十九
花島 鉋の工場は、珍しく緊張感に包まれていた。
工場の裏庭。その中央に台座で据え付けられているもの。外観はただの内燃機関だ。ただ微妙に通常のものと形状が違う。本来ならば燃料噴射装置が備えられているはずの機関頂点部、そこにはずんぐりとした円筒形の装置が備えられている。
それを開いて調整作業をしながら、鉋は幸之助に話しかけていた。
「……なるほどな。ひとまず今回は乗り切ったということか」
「偶然誠志郎君が現れたのは、正に僥倖というやつですね。来夏姫の運気、恐ろしいほどです」
「天運を引き寄せる質かも知れないね。そればかりを期待する危険性もあるが。……しかし問題は、今後か」
「ええ、奉行所も本格的に動き出したようです。恐らく上の方で内部の対立や駆け引きなどもあるのでしょう。姫の有利になるとは一概に言えませんね。油断は出来そうにない」
「まだまだ問題だらけ、ということか。……こっちはこっちで問題だらけだが」
言いながら、鉋は装置から薄い金属板を取り出す。
それは術式補助機で使われている札と基本的には同じものだ。だがその素材は真銀や緋緋色金が使われたものであり、刻まれている回路も細かく複雑であった。使い捨ての札とは明らかに格が違う。
【術式基盤】、そう呼ばれるものだ。高度な術を永続的に使用することが可能となるが、原価からしてとんでもない価格となる代物で、市井の術師ではなかなか手の届かない品である。
それを複数枚、その装置は使用していた。装置の内側に円状に刺されたそれを、一つ一つ確認しながら鉋は言う。
「原子破砕の極小限定展開。それ自体には成功したが……どうにも機関そのものが耐えられない。改良は続けているが……圧熱式では根本的に保たないのかね」
確かに原子破砕は莫大な熱量を産み出すが、それ故の扱いにくさに鉋は苦戦していた。
その名の通り、特定空間内に存在する大気の原子を全て純熱量に変換するこの術は、絶大な破壊力を産み出す。しかし原子破砕が禁呪扱いになっているのは、なにも威力が絶大だからではない。基本的な術の骨子だけでも複雑にして繊細なものなのだが、実際に使用する際にはその破壊力そのものが障害となる。
まず問題となるのが距離だ。当然ながら至近距離で使用するなどとてもできない。下手をしなくても術師そのものを確実に巻き込むからだ。
原子破砕は射撃術式ではない。ゆえに使用する場合は安全が確保できる距離を取って展開しなければならない。だが離れた位置に術式を展開するのは非常に高度な技術であり、ただでさえ制御が困難な術の難易度を引き上げている。
そしてもう一つ。この術は威力の調整がとてつもなく難しい。それができるとなればある程度効果範囲の調整も可能となるが、それこそ原子の個数単位での制御が必要になってくる。難易度が高いにもほどがあった。
つまるところ原子破砕が禁呪扱いになっているのは、『非常に使いにくい』という一点に尽きる。使いこなせる者は最早一流と言って過言ではないだろう。
そんな術を基盤にて再現した鉋はやはり天才の領域にある。が、彼女もその制御には四苦八苦していた。結局術式を発動させる基盤一枚だけでは限界があり、威力や範囲を制限する補助術式を使うために追加で何枚かの基盤を用いることとなった。見方を変えてみれば機械的に原子破砕の制御に成功したと言うことで、色々と応用の利く技術を産み出したことになるわけだが、機関の開発に夢中なこの時点で鉋は事の重大さにまだ気付いていなかった。
ともかく確認と調整を終え、いよいよ機関の試運転に入る。その用意をしながら鉋はすでに『次』の構想に入っていた。
「(やはり伸縮筒型では強度に問題が残るな。機関そのものに術式回路を刻めばいいかも知れないが、そうなると実売価格は跳ね上がる。それを覚悟でやってみるか……あるいは構造そのものを一から見直してみるか)」
漠然と構造を考えながら、鉋は機関に火を入れる釦を押した。
ぼふん、と言う音が響き、黒煙が裏庭から立ち上る。
十九・籠の鳥は、飛べるや否や
誠志郎たちを巻き込んだ事件は、瞬く間にあらゆる方向へと波紋をもたらした。
何しろ帝都結界からほど近い街道で、しかも公爵令嬢が巻き込まれた事件だ。関係各所は上を下への大騒ぎになっている。
当然ながら誠志郎たちもしばらくの間、連日のように取り調べを受けることとなった。特に誠志郎と来夏は事細かに根ほり葉ほり問われていた。もしかして下手人と関係があるのではと疑われているのか。二人がそう考えたとしても不思議はない。
実際の所、この事件をきっかけに来夏に関わる騒動の深いところまで探り出そうという意図からのものだが、そこまで二人に分かろうはずもなかった。
ともかく件の話は教導院の中でも瞬く間に広まる。その結果。
「気味が悪くなるくらい、皆持ち上げてくるね」
誠志郎は愚痴をこぼす。聞いていた橋蔵と智助はそうだろうなあと頷くしかなかった。
何しろ話だけ聞いていればどこの英雄かと言うような話である。貴族としても武人としても、まことに天晴れ見事と言いたくなる気持ちは分からないでもない。
だが純粋に褒めそやすものばかりではない。明らかに実力者にすり寄って『おこぼれ』に預かろうと考えている者がこれでもかというほど寄ってきた。若い身空で物乞いばりに媚びを売る表情を貼り付けた者がわんさか押し寄せるのだ。誠志郎でなくともうんざりするだろう。
その上で結構な地位のものも声をかけてくるし、女子からの攻勢は激しさを増してきていた。
これが来夏のように地位のある貴族の子女であれば皆躊躇したであろう。(実際同じ事をやった来夏の元にはあまり人は訪れていない)だが誠志郎は立場的には下級の男爵子息。声のかけやすさは比較にならない。前々から優良株だと目をつけられてはいたが、いよいよこれは本物の逸材だと皆本気で狙い始めたようだ。あちらこちらから茶会や宴などの誘い、女子からの手紙や差し入れ贈り物の類が届けられ、誠志郎はその対応に四苦八苦していた。
勿論全てに応えられるはずもなく、ほとんどの相手には断りを入れている。だがどうしても断り切れないものも中にはあるわけだ。顔合わせだけでもしておかなければ後々面倒になる場合だってある。
連日見合いや就職活動を行わされているようなものだ。やっとの事で一通り捌いた誠志郎は、教導院外の茶店で一息ついていた。彼の様子が心配になった橋蔵と智助が同行し、席は誠志郎の愚痴吐き場となりつつある。が、少し様子が変わってきたようだ。
「いやそこまではいいんだよ、疲れるけどまだ様子見ってところだから。松之丞様の気に入りってこともあるし」
松之丞派閥の一員と見なされている誠志郎を本格的に引き抜こうとしているところはまだない。おこぼれを狙っている連中などその気になれば適当にあしらえるし、ただひたすら顔に笑顔を貼り付けて心にもない相対を行うのがしんどいだけである。
問題、というかどうにも気の重くなるような事情が、今の誠志郎にはあった。
「件の、依頼者の所から礼をしたいって呼び出しか。別におかしなこっちゃないだろう?」
「いやそうなんだけど、ね……」
首をかしげる橋蔵に、言葉を濁すしかない誠志郎。さすがに二人には氷雨丸が女性であると言うことは話していない。軽々しく口にして良い話題でないことは重々承知だ。
どう考えてもそのあたりに関する何かがあるとしか思えない。またぞろ面倒なことになったと、誠志郎は内心頭を抱えるしかなかった。
と、今度は智助が不意に思い出したとばかりに問いかけてきた。
「そういや猿条の姫様のほうはどしたよ。なんか言ってこなかったのかい?」
「使いの人が来て、礼状と礼金置いていった。公爵家ともなればそんなもんだろう」
末娘の命を救ったというのに扱いが軽いように思えるが、礼状と金子を出しただけまだ良心的な方である。酷いところになると、下々のものが我々のために命を投げ出すのは当然とばかりに黙殺するところもあるのだ。来夏や松之丞のように気に入れば立場関係なく親しげにする方がおかしいのである。
そういうわけで、誠志郎は千里の動向をすぱりと意識から除外した。当然である、礼状などを貰い返事を使者に託したことで『終わった』話だ。いつまでもそれに意識を振り分けている余裕などあろうはずもない。負傷をおった力丸の事が少し気がかりではあるが、それだけだ。
とにもかくにも。
誠志郎の周囲は今しばらく平穏になりそうもなかった。
来夏は取り調べ以降、寮で大人しくしていた。
珍しいことである。ここ最近二、三日に一度は匠合会に顔を出していたというのにだ。
勿論本人の意志ではない。事件のことで小巻を含む家臣らから少し自重しろと釘を刺され、笹舟からもほとぼりが冷めるまでしばらく大人しくしていなさいと、やんわり促されたからである。
そうなると途端に暇をもてあます……わけでもなさそうだ。
彼女は今、分厚い書物に目を通していた。それだけではない、その周囲にはこれでもかとばかりに山と書物が積み重ねられている。
その種類も様々で剣術指南書や兵法戦術の解説書、小説のような物語から農業の技術指導書まである。
今目を通している毒性植物の図鑑の文字を追いながらも、来夏はぼんやりと思考していた。
「(やはりどうにも……某は誠志郎を『安く見積もっていた』ようだな)」
くく、と自嘲気味な笑みが浮かぶ。
先の事件ではっきりした。誠志郎は自分よりも強い。
確かに鍛錬の試合では相打ちに持ち込まれたことはあっても、一度たりともはっきりとした敗北を喫したことはない。だが先の事件では来夏が二体の牛鬼を葬ったのに対し、誠志郎はその倍、四体を倒していた。以前の大陸横断鉄道の時は牙獣を仕留めた数こそ五分であったが、使っていたのは乗り慣れない、新機構満載の試作である。しかもそれで狙撃手の不意打ちを防ぎ、その上で習得したばかりの飛翔術を使って半里を駆けた。
来夏は誠志郎より素質があり身体能力も優れ、剣の腕では常に一歩先に行く。だが同じ状況で誠志郎と同じ事をやれ、と言われればできるかどうか。実力だけでは計れない『結果を出せる才覚』。そう言ったところで誠志郎は来夏を上回る。
引く手数多となるわけだ。将来を見据えれば一角の人物になると見える男、是非とも手中に収めたいと思うのは自分や松之丞だけではあるまい。
それに比べて自分はどうだ。誠志郎までとは言わずとも相当の戦果を上げたにもかかわらずお声掛かりの少なさよ。
理由は分かっている。武闘派有力貴族である辺境伯の子女であり、なおかつ女武芸。かてて加えて松之丞派閥の中核と思われている。並の男子であれば、いやそうでなくとも声はかけづらくなるだろう。
その代わりと言ってはなんだが、なぜか女子からの手紙や差し入れ贈り物の類が異様に増えた。まるっきり男児の扱いである。麻疹のようなものであろうと、来夏はそのあたりで深く考えるのをやめた。
ともかく、誠志郎の価値は日に日に上がり続けている。冗談抜きで今のうちに取り込んでおかなければ、泣きを見る羽目になりそうだ。しかし。
「(……だからといって、今の某に誠志郎を引き留めるほどの何かがあるわけではないのだよなあ……)」
誠志郎が傍立ってくれれば己の野望に大きな力となる。が、荒唐無稽に近い領域の話で、それ自体が彼を留める理由にはならない。かてて加えて難関を覚悟で仕えるに値する人間だと、そういった説得力があるのか。唯一に近い自負である自身の武威は、誠志郎のそれに及ばない。野望だけでは引き留めてはおけないだろう。松之丞の元で官職にでも就く事を考える方が、よほど魅力的な将来設計である。
詰まるところ自分自身に今のところ確たる価値はない。あるとすれば。
「(女である、この身一つか。それをくれてやるなどと、卑下た傲慢なやりかたなど……)」
そこまで考えてふと気付く。
当然ながら来夏は今まで男に抱かれるなどと言うことは考えたこともない。だが誠志郎が相手だとそれを最後の手段とは言え思いつき、なおかつ嫌悪感や忌避感が全くない。そうであるのが当然のように、するりと腑に落ちた感があった。
松之丞や平八など他の者たちと、そう考えてみるがどうにも違和感が出る。色々と考えて、来夏はこう結論づけた。
「(なるほど……某は自分が思っていた以上に、誠志郎のことが気に入っていたのだな)」
恐らくこの時が、来夏にとって誠志郎を男と意識した初めての瞬間であろう。思春期の少女としては当たり前のことであるが、女としての自覚が薄かった来夏にとっては新鮮な感覚であった。以前鉋に済まして応えたことが、今になって気恥ずかしく思う。偉そうなことを言っていても自分も女だったと言うことかと、自嘲して――
「さて、どうしたものかなあ……」
苦笑しながら口に出して零す。
前途は多難。加えて自身の心の中に新たなものが芽吹いた。現状とこの気持ち、どう向き合っていくか。
しかし悪くない。困難であればむしろ望むところ。相変わらず男前な心持ちで、彼女は真っ直ぐ己の心と相対しようとしていた。
件の事件の報告を聞いた佐之助が最初に吐いた言葉は――
「随分と面白いことになってきたではないか」
であった。
偶然にしてはできすぎていると、だれもが抱く感想を彼も得ていた。その上で、今まで得てきた情報から事件の裏を大体把握しつつある。
「とんでもない運気よ。鹿野島 来夏、こちらに引きずり込んでおいた方が良いやも知れんが」
さすがに誰から狙われているかまでは掴んでいなかったが、陰陽寮が噛んでおり並の人間なら数度は死んでいた状況であると言うことは掴んでいる。それらを乗り越えられたのは、ただ実力があったからではない。いざというときそれを乗り越えられる技能、人材が在るという環境。それを呼び寄せられるのは彼女の強運があればこそと思える。
その彼女を引き込むことが出来れば、自分たちにとって大きな力となるだろう。が、口説き落とすのは相当に難しいと見ていた。なにしろ己の故郷すら巻き込んで国家転覆を謀ろうとしているのだ、首を縦に振るどころかその場で真っ二つにされかねない。
かてて加えて来夏は誰かの下につくのでなく、自身が先頭に立って進む質であろう。その上であの運気だ。首尾良く口説き落とせたとしても、下手をすれば自分たちが来夏に取り込まれている、などと言うことも起こりうる。
結論として、来夏を取り込むのは非常に難しいということだ。何らかの形で利用できるかも知れないが、そこのところは素直に諦めるしかあるまいと佐之助は判断した。
「だが……見城 誠志郎、彼ならば」
誠志郎の運気もまた特殊である、佐之助はそう考えていた。
突発的な事件に遭遇する。その巡り合わせも凄まじいものだが、その全てを乗り切った『実力』。
縁もあれど、彼は来夏のように切っ掛けを呼んだのではなく学び鍛え上げた能力にて苦難を乗り切った。そのための技能を学んだ意志、そして学べた環境。ただの男爵子息では決してあそこまで至れることはなかった。西界道の鎌鼬、見城 兼定。子に対する教育から考えてもただの武偏者ではない。
それはともかく、それだけの実力を持ちながら、彼は上昇志向に欠けているように見える。最低でも人の上に立とうと考える質ではないようだ。そして乾 松之丞の派閥の中核を担っていると考えられている誠志郎だが、その実松之丞から一方的に気に入られているだけだと事は調べがついている。そのあたりをつつき、自分たちのことを認めさせられれば引き込める可能性はある。
「まあ氷雨のことがその切っ掛けにできるやもな」
呟いてくく、と笑う。これもまた奇縁と言えよう。顔見知りとなりあわよくば友誼の一つも結べればと思っていたが、まさかいきなり化けの皮が剥がされるとは。
件の事件の後、少し様子がおかしい氷雨丸に問うてみれば、彼女はおずおずと自身が女であることが知られたと白状した。佐之助は驚くやら呆れるやらである。彼の目論見としては、まず誠志郎と友誼を結び少しずつ影響を与え合っていく課程で、女としての自覚が出てくれば、などと考えていたのだが、これは予想外に過ぎた。氷雨丸が迂闊であったと言うこともあるが、何とも狙い澄ましたかのような偶然ではないか。
来夏を討とうとした者たちの気持ちが少しだけ分かるような気がする。想定した状況がひっくり返されるというのは、やられた方からしてみればたまったものではなかろう。
ともかく、これで縁が繋がった。あとはここからどう転がしていくか。
誠志郎との直接対峙を前に、彼は帝国を相手取る策謀を巡らすよりは幾分楽しそうな様子で考えを纏め始めた。
さて、公的には事件の始末をつけたと思われている猿条家であるが。
最低でも千里の中では何も終わっていなかった。
鬼気迫る様子で机に向かい、筆を走らせる。が、何が気にくわないのかその筆は止まりしばらく迷う。
ややあっていきなり筆は置かれ、便せんをひっつかみぐしゃぐしゃと丸めて部屋の傍らへと叩き付けた。叩き付けた先には丸められた便せんの山。どうもかなり前からこの行為は繰り返されていたようだ。
彼女が何をしているのかと言うと、誠志郎への礼状をしたためようとしていたのである。事件の後即座に猿条家――文生は動き、誠志郎を含む関係者各位に使者を送り出した。寝耳に水の話でこれだけ素早く反応できるのは、やはり大貴族の一翼を担うだけのことはあった。
その上で文生は、千里に対し誠志郎へと個人的に礼状を送っておけと言い含めたのである。彼としては自身が直接赴いて礼を言いたいところではあったが、立場もあるし色々と勘ぐったりつついたりする者もいるであろうから、迂闊には動けない。それにこれが娘の妙な思いこみを払拭する切っ掛けともなろうと、文生はそう考えた。
が、やはり千里は千里である。そう簡単にわだかまりが解けるはずもなかった。当然ながら筆は一向に進まない。
かてて加えて。
「くっ、なんなの一体……」
妙な苛つきが、千里の心を乱していた。
自身が憎しみを抱いている相手に助けられた。それだけでも複雑な気持ちになるだろう。その上で、恐怖に身をすくませた自分の前に立った彼の背中が脳裏から離れない。
あのとき、それが誠志郎の背中だとは思えなかった。自分の恐怖の源を一瞬にして葬り去った力強い背中。それと自分が恨みを抱いている男のものと一致しなかったのだ。
さらに言えば彼はなんの見返りも要求しないどころか、自分のことなどまるで眼中にない様子である。あれだけのことをして――こう言ってはなんだが、彼女も自分が無体な事をしているという自覚はある――意識の一つもされていないというのは、なぜかひどく勘に障った。
どうにかして、あの男に自分を意識させたい。だがどうすればいいのか、何を言えばいいのか。まるで思いつかない。
今までのようなやり方では駄目だ。まるで意識されていないのであれば全く意味はない。しかしそれ以外のやり方とは……?
頭の中をぐるぐると考えが巡る。答えはまだ出そうにない。
大きく溜息。結局筆を置き、千里は座椅子に深く体重を預ける。それを見越していたのか、那波がそっと玉露の入った湯飲みを差し出した。
軽く礼の意を示し、千里は湯飲みを傾ける。それを幾度か繰り返し落ち着いたころを見計らって、那波は語りかけた。
「少し休まれてはいかがでしょう。お疲れの様子では、洒落の効いた文章一つ思いつきますまい」
その言葉に千里は気が乗らない様子ではあったが、一理あると思ったか「そうね」と返事を返す。それを確認してから、那波は「ところで」と口調を変えた。
「伊上 力丸の件ですが……」
「首にしなさい」
まるでこれ捨てておいてとでも言う感じに、にべもなく切り捨てる千里。その表情には怒りなどなく、ただ要らなくなったものを放る程度の感情しかない。
さすがに那波もそれを見とがめた。
「それではあまりにも筋が通りませぬ。力及ばずとも彼が姫のために死力を尽くしたのは事実、報いるのは貴族の責務でございます」
確かに彼は傷を負い倒れた。だが彼がいち早く魔獣の接近に感付き、避難を促してその場に残らねば今ごろ千里の命はなかったかも知れない。それに相手をしたのは、本来で在れば複数の狩人で立ち向かうか機殻鎧を使わねばならない相手だ。倒した来夏と誠志郎がおかしいのである。
あの二人に比べれば力丸の結果は見劣りするものだろう。だが力及ばずとも役目を果たそうとしたのは確かなことだ。下のものを容易く切り捨てるような貴族の風上にも置けない輩でもあるまいし、見捨てるのは猿条という看板が赦すはずもない。後のことまで保証するのが責務であり矜持というものだ。
もっとも那波個人としては、これを機に力丸を千里の元から離すべきではないかという思いはある。
力丸の存在は、千里に良い影響を与えているとはとても言えない。千里に同調し煽るように誠志郎への敵愾心を燃やし、立場を笠に着て道場破りのような真似を繰り返す。強くいうものはいないが、どのような目で周囲から見られているか容易に想像できる。これでいっそのこと法を犯してくれれば放逐も簡単なのだろうが、小賢しいことにそのあたりには触れないよう上手くやっていたようだ。
困ったことに彼は仕事自体はしっかり行い能力も高い。それだけ考えれば傍付きとして手放したくない人材ではある。が、あの世の中を舐めたような人格は頂けない。猿条という看板がなければ那波とて、むしろ進んで放逐を促していただろう。
ままならないものである。内心歯噛みしながら、「仕方がないわね、いいようになさい」とぞんざいに返す千里へと頭を下げる。今回は致し方がないが、いずれあの男は主から引き離さなければならない。そう決意していた。
しかし彼女の意志に反し、力丸の扱いはうやむやになる。
それどころではなくなっていくからだ。
猿条家の屋敷。その離れの一つに向かって文生は歩を進めていた。
離れ、と言ってもよくあるような小さな庵などではない。下級貴族の屋敷よりよほど立派な建物だった。そこに無遠慮に上がり込み、廊下を進む。奥の間の襖を開ければ、そこには三人の女性と傍付きの姿がある。
「おう、お前たちも居たか。ちょうどよい」
「なんですのあなた、いきなり」
驚くと言うよりは咎めるような目線と口調で言うのは、文生の妻であり千里の母である【猿条 千代】。その対面に座って同じような視線を向けているのが長女である【猿条 千晴】。ともに気の強そうな女性であった。
そして、その二人に半ば挟まれるような形で奥に座しているのが【猿条 千明】。儚げな雰囲気を持つ彼女も、胡乱げな目で父親である文生を見ている。
千明が引きこもって以降、千代と千晴は時折こうやって彼女の元を訪れる。あるいは気晴らしを試みたり、あるいは慰めてみたりと色々行っているようだが、(文生から見て)千明はいつまでもぐずぐずと過去に縋ってばかりであった。馬鹿でも可愛い娘だと大目に見てきた文生であるが、いい加減彼は覚悟を決めていた。
問うてきた千代を半ば無視するかのように、彼は千明に告げる。
「千明、お前の縁談が決まった。二巡り(二十日)後に東七辻の料亭で行われる。左様心得よ」
「「「な!?」」」
寝耳に水の言葉に、千明ばかりか千代も千晴も目を剥いて驚く。普通なら夫婦間で事前の話などあるものだが、今回文生は何一つ千代に話を通していなかった。当然ながら千代はそのことに食って掛かる。
「どういうことです!? そのような話、私聞いておりませんよ!?」
それに対して、文生は鼻を鳴らして応える
「言わなかったからな。言えばお前、なんのかんのと話を引き延ばし取りやめさせようとするであろうが。いいかげん断り切れんし、何より時期的にも頃合いだ」
これまでの前歴から、千明に同情的である千代や千晴に話せば縁談を止めさせようとするのは明白であった。だから文生はこういう行動に出たのだ。これまで自身も半ば諦めていた夫の行動に、唖然とするしかない千代。
文生は気弱というわけではないが、身内、特に娘に対しては非常に甘い男だ。その彼がこのような行動に出るとは俄に信じられない。誰かの入れ知恵か、余計なことをと千代は内心で吐き捨て反論しようと口を開きかけるが、その前に。
「い、いやです!」
小さな悲鳴のような声が挙がる。それは千明のものだ。
彼女は小さく震えながらも、少し涙を溜めた目で真っ直ぐ文生を睨み付けるように見て言う。
「わたしは、いやです。あの方以外の殿方と……」
「お前の意見など、聞いていない」
必死の訴えは、だがすげなく斬り捨てられる。今までにない強硬な父の態度に、千明は身をすくませた。
それは姉である千晴に対しても同じであった。
「父上、幾ら何でも横暴です」
努めて冷静に振る舞おうとする彼女の言葉に対してにべもなく応える。
「もう決まった話だ。今更覆すことなどできんし、させん。……いいかげん、覚悟を決めろ」
最後は千明に向かって言い放ち、もう用は済んだとばかりに踵を返す文生。その後を「お待ち下さいあなた!」と言いながら追う千代。
「いや……そんな……」
残された千明は俯いて小さく震えていた。その彼女を抱きしめ宥め賺しながら、千晴は父の去った方向を睨み付ける。
「(何を考えているの父上は!?)」
そして文生を追いかけた千代はその背中に言いつのる。
「なぜこのような無理からなことを! あの子の心の傷は、まだ癒えていないのですよ!?」
その言葉に、文生は足を止めてぎろりと振り返る。
「……ではいつ癒えるのだ?」
「いつどれくらいというものではないでしょう!」
「そうやって甘やかしてきた挙げ句があのざまだ。あやつのことで我が家が外でなんと言われているか、お前も知らぬわけではあるまい」
ぐ、と言葉に詰まる千代。確かに、立場違いの色恋を拗らせた挙げ句引きこもりになったという千明のことは、社交界でも密かに噂になっていた。長くそのままであると言うことから、一部では物笑いの種であると言うことは千代も聞きかじっている。それに耳を塞いできたのは事実だが、だからと言っていきなり縁談というのは無理矢理に過ぎる。
千代が反論を行う前に、文生はたたみかけるように言葉を続けた。
「これはあやつのためでもある。今更悠長に少しずつ表に出す、などと言ってはおられん。それではいつまでたっても振り切るものも振り切れんだろうさ。……幸い相手は家柄も人柄も確かなものだ。若くして細君を亡くし、後添えにどうかと薦めたら乗り気でな。下手な若造よりよほど女性の扱いも心得ておる」
「後妻になれと、そうおっしゃるのですか!?」
目を見開いて問いただす千代。百歩譲って縁談を受けるはいい。しかしそのような者を選ばずとも、猿条の看板であればもっといい話もあるはずだろう。そう考えての言葉であったが。
「訳ありの引きこもりなど、真っ当な話が来ただけでもありがたいわ」
本来で在れば忌避されるであろう条件である。猿条の名の下相手が頷いてくれたのは僥倖であったと、文生はそう思っている。
彼は彼なりに娘の幸せを考えていた。今のままでよかろうはずもなく、生ぬるい手段では立ち直りはすまい。必要なのは荒療治だと、そう感じていた。
千代も文生の考えが全く分からないではない。だからこそここで口を閉じるしかなかったが、感情的な所で納得が出来ない。必要なこととはいえ、千明の気持ちをまるで考慮に入れていないように感じたからだ。
母親としては正しいのかも知れない。だが貴族の妻としては少々覚悟が足りない。政略結婚など日常茶飯事で、愛情や感情など二の次と考えるところも多いのだ。ましてや猿条家は国の重鎮を担う大貴族、ある程度の割り切りは必要であろう。
決定的ではないが生じた、小さな亀裂。
縁談の話が動くことでそれは埋没したが、確かに生じていた。
そして嵐のような急展開は、千里にも余波をもたらす。
「おのれ、おのれまたしても!」
陰陽寮の一角で、清玄の苛ついた声が響く。
先の事件の後、彼ら一派は動きを潜めるしかなかった。今までなら昇月の後ろ盾で事件をもみ消してこられたが、巻き込まれた中に公爵家の令嬢がいたと言うのが拙かった。昇月の言いなりと言っても過言ではない猪頭であるが、同じ公爵家が騒ぎ立てれば庇い立てしきれない。
幸い、と言ってはなんだが実行犯である術師たちは通りすがりの者――兵鋭によって始末され、陰陽寮との繋がりをたぐることは出来ないようである。証拠を残さぬよう徹底していたのが功を奏した形だ。が、油断は禁物。かの事件からたぐられそうな全ての痕跡を消すなり誤魔化すなりしなければならなかった。
なんなのだあの娘は。平伏する手下の前で激昂しているように見える清玄の内心では、恐れと戦きが渦巻いている。
ここまでくると、最早神懸かりとしか言いようのない強運であった。確かに清玄の一派は陰陽寮の中でも実力に劣る傾向にある。だがそれはあくまでも『陰陽寮の中では』という話であって、一般的な格で考えればかなりの技量と考えていい。(でなければそもそも陰陽寮に所属することは出来なかった)暗殺や隠密行動が得手という者ばかりではないが、それでも一通りのことは並以上にこなせる。普通であればとうの昔に来夏はその命を散らしているはずであったのだ。
術という天理の法則をねじ曲げ運用する力の使い手である彼らにとって、運や天啓などは決して与太話ではない。『そういった結果が出るのは、そういうものだからだ』という考えが浸透していた。天理の法則をねじ曲げても通用しない何か、そういったものは確かにある。であるから、ここまでやっても届かない来夏という存在は、とてつもない脅威と考えられた。
そして、彼女の運勢を助長する存在もある。
「(見城何某とか言う小僧! きゃつさえいなければ……っ!)」
まるで天命のように来夏が襲われた現場に居合わせ、彼女の窮地を救った存在。彼の存在がなければとうの昔に決着がついていた。
あるいはそういった運気を呼び込む者なのかもしれない。だとすればこれからも自分たちの障害として立ちふさがる可能性がある。いや、ほぼ間違いなく邪魔となるだろう。
であれば。
「(先にきゃつを始末するべきか……)」
そういう発想に至る。どのみち暫くは来夏に手出しは出来ない。だが誠志郎であればまだ周囲の警戒も薄いであろう。
しかしもし誠志郎が彼らの策略の元倒れれば、より一層の警戒と猜疑を呼ぶこととなり、益々来夏の命を狙うのは難しくなると思うのだが、清玄はそのことに気がついていないようだ。平伏したまま嵐が過ぎ去るのを待つような心持ちの部下たちの前で、ぶつぶつと呟きながら考えを練っていた。
そうしながらも、『もう一つの懸念』についても思考を振り分ける。
「(真影……谷郷の男。関わってきたのが偶然とは思えんが、さりとてどういうつもりなのかが読めん」
清玄は、兵鋭の介入が何らかの意図によるものだと信じて疑わなかった。運命や天の采配などを信じるが故の視野狭窄である。しかしそうであればなぜ敵対行動を取らなかったのか。
おかしな話ではあるが、実行犯である術師を斬ったことは清玄一派の助けとなった。彼らが一番困るのは実行犯が『生きて捕らえられること』である。元々いざとなれば切り捨てる事も考えていたし、下手に逃亡して痕跡をたぐられるよりはさくりと死んでくれた方がありがたい。
なんらかの意図を持って介入してきた以上、偶然出会い頭に斬り捨てるなどということは考えられない。個人的な思惑なのかそれとも真影が絡んでいるのか、清玄の狭き視界ではその全貌を見渡すことは出来なかった。完全に偶発的で、兵鋭は『怪しい奴だから斬っていい』という無茶苦茶な理由で下手人をぶった斬った、という真実にはたどり着けない。
さて、真影と清玄の一派だが、地位の向上と爵位の取得という似たような目標を掲げているけれど、対立しているわけでも同調しているわけでもない。互いに黙殺している形だ。
真影の方では下銭な術師風情と内心見下している者が大多数であるし、清玄一派の術師たちもやっとうだけの脳筋と蔑んでいる。が、内心はともかく最低でも敵対しているわけではない。
それを踏まえて考える。
「(ふむ……やりようによっては、『使える』か? 今回の件できゃつらが何を目的に行動したかは分からぬが、基本的な理念に添う形で『飴』を与えれば、あるいは。今後の事に有利になるやも知れぬ)」
最早清玄の中で、兵鋭の放逐は表向きの話であり裏では未だに真影との繋がりがある、ということは決定づけられていた。
真影との関係を構築しつつ、誠志郎の命を狙う。
清玄の中で、その絵図面が着々と塗り上げられつつあった。
それが砂上の楼閣よりも危ういものだとは気付かずに。
地方領主の帝都屋敷(出向所)が立ち並ぶ一角。永原領帝都屋敷の座敷に誠志郎の姿はあった。
「お初にお目にかかります。某、見城 誠志郎と申します」
「陸堂 佐之助だ。本日はよう参られた」
深々と頭を下げる誠志郎を見やりながら、さてどうやって絡め取ろうかと考えている佐之助。
波乱を含む対面。穏やかに見えるそれは、どれほどの波紋を呼ぶのか。それはまだ見えない。
次回予告
誠志郎と対面した佐之助は、策謀を隠しあることを彼に託す。
一方失意の力丸は彷徨い、さらに打ちのめされていた。
幽鬼のごとくなった彼が出会った者とは。
そして、清玄一派も密かに動く。
次回『要らぬ出会い』
刃鋼の光は行く先照らすか。
ビルドファイターズ見てるとガンプラ作りたくなって仕方がありません。
この時間泥棒め! 緋松です。
うむむ、またもやメインになるはずの内容が少ない。もっとこう、猿条さんちの女衆がめんどくさい所を書きたかったのに。
あんまり書くと自分がげんなりするからか、そういうことか。
で、密かにヒロイン覚醒。さて彼女はどんなぶちかまし方で誠志郎君を押し倒すのか。逆? いや絶対押し倒す方だろう来夏さんは。誠志郎君の貞操が大ピンチだ。
そしてついに佐之助との対面。特に意味のない無理難題が誠志郎を襲う!
頑張れ、超頑張れ。(こればっかりか)
そんなこんなで、今回はこのあたりで幕。
……いつになったらロボ物らしくなるんだろうなあ……。




