二十八
試合の喧噪が、どこか遠く、他人事のように聞こえる。
御前試合会場から出た三平太は、軽く息を吐いた。
不思議と、悔しさはなかった。負けるべくして負けたのだと、そう素直に思える。決して舐めていたわけではないが、それでも最後の最後で一瞬勝負を焦った。ゆえに相手の左腕の動きを見逃したのだ。かの少年が両手ききと言うことは最初から分かっていたというのに。唯一の、しかし最大の敗因である。
この敗北に対し、試合場に訪れていた真影の関係者は冷たく、見下した態度で接してきたが、三平太自身は殊勝な態度を見せながらも内心まあそんなものだろうと気にも留めていなかった。
身内に対しても、いや身内だからこそ足の引っ張り合いなど日常茶飯事だ。剣士としてはともかく出世は目がなくなったとみていい。が、実際自分が未熟なのは事実。元々出世欲などあまりなかったのだ、これを機に剣に打ち込み直すのもいいかもしれない。
「(……そうだ、敗戦を理由に暇をもらおう。大陸を巡り、己を鍛え直すのだ)」
どうせこのまま真影の中に居座っても、難癖をつけられたり足を引っ張られたり、ろくでもない目に遭うことは請け合いだ。であるならば剣士としての本分を果たす――己の心身を鍛え磨き上げる方が有意義だと、三平太はそう考えた。
この後彼はその考えを実行に移し、しばらく帝都から離れる。
誠志郎と同じく大局を見回す目を持たないが故の行動であったが、この行動が彼の運命の分岐領となった。
二十八・少年の幕引き
ずん、と胃の腑に重みを感じる。
勝利とはこんなにくるものだっただろうか、誠志郎は自身の感覚に戸惑いを覚えていた。
いわゆる精神的負荷を感じているのであった。勝利に浮かれたりなど決してしない質ではあるが、逆にどうにも大舞台での戦いが思った以上に堪えているようだ。戦い始めればそのような些末ごとなど気にならなくなるくせに、みょうなところで小心者である。
周囲の人間もそう感じているようで。
「ふ、随分と気弱だな。負けても構わぬと構えていたのではなかったか?」
からかうよう言うは来夏。後日機殻鎧での戦いを控えている己のことは棚に上げ、すっかり誠志郎の付き人気取りである。出来るだけ傍に居るべしという、乙女心というか攻略心のようなものが働いていることは否めない。
見たところ誠志郎は大分参っているようだ。しかしそれも言ってみれば自分で自分を追い込んでいるだけ。要は気の持ちようなのだが。
「(基本真面目な性格が災いしたか。やれ、某はこういうとき殿方を奮起させるような方法が分からぬからなあ)」
自分がしだれかかっても様になるまいと、どこか場違いなことを考える。まあどちらにしろ自分には向いていないことだ。
ならば、向いていそうな人間に任せる。
「(そろそろ来るころだが……と)」
扉の外から控えめに「失礼致します」の声。分かってはいるが「どなたか」と誰何の声を上げる来夏。
「神楽 美月と坂出 詠歌にございます。同期の学徒を代表し、見城殿の陣中見舞いにと推参いたしました」
「おお、左様か。誠志郎、入ってもらっても構わぬな?」
自分で呼びつけた事などおくびにも出さず誠志郎に告げる。誠志郎が頷く野を見計らったようにがらりと戸を開けて、美月と詠歌が控え室に足を踏み入れた。
「ごきげんよう、見城殿」
「よ、調子はどう?」
いつも通り丁寧な態度の美月と、意識してかことさら軽い調子の詠歌。沈鬱にも見える誠志郎の気配が、少しは軽くなったように見えた。
「ああ、わざわざありがとう。ここまでくるのは結構大変だったろう?」
関係者以外が出場者に接触しようとすれば、色々と手続きが面倒なはずだ。多分来夏が手を回したのだろう。気を遣わせたなと済まなく思う。
誠志郎の言葉に応える美月は、それを隠そうともしない。
「いえ、手助けして頂ける方もいらっしゃいましたので。……それより手みやげもなくて申し訳なく」
流石に口に入れるものの差し入れは禁じられている。というか持ち込めるものにも制限がかけられていた。もっとも持ち込めたとしても、今の誠志郎はとても口にする気分には慣れなかったろうが。
「で、次は勝てそう?」
全く遠慮無く、聞きにくいことをずばりと問うてくる詠歌。竹を割ったどころではない物言いに、苦笑する誠志郎。
「難しいだろうね。今までも難しかったけど、そろそろ運の尽き、かな」
勿論最初から負けるつもりなど無いが、今までだって薄氷の上の勝利で何とか繋いできただけだ。しかも次の相手は。
「かなり強いよあの人。いや今までの相手だって強かったけどさ」
「うむ、単純に剣の技であればいままで対戦したものとさしたる差はなかろうがな」
来夏が口を挟む。
「かの御仁、かなり『場慣れ』している。対魔獣戦闘だけでなく、対人戦闘もかなりこなしているようだ。はっきり言って、経験は我々より上だろう」
格や資質であれば、彼と互角かそれ以上のものはいた。だが恐らく彼と同等の実戦経験を積んだものはおるまい。それこそ春川道場に集う剣客たちに匹敵するやもしれぬ。かてて加えて誠志郎は今までの試合で手札を全てさらけ出している。年貢の収め時と考えても致し方がない。
しかし意識してか天然か、美月は小首をかしげてみせた。
「でも今まで勝ち抜いてきたのは見城殿も同じでしょう? 出している結果は同じ。恐るるに足らずとまでは言いませんが、負けると決めつけるのはどうかと」
武というものに精通していないからだろう、どこか場違い感のある言葉だ。そも誠志郎の気が重いのは勝敗が問題なのではない。
美月の言葉に目を丸くした誠志郎は、不意に相好を崩しくく、と笑い声を漏らした。
「ふふ、そうだね。……諦めるには、まだ早いか」
すこしずれた美月の言葉であったが、それなりに意識を切り替える切っ掛けにはなったようだ。漠然とした圧迫感に押しつぶされている場合ではない。今は戦うことだけを考えねば。完全に開き直ったわけではないが、少し前向きに考えを切り替えている。
詠歌や来夏も、にやりとした笑みを浮かべた。
「いい顔になったじゃない。少しは勝ち目が出てきたかな?」
「然り。重い臓物を抱えているよりは幾分ましであろう」
空気が軽くなった。狙ってやったのかどうかは知らないが、美月には感謝するべきかも知れない。にこにこと笑みを浮かべる彼女に軽く微笑みかければ、得たりとばかりに軽く頷いて見せた。どうにも手玉に取られているようだ。
状況が変わったわけではないが、確かに誠志郎の気は晴れたようである。
惜しむらくはこれが、勝敗に影響する部分は無かったという所であろう。
「どういうこと? 何故私が彼の元に赴いてはいけないのよ!? 猿条家と知っての無礼か!」
「ですから先程から申し上げています通り、前もって参加関係者から許可を得るか正規の手続きを経てからでなければ何者をも通すわけには参りません。例え公爵家の方であろうとも、いえ、むしろ上級貴族であればこそ、模範となって頂きたく」
巌のように立ちふさがる警備員に食って掛かるのは千里であった。当然ながらその背後で那波が「姫様! はしたないことはお止め下さい!」などと言って引き留めようとしているのだが、耳に入っている様子はない。
埒があかぬと、今度は御前試合を仕切る運営委員会のほうへと怒鳴り込もうと考え踵を返そうとして。
「……見苦しいものですね」
不意に響いた声に、ぎ、っと睨み付けるような視線を向けた。
そこにいたのは、肩口で髪を切りそろえた儚げな美少年……に見える人物。今にも噛み付きそうな様相の千里を差し置いて、那波は相手が最近誠志郎とよく話している教導院学徒だと気付いた。
「無礼な、何者か」
唾棄するように問うてくる千里に対し、その人物は冷たい眼差しを向けたまま応えた。
「永原領伯爵陸堂家が子、陸堂 氷雨丸ともうします。……誰もが思う感想を口にしただけなのですが、気を悪くなさいましたか?」
口調はからかうようで、挑発的だ。こやつなんのつもりかと眉間のしわを深くする千里。
それに対して氷雨丸は、挑発的な態度を保ったまま言葉を紡ぐ。
「男の戦いの場におもしろ半分で、しかも権威を笠に首を突っこもうなど無粋と言わざるを得ないでしょう。少しはご自分を鑑みられてはいかがか」
「ぐっ……」
千里は言葉に詰まる。分かってはいたが他人から指摘されると返す言葉も出ない。
彼女だって無茶苦茶をやらかしているというのは内心理解している。ただ誠志郎の試合を見ていると落ち着かなくて、顔を直接見たくて、たまらなくなってきたのだった。陣中見舞いなどと相手を思いやったものではない、ただただ無事な顔を見たいという自分本位な思いからの行動だ。
それでも自分自身の思いが分からない、いや認めようとしないがためが、つい高圧的な態度で押し通ろうとしてしまった。それが見苦しい行為だと分かっていたのに。
しかしこれで、ある意味踏ん切りがついたといってもいい。見苦しいという事実を叩き付けられたことで諦めて引き返すという行動を選択できる。那波のような弱い制止ではない氷雨丸の言葉が、冷や水を浴びせたかのような効果を生み千里に冷静さを取り戻させたのだった。
ぎり、と歯噛みしてから踵を返し、那波へとぶっきらぼうに「帰るわよ」と言葉をかける千里。そして引き上げ際に、氷雨丸を睨み付ける。
「……陸堂 氷雨丸。その顔、覚えておくわ」
済ました表情のまま「ご随意に」と返す氷雨丸。肩を怒らせて去る千里とおろおろとそれを追う那波の背中を見送ってから、氷雨丸は小さく自嘲する。
「どの口が、言うか」
人のことを言えた義理ではないと、そう思う。なぜなら彼女もまた、いても立ってもいられず誠志郎の様子を伺いに来たのだから。勿論千里のように強引な行動に出るつもりはなかった。あわよくば顔をひと目でもと、その程度ではあったが。
どちらにしろ誠志郎の都合を考えない、自分本位なものであることに変わりはない。そう言う意味では同じ穴の狢だ。千里の行動は、自分の醜い面を見せつけられたような気がして口を挟まずにはいられなかった。それが真相である。
陰鬱な気持ちで控え室の方を見る。さほど離れた位置ではないはずだが、それがとてつもなく遠く感じた。
と、そこに突如声がかかる。
「どちらに行かれるのかと思いましたらこのようなところに。……まあお気持ちは分かりますが」
ぎょっとして声の主を見れば、やはり外套を被った女の姿。
「……まりあべる殿こそ、なぜこのようなところへ?」
動揺を押し隠し女――マリアベルに問い返す氷雨丸。それに対して異国の女はくすりと笑んで見せた。
「氷雨丸様が色々と……複雑な表情で席を離れられたのが気になりまして。あ、もちろん若様の許可は頂いておりますわ」
「む……」
そんなにおかしな顔をしていたのか、氷雨丸は思わず自分の頬に手を当てる。その様子を見てマリアベルはふふ、と笑い声を漏らした。
「……焦がれておられるのですね」
その言葉にぎくりと身を強張らせる氷雨丸。「な、なにを」と焦って言い訳しようとする彼女を、マリアベルはみなまで言うなと制する。
「女ですもの、分かりますわ。だからといって氷雨丸様にああしろこうしろなど言うつもりはございません。その想いは貴女だけのものなのですから」
ただ、と言葉を続けようとするマリアベルの表情は、それまでにない真剣なものだった。
「今抱くその想いを、決してお忘れにならないよう。呑まれず、忘れず、その想いが胸にあったと、それを確かに覚えておいてください。その想いを持ち続けていれば、きっと――」
世界をも、変えられるでしょう。
いかなる意図を持ってマリアベルがそのような発言をしたのか、氷雨丸には分からなかったが……。
その言葉は、妙に心に残った。
試合は進み、二回戦がそろそろと行われ始めたあたりだ。
その様子を冷ややかな視線で見やっている一人の男がいる。清玄派の陰陽師が一人にして、今回動員された面子のまとめ役であった。
「(じれったいものだ。そろそろ決着といきたいが)」
未だ彼らの役目は終わりを見せない。見城 誠志郎の敗北、それを虎視眈々と待ちかまえている。
が、よくよく考えればなにもその一点だけを集中的に狙わなくとも、機会はいくらでもあった。兵鋭の思考誘導(拙いとすら言えない初歩的なもの)があったとはいえ、あまりにも堅く、柔軟性がない。予想外の障害を恐れてのことであるが、逆に対応に支障が出るのでは無かろうか。
その分彼らは用心に用心を重ね、ただ一瞬の機会に全てを注ぎ込んでいる。それを防ぐことは、流石に運気に恵まれた者とは言え叶うまい。その考えはあながち誇大妄想でもなかった。痩せても枯れても彼らにはそれくらいの実力はある。
ただし邪魔がなければの話、であるが。
実際には、彼を含むほぼ全ての陰陽師は東部奉行所と匠合会が手配したものたちによって監視下にある。事を起こせばすぐに取り押さえられる手筈が整っていた。
己が猟師のつもりな陰陽師たちは、自分たちがすでに罠の中にいるとは露ほども思っていなかった。
午後に入って、少し風向きが変わってきたようだ。会場に足を踏み入れながら、誠志郎はそのようなことを思う。
先程までそのようなことを気にする余裕が無かったというのに現金なものだ。そう苦笑を浮かべた。
「(以外と破廉恥なのかも知れないな、自分は)」
ちょっと女性と会話した程度でこの心変わりよう。ここまで単純だと思うと笑えてくるが、そのおかげで落ち着くことは出来た。
「(さて、一瞬で決着という無様だけは、曝したくないものだけどね)」
試合場にたどり着けば、相手もすでに用意を調え待ちかまえていた。猪のような体型、痘痕だらけの顔。蝦蟇蛙のような唇を不敵に歪め、瞳を輝かせたその男には、虞など何一つないように見える。
実際に男――勝太郎には、気負いもなにもない。ただ目の前の強敵と切り結ぶ、そのことに対する喜びを隠そうともしていなかった。
「(ここまで都合よくいくとはな。あとで神社に参って寄進でもしとくべ)」
信心深いわけではないが元々寺に預けられた孤児だけあってか、ことあるごとに軽く参拝などを行うという癖があった。まあそれも終わってからの話だと、意識を目の前に向ける。
相手の少年は、随分と肩の力が抜けたようだ。一回戦が終わったときには大分堅くなっていたようであったが、何かあったのだろう。
「(女にでも慰められたべえか? そんなとこでねえかな)」
貴族はこのくらい年齢でも許嫁がいることが多いと聞くし、えらいさんになると妾を侍らすことも珍しくないと言う。それはそれで大変そうだべと、女性に関わることなど必要最低限にしかないと自他とも認める勝太郎は、完全に他人事で思った。
まあいい、楽しませてはくれそうだ。勝太郎は舌なめずりをせんばかりの心境で足を踏み出す。
対峙する二人。片や見目麗しいとは言わないが、利発そうな容姿の少年。片や醜男としか言いようのない男。心境としては誠志郎の方を応援したくなるものだ。しかしそのような空気など、実際に対峙している二人には関係ない。
「国立教導院学徒、無鎧流、見城 誠志郎」
「吾逗間浪人、四方流、白来寺 勝太郎」
名乗りを交わし、審判が手を挙げる。
今回も容赦なく試合開始を告げる声が響く。
「始めい!」
抜刀、構えを取る。その直後に誠志郎は踏み込んだ。
今までにない積極的な攻め込みである。最早負けだと破れかぶれになったのか、そう思える行動であったが。
誠志郎の目に諦観など無い。それどころか獲物に襲いかかる猛禽の鋭さを宿していた。
「(後にも先にもない覚悟で、全部ぶつけてみるだけさ!)」
どの道全て知られているなら、下手な駆け引きなどするだけ無駄だ。それにこれまでの試合で、誠志郎は自ら先手を取って動くという行動に出たことはない。意表をつくとまではいかないだろうが相手の調子が少しでも崩れれば儲けもの。それに相手は長物、間合いを縮めなければこちらが不利だ。そう判断した誠志郎は果敢に打ちかかろうとする。
対して勝太郎は。
「……ええ判断だべ」
慌てず騒がず、す、と両の手で棍の真ん中あたりを握り正面で構えた。そして。
がかっ、と音が響き、誠志郎の打ち込みは双方共に弾かれる。
「っ!?」
軽い驚きに目を見張る誠志郎。勝太郎は器用に棍を振るい、その先端と尻で巧みに誠志郎の二刀を弾き返したのであった。しかもほぼ手首の返しと体さばきのみで、である。
それは長巻の使い方ではない。普通に使えば大物である長巻はどうしても大振りになってしまう。だが中心付近を支点にし両端を振るえば確かに多少の小回りはきくようになる。
その代わり扱いは難しくなってしまう。効果的に使おうとすると、下手をすれば二刀流より面倒になるのではなかろうか。
このような扱いをする得物に誠志郎は心当たりがあった。
「(【双刃剣】!? 長巻と全然違う武器じゃないか!)」
柄の両端から刃を生やした形の特殊な剣。見た目通り扱いが難しく、その使い手はなかなかいない。誠志郎も一人しか所有者を知らず、しかも実際に扱っているところを見たことがない。対処法はほぼ白紙と言ってよかった。
「へへ、驚れえてくれたかい?」
呟くようだがしかりと誠志郎に聞こえる音量で言葉を吐き、にやりと笑う勝太郎。彼とて長物の弱点――懐に入り込まれると弱いということは重々承知している。それを補うための技術がこれだ。大太刀でなく長巻を使う理由がここにある。彼の四方流はもはや四方流の域に留まらない。
勝太郎の言葉に誠志郎は我知らず歯噛む。この男、どこまで引き出しがあるのか。しかも今までの試合でその引き出しをほとんど開けずにここまで至っている。技量や格の差だけでは計れない強かさ、巧みさ。そういったもので誠志郎を上回っていた。
これはそのまま二人の経験の差が現れたといって良い。確かに誠志郎は対魔獣戦闘の実戦をくぐり抜けた強者だ。しかしその始まりからして恵まれている。戦いに対する教育を幼少のころから受け、剣と銃を与えられ、来夏の駆る轟雷と共同で事に当たっていた。対する勝太郎は、剣こそまともな師に教わったものの、孤児ゆえに後ろ盾も先立つものもない。まさに己が腕だけでここまではい上がってきたのだ。その道筋は、並大抵のものではない。恐らく出場者の中で一、二を争う過酷な道を歩んできている。自業自得とはいえ辺境に追いやられた力丸ですらも、彼より恵まれた環境にあった。
高く深い隔たりを感じる誠志郎。だがそれでもまだ、彼の目は諦めを見せなかった。
再びの打ち込み。果敢に攻める誠志郎だが、その打撃はやはり全て阻まれ弾かれる。
「やけになった……わけではねえだな」
巧みに棍で打ち込みを捌きつつ、冷静に誠志郎を観察する余裕がある。積極的に打ち込みながら、こちらの癖を掴んで勝機を見出そうとする意識が感じられた。勝太郎はにやけた笑みを崩さずに言う。
「んだば、一段階上げるべ」
走る悪寒。誠志郎は咄嗟に後退した。
ぼ、と大気を裂く音。前髪が数本ちぎれ飛ぶ。一瞬前まで誠志郎の頭があった空間を棍が貫いたのだ。
「(打ち合いの最中に、間合いを変えてくるか!)」
なんのことはない。双刃剣のような振るい方から長巻の振るい方に戻しただけだ。ただ激しく切り結んでいる最中にそれをこなすのはなかなかに難しいし、度胸もいる。それをさらりとこなす勝太郎はやはりなまなかではなかった。
うかつ。思わず距離を取ってしまった誠志郎は、たらりと一筋汗を流した。
これで仕切直し。しかし一向に攻略の目が見えてこない。距離による優位性もなく、出来ることは限られる。さすがに気持ちが萎えかけていた。
その様子を見ていた五郎左は、厳しい眼差しを向けている。
「さて、ここからどう踏ん張るか、よなあ」
ある意味剣士の本領は、全てを出し切った後どうするかという所にあると五郎左は考える。
なお諦めず足掻く、自棄になって博打を打つ。もちろん逃げるというのも手だ。死にさえしなければ挽回する機会は残されているのだから。
ここで心が折れるのも勉強だろう、その後立ち直れないような男ではない。それくらいには誠志郎を信用していた。
果たして誠志郎は。
「(まともに斬り結んでいたら、活路どころじゃない。じり貧だな)」
まだ状況を打開しようと思考を巡らす気概は残されていた。
今までの相手は、お互い様子を探ろう出方を見ようと言う形で対峙していたのが多かったように思える。だがこの相手は違う。一つ一つ、開けた引き出し――己が持つ手札に対してどう反応するかどう対処するか。それを見て楽しんでいるような節があった。
猫が鼠をいたぶって楽しむような、そのような嗜虐思考があるわけではない。純粋に、自分の技術にどこまでついてこれるか、それを楽しんでいる様子だ。一歩間違えれば極悪人にしか見えない笑みを浮かべてはいるが、その瞳に輝きは少年のようだったところからそれが伺える。
そうこう考えている間にも。
「ほれ、離れていると次はこういうのが来るでよ」
言った途端に、棍が伸びたように襲いくる。今度は柄の尻に握りを変え、間合いを伸ばしたのだ。
そのまま大太刀を扱う要領で振るい、打ち込む。四方流本来の動きだ。三十郎と対峙した経験から太刀筋はそれなりに読めるが、一撃一撃が重く受け流すのに苦労する。
「へえ、普通はこっちの方が対処しずらいだが、四方流とやりあった事があるべなお前さん」
応える余裕はない。流石に三十郎ほどの威力はないが、それでも油断をすれば吹き飛ばされそうな勢いだ。それが四方八方から襲いくる。四方より空を裂く、そう称される流派なのは伊達ではなかった。
どんどんと対処法が削られていく。何より問題なのが間合いが広いことだ。極近接から槍に匹敵する遠距離まで、通常ではあり得ないような範囲である。それでいてその全てで誠志郎を圧倒する技量を見せつけていた。つけいる隙がない。
諦めてはいないが余裕の無くなってきた誠志郎。そんな彼を見て、勝太郎は攻め手を一端休め苦笑を浮かべる。
「おいおい、楽しんでねえだか?」
何を言っている、と誠志郎は少し憤慨するような気分になった。かまわず勝太郎は続ける。
「折角のお祭りだ、楽しまなくてどうするべ。それとも、お前さん嫌々この場に立っているだか?」
戦いの場とは人生の縮図である。勝太郎はそう考えていた。
死と隣り合わせの中、誰もが勝つため生きるために全力を尽くす。生と死の一瞬の中に生きるという全てが詰まっているのだと。寺で生死観を叩き込まれ、実際に剣でもって己の人生を切り開く中生まれた持論だ。
だからこそ、戦いの中に全ての感情があってしかるべきとも考える。喜怒哀楽、全ての感情が出てくるのは当たり前。生きるというのはそう言うことなのだから。余計な感情はいらぬ削ぎ落とされるべきと言う兼定の、そして誠志郎の考えとは真逆といっても良い。
かてて加えてここは命のやりとりでない試合の場。であればただ純粋に技を競い合えると言うことであり、それは重畳なのだと勝太郎は感じていた。折角の機会なのだ、それを全力で楽しまないでどうするか。
誠志郎にはそんな勝太郎の思いは分からない。だが何か感じるものがあったのか、彼もまた苦笑を浮かべる。
「……無茶を言う御仁だ」
試合が始まって初めて口にしたのがそんな台詞だった。楽しめなどと無茶ぶりも良いところであるが、嫌々出場したわけでもない。出ると決めたのは己自身だ。今更怖じ気づくものでもないだろう。
呼吸を、一つ。そして心を静めるように意識。かつて力丸と対峙したときや、命のやりとりの中で時折起こる醒めた感覚。それを呼び起こさんと試みる。意識してその感覚を得たことはないが、やってみれば出来るという手応えはあった。
楽しむというほど開き直れそうにはなかったが、冷静にはなれる。それが勝ちに繋がるわけではないがしかし、流れを変える要因にはなるかも知れない。賭とも言えない小さな変化。それをどう生かすかが肝となる。
果たして一瞬伏せた目を開ければ、水鏡のごとく感情を映さない眼差しが露わになる。それを目の当たりにした勝太郎は眉を顰めた。
「なんちゅうかお前さん、とことん真面目だなあ……」
呆れたとも感心したともつかない調子で言う言葉に、構えを取り直しながら誠志郎は律儀に応えた。
「これが、自分だ」
己に言い聞かせるようにも思える言葉に、なるほどなあと小さく笑みを浮かべる勝太郎。なにやら感じ入る所があったのか、その表情には理解の色がある。
「……失礼しただな。では改めて――」
勝負だ。その言葉が出た途端空気が引き締まる。
誠志郎に合わせたかのように、勝太郎が真剣な気配を放ち始めたのだ。彼とてへらへらしているだけではない。全ての感情があるべきだと言うのであれば、当然剣に対する真摯な想いもある。それを前面に押し出したのだ。
今までとは違う雰囲気に、会場の多くは固唾を呑む。永劫にも思える一瞬が過ぎて――
「おおっ!」
先に動いたのは誠志郎。咆吼と共に左の木刀を横に薙いで空を斬る。
不完全な斬空剣。それは大気の刃と言うよりただの衝撃波だ。しかしこれで十分、そも誠志郎の狙いは真空の刃を産み出すことではない。
放たれた衝撃波は地面に叩き付けられ、土煙を巻き起こす。予選最終戦での一幕、その再現である。
「は、目くらましだか!」
迫る土煙に勝太郎は動じない。構えを長巻に戻し、次の出方を待つ。
と、風切り音が微かに響き、土煙を貫いて何かが飛来してきた。旋回しながら飛んでくるのは一本の木刀。十分な勢いをもったそれはしかし、勝太郎の不意をつくには至らない。
「ふっ!」
棍を軽く上に跳ね上げるだけで木刀は弾き飛ばされる。その後ろから、腰溜めに木刀を構えた誠志郎が飛び出してきた。
投げた木刀に丁度隠れるような低い体勢での突貫。そして他の技でなくあえて突きを選んだのは速度を重視してのことだ。その目論見は半ば成功し、すでに勝太郎の懐に入りつつある。
咄嗟に持ち手を中央に変え、柄尻の方から跳ね上げられる棍。それは今にも突きを繰り出そうとした誠志郎の真正面から襲いくる。それを踏み出した右足を軸に、後ろに旋回しながら回避。ついでに強引に木刀を振り、棍を弾き飛ばす。
その打ち込みを受け流し後退しながら構えを変える勝太郎。今度は柄尻に持ち手を集中した大太刀の構えだ。頭上でくるりと振り回して威力を乗せ、袈裟斬りの一撃を叩き込む。
誠志郎はその一撃を払いのけるように受け流し、そのまま横に飛ぶ。斬り返しで打ち上げられた棍が空を斬った。
一連の流れは、目にも止まらぬ速度で行われている。一般の観客の目には突然土煙が巻き起こり、それを吹き飛ばしながら二人が斬り結んだようにしか見えない。ただ今の様子を見ていると、誠志郎は持ち直し勝負を五分まで持っていったように思える。これならば巻き返して逆転の目があるかも、そう捉えても仕方がない状況だ。
だが、見るものが見れば。
「そろそろ決着がつくか」
気配を潜めて試合を眺めていた兵鋭はぼそりと、しかして断言する。
今の一連の流れで仕留めきれなかった以上、誠志郎の勝ち目は限りなく小さくなった。必殺の意志を込めた音速にも至る突きは阻まれ、木刀を一本失った。いまだ例の分身する剣技が残っているが、まだ未完成であろうそれは欠点をいくつか抱えており、ある程度の技量がある人間であれば対策は可能だ。現に先に試合を行った真影の若いのでも出来たのだ、勝太郎に出来ない道理はない。
そして勝太郎にはまだ引き出しが残っている。この時点でそれを全部引き出せなかったのであれば、敗北は決まったも同然だ。あとはどこまで保たせられるか、そう言う段階に来ている。
その事実は誠志郎本人が一番よく分かっていた。だが今の感情を平坦にした彼はその事実を淡々と受け止めている。先程までの落胆のような諦観はない。ただ、やるだけやってみるだけだと足掻く。
「……ふっ!」
小さく呼気。構えを小さく取り小刻みに打ち込む。狙いは勝太郎の手元。対峙して見取ったことだが彼の変幻自在な間合いを産み出しているのが器用な持ち手の変化だ。そこを基点に攻め込めば、間合いの変化に惑わされず対峙することが出来る。そう悟ったのだ。
「は、いいでねえか!」
まだ諦めずに粘る誠志郎に対し歓喜の声を上げる勝太郎。自身の技量を封じるとまでは行かないが、ある程度の対処はできている。技も尽き、体力も消耗した状態でここまでの粘りを見せるのは感歎に値するものだと感じていた。
このまま延々と斬り結んでも構わないが、もう少しこの少年がどこまで出来るか見てみたい。そういう欲が出てくる。であるならば。
「もう一段上げるべ! さあ、ついてこれるだか!?」
ぶ、と音を立てて勝太郎の体がぼやける。高速の歩法により生じる現象だ。分身とまではいかない技術なのだが。
「っ!? 間合いが!」
小刻みかつ高速の移動は、把握しかけていた間合いを再び読みにくいものへと変えた。それが一瞬誠志郎から冷静さを奪う。
太刀筋に僅かな乱れが生じた。それを見逃す勝太郎ではない。無数に思える虚偽の打撃の中、本命の一打が誠志郎の木刀に絡みつくように差し込まれる。
瞬時に木刀を弾き飛ばす気かと判断する。これが実戦であれば、誠志郎は木刀から手を離し目にも止まらぬ早さで銃を引き抜いてぶっ放していたであろう。その代わりをなすもう一本の木刀はない。ここで残った木刀を手放せば負けと判断される。その事実が木刀を握る手に力を入れさせ抵抗せんとした。
ぐん、と引っ張られる。いや己の力が別な方向に流されるような手応え。あっと思う間もなく、誠志郎の体は宙に投げ出されていた。
観客たちも、その光景に度肝を抜かれる。来夏も流石に驚き驚愕の声を上げた。
「棍で、投げを打った!?」
そう、思わず無駄に力んだ誠志郎の力を誘導し、投げたのだ。ただ無手でやるような技を棍で行うなど、器用どころではない技術であった。流石にこれは、誰も予測できない。
「くっ!」
しかし誠志郎もさるもので、咄嗟に受け身を取り転がって、片膝をついて起きあがる。その様子によくできましたとばかりの笑みを浮かべ、勝太郎は構えを取り直し、二人は再び斬り結ばんと――
「それまでっ! 勝者、白来寺 勝太郎!」
審判がすばっと手を挙げて、あっけなく試合の終わりを告げた。これには膝立ちの誠志郎はおろか、勝利を宣言された勝太郎もそろって「「は?」」と目を丸くする。
突然の終了。その要因はと言うと。
「あ」
誠志郎は己の足元を見て気付いた。今自分が膝立ちをしているのは試合場の外枠線の上。つまり場外である。遅れてそれに気がついた勝太郎は、あっちゃあと額に手を当てた。
「しもうた、投げる方向をよく確認してなかったべ」
何とも間抜けな話であるが、それだけお互いが熱中しすぎていたと言うことだ。そのあたりは双方共に、詰めが甘かったと言うしかない。
こうして、事実上の最終決戦と言えたかも知れない戦いは、不完全燃焼のまま終わりを告げた。
色々な意味で注目度の高かった二人は後ろ髪引かれる思いで試合場を後にするが……。
いくらか時間を経た後、彼らは再び刃を交えることとなる。
控え室に戻った誠志郎を出迎えた来夏たちは、何とも言えない微妙な表情であった。自分もそんな表情をしているのだろうなと、誠志郎は溜息を吐く。
「……お見苦しい所をお見せしました」
神妙に頭を下げる。困ったような笑みを浮かべる来夏は応えた。
「うむ、その……試合の規則だからな。こればかりはやむを得まい」
自分も剣に集中してしまえば似たようなことが起こるかも知れない。そのような自覚があった。
そんな場の空気を呼んだわけでもなかろうが、居合わせた鉋が口を開く。
「ともかくお疲れ様と言っておこうか。上の方々にも一言言っておかねばなるまい、それが終わったら今日の所はゆるりと休みたまえ。明日からこちらのほうを手伝ってもらわねばならないからな」
この後の試合を見るよりは気分を切り替えるために休ませたほうがよかろう。そう判断しての言葉だった。誠志郎も思うところがあったのか、神妙に「そうさせて頂きます」と応える。
そんな彼の背後。物陰から地を這うように迫る小さな影があった。
それは小さな雀蜂。獲物を狙うかのように羽音を抑え死角から忍び寄る。
はい上がるように誠志郎の背中すれすれを飛び襟元に止まる。そして尻から鋭い針を出して、誠志郎の首筋に突き立て――
次回予告。
騒がしい会場の裏側で大捕物が始まる。
騒動の決幕はいかなるものとなるのか。
そして勝太郎にも魔の手が伸びる。
それを乗り越えた彼に待ち受けるのは。
次回『裏側騒動』
刃鋼の光は行く先照らすか。
ガンダム新作期待。
早くキット販売しねえかな緋松です。
さて今回は誠志郎君の試合の決着。なにこのがっかり来る展開と言った感じですが、オチは最初から決まっていました。もしかして互角の戦いではなかったのかと見ている人間が勘違いするにはどうすればいいのかと頭を捻った結果がこのように。何をする気だ緋松。
でも今後に生かされるかどうかは不明。
そんでもってこの次は会場を舞台とした捕り物がメインになる……予定ですが、はたしてどうなりますやら。微妙に不安があります。特に理由はありませんけど。
それではこのくらいにしておきます。次回もよろしゅうに。
今回戦闘BGM、ゲーム『サムライスピリッツ』より『ガルフォードのテーマ』。




