節を弁えその上で腕も立つとなれば身分の隔たり無く一目置かれるであろう。
そして上級貴族に覚えめでたくなれば、立身出世の道も開ける。特に下級貴族の嫡子でない次男三男ともなれば、またとない機会でもあった。
無論、上級貴族の子息たちもその事実を理解している。彼らにとっても有能な人材を見出す良い機会だ。武門であれば積極的に訪れる。
そして、この少年も。
「ふん……」
取り巻きを引き連れた乾 松之丞。だだっ広い道場の一角にふんぞり返り、鍛錬に励んでいる学徒たちの様子を眺めている。
この道場をほぼ占有し教導を行っているのが、【真影流】の一派。帝国黎明期に産み出された剣戦術【影流】の流れをくむ、剣術流派最大級の派閥である。
代々剣匠を排出し頭首として据え、皇家の剣術指南役としての役目を背負っている名門中の名門。そして匠合会にも深く関わっている派閥であるが、それ故に多大なる影響力を持っており、危険視するものも多かった。表立ってそれが問題視されたことはないが。
その彼らを持ってしても、松之丞の横柄といえる態度をとがめ立てすることははばかられた。指南役ともなれば貴族扱いとは言え相手は軍務を司る家柄の子息。そしてこの場を預かってるのは基本的に派遣されただけの教官たち。分が悪いということは言われるまでもなく理解できる。
どことなく腰が引けている教官たちの態度を余所に、松之丞は周囲を見回す。その表情にやや不満げな色が見て取れた。
「(……おらんなあ)」
探しているのは噂の見城 誠志郎。本人のあずかり知らぬ所であったが、彼は現在密やかに名が売れ始めていた。勿論件の野盗退治の話が原因だ。大分尾鰭がついている――実は逆に話半分になってきている――ようであるが、それでも大したものである。注目株になるのもやむかたない。
ともかく噂になるほどの武勇をもって教導院を訪れたのだ。当然武術戦術の講義を受けるかと思っていたのだが。
予想にに反し、誠志郎はいまだその姿を武術講義に現していなかった。
なぜだ、と松之丞は考える。話に上る武勇、そして下級貴族の次男坊という立場であれば、名を上げ良いところに仕官しようと思うものではないか。事実それは常識的な考え方であったし、自分が同じ立場であってもそうするだろうと松之丞は思う。
そう言えばかの少年と共に野盗を退けた鹿野島の姫も見あたらない。最もこちらの方は、ただのじゃじゃ馬でことあるごとにしゃしゃり出て迷惑をかける厄介な人物、と言う話がまことしやかに流れていた。松之丞も丸々それを信じたわけではないが、ありそうな話ではあると考えている。どこぞの猿娘という例もあることだし。
そう、現在教導院内で流通している話では誠志郎の功績はそれなりに評価されているが、対して来夏は酷くおとしめられていた。まるで狙ってそのように話が流されているかのように。
勿論松之丞がそのような事情を知るはずもない。ないが伝え聞いた来夏の気性から考えるに、武道戦術関係に顔を出さないはずはないと思ったのだ。
「(平八がいれば、理由を推測してくれるだろうが……)」
生憎と、武人の卵ではない従者の少年はここにはいない。
彼が今どこで何をしているかというと――
「……さて、古来より中央大陸では大国が興り、分裂し、再び統合するという事を繰り返している。現在は分裂し数多の勢力が覇権を巡って鎬を削っている状態だな。ゆえに百年以上大きな戦乱のない我が帝国に比べて戦略戦術は日々進化していると言って過言では――」
教室に教官の声が響く。
今ここで行われているのは戦略、戦術の理論、歴史、実践例などを伝授し研究する、軍師参謀を育成するための講義である。非常に重要と思われるこの講義であるが、そのわりには後に一軍を率いることになりかねない武門の嫡子などはほとんど顔を出さない。これは軍議の席に置いて、軍師らが策を立て将はそれを見て決定するという役割分担が、はっきりと分かたれていた事に原因がある。策の立案は軍師の仕事、将は最低限のことだけ理解し決定すればいいという形骸化した仕組みが出来上がっていたが故のことであった。だがそれが軍師という存在の重要性を増すこととなり、結果武に頼ることが難しいもの、知恵は回るが伝手はないものなどにも立身出世を志すことが可能な糸口となっていた。
つまり今この場に集っている学徒は、軍師を志すものたちがほとんどなのだが。
「(なんであんなのが混じってんだよ!?)」
平八は表情を平坦に保とうと四苦八苦しながら、講義を聞き流しつつ背後に意識を飛ばす。
教室の後方。まばらに座る学徒たち全てを視界に収められる位置に座する一人の人物。
女子制服である小豆色の羽織に格子模様の一本袴。普通の女子が纏えば可憐とも清楚とも言われるだろうそれが、まるで覇王の鎧がごとく見える気迫。真剣な表情で講義に聴き入っているのは誰あろう、鹿野島 来夏その人であった。
場違いである。どう見ても武人、将の器。基礎的な知識を収めるため時折顔を出すのならともかく、居座る理由がない。最低でも一般的な考え方では。
が、この少女を一般的な考え方で縛るのがすでに間違っている。もし彼女に問うたならきっとこう答えるだろう。
「知らぬから、学ぶのだ」と。
来夏は自身を「猪のごとき性格」と自己判断している。考える前に身体が動く、それ自体が悪いとは思わないがそれしかできないのであればいただけない。これから先、目的を果たすためには学び取らなければならないことは多い。これはその一歩目だ。
そして、もう一つ目論見がある。
「(さて、この中に某の酔狂につきあってくれるような、希有な者はいるかな?)」
まばらに座する学徒たちの背中を眺めながら、来夏は微かに口元を歪める。
己に足らない部分を補う人材。自身の不足を補いながら、そのような人物がいないものだろうかと探っているのだ。
この講義に訪れる者の中にはなんの後ろ盾もなく伝手もない者も多い。そのような立場であればあるいは来夏の博打に自身の人生を賭けようと言う者もいるやも知れない。そう言った可能性は低いかも知れないが、何事もまずはやってみることだ。来夏は強い意志を込めて学徒たちの背中を見る。
後方から突き刺さる視線に、身を強張らせるしかない学徒たち。
軍師育成の講義は、こうして妙な緊張感を漂わせたまま続く。
そして、肝心の誠志郎であるが、彼は彼でまた別の講義を受けていた。
経済学である。
完全に文官向きの、あるいは交易が盛んな地の後継者のために開かれている講義であった。まず武門の子息が受けようとするものではない。
なぜこのような講義を受けているのか。その事情は少し前に遡る。
「朝から晩までやっとうを振り回してどうするか。せっかくの機会だ、他のことを学んでみればどうだ?」
夕食の席で杯を傾けながら、五郎左はそう言った。
教導院でどのような講義を受けるべきかと相談したときの言葉である。
実は兼定に全く同じ事を言われていた誠志郎は、そういうものなのだろうかと首を捻る。
その様子を見て、く、と五郎左は笑みを浮かべた。
「別に武の道を極めることを志しているというわけではあるまいよ。国元では文官の真似事もやらされていたのだろう? であればそちらの方も伸ばせば潰しがきくであろうが」
ただでさえ同年代と比べ圧倒的とも言える鍛錬を積んでいる誠志郎である。周囲の人間はそのことに危惧を抱いていた。
いわゆる「剣に飲まれる」と言う状態。剣の道に邁進するあまり周りが見えなくなり、あるいは凶行に及ぶやも知れないそれになりかけているのではないか。皆の脳裏にそんな考えが掠めたのだ。ゆえに教導院で他のことを学べと勧めるのは当然の成り行きであった。
この勧めに素直に従うのところはやはり誠志郎である。そもそも彼は自身が気違いじみて剣を振るっているなどという自覚もなかった。ある意味危ういことこの上ない。そういう意味で周囲の危惧は間違ってはいなかったろう。
しかし。
「それに……教導院で教える剣とお前のそれでは、格がちがうわ」
五郎左のこの言葉。これは勿論教導院に通う同年代のほとんどに並ぶもの無く、それどころかやもすれば教える立場にある教官と比べても誠志郎の剣は勝るとも劣らないほどのものだと言うことで、自制を促すためのものである。
が、誠志郎は頷きながらもこう考えていた。
「(なるほど、さすがに真影流が牛耳っているだけはあるということか、自分ごとき田舎剣士では話にもならぬと)」
とんでもない勘違いである。真影流という看板、代々剣匠を排出しているその格は相当のものだと勝手に思い込んでしまっていた。
もし悲劇があるとすれば、それは誠志郎自身と周囲の評価が剥離していたところだろう。この素直で朴訥な少年は意外に自己評価が低い。周囲に能力が高く、なおかつそれを鼻にかけない人間ばかりなのでこうなったのだが、それに関してはやはり自覚に乏しい周囲にも幾ばくかの責任があるだろう。
まあ結果誠志郎は自制し、教導院で武術関係に手を出さないことにしたのだが、彼の勘違いはしばらく正される事はなかった。
勿論この時点でそんなことが分かろうはずもない。
誠志郎はただ真面目に講義を受けているだけだった。
この講義を受けているのはほとんど下級貴族の子ばかりで、しかも他の講義と比べても受講している人数が少ない。誠志郎と共に橋蔵も講義を受けているが、見知った顔はその程度だった。
銭勘定など卑しき商人の真似事。上級貴族のほとんどがそういって経済学を嘲笑い、もの知らぬ一部の貴族がそれに習っているからだ。だが領地の経営に四苦八苦している下級貴族にとっては学ばねば死活問題になりかねない事であり、経済産業に関わる文官にも必要な学問である。教導院の方はそれが分かっているため、人気が無くともこの講義は存続させる腹づもりだった。らしい。
実際経済学に関しては、市井の学問所の方がよほど力を入れていた。商人を志すものであれば必要不可欠であるし、またそろばん勘定が出来る文官は慢性的に不足しているため、召し上げられ出世の糸口ともなる可能性が高い。軍師よりも垣根が低いとなれば人々が殺到するのも無理はなかった。
それはそれとして誠志郎であるが、元々実家の机仕事を手伝わされていた経緯がある。飲み込みは実に早かった。文官はもとより大店の番頭くらいは任せられそうな勢いだ。
教官としても教えがいのある学徒であっただろう。真面目で礼儀正しいこの少年は目上の人間には受けが良く、さらに優秀となれば非の打ち所がない。そういうわけで教官にも一目置かれつつあった。自然講義にも力が入る。
こうして誠志郎は文武両道にて地道に力をつけていく。実は双方に置いて図抜けた人間になりつつあるのだが……無論本人は欠片も気付いていない。
さて、講義が終われば学徒たちはそれぞれ様々な行動を取る。茶会の真似事をして交流を深めるもの、さっさと寮なり下宿なりに引き上げるもの、日雇いの臨時職などで日銭を稼ぐもの、と色々である。
誠志郎はと言えば、本日はまっすぐ寄り道をせず帰るようだ。彼も五郎左の伝手で週に三日ほどの臨時職を行っているが、今のところ金銭的に困っているわけではないのでさほどあくせく働こうとは思っていない。あくまで社会勉強の一貫という感覚だった。仕送りもままならない所に比べればうらやむべき環境であったが、それを言ったら上級貴族なんぞもっと優雅な生活を送っている。言い出せば上も下も限りがない。
ともあれ直で春川道場に舞い戻った誠志郎は、一息ついた後再び木刀を手に取り、道場の裏手に回る。
そこには佇む一本の木。大木というほどのものではないが、しっかりと根を張り年代を感じさせるものだ。その幹には分厚く藁が巻いてあった。
それに向かって構える。気の練り上げはしない。ただ腹から深く呼吸し全身に力をみなぎらせる。
打ち込む。ど、と鈍い音が響き、木は微かに揺れた。
続けて打ち込む。打ち込む。打ち込む。素振りと型の稽古だけでは得られない、衝撃に対する耐性。それを鍛えるためのものだ。これにより握力をはじめとした全身の筋肉を鍛え、打ち合いに強い体を作っていく。また気導剣の使用時に生じる反動にも対処しやすくなると言う効果もあった。
存分に心ゆくまで汗をかく。それは日が傾き空が薄暗くなるまで続いた。
「ごはんですよ~、そのまえにお風呂入ってらっしゃ~い」
朗らかに呼びかけるなずなの声がかかり、やっと誠志郎はその動きを止める。汗だくの身体を引きずるように風呂場に向かい、汗と疲労を流し落とす。
さっぱりとしたところで夕食。
鶏肉と野菜の煮物、あさりの酒蒸し、鰺の味噌焼き。麦飯がどんと器に盛られ、三人は揃って頂きますと手を合わせた。
「……む、腕を上げたな」
「えへへ、頑張りましたから」
なぜか微かに悔しげな様子でなずなの料理を褒める五郎左。嬉しそうにはにかむなずな。
未だこの二人がどのような関係なのかは分からない。誠志郎はたまさか台所の端で「胃袋……まずは胃袋から……っ!」などと呟いているなずなの姿を見かけたことがあったが、彼女はどこまで本気なんだろうか。
まあ、ご飯が美味しくなる分にはいいけど。とか思いながらましましと飯を頬張る。
飯を平らげ道場にもどると、横になり食休み。眠気が襲ってくるがそれに耐え、剣の型を思考しながら半刻。その後、朝と同じように道場に立つ。
今度は剣を提げない。その代わりに後ろ腰にどでかい銃鞘。収まっているのは無論慈水から贈られた留河製回転弾倉式短筒。
す、と腰を落として構える。一見半身になった無手格闘術にも思える構え。その構えから、前触れ無く右手が霞んで消えた。
次の瞬間にはすでに巨大な短筒が両手で構えられている。銃身の上下から鉄木と呼ばれる硬質の木材で作られた外装で挟み込んだ形式。特に下部の外装は大きく、なにやら金具などがついているところから何らかの仕掛けが施してあると見受けられる。回転弾倉は切り込み加工のないどっしりとした円筒。四分径という大口径のその銃は誠志郎が扱うにはやや大きすぎるが、彼は揺るぎなくしっかりとそれを構えていた。
ゆら、と誠志郎の身体が揺れる。左足を軸に舞い踊るように反転、そして仮想の敵に銃口を突きつける。
続けてゆらりと動く。舞い踊るようでありながら、銃口を突きつける動きは鋭い。そして時折手刀や足払いなど無手格闘術の技も混じりはじめた。。
銃術。単純に銃を扱う術ではなく、体術を織り交ぜ銃弾を効果的に相手に叩き込む術。長距離からの狙撃、乱戦で回避しながらの反撃、そして近接で格闘術を織り交ぜた攻防。全ての距離に置いて効果を発揮する技術であるが、それは弾薬があってのこと。弾切れになればこの術、単なる格闘技と成り下がる。ゆえにか学び修めているものなど滅多にいないが、両親の教育方針により誠志郎はそれを学んでいた。まだまだ未熟なものではあるが、磨き上げることを怠ってはいない。
半刻ほど動き回り鍛錬を終える。その後道場を丁寧に掃除し井戸水で汗を流す。寝間着に着替え床につくのは大体十一の刻(午後10時)を過ぎたあたりとなる。これが臨時職が入ると十二の刻(午前0時)を過ぎることもあるが、それでも鍛錬は欠かさなかった。
なんというか、生真面目に過ぎるが本人的には充実した一日の過ごし方。これが誠志郎の基本的な日々の生活である。
そして、とある日のこと。
松之丞は今度こそと勢い込んでいた。
今日この日の講義であれば、誠志郎と来夏は必ず現れる。彼はそう信じて疑っていなかった。
その講義は他と比べても人気が高い。多くの男児にとっては垂涎の的であり、一部の酔狂な女子にとってもあこがれとも言える。多くても月に二、三度の講義。広大な専用施設を用いて行われるそれは――
機殻鎧運用講義。
複数の教官により機殻鎧の扱いを、基礎からちょっとした集団戦まで叩き込まれる大仰な講義である。武門はおろかその他の学徒からも人気の高いこの講義は常に多人数となることが運命付けられている。そんな中でも松之丞は一際目立っていた。
少数ではあるが機殻鎧を持ち込むものはいる。そう以前にも記したが、そういうものたちは悪目立ちする。未熟者の自己顕示欲ととられるからだ。そして大概は使い古された中古品や骨董品などを持ち込んでくるものだから余計に評判は落ちる。
しかし松之丞が持ち込んだ躯体は、別な意味で目を引く。何しろそれは、当時まだ公開もされていない最新鋭のものであったからだ。
【白狼型四十四式・金狼】。帝国軍の標準機である【狗神型】の上位種であり、指揮官用の高級躯体である白狼型の現行最新のものである。いくら乾家が軍の取り纏めを牛耳っている家柄であり、そして親馬鹿であったにしてもこれはやりすぎであった。松之丞本人のごり押しと、乾家の示威行為が合わさってこのようなことになったのだが、周囲からどう見られているかなどこの少年とその一党は気にもしていない。ただ一人影で眉を顰めている平八を除いて。
しかし周囲の目線など関わりなしに、松之丞は不機嫌であった。彼は不満げな顔のまま、歯ぎしりせんばかりの声で呻くように呟く。
「……なぜきゃつらは現れぬのだ」
そう、機師であるならば、それを目指すのであれば必ず受講するであろうこの講義にすら、誠志郎と来夏は訪れていなかった。
彼らが一体どこで何をしているのかと言えば。
「ふ、よくぞ来てくれた酔狂者の諸君! 人気講義の裏に差し込むことによって働かずに研究が出来るよ素晴らしいと思っていたやつがれの企みを叩き潰してくれてありがとう。盛大に歓迎してくれようじゃないか!」
ぶわ、と両手を広げて本音か冗談か分からないことを宣う着物白衣の残念美人。
単眼鏡を光らせ怪しい笑みを浮かべるその人物は、錬金学教官花島 鉋。他の講義と比べても数少ない学徒たちは大丈夫なのかこの人と、若干の不安を覚えていた。
ほんの数人。それが錬金学講義に訪れた学徒の数だった。その中には当然この二人の姿がある。
「やはりここに来たか。さもありなん」
「まあ最初から受けようと思っていた講義ですし」
小声で言い合う来夏と誠志郎。双方機殻鎧運用講義に最初から顔を出すつもりが無かったというのもあるが、出なければ目の前の御仁がどういう反応をするやら。
それを別にしても、二人は元々錬金学を学ぶつもりではあったのだ。
錬金術。一般には『金属の精製術を元にした、化学全般の総合技術』と思われているが、根本は違う。本質は化学――物質科学的な手法からこの世界の構造原理を解析し、それを現実に利用可能な手段として変換する探求学問である。その応用範囲は限りなく広く、そして果てがない。
そして術という『現実をねじ曲げうる技術』から探求、解析を行い世界の構造原理を探るというのが本質である陰陽術とは対であり、互いに様々な影響を及ぼしているという関係であった。錬金学を突き詰めていくと言うことは、陰陽学の深淵にも足を踏み入れるのと同意と言える。
まあ二人がそこまで深く考えているわけではない。それぞれ学びたいことがあったからなのだがそれはさておき。
「それでは早速講義を開始しよう。まずは基本だ、この試験管に入っている液体は……」
上機嫌というか高揚した様子でいきなりなにやら怪しい実験を開始する鉋。参加した学徒の半数はすでに腰が引けてきたが、来夏と誠志郎を含んだ残りの半数は苦笑いする程度である。慣れているのか諦めているのか。
機殻鎧運用講義の裏で密やかに始まった錬金学講義。
比較的大人しかったのは最初のあたりだけであった。
そして講義終了後、誠志郎は廊下を歩きながら傍らの人物に語りかける。
「木豆埜殿が錬金学の講義を受けるとは、意外だね」
「おれっちの田舎は土地が痩せてるじゃすまないからさ、土壌改良の知識とかを学びたいんよ」
快活に笑う智助。彼も共に錬金学の講義を受け、そして鉋の態度に引かなかった人間だった。
確かに錬金の技術には、彼の言ったような分野も含まれる。鉋がそれに精通しているかはともかく基礎的なことは学べるはずだ。そのようなことも修めていなければとてもじゃないが錬金術師などとは名乗れない。
「錬金術師って変わり者が多いって聞いてたから、教官もあんなものじゃないかなと」
「……他の錬金術師って知らないからどうとも言えないなあ」
「いやおれっちも実は知らないけど。ところで見城殿は何が目的で?」
「自分は火薬類の取り扱いを。これでも銃術をかじってるものでね」
「へえ、そいつはまた珍しいものを。軍じゃ重宝されるらしいけどねえ。……まあそれはそれとして話は変わるけど」
不意に声を落とす智助。何事かと誠志郎は眉を顰める。
「見城殿の隣の、鹿野島の姫様だったよね確か。講義終わってから教官についていってたけど大丈夫なん?」
どうも何かあって呼び出しでも受けたのでは、と勘ぐっているようだ。
誠志郎は苦笑を浮かべ、応える。
「大丈夫だと思うよ? 多分」
どうせ何かまたとんでもない話でもしているのだろうあの二人は。
誠志郎は確証のない確信を抱いていた。
さて、話題の二人であるが。
その姿は鉋のために用意されていた教官室にあった。
自由講義の教官同士はあまり接触をしない。言ってみれば専門の私塾が集まったようなものだ、それぞれ思うところもあるだろうし専門同志だと話も合わないからであろう。それはさておいて、二人は互いに不敵な笑みで対峙している。
「それで話とは何かね? その様子であれば随分と面白そうなことではないか?」
「ふ、慧眼ですな。もっとも面白いかどうかは保証しかねますが」
鉋の問いに応える来夏。一応謙遜はしているが、その態度は自信ありげだ。
そして彼女は自身の発想を口にする。
「花島教官もごらんになりました『機殻鎧による飛行術』。その原理はもうご存じかと思いますが……」
そこで来夏はにやりと笑みを深める。
「それを可能とする空歩と縮地の術、それを術式回路として機殻鎧の躯体に組み込むことは、可能でしょうか」
次回予告
密やかに動き出す来夏。鉋と手を組み彼女たちは新たな技術の模索を開始する。
彼女らの周囲に漂う不穏な空気、だがそれに気付いているのかいないのか。その歩みは揺るがない。
そして、誠志郎にも危機らしきものが迫っていた。
次回『出る杭は打たれても出る』
切磋琢磨の砲火を交わす。
誠志郎が持つ気導剣のアクションはターミネーター2のウィンチェスターショットガンを参照。銃術はガン・カタで。
ギミック付き武器のアクションは大概格好いいと思う緋松です。
さて学園生活が始まりましたが、なんて優等生な主人公なんでしょう。とても筆者が書いている人物とは思えません。このキャラクターがどんな酷い目にあってどこまで崩れていくのか、見物ですね。(ゲス顔)
彼に現実が叩き込まれるのはいつのことか、それとも彼が現実を叩き付けるのか? その前にヒロインがなにかやらかしそうで怖いのですがどうするどうなる!?
……という感じに引っ張っておいて、今回は終わるわけです。続きは次回をお楽しみに~。