三
【水野 小巻】は焦っていた。
大貴族の侍従を代々務める家に生まれ、自身もまたそのように育てられてきた。そして侍従として生き、似たような家系に嫁入りでもして血脈をつないでいく。そう思っていた。
鹿野島 来夏という娘に仕えるまでは。
その後のことは、最早語るまでもない。当然のごとく振り回され続けた、そう言えば大体理解できることだろう。そして今回も。
「巡回警邏隊からはまだ何も?」
「は、現場付近の捜索は進められているようですが、未だ姫の躯体も本人も……」
「(くっ、やはりお一人でというのは無謀であったか!)」
無理を押し通して単身西南部を巡ってから帝都に向かうという姫を止められなかったのが最初の間違いだった。仕方なしに先回りし、福成城下で待ちかまえていれば巡回警邏隊からもたらされる行方不明の知らせ。聞けば数匹の暴竜と交戦した形跡があり、そこで足取りは完全に途絶えているという。
福成では緊急の警戒態勢が張られ、必死の捜索が続けられている。が、姫の行方はようとして知れない。
小巻は歯噛み。なぜ一人で行かせたのか、なぜ後を追わなかったのか。西南部であれば鹿野島に手を出す愚か者など居ないと驕ったかこの戯けがと、自身を攻め続ける。
そんな彼女が、どういうわけだか来夏の身柄が海を隔てた門崎領内で保護されたと聞き真っ白になるまであと一刻(二時間)。
三・旅は道連れただし強制
音よりも早く、打ち込みがくる。僅かに遅れて耳に咆吼が届いた。
「ちぃえええええええええ――」
その時にはすでに回避行動へと入っている。大気を割り振り下ろされる木刀は空を切るが、そこで終わるはずもない。
「――りゃああああああああ!!」
裂破の気合いと共に切り返しの一刀が襲いくる。その軌道上にはすでに木刀が位置していた。
受け止めるのではない、受け流すのでもない。打撃点を支点に、自身を後方へと押し出す。打撃の威力に自身の力を乗せ、それに逆らわず宙を飛ぶ。その先には大木。普通ならば為す術無く強かに身を打ち付けるところであろうが、虚空にてくるりと反転、軽やかに大木の幹へと着地。瞬時に身を縮め、持ち手を入れ替え左肩に木刀を乗せるように構える。
幹を蹴り、宙を駆ける。通常とは逆方向から放たれる打ち込みは、しかし容易く受け流された。
着地。低く身を屈め、そこから斬り上げ。そして上段からの斬撃が襲いくる。
「りゃああっ!」
「……っ!」
気合いの呼気が迸り、二つの影は動きを止める。
斬り上げた一刀は脇腹、上から打ち込まれた一刀は脳天。それぞれが寸前で止められていた。
「……お見事」
「貴公こそ」
彫像のように動きを止めていた二人が言葉を放ち、そして時間は動き出した。
す、と姿勢を正し互いに一礼。裏庭の端で稽古を見ていた吾一と太助は、ほふうと息を吐いた。
「……すっげえなおい」
「殿様と若様以外で弟若と互角って、初めて見たわ」
引き起こした騒動の処罰という名目で誠志郎の傍付きじみたことをやらされている二人は、自然来夏の世話係を任され彼女に付き従う形となっている誠志郎と行動を共にすることとなった。
とは言ってもそのほとんどは来夏の事後調整と言う名の鍛錬につきあわされているだけであったが。
それにしてもと二人は思う。二人とて将来的に有事の際には領地をまとめ、率いていく立場の人間だ。それなりの教育は受けているし、誠志郎ほどではないが武術も仕込まれている。だからこそ分かるのだ。同年代として比べれば、目の前の二人は明らかに桁が違うと。
元々武人としてもならした兼定が手ずから鍛え上げ、さらに自身も研鑽を怠らない誠志郎の腕前は前から知っていたが、それと互角に渡り合うあの姫様は一体なんなのだ。さすが機殻鎧に乗って空飛んでくる人間はちげえ。ふたりはなにやらみょうちきりんな感心の仕方をしている。
もっとも誠志郎や来夏ほど若くなくともこの程度できる人間は、わりとごろごろいるのであるが……二人がそれを知るのは少し後のことになる。
感心するやら呆れるやらの二人の元に、笑顔で会話を交わしながら誠志郎と来夏が歩んできた。
「しかし誠志郎殿は、仕合に銃を使わぬのだな?」
「まだ未熟者です故。貴女ほどの相手になればむしろ銃術は邪魔でしょう」
「某とてまだ未熟なのだが。……ま、貴公ほどの相手に言われるのは、うん、悪くない」
「お互い年の割にはやると自負はあると思いますが、少し口惜しくも思います。未だ自分は一度とて勝てませんからね」
「ははは、常に致命の一撃を与えておいてよく言う。何より虚空での機動は某の及ぶところではない」
「勝てなければ意味のない事かと」
互いが互いを褒めあうような会話。もうすっかりうち解けているよなあと、吾一と太助は冷やした手ぬぐいや飲み物を差し出そうとして――
「来夏様! お体が冷えますこれで汗をおぬぐいください!」
「いーえ来夏様こちらの手ぬぐいの方が冷えております!」
「お飲物! お飲物はいかがですかとっても甘いですよ!?」
「柑橘水に山ほど糖ぶちこんでんじゃないの! こちらの方がさっぱりして飲みやすうございますよ来夏様」
どこに隠れていたものだか、一斉に現れ来夏の元に殺到する娘たちに踏みつぶされる。
「いやその、順番に、順番にな?」
さすがの来夏も、この攻勢には戸惑い気味であった。地元ではある意味腫れ物に触るような扱いであったので、ここまで懐かれるようなことはなかったのである。
もっとも地元でも物陰からしょっちゅう熱い視線が飛んでいたりしたのだが、幸か不幸かここまで踏み込んでくるようなものは居なかった。すっかりのぼせ上がった娘たちに苦笑しながらも無下には扱えない来夏。その災難から素早く身を離した誠志郎は、踏みつぶされてぴくぴくいってる二人のもとへ歩み寄る。
「おーい、無事?」
「ひ、一人だけ逃れるとか……」
「弟若ずっけえ……」
「もう何回かやってんだからいい加減予測しようよ」
うめき声を上げる二人。呆れた声で言う誠志郎。娘たちの嬌声は、今しばらくやみそうにない。
なんとも間の抜けた光景にも、日差しは区別せず柔らかく降り注ぐ。
誠志郎と来夏の出立、その日はもう目の前であった。
「ふむ、もう姫君の身体は問題ないか。流石よな」
「はい、驚くほどの回復力でした」
茶室で息子に茶を点てながら、兼定は言う。応える誠志郎は少し呆れ気味に見えた。
素直に己の感情を表に出すほどには、誠志郎は幼い。そういう意味では己の不遇を不敵に笑い飛ばすあの姫君の方が人として『できている』のだろう。いや、自分たちですら眩しく見える時があるのだ。誠志郎の目にはどれほどの輝きに見えていることか。
危険、ではある。実の所門崎守は西南部――西威大将軍に率いられた防人を監視する立場も兼ねており、もしも謀反が起こりでもすれば真っ先に矢面に立つ事になる。当然ながら門崎の旗下にある北之浜、その領主たる見城の一族もそれに従わなければならない。余所の貴族や軍に召し抱えられ関わり合いにならないのであればまだいい、もしもまかり間違ってかの姫に誘われ共に鹿野島へと渡り、万が一敵に回るなどしたら。……その懸念が頭から離れない兼定だった。
戦場に立てばそのような感傷など切り捨てはするが、できれば避けたいというのが本音である。幸いにしてと言うべきか誠志郎は盲目的に傾倒しているわけではないようだが、それも今のうち。将来的にはどうなるやも知れない。ままならないものではあるが……頭ごなしに関わるなと言うわけにもいかないだろう。何よりも、兼定自身があの姫君のことを快く思っている。説得力というものがなかった。
成るようになるしかないか、そう諦観し思考を切り替える。問題を棚上げしたとも言うが仕方が無いとも言えた。
ともかく誠志郎が杯を置くのを見計らい、兼定は傍らに置いてあった細長い包みを手に取る。
「大したものではないが門出の祝いだ、くれてやる」
「は、はい」
兄上といいどうして唐突に無造作に祝いの品をよこすかなと思いながら、放ってよこされた包みを受け取る。開けてみろと促され包みを解いてみれば。
「……これは」
一振りの刀。鞘の外から目算で刃渡りは一尺七寸(約55㎝)ほど。脇差しといってもいいほどの長さではあるが幅は広く、また肉厚でもあるようだ。しかし最大の特徴はそこではない。鍔と七寸(約23㎝)ほどの柄の間、そこにある部分だ。
背の部分にある装填口、側面にある排出口、柄に沿って突き出した引き金と防具を兼ねた装填器。
炸薬式燃料電池を用いて瞬間的に発生する大電力を、刀身の術式回路にて気の増幅に用い、同時に炸薬の威力を上乗せすることによって絶大な破壊力を発生させる近接兵装。【気導剣】。
しかも現在主流である回転弾倉式ではなく、柄の中に弾倉を持つ平行装填式という最新鋭のものだ。
強力な威力を誇る武器ではあるが、それに比例するように扱いが難しく、また普通の刀の数倍ほど値が張る。最新鋭ともなれば大型鉄騎数台分はするとあって、おいそれと手は出ない代物である。
「【勝葛】の七十二式よ。お前が無鎧流を修めれば、自ずと使いこなせる事ができよう。精進しろよ?」
「……あ、ありがたく頂戴いたします……」
何でもないように言われるが、誠志郎としては冷や汗が止まらない。大したものではななどとどの口で言うか。勝葛といえば最近飛ぶ鳥を落とす勢いで伸びている新鋭の武器産地であり、刀剣や銃器拘らず手広く手がけている。非常に品質の良い品が揃っていることで好評だが、その分値も張る。一体幾らつぎ込んだのか想像もしたくない。
これは滅多なことでは抜けないなあと、誠志郎は引きつった笑みを浮かべる。ま、なんぞあってもすぐ抜くようでないからこれにしたのだがなと、息子の心情を正確に読みとっている兼定は内心だけで会心の笑みを浮かべる。
後に誠志郎――見城 鋼刃と共に戦場を駆けるこの一刀は、数多の刃と心をへし折りいつしか【牙折】と呼ばれることになるのだが、それはまだ先の話。
ともかく受け取った剣をしまい、かしこまる誠志郎。兼定も居住まいを正し、向かい合う。
「いよいよ明日か。文五郎の好意で門崎まで交易旅団に便乗できることになったが、世の中何があるか分からん。ゆめゆめ油断するでないぞ?」
「はい、心得ております」
「うむ。……帝都に着いたならば、まずは城下の無鎧流春川道場に身を寄せるがいい。この手紙を見せればお前の身柄を預かってくれよう」
懐から取り出した手紙を誠志郎に渡す。かつて自身が帝都にあったとき、そして慈水が教導院で学んでいたとき、双方で世話になったり世話したりした人物。その人物に誠志郎を預かってもらう算段であった。
かの人物の元であれば、色々と学ぶことが多いだろう。教導院の寮で過ごすよりはよほどいい経験になると兼定は考えている。
「特にお前には、寮よりよほど過ごしやすい環境であろうさ。なにしろ鍛錬し放題なのだからな」
「は、はあ……」
そんなに自分は鍛錬好きだと思われているのだろうかと、誠志郎は内心首をひねる。ただ最低でも父や兄の領域に至りたいと思っているだけなのだが。
そう考えているのは本人だけで、当の兼定や慈水でもそこまでやらないと言うくらい剣を振るっている。大体にして自身が誠志郎の年頃であったときにはそこまでの腕を持っていなかったと二人の方は考えていた。
これは今現在の二人の技量が高く、それを誠志郎が見慣れているため『武人とはこれくらいできて当然である』と無意識に思い込んでいるがゆえの弊害である。実際のところはこの年代でこれほどできる誠志郎や来夏の方がおかしいのだが……この先、様々な在野の剣客剣豪と出会う事により、誠志郎の勘違いは益々進んでいくこととなる。
「(ま、調子に乗らなければ腕が立つのは悪いことではなかろうさ。要はそれをどう使うかなのだからな)」
そう思いながら、兼定は話を続けた。
「これより最低でも三年間、お前はこの地に戻ることは叶わぬ。これは教導院の規定であり帝国貴族の責務だ。それを破れば謀反を疑われることとなる。分かるな?」
貴族が我が子を教導院に送るのは伴侶探しや格付け、将来的な人脈の構築など様々な理由はあるが、実の所『人質』という意味合いもある。つまり帝国に叛意を持たないと証明するため、元服前の子を帝都に預け忠節を示すということだ。ほとんどただの慣例と成り下がってはいるが、それでもわざわざそれを無視して目をつけられるような真似をする貴族は居ない。
今のところは、まだ。
「まあ身内の誰かが危篤にでもなれば特例を認められようが、生憎そのような予定は今のところ無い。安心して勉学に励むがよい」
「はい」
「やもすればどこぞに仕官することになるやも知れん。あるいはどこぞに婿入りという可能性もある。一番良いのは嫁でも連れて戻ってくることだが……そこまで贅沢は言わん。息災であればいい」
「……はい」
そう言えば兄上は結局一人で帰って来たしなあと、どこか黄昏れた様子で遠くに視線を向ける兼定を見る誠志郎。そう、大概の貴族は教導院居る間に伴侶を見つけ、婚約の一つも結んで帰ってくるのもまた慣例である。見城家のような男爵や貴族に取り立てられたばかりの準男爵といった低級貴族は膨大な数に上り人数も多い。探せば家柄も格も合う娘の一人や二人いたはずなのだが、なぜか慈水は一人で北之浜に舞い戻ってきた。いや全くもてませんで申し訳ないと朗らかに笑いながら言う彼を、どこかがっかりした様子で両親が迎えたのを覚えている。
こればっかりは運もあるからなあと、誠志郎は内心溜息。毎年何割かの人間は伴侶なしで帰省するという話だが、自分もそうならないと言う保証など無い。女性に全く興味がないとは言わないが女性受けする容姿でも性格でもないと自分ではそう判断していた。嫁の前に自分が女性とつきあっているところなど想像もできない誠志郎である。
周りの女性はと考えて、一番最初に浮かぶのはやはり来夏であろう。あれほど記憶に衝撃を与える人物など居ない。が、女性として考えた場合どうなのだろうか。
まず家柄格の時点ですでに問題外。向こうは皇帝の血筋などを除けば地方貴族として最高位になる辺境伯という家柄である。吹けば飛ぶような地方領主の男爵風情と釣り合うはずはない。来夏自身は後妻の子でありしかも四女であるから降嫁という可能性もないではないが、それならばもっと有力な貴族の元か現皇帝の後宮にでも送られるであろう。
それに誠志郎はどうにも彼女を女性として意識できない。どちらかといえば君主として仕えたら面白そうだと、漠然とした考えは持っている。美少女ではあるが未だ色気というものに欠けることおびただしい故のことでこれはこの先どう転ぶか分からないのであるが、最低でも現時点では誠志郎の琴線にかすりもしない。
結論として、今のところ立場の違う友人程度の間柄でしかないと誠志郎は考える。そして、それ以外の女性関係など今のところ皆無と言っていい。これでは参考になるはずもなかった。(最悪というか万が一には有力な商家などから嫁を取るという手もあるのだが、そこまで考えは及んでいない)
やれやれ、自分は女の子の扱いなんぞ分からんのだけどなあと憂鬱げに思う誠志郎。なにげに見城家の後継が危機的状況であるが、そこのところは将来性に賭けるしかあるまい。すでに何かを色々と諦めている誠志郎だ。
誠志郎の懸念になど気付かなかったのか気付かなかったふりをしているのか、兼定は頷いて続けた。
「どのような道を選ぶか、よく考え、よく迷え。しかし決めたらその道をただ進め。たとえ俺や真一郎(慈水の幼名)が立ちはだかったとて容赦はするな。戸惑えば我が太刀の錆になると知れ」
「心得て」
お互いそうならなければいいなあと内心は押し隠す。ならばもう言うことはない、励めよと告げる兼定も、ただ頭を下げる誠志郎も、もしかしたらこれが今生の別れとなるかも知れないということは分かっている。それやこれやを飲み込んで生きていく。それが貴族というものだと兼定は教わってきたし誠志郎にもそう教え込んだ。ここから先は父と子ではなく一人の人間として相対しなければならないと、改めて思い直す兼定。この先に不安を覚えながらも、何が起こるのか若人らしい希望のようなものを内に秘めた誠志郎。
運命に翻弄される事になる二人の男、その一時の別れであった。
城下の真ん中を分かつように造られた大通り。
集まった民衆が居並びゆっくりと進む輸送車両の群れ――紀邑屋 文五郎率いる交易旅団を、歓声を上げながら見送っている。
東方大陸のその大半が、未だ魔獣などの災厄が跳梁跋扈する人外魔境と言っていい。人々は武力と結界にて己の領域――領地を護り、少しずつ勢力を広げているのが現状だ。領地間の街道などは整備され巡回の兵が配置されているものの、それなりの危険がある。特に物資の輸送は危険度が高いと考えられていた。
故に力を持つ商人たちは重輸送車両を多量に使い交易旅団を編成し、さらには傭兵を雇ったりして安全性を高める工夫をする。それに旅人などが便乗するのはよくある話であった。
今回も門崎に向かう人間や何やらが幾人か便乗している。その中に誠志郎と来夏の姿はあった。
「助かります文五郎殿。ご面倒をお掛けしますが、なにとぞよしなに」
「お顔を上げて下さいまし来夏様。旅人を手助けするのは交易旅団の責務、お気になさいますな」
お約束のように言葉を交わす二人。同じように会話をすませた誠志郎は、車両の窓から城下のものに手を振っていたりする。集った人並みの中には見知った顔もある。自分を慕っていた子供たち、大泣きしている吾一と太助。その他世話になった人々が揃って見送りに来ていたようだ。
意外なことに一番あっさりとした別れ際だったのが母であるはつりであった。いつものごとく朝の用意をし、いつものごとく朝餉を共にし、そしていつものごとく「それじゃあがんばってらっしゃいな」と送り出された。まあ互いに湿っぽいのは苦手だし、らしいといえばそれらしいのだろう。
むしろ父や兄の方が後ろ髪引かれる感じであった。特に兄などはいつになく真剣な表情で「十分に気をつけるのですよ誠志郎。帝都は……教導院は、魔境だと思いなさい」と、なにやら大げさな脅しまでかけてくる始末だ。
だが慈水の言葉が、ある意味正鵠を射ているとは誠志郎は想像すらしていない。
多くの人に見送られ、交易旅団は街道を行く。そして半日をかけ門崎へと向かう。
海峡の都市、門崎。対岸の福成とは狭い海峡を挟んで目と鼻の先。本土と西南部との玄関口であり、同時に門崎領の中心地である。
海岸線に沿った平地のすぐ背後に小高い山々が連なり、その山々の中腹あたりまで建造物が居並ぶ。当然ながら建物の密度も数も北之浜とは桁が違う。人口もせいぜい数千人の北之浜に対し数十万と比べものにならない規模を誇る。
この時代、先に述べた事情もあり人口の七割から八割が領庁所在地などの大都市に集中していた。一応領地の区分はあるが、それぞれの領内部はほとんど開発されていないのが現状だ。比較的門崎の近隣にあるとはいえ、まだまだ発展中の北之浜で過ごしていた誠志郎の目から見れば正しく大都会と見える。
到着から一晩開けた翌朝。門崎が中心、大規模な基盤整備が行われた山の中腹。領庁を兼ねた門崎守が居城門崎城の謁見の間に、誠志郎の姿はあった。
「久しいのお、儂を覚えておるかえ?」
「は、申し訳ございません。何分物心つく前の話ですので……」
「よいよい、これから覚えればよいことよ」
人の良さそうな笑顔で誠志郎に相対するふくよかな男性。門崎守西部 忠尚その人である。
兼定よりすこし年上で、教導院を出て早々に門崎を継ぎ、現在に至る。領国の経営は可も不可もなくそこそこ、と言ったところだろうか。これといって失策もないが特に秀でた行政を行っているわけでもない、太平の世のどこにでもいるような領主、それが忠尚だった。
口の悪い人間には狸の置物などと揶揄されたりするが、ほぼ全ての領民から慕われるおおらかな人物である。兼定が西部家剣術指南役の役目も兼ねているため、見城家とは浅からぬ関係があった。誠志郎も物心つく前に面識があったようだが、生憎と本人は全く覚えていない。
もっとも誠志郎とて、父が剣術指南役など務めていようとは思っても見なかった。出立前に告げられて面食らったほどである。指南役とは言っても職務上の用事で門崎を訪れたついでに兵に稽古をつけていく程度の物で、兼定にとってはおまけのような仕事でありわざわざ教えておくほどの物ではないと思っていたのだが、来夏の件で連絡を取った際そういえばと話題に上ったわけだ。
どちらにしろ門崎の旗下にあり部下とも言っていい兼定、その息子である誠志郎が顔を出さないはずもなく、こうして面会することとなった。
かしこまる誠志郎の様子に、忠尚はくくくと楽しそうな笑みを浮かべる。
「先程鹿野島守の姫君とも顔を合わせたが……出立目前で色々と災難であったなあ」
「……は、いえ。自分は大層なことをしておりません」
「そうかえ? 姫君はべた褒めであったが」
「できることをやったまで。身に余る話でございます」
「父に似ず堅物であるのう」
若い頃から色々とやらかした兼定の経歴を知っている忠尚が、ついにかかかと笑い声を上げる。嫌みな様子はなく純粋に楽しそうな笑顔だった。
「真一郎もそうであったよ、見た目はの。ま、あれはかなりの猫をかぶっておったようだが」
「……そうなのですか?」
「おうよ。教導院ではなかなかのものであったようでの。……もしかしたら誰ぞに話が聞けるかも知れぬぞえ?」
「は、はあ……」
あの兄上が、なあ。半信半疑の誠志郎。確かに慈水は多少洒落っ気が強いところはあるが、人の話に上るほどの物ではない、と思う。どちらかといえば基本生真面目な方なのではないだろうか。
話半分に聞いておこう。誠志郎はそう考えて適度に聞き流すことにした。
そんなこんなで忠尚が一方的に楽しむ形であったが、滞りなく面会は済む。
では励むが良いぞと退出する誠志郎に声をかけ、一息ついてから忠尚は独り言のように言う。
「あやつもなんぞ騒ぎを起こすかの? いや、もう起こしておるか」
「誠志郎様の責ではございませんがね」
す、と控え野間の襖が開き、姿を現すのは深々と頭を下げた文五郎。慎ましげに忠尚の前に進み、再び頭を下げる。そして彼は懐から一通の手紙を取り出した。
「兼定様からの文にございます」
「うむ、確かに」
恭しく差し出されるそれを受け取り封を解き、目を通していく。分かりづらくはあったが、忠尚の目が鋭さを増していた。
「……なるほどのお、使われた陰陽の術をたどれば、自ずと下手人は知れると」
手紙に記されていたのは、北之浜を巻き込んだ事件の詳細と考察。当事者である来夏から聞き出したそれを元にした情報は、現在どこに流出している物より正確だ。
この時代、情報の伝達方法としては電信の方が遙かに早いが、正確性と密度では未だ手紙に分がある。また信頼できる筋に託すことで機密性も保つことができた。
逆に言えば、今回はより正確な情報と機密性を必要とすると、兼定が判断した。そういうことだ。
「……巻き込まれたのが北之浜であったのは、僥倖であったの。他であれば対処できたどうかも怪しいわ」
「左様にございますな。どこも余力がございませぬゆえ、持て余すことになったのではないかと」
海産物と農作物、山林資材と豊かな収入源を持つ北之浜は、小領地としてはかなりの余裕があった。また治めている兼定が様々な経験を重ねてきたことにより、突発的な事態に対する対応能力も高い。なによりこのように事の重要性を理解し気を回す感覚もある。そのような場所で事が起こったのは、実に運がよかったと言える。
そうなると問題は。
「この話をどこまで鹿野島および周囲に知らせ、そして今後どう対処していくか、よな」
「然り」
全く情報を流さないというのは無しだ。口ではなんと言っても来夏は鹿野島の姫君。鹿野島守にとっては娘であり、やもすれば政略の道具ともなる存在だ。その動向が全く気にならないなどあり得ない。それなりに気をもんでいるはず。
ここで情報を出し惜しみなどすれば余計な疑念や軋轢が生じるだろう。ただでさえ微妙な関係だ、それがこじれるような真似は避けたい。
かといって全てをありのまま伝えれば、かの領主はどのような反応をするか。彼だけでなく鹿野島の民全般に言える事であるが、本質的に気性が激しい。今までの歴史を顧みても、中央からの理不尽な要求を力業ではね除けた、という逸話は虚実含めていくらでもある。
今回のことがおそらく帝都の中枢に近い人間が元凶であると、そう推測される情報を流せば最悪謀反を起こしかねない。知り渡れば鹿野島守だけでなく、その周囲も憤るだろうことは目に見えていた。火薬庫に火種を放り込むようなものだ。
そうでなくとも最近永原あたりが妙にざわついている。数少ない、他の大陸と交易を行っている領である永原は、それ故に他の大陸の技術や情報を真っ先に手に入れられる立場にある。当然ながらそれらは細大漏らさず帝国政府に開示する義務があるのだが。
最近になって、僅かではあるが永原から帝都に送られる物資や連絡の頻度が下がってきていた。それと同時に抜け荷――密貿易の検挙数も減ってきている。交易の頻度や内容はさほど変化がないにも関わらず、だ。さらに、傭兵や荒事を生業とする者たちが密かに集められているという話も聞く。どうにもきな臭い。
その他の領とて一癖も二癖もある所ばかりだ。今回の話が流布すればどのように動くかそれとも動かないのか、確かなところは分からない。
「……まあ、すでにはしっこい者は耳に入れているであろうが、知らん顔をしているわけにもいくまいて」
「まずはある程度ぼやかしてお知らせする、という運びで?」
「それしかあるまいのお。案配は任せる。それに帝都のあたりにも探りを入れねばならんか。忙しくなるぞえ?」
「毎度ごひいきに」
悪戯げに笑いながら頭を下げる文五郎。やれまた楽隠居が遠のいたわと鼻を鳴らす忠尚。
紀邑屋 文五郎。この時代に置いて情報という物の価値を十分に理解し、それを取り扱うことに長けた希有な商人である。情報という商品をどうかき集め誰に売りつければ利となり恩となるか、そういった嗅覚は図抜けていた。
そして少なくない大貴族が「商人など金に目のくらんだ卑しい生業」とさげずむこのご時世に、彼らの言葉に耳を傾け重用する西部 忠尚。彼も世間で言われているような穏やかなだけの人物ではない。
この二人もまた、動乱の時代を駆け抜ける傑物となる。
門崎に逗留しさらに翌日。誠志郎の姿は内陸へと続く山々の一つ、それをくりぬいて造られた大規模な施設内にあった。
【大陸横断鉄道】、その現時点での西の基点、門崎駅。
巨大な列車が居並ぶその壮観。それをぽかんと眺めながら誠志郎は我知らず零していた。
「初めて見たけど……すげ……」
話には何度も聞いていたし写真なども見た事がある。だが実際に目にするこの迫力。圧倒されることこの上ない。
「……まだここから、西南部へ橋かけて延ばす計画なんだよなあ」
海峡の最も狭い部分、そこに巨大な鉄橋が建造されている光景を思い出して身震いする誠志郎。
ただただ凄いと、そう思う。人はこれほどの物を作り出すことができるのか、これほどのことができるのか。その事実に感動のような物を覚えている。その様子は完全におのぼりさんそのものであった。こんな様子では帝都に着いたときにはどうなる事であろうか。実に不安である。
と、惚けている場合ではないと思い当たったのか、頭を振って我を取り戻す。出発の時刻にはまだ相当の余裕があるのでゆっくりはできるが、あまりのんびりしていていざというとき出遅れたりしたら目も当てられない。
「そういえば来夏様は、躯体を預けると言っていたなあ」
結局来夏は、迷わず教導院に自身の機殻鎧を持ち込むつもりのようだ。が、流石に街道をえっちらおっちら帝都まで歩いていくという真似はしでかさなかった。いや、本人的にはやる気だったのかも知れないが、流石にこの間の事件のようなことが再び起きるのは避けたい。帝国が威信をかけて作り上げ、貴族も多く使用する大陸縦断鉄道であれば下手な手出しはできないだろう。そう考えてのことだった。
同じ便を使うとはいえ、客室なども格が違い、帝都まで顔を合わせる事はほぼあるまい。あるいは帝都に着いてからも行動を共にする機会は減るのではないだろうか。
一応出発前にもう一度顔を合わせておくかと、誠志郎は貨物車両の方へと足を向ける。
巨大なつり下げ運搬機がゆっくりと各種貨物を車両に積み込んでいく。その一角で複数の機殻鎧が椅子に座るように台座に固定され、積み込まれていた。その中に来夏の躯体、防人型四十二式改【轟雷】の姿もある。
積み込まれる躯体のほとんどが、鉄道管理局が警備兵の物だろう。拘束は最低限で、いざとなればすぐさま起動できるようになっている。さすがにこの鉄道を襲うような賊はいないだろうが、大型魔獣などが襲ってくる可能性はある。備えは必然であった。まあそれは良いのだが。
「(? なんだろう、一つ毛色の違うのがあるなあ)」
積み込まれる躯体の中に、一つだけ様相の違う物がある。妙に配色がおかしいと思ったら、どうやら様々な躯体の装甲を寄せ集めて組み付けているらしい。懐具合が寂しい傭兵であれば珍しくもない話だが、それでも普通塗装ぐらいは統一感を出そうとするものだ。原型は防人型のようにも思えるが、やたらと手を入れているらしく断言はできない。それ以外にも何か違和感が……と、気付くのは脚部。
奇妙な構造であった。通常の躯体よりひとまわり大きな足、その甲の部分と踵に車輪のような物が埋め込まれていたのだ。
これを用いて滑走でもするというのだろうか。だがこんなもの下手をすれば転倒するだけだろう。いや使いこなせる者がいるとも思えない。これだけでも大分おかしいが、台座の隙間から伺える腰部の背後が何か妙だ。
背後を直接伺える位置に回る。腰部の後方、そこには脚部の油圧機構、そして予備動力の蓄電池とそれらを護る装甲が存在するはずなのだが。
「……なにこれ?」
思わず間抜けな声を上げる。そこにあったのはすだれのような積層装甲ではない。図太い尻尾を思わせるような、回転弾倉を備えた何らかの機構であった。
予備武装の銃器かとも思ったが、その機構には銃口がない。なんだかよく分からないものだが、なぜかその機構に見覚えがあるような気がする。
はて一体どこで見かけたっけかと、己の記憶を探る誠志郎。そんな彼に背後から声がかかった。
「おお誠志郎殿、貴公もこちらにおられたか」
「ああ、来夏様、出立前にご挨拶をと伺ったのですが……?」
振り返りながら応える誠志郎の顔が、怪訝な表情となる。相変わらず快活に笑う来夏の姿、それはいい。問題はその隣だった。
「ふむ、君が来夏姫の言っていた『なかなかの強者』かね。なるほど、いい身体をしている」
「ししょーししょー、いきなり失礼ですよ」
やたらと偉そうに腕を組んでこちらを見下ろす人物。薄汚れた着物の上からこれまたぼろぼろの白衣を肩に引っかけ、単眼鏡を着けた美人だが怪しい雰囲気を放つ女性と、その女性よりはましな、こざっぱりとした袴姿の小柄な青年。
何の脈絡もなく突然現れた不審者とおまけに対して思考を停止せざるを得なかった誠志郎は、ただこう思う。
「(……だ、誰?)」
後に見城 鋼刃はこう語る。この出会いがなければ今の自分はなかったであろうと。
……ただできれば成り行きのうちに腐れ縁になるのは勘弁して欲しかったなあと。
次回予告
帝都までの旅。それは平穏に終わらなかった。
事故を装った運行妨害。そして立ち往生した列車に襲いくる賊。
混乱の最中、誠志郎は凶的職人が生み出した狂気の躯体で起つ。
次回、『伏龍 起動』
乱世に刃鋼の疾風奔る。
私は物書きばかりしているわけにはいかんのだよっ!
詰みプラモや詰みゲも消費しなけりゃいかんし漫画も小説も読まなきゃだし!
……ごめんなさい生きていてすみません。
さて、相も変わらず亀進行の執筆速度&話の内容でした。伏線張りまくりですがどうにかできるんでしょうか自分。(をい)
ともかく次回はロボ戦……のはずです。本格的なメカアクションが展開する…といいな。
そろそろ仮題とあらすじの変更を考えるとしますか。つーことでまた次回。




