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十八




皇城、奥の宮の一つ、朱の宮。

後宮であるとともに皇太子以外の皇子皇女が住まう場所でもあるそこで、雪彦――雪割皇子は所在なさげにとぼとぼとあてどもなく歩いていた。


他の場所でならともかく、この朱の宮において皇子皇女は比較的自由に行動できていた。とはいえそれなりに暗黙の了解(ルール)というものがあり、側室も皇子皇女も互いに気を使いながら生活している。

そのためと言うわけでもないが、雪割皇子の周囲に人気はない。多分皆それぞれ習い事や茶会などに赴いているのだろう。かくいう皇子も本来であれば春川道場での稽古があったのだが。


「(誠志郎も来夏もいないのであれば、つまらんなあ……)」


ここ数日留守にしている誠志郎と、なにやら匠合会で仕事を請け負ったらしい来夏。この二人の姿がないだけで道場はまるで火が消えたようであった。

もちろん道場の主である五郎左に鍛錬を頼むことも出来たが、初日のこともあってかどうにも気後れしてしまう。結果、鍛錬は休みと言うことにしたのであった。

となると途端に暇をもてあますことになる。一人で木刀を振るうにも限度があるし、朱の宮では場所を選ばないと見とがめるものもいるだろう。何より真影のものに見られれば少々ややこしいことになるのは請け合いであった。


仕方がないのでなんとなく朱の宮を散策してみる。贅を凝らした作りの皇宮は、人影がなければ随分と静謐にも感じられる。これで後ろ暗いぐろぐろしたものがなければ見た目通りの場所になるのだろうが、などと詮無いことを考えていたらば。


「雪割ではないか、今日は外出ではなかったか?」


その声に振り返れば、侍従を左右に引き連れた男性の姿。少年と青年の中間くらいに見えるその人物は、雪割皇子のよく見知った人物であった。


「これは兄上(・・)


若草皇子わかくさのおうじ】。現皇帝正妃の次男であり、雪割皇子の異母兄である。

居住まいを正し慇懃に対応する雪割皇子であるが、実の所彼はこの兄が嫌いと言うまでもなくとも苦手であった。


穏やかで優しげ、かつ見目麗しいとなれば、周囲からの受けもよく評判も高かった。だが、雪割皇子に目からは、時折澱んだなにかが透けて見えるように感じられていた。

朱の宮に限らず皇宮にはそのような人物は多い。全体的に何か心に不満や暗いものを抱え込んでいるものがほとんどだろう。誰も彼もがそれを飲み込んで生きている。この兄もその類なのだ。

そういった『重い何か』を持たない雪割皇子にとって、若草皇子たちはどうにも気後れしてしまう相手であった。

かといって非礼を働く気など全くない雪割皇子は、にこやかに相対していた。


「習い事の師がしばらく出かけておりまして。このように少々暇をもてあましております」

「左様か。ふむ、外で習い事をしていれば、そのようなこともあるのだな」


大概朱の宮の住人が習い事や講義を受ける場合には、外から講師などを招くことになる。確たる決まりがあるわけではないが、早々容易く皇族や側室が皇城の外に出られるはずもなく、また講師を受け持つものとしても皇宮に出入りできると言うことは看板ステータスにもなるとあって、そのような慣例が出来上がっていた。

が、中には五郎左のように、そのようなことに一切合切の価値を見いだせず、なおかつ出不精のものだっている。滅多にないことではあったが、そのような『隠れた名人』の元に皇族が赴く前例はある。

ともかく普通の皇族からすれば、わざわざ外に習い事に出るような物珍しい人間は話の種である。ことあるごとに話題に上るのは当然であった。今回の場合大概は皇族をさしおいて不届きなと見当違いの不満を述べるものなのだろうが。


「ま、向こうにも都合があるのだろう。丁度よい骨休めと思えばよいではないか」


若草皇子は理解した風に言ってのける。確かに心の底からの言葉では無かろうが、この兄が言うとなぜか含みをもって聞こえるのは自分の思いこみなのだろうか。内心で複雑な思いを抱きながら、雪割皇子は話題を変える。


「ところで兄上は?」

「うむ、これから御珠の大叔父上のご機嫌取りさ。面倒な話だが致し方あるまい」


若草皇子は将来的に御珠に降るだろうと目されている。その関係か彼は現大公である昇月の元に時々訪れていた。昇月もかつての自身と立場を同じくする若草皇子に思うところがあるのか、随分と目をかけている様子であった。


その後しばらく雑談を交わし、二人の皇子は別れた。

兄の背中を見送って、雪割皇子は大変だなあと少しだけど同情の視線を送る。


側室の子であるがゆえか、彼は昇月とあまり関わりを持たなかった。しかしその気性の激しさは聞いている。ご機嫌取りなんぞさぞや苦労していることだろう。

もしや兄が暗い何かを背負っているのは、そのあたりが関係しているのかも知れない。その苦労は想像に難くないものであった。


溜息を吐いて宮の渡り廊下から天を仰ぐ。

今頃誠志郎たちは何をしているのだろうか。ふと、そんなことが頭をよぎった。











十八・凶刃との邂逅











こん、と獣脅しの音が鳴る。

自室で静かに茶を味わっているのは千里。穏やかに見えるその外観と雰囲気からは分からないが、その心中にはさざ波のごとく揺らめいていた。


ここ最近、どうにも上手くいかない。長い時間をかけて誠志郎との噂は払拭したものの、そのおかげで彼との接点が無くなってしまった。今更下手な方法でちょっかいを出せば元の木阿弥だろう。以前のような立場を利用した強引な手段もとれない。

力丸も彼に一矢報いようとしているがなかなか機会がない。結局手をこまねいて憂さ晴らしに道場破りを重ねているようだった。彼も欲求不満が溜まっていることだろう。

それにどうも、自分の派閥でもなにやら人の動きが鈍くなったような気がする。これは状況が停滞したことがそう思わせているのかも知れないけれどと、千里は暗澹たる思いで溜息を吐く。


実の所、派閥の下の方で動きが鈍くなってきているのは、千里の反発心を持った一部の子女が噂を広め引き抜きを行ったり対立したりしているからであった。千里の行動は徐々に自身の足下を狭めているのだが、彼女はまだ気付いていない。


ともかく千里は憂鬱であった。どうにも気分の晴れない日々が続いている。

そんな主の様子を見て、那波はかねてから考えていた事を進言することにした。


「姫様、ここのところお疲れのようですが……」


彼女が千里に勧めたのは、湯治。雰囲気の良い温泉宿で心身を休めたらどうかと告げたのであった。

千里もやはり疲れを感じていたのだろうか。暫し考えた後その提案を受け入れる。


そして千里は那波と力丸、それと最小限の共をつれて帝都を発つ。

目指すは帝都から少し北東に行った、山間の温泉宿場【奥寺おくでら】。


ここまでであれば、よくあることですんでいた。











「ほう、護衛の依頼ですと?」


笹舟の言葉に、来夏は興味を引かれたかのような反応を見せる。

いつも通り悪戯げな笑みを浮かべた笹舟は、からかうような口調で言った。


「そういうこと、らしいわよ? 分かりやすくていいんじゃない?」


来夏は鼻を鳴らして問うた。


「して、依頼人は?」

「奥の座敷に待たせてるわ。会ってみる?」

「無論」


やっぱり怖いもの知らずよねこの子、などと思いながら来夏を促し奥へと向かう。その際ちらりと広間の一角へ視線を向けるのを忘れない。

奥の座敷で待ち構えていたのは、商人風の装いをした小太りの男。ひっきりなしに頭を下げ、汗をぬぐっている。


「このたびは急な話で申し訳なく……」

「お構いなく。それで、早速ですが護衛の仕事を頼みたいとか?」


急いているような来夏の言葉。しかし苛立っているのではなく、どこかわくわくとした楽しそうな気配が感じられる。背後の笹舟は密かに噴き出しそうなのを堪えていた。


「は、はい左様で。急ぎの仕事が入ったのですが、いきなりのことで人が集まらず、いたしかたなく匠合会(こちら)で人手を借りようかということになりまして。最近評判のいい来夏殿であれば間違いはないかと」


匠合会では登録者の出自は公開されていない。依頼者は仕事の経歴や契約料などでしか登録者を判断できないようになっている。であるから来夏個人を指名することがあってもおかしくはないが。


「(あからさますぎるのよね。疑ってくれと言わんばかりだわ)」


笹舟は内心呆れかえっている。

来夏の名が売れているのは、若くして機殻鎧を乗りこなし魔獣を狩る機師であるから、という面が大きい。逆に言えば機殻鎧に乗らない彼女は価値がないとまでは言わないが、大幅に戦力が低下していると判断されるのが自然であろう。

もちろん報酬の面では大幅に値下がりしているわけだが、それだけで指名をされるほど世の中は甘くない。裏があるとみるのは当然のことであった。

ましてや彼女は命を狙われている身。何の関連もないただの依頼であろうはずがない。


嘗めているのか、あるいはよほど自信があるのか、おそらくは双方だ。懸命な小心者を装う目の前の男は心の中で舌なめずりをしているのあろう。相手にとって不足なし、胸張って堂々と真正面から罠に飛び込んでくれようと、完全に腹を決め内心で不敵に笑う来夏であった。


「して、どちらまで護衛すればよろしいのか?」


来夏の問いに、男は低頭の態度のまま目的地を告げる。

当然ながら、来夏はその話に乗った。


示された目的地は、奥寺という。


まだ偶然で済む範囲である。











輸送車両が街道を行く。


永原はそれなりに裕福であるが、端から見れば海のものとも山のものともつかぬ調査に専用の交通手段を用意できるほどに余裕があるわけではない。

結果、調査団は交易商人に便乗する形で移動を行っている。

その中で、誠志郎はぼんやりと窓の外を眺めていた。


あの晩、気が動転した誠志郎はただ一言「失礼」と言い残し、風呂場から去った。そのまま何事もなく朝を迎え、何事もなかったかのように氷雨丸と接し護衛を続けている。

気にならない、と言えば嘘になる。だが匠合会で様々な仕事を受け様々な人とふれあい経験を積んだ彼は、人には色々な事情があると知っている。氷雨丸には氷雨丸の事情があるのだろうと、そう考え深く関わらないことにしているのだ。

が、どうにも気後れというか苦手意識のようなものをもってしまうのはやむを得ない。結果口数が減り、最低限の会話で氷雨丸含む調査団と接している。

愛想悪くするつもりはなかったんだけどなあと、誠志郎は密かに溜息を吐いていた。


一方、氷雨丸の方であるが。

彼女もまた、彼女もまた、家臣に囲まれながら少し気落ちしたような様子で密かに溜息を吐いていた。

油断であった。夜中であれば風呂に訪れるものもなかろうと汗を流しに行ったのが運の尽き。幸いにして誠志郎は騒ぎ立てるような真似をせず、それどころか何事もなかったかのようにふるまってくれる。もっとも少しは動揺したのか、あまり言葉を交わそうとしないようであるが。

上手くやれていると思っていた。それが全く根拠のないものであると、今更ながら思い知らされた。


氷雨丸。本当の名は【氷雨】という。


陸堂家に生を受けた彼女は、物心つくころから英才教育を受けていた。

以前より野望を抱いていた父、実篤の考えによるものである。いずれ来る時のために、出来るだけ身内に優秀な人材を揃えておきたい。そういった思考に基づくものであった。


氷雨は、応えた。いささかに、応えすぎた。

聡かったのだ。自分が女であり、そして女である以上政の世界には深く関われないであろう事が理解できるくらいには。


確かに女性でも爵位を持ったり領主になったりした前例はある。だがそれは限定的なものであったり緊急的な措置であったりするもので、女性が本格的に政に関わる事はない。官僚に当たる役職に就く事すらなかったのだ。せいぜいが秘書のような役割をするに留まっていた。

これでは父や兄の役には立てない。氷雨はそう考えた。大志を抱き、目的に向かって邁進している彼らの背中を見ていた彼女は、自身も何か力になりたいと強く思ったのだ。


女である自分に出来ることは少ない。であれば、女でなくなればいい(・・・・・・・・・)。まったくもって極端で乱暴な発想であったが、彼女はそれが唯一の方法だと信じ込んでしまう。


勿論周囲は止めようとした。だが頑固にねばり強く周囲を説き伏せ、ついには承諾させてしまう。こうして氷雨は氷雨丸となり、男児として教導院に赴くことになった。

無論いつまでもごまかせるものではない、いずれ現実を知ることになるだろうと周囲はそう考えていたのだが、その時は思ったよりも早く来たようである。


とにもかくにもこれからどうするべきか。氷雨丸は迷いとも恐れともつかぬ感情を胸に抱き、それでも与えられた役目を果たすべく家臣と話を詰めていく。


彼ら調査団の次なる行く先は、地脈の調査がしやすいとされる温泉地、奥寺。


ここまで来ると、もはや因縁であるとしか言いようがない。











奥寺に向かう街道は、鬱蒼と茂る森林を縫うように伸びている。千里たちを乗せた車はゆったりとした速度でその道を進む。

お忍びであるため、普段使っているような派手な装飾を施した送迎車ではない。高級ではあるが目立たないものだ。その中で千里は物憂げに外の光景を眺めていた。


「いい景色だけど、長々見ていると飽きるものね」

「今暫くご辛抱くださいませ。このあたりは整備が整っており、魔獣の出没こそ少のうございますが、事故はそれなりに発生しております。急くわけにはまいりますまい」


確かに、曲がりくねった道は少し速度を上げればたちまち事故を起こしそうな様相である。元々急ぐ旅路ではない、それくらいは我慢するかと千里は鼻を鳴らし、脇に置いてあった手提げから手鏡を取りだして化粧や髪に乱れがないか確かめる。何か問題があると思ったわけではなく、手持ちぶさたの暇つぶしであった。


鏡がきらりと、外からの光を反射する。











彼方から道なりに進む車両の姿。そこからきらりと光が放たれた。

それを確認し、男の眉が顰められる。


「時間的にはこんなものだろうが……あれは合図でいいのか?」


その言葉に共に控えていた男の一人が応えた。


「輸送車両ではないようだが、時間は合っているしわざわざこちらに鏡を向けるなど他に理由もあるまい。まあ間違っていたとしても……」


男の唇がにやりと歪む。


不幸な事故だ(・・・・・・)丁度良い足枷に(・・・・・・・)なってくれる(・・・・・・)だろうさ(・・・・)

「……我等が大願を叶えるための礎か。まあ仕方があるまいな」


赤の他人を巻き込むことに何ら躊躇も痛痒も覚えず男たちは行動を開始する。

彼らの背後で、小山のような複数の影がぎらりと瞳を光らせた。











ぴくりと、助手席で居眠りをしているように目を閉じていた力丸が反応した。

彼はしかりと目を開き、微かに顔を顰める。


「車を止めて頂きたい」

「は?」


唐突とも言える力丸の言葉に御者(運転手)は目を丸くするが、構わず力丸はもたれかかるように立てかけておいた太刀の入った袱紗を解き始めた。

一体何事かと訝しがりながらも、力丸の力量『だけ』は認めている御者は車を止め、仕切の窓越しに背後の千里や他の従者たちに注意を促す。そうしている間にも力丸は車を降り、太刀を提げて油断無く周囲を睥睨する。


手をかけている太刀は旧式の回転弾倉式気導剣。実家から持ち出した古いものだが頑丈さは折り紙付き、しかもこの型にしては装弾数も八と多めである。自信の腕とこの剣が合わさればそこらの三下など歯牙にもかけぬと、彼はそう自負していた。そしてそれは大概の場合間違いではない。

問題は、相手がそこらの三下でなかった場合だ。


響く振動。力丸は鯉口を切りながら、鋭い声で御者に指示を飛ばした。


「出来るだけ全力で後退を! あと救難の発煙筒!」


泡を食って指示に従おうとする御者の行動を背後に感じながら、間に合わないだろうなと力丸は判断する。

この街道は狭いと言うほどではないが、いま使っている送迎用の車両が切り返し方向転換するにはいささか時間がかかる。かといって後進で後退しようとするのも手間がかかるだろう。仮に上手いこと方向を転換できたとしても、曲がりくねった道はそれ自体が逃亡の障害となる。焦って速度を出そうとすれば事故を起こすこと請け合いであり、本末転倒となりかねなかった。

そして救難の狼煙を上げた所ですぐさま救助が来るわけでもない。警邏のものが巡回しているだろうが、近場にいる可能性は低かった。


窮地である。だがしかし――


緊張しながらも、力丸は不敵に唇の端を歪めた。


やがて、雑木をへし折りながら複数の魔獣が姿を現す。人間に似ているが、ごつごつとした肉体は全身黒い体毛で覆われ、いささか腕が長く前屈姿勢。頭部の左右から湾曲した角を伸ばしたそれらは、次々に天を仰いで雄叫びを上げる。


「【牛鬼ミノタウロス】か。……相手にとって不足無し、どころかおつりが来るな」


単体でも強力な魔獣が複数。機殻鎧があってもそれなりの腕を持たねば難しい局面だ。

だが力丸は逃げるという判断をしなかった。仮にも千里に傍付きとして雇われた身であり、そして歪みまくってはいたが確かに矜持もあった。


かちりと、剣の安全装置が外される。











木々の間から僅かに覗ける狼煙を、確かに捉えたものがいる。


「ふむ、事故か?」


そう呟いたのは、輸送車の上であぐらをかいている来夏。今回の依頼に裏があることを確信している彼女は、護衛がやりやすいからという名目の元輸送車の屋根の上に居座っていた。

依頼者の方も強く引き留めなかったのは、怪しまれたくないからかそれともそれも策の範囲だからか。ともかく来夏は今阻縛されていない状態にある。


これは仕込みか、そう思うがどちらにしろ見つけたからには放っておくわけにはいかない。来夏は屋根の上から逆さに運転席の窓を覗き込み、御者に声をかけた。


「この先に救難の狼煙が上がっております。先行して様子を見てこようかと思いますが」

「は、はあ?」


実は陰陽寮とは関わりのないただの雇われであった御者は突然のことにまず目を丸くし、次いで進行方向へと目をこらす。確かに木々の間からは特徴的な色の狼煙が見て取れた。

輸送業の不文律の一つとして、救難を求められたら手助けをするべしというものがある。勿論出来る範囲でという前提はあるが、見て見ぬふりなどは論外だ。一瞬迷った後、御者は来夏に告げる。


「分かりやした。旦那方にはこっちから言っときやす」

「承知、では」


来夏からしてみれば御者も商人を装った雇い主の仲間ではないかという疑いもあろうが、今はそれを気にしている場合ではない。短く言った後、輸送車を飛び降りそのまま縮地を用いて疾風のごとく駆け抜けていった。

あっという間に消えていく来夏の背中を半ば唖然とし見送って、御者は呟いた。


「……最近の若ぇのは、すげえもんだなあ……」


そんな彼女の様子を見ていたのは、彼だけではなかった。


「命狙われてる自覚があってあの行動か」


困ったように言うのは、鉄騎で輸送車を尾行していた幸之助。

密かに来夏の周辺を張っていた彼は、彼女の後を追うかどうか迷う。


「ここで己が手伝えば、確実に下手人連中も感づくだろうが……」


ちらりと背後を確認。視線の先には、木々の間に隠れるように後を追跡してくる車両の姿。


「……いざというときまで手出しは控えるか。現場近くで張るとしよう」


言うやいなや彼は鉄騎を駆り、近道のつもりか雑木林に飛び込む。











そして街道を進んだ先、そちらでも狼煙に気付く者があった。


「狼煙……だな」


奥寺での調査を終え、帝都への帰路についていた永原の調査隊。彼らを乗せた輸送車の窓から外を眺めていた誠志郎は、木々の間から立ち上る狼煙を目にしていた。

輸送業者の不文律など誠志郎は知らない。だが、救難の狼煙がどういうものであるかは知っていた。であれば、動かない理由はない。


「この先で救難の狼煙が焚かれているようです。先行し状況を確認、場合によっては救助等を行いたいと思いますが、よろしいか?」


ぎくしゃくしているなどと言っている場合ではなかった。誠志郎は氷雨丸にそう告げる。

わずかにぎくりと体を震わせたものの、なんとか表面上は平静を装って頷く氷雨丸。


「承知した。こちらもすぐに追いつく」

「は、では」


言うが早いか身を翻し、車の外に躍り出る。そんな誠志郎を安堵とも何とも言えない気持ちで見送ってから、氷雨丸は家臣に振り返っていった。


「銃を。散弾銃と連発筒があっただろう。それを出せ」

「は? しかし単なる事故である可能性もありまするが」


困ったような表情となる家臣に、氷雨丸は散弾銃を受け取りながら言う。


「万が一、ということもある。賊であれば狼煙でおびき寄せるということも考えるだろう。それに、我々でも援護ぐらいは出来るだろうからな」


そう言った彼女は、がしゃりと散弾銃の弾丸を装填した。











さらに。


「ふむ、狼煙か?」


来夏を乗せていた輸送車よりもさらに後方。旅装束の男が、被った編み笠の端を上げて木々の間から彼方を見やる。

そしてその人物は、この距離から事態を察したようである。


「賊の類……ではなさそうだが。ふむ、魔獣か?」


彼は感じたのだ。血の臭いを。争乱の空気を。

笠の影で唇が三日月に歪む。


「さて、面白ければ(・・・・・)よいが(・・・)


ぶ、と羽虫のような音を立てて、男の姿が消える。否、目にも留まらぬ速度で雑木の合間を駆けていく。

希代の剣鬼は、己の欲望のままに疾風と化した。











閃光が奔り、血飛沫が舞う。

腹を一文字に裂かれた牛鬼が苦悶の声を上げながらよろめく。

が、倒れず踏みとどまった。体毛と分厚い皮膚が、致命傷を遮ったのだ。


浅かったかと舌打ち。そうしている間にも力丸は目まぐるしく動き回り、牛鬼たちの猛攻を凌ぐ。

単体であればまだ対処は容易であった。だが複数、しかも連携して(・・・・)襲いくる魔獣がこれほど厄介なものだとは思わなかった。気導剣の弾薬はすでに半分。だが相手は深手を負っている個体こそあるものの、戦意は失われずその猛攻は衰えを見せない。

牛鬼の攻撃はかすりもしない。だが力丸も決定打がない。気導剣をもってしても、打撃力が足らないようであった。なおかつ相手は機殻鎧の半分程度の背丈だが、人間からしてみれば相当な大きさだ。結果、その攻撃範囲リーチは広くなる。そこから繰り出される攻撃をかいくぐり足らない攻撃力で致命打を与える、力丸はそこまで出来るほどの経験を積んでいなかった。


彼は今まである程度自分に有利な状況でしか戦ったことがない。最低でも、一方的に不利な状況で剣を振るうことはなかった。道場破りを行っていたときでさえ、自分より技能が劣っているところを選び、復讐や闇討ちなど考えられないくらいに叩きのめしている。故郷で魔獣狩りに参加したときも、下々のものに多大な犠牲を払って弱体化した魔獣を一方的に嬲るような戦い方であったのだ。

確かに才能はある。技術も誠志郎たちと互角以上だ。だがしかし、『窮地における対処』という点に関しては著しく劣ると言わざるを得ない。自身でも気付かなかった欠点は、力丸の心にかなりの動揺を与えていた。


それでも、生き残るためにはこの場をしのがなければならない。強がりも余裕もなくなった力丸は、ただひたすらに剣を振るう。

そんな状況で、周囲に気が配れるはずもない。牛鬼たちは最初から力丸に集中して襲いかかってきていたが、そのうち一体が、力丸の後方に意識を移した。

千里たちを乗せた送迎車はすでに遙か後方だ。しかし存外しぶとい力丸に苛つきを覚えたのであろう。後方を襲い意識を逸らそうとでも言うのか、その個体は襲撃の輪から外れ移動しようとする。


「ちっ!」


その行動に一瞬遅れて気付いた力丸は舌打ち。体力を消費し集中力も低下しているとはいえ、こいつらを後方に向かわせてしまっては本末転倒だ。次々と伸びる腕を振り払い、彼は強引に太刀を振るう。


「ぜえ、りゃああああ!」


爆発するような勢いで放たれる斬撃。数少ない燃料電池を消費し、勢いを増したそれは抜け出そうとした個体の右腕を捉える。

血飛沫が吹き出し、右手首から先が宙を舞った。激痛に怒り狂う牛鬼は、力丸へと向き直り咆吼しつつ殴りかかってきた。

そこまでは力丸の思い通り。しかし強引に技を放った影響で彼の体勢は大きく崩れる。


その個体からの殴打は、かろうじて回避した。が、続けて別の個体からの攻撃は、避けられなかった。

真っ向から放たれた蹴りを、かろうじて太刀で受け止め同時に後方へ飛び衝撃を殺す。が、その勢いは予想以上で、派手に吹き飛ばされたたらを踏みながら何とか着地、膝をつきそうになるところを必死で堪える。堪えはしたが、ずしりと疲労がのしかかってくる。

集中力が途切れたのだろう。このままでは拙い、敗北の上死――


「(死ぬ!? この俺が!?)」


ぎ、と歯を噛み鳴らす。以前誠志郎に敗北して以来、力丸は負けると言うことに関して非常に敏感になっていた。本能的に勝てる相手を選んで道場破りを繰り返していたのはそのためだ。何のかんの言って今まで誠志郎に再戦を挑まなかったのも、もしかしたらそのあたりが影響を与えていたからなのかも知れない。

そして、いざ『本物の敗北』――死が眼前に叩き付けられたことで彼の中でなにかがぶちりと切れた。


もう何もかもがどうでも良い、殺す。こいつらだけはぶち殺す。後のことなど知ったことか。自分が死地に追い込まれたことが許せなかった。自分が怯えた事が許せなかった。


後先考えず、全力で気を練り上げる。最早彼の頭の中には殺意しかない。千里の護衛やその他諸々のことなど完全に消し飛んでいた。

継続を考えない全力の戦闘は確かに敵意を圧倒するだろう。だが倒せるのは精々一体二体。そのあたりで力尽きる。そんなことすら消し飛んだ力丸の末路は、最早決定づけられたかに思われたが。


「せええええええええ、りゃあああああああああ!!」


突然の咆吼が、運命を切り裂く。

砲撃のごとき突貫。それを成したものは勢いを乗せた担ぎ太刀からの一撃を、牛鬼の一体に真っ向から叩き込む。

斬撃を防いだ左腕が折れ、牛鬼の躰は後方へ吹き飛ばされる。斬撃を放った方は反動を上手く利用し、後方へ蜻蛉をうって着地、力丸の近くに立つ。


「国立教導院第百十三期生、鹿野島 来夏。助太刀いたす!」


胸を張り、凛とした声でそう高らかに告げてから、来夏は自分が救った人間が誰なのかをやっと認識した。


「伊上ではないか、奇遇だな」


意識して軽い口調で言う。だが力丸はそれどころではなかった。彼はすでに正気を失いかけているようなものだ。語りかけてきたのが誰だか認識することもなく、荒々しい口調で吠えるように言う。


「邪魔をするな! やつらは俺の獲物だ! 殺す! 絶対に殺す!」


これは拙いか、来夏は一瞬にして理解を得た。ある程度己の腕に自信があり、なおかつ修羅場慣れしていないものによくある逆上だ。こういう人間は大体冷静さを失って自滅していく傾向にある。

仮にも同期の人間だ、放っておくわけにもいかない。面倒なことになったと思いながらも、来夏はできるだけ力丸を刺激しないよう告げた。


「では好きになさるがいい。ただし己の身は守らせて貰おう」


そう言って一歩下がる。力丸は、はん、と鼻を鳴らしてゆらりと前に出た。恐らくはもう目の前の敵しか見えていまい。己の身を守りながらさりげなく手助け(フォロー)してやらねばならないだろう。


「(やれやれ、そういうのは苦手なのだがなあ)」


考えながら構えを取り、目の前の牛鬼と、周囲に気を配る。障害物の多いこの場では狙撃の危険性は薄いだろうが、この場は恐らく自分の命を狙うものたちが作り上げた狩り場だ。どのような仕掛けがあるのか分かりはしない。


「(幸之助殿が後詰めにいるが……頼りすぎるのもよろしくないな。地力で、なんとかしなければ)」


目の前の敵に対処しつつ力丸の手助けをし、なおかつ周囲にも気を配る。来夏は非常に厳しい局面に立たされていた。


「(……だがっ!)」


太刀を担ぎ直す。気導剣ではない、気の伝導率が高い真銀ミスリル合金製の野太刀である。気導剣のように威力を増強することは出来ないが、弾切れによる戦力の低下もない。元々超人じみた胆力を持つ来夏にしてみれば丁度よい得物だ。


力丸は一体の牛鬼に正面から挑みかかっている。得意の居合いの間合いも取らず、ただ闇雲に得物を振り回しているようだ。確かに勢いで押し返しているが、あれでは長く保つまい。そう判断しつつ、こちらへと向かってくる残りの個体に意識を向ける。


やはりな、そう思う。こいつらの――操っている人間の本来の狙いは自分だ。であるならば力丸は無視してこちらを狙うのは当然。今相対している個体は、力丸が挑んでいるから抑えられているに過ぎない。

来夏はそれでも、にやりと唇を歪めて踏み出した。


「おおっ!」


電光の速度で斜め前に跳ぶ。囲まれるようような愚は犯さない。常に相手集団の端を位置取るように動く。

牛鬼の腕が振り回される。当たれば来夏と言えどもただでは済まない一撃を、掠めるように回避……するだけでなく、担いだ太刀を相手の腕に合わせて刃を当て、そのまま駆け抜ける。

結果、振り抜いた牛鬼の腕は刃の上を走り、大きく切り裂かれる。交差法カウンターのなで斬り。力任せに太刀を振るうだけではない芸を、来夏も学んでいた。

苦悶の咆吼を上げる牛鬼の背後へと抜ける。つかず離れずの距離を保ち常に動き続けた。次元流の長所である破壊力を十分に発揮できない状況となるが、後先考えない全力の一撃など今は必要ない。相手の攻撃を確実に避けると同時に、確実に相手に攻撃を当てる。その上で、周囲から手出しがしにくいよう位置を変え続ける。十全ではないが最善。今できる最大限を、来夏は発揮していた。

振るわれる腕に、繰り出される足に、刹那の機会を逃さず刃を当て切り裂く。牛鬼の生命力、治癒力は確かに高いものだが、付けられた傷の影響は受けるものだし、傷も即座に塞がるものではない。損傷ダメージと失血は確実に牛鬼たちの動きを鈍くしていく。これをこのまま続けていれば、勝利は揺るぎないとも思われたが。


「(この程度で、終わるはずがない)」


来夏には確信があった。


相手は数回にわたり来夏の命を狙い、そのことごとくが失敗している。であれば今までと同じような襲撃と見せかけて、また別の手段を用意していてもおかしくはない。以前狙撃は失敗した。同じ手段は使わないだろうと思うが、であればどう出る。

回避しながら斬りつけると言う行為を続けながら、来夏は四方を警戒している。だが彼女も人間であり、全てに大して警戒を続ける事は出来ない。


例えば、足下(・・)とか。


剣戟を繰り広げる場、その地面では上と同じように激しく影が舞い踊っている。だが、その一部はまるで本体とは関係なくゆるゆると這いずるように動く。それだけが独立しているかのように。そして、一気に広がった。


そのことに来夏が気づけたのは僥倖と言っていいだろう。


補早動物的と言っていい直感、それに従いその場からはね跳ぶように退避する。

影から飛び出た、いや影が変化したのは、無数の蔦のようなもの。それが来夏のいた空間を薙ぐ。

拘束術式の一種のようだ。なるほど、気がつかなければ危ういところであった。術で動きを封じ牛鬼で嬲り殺しにする算段だったのだろう。なかなか味な真似をすると舌打ちしかけて、はたと気付く。


「いかん! 伊上!」


警告の声を上げたときにはすでに手遅れであった。周囲のことなど目に入っていなかった力丸は、まんまと影の蔦に足を取られる。

「がっ!?」と獣のような短い悲鳴が上がり、彼の集中は途切れた。そこに牛鬼の容赦ない一撃が襲いくる。力丸が相対していたその個体は満身創痍で今にも力尽きそうであったが、乾坤一擲とばかりに死にものぐるいで腕を振り回した。


かろうじて、太刀と左腕を盾に防御。鈍い音を立てて、力丸の体が吹き飛ぶ。影の術はさほど拘束力がなかったようで、彼はあっさりと宙を舞った。

短い飛翔の後、強かに地面に叩き付けられ転がる。かろうじて意識を保っているようだが太刀はひしゃげ、左腕もおかしな方向にねじ曲がっている。朦朧としながらも彼の闘志はまだ失われていないようで、よろめきながらも身を起こそうとする。


「く……ま、まだ……」


その精神力は大したものだが、実際戦力としては役に立たない。完全に足手まといだ。彼が相対していた個体こそ死に体であるが、完全に力尽きていない以上未だ術の支配下にあり、逃亡などしないだろう。

力丸を守りながら牛鬼と術の双方に対処する。さらなる窮地に追い込まれた来夏の表情には、さすがに焦りのようなものが浮かぶ。


「(四の五の言っている場合ではないな。背に腹は代えられん、幸之助殿に手助けを――)」


だん、と何かが破裂したような音が響く。


次の瞬間、真っ先に来夏へと襲いかかろうとしていた牛鬼の右目が、弾け飛んだ。その直後、疾風のように飛び込んできた影が、仰け反った牛鬼の喉元を切り裂いた。

斬撃と同時に響く破裂音、さらに遅れて洪水のごとく噴き出す血。


雄叫びを上げながら傷口を押さえ藻掻く牛鬼を尻目に、それを成した存在は着地した体勢からすくりと立つ。

振り返りながら、右手の気導剣の装填器に指を引っかけがしゃりと回す。金属の薬莢が、ちりんと地面で弾けた。左手の大口径短筒を油断無く牛鬼の群れに向け、その少年は凛とした声で宣う。


「国立教導院第百十三期生、見城 誠志郎。助太刀致します」

「誠志郎!?」


目を丸くする来夏の声に、誠志郎は自分が手助けした相手が誰だか、やっと気付いた。


「来夏様に……伊上!? いかん、手当を……」

「その余裕はないな」


来夏の言葉に現状を認識する。確かに、この状況では悠長に手当をしている余裕など無い。

であるならば。


「諸々は後! とりあえずは……」

「応、生き延びるぞ! 足下に気をつけろ、なにやら術がくる!」


誠志郎は両腕を交差させて剣と銃を構え、来夏は太刀を担ぎ直す。合図もない、言葉もない。だがしかし、事前に打ち合わせたかのように二人は同時に動いた。

来夏は左に。影の術を警戒し、先程よりも少し距離を取って回り込む。ほとんどの牛鬼はそれを追う形となったが、誠志郎に一撃を入れられた個体のみが怒り狂ったかのように雄叫びを上げつつ彼の動きを追う。


誠志郎は来夏と反対方向に駆け出し――

そのまま道の外の雑木林の方へと向かう。雑木を障害物として牛鬼の動きを制限する気か、とそう思われたが。


「ふっ!」


加速し、雑木を駆け上がる(・・・・・)。瞬く間に牛鬼の背丈を超える位置まで至り、そこから誠志郎は宙に身を躍らせた。

虚空からの銃撃。先程のものは完全な不意打ちであったために目を穿つことが出来たが、今度は変則的な動きとは言えまだ予測できる範囲であった。放たれた弾丸は己の顔面を庇った牛鬼の腕にあっけなく阻まれる。さすがに無傷というわけではないが、魔獣にとっては大したことのない損傷。だが片目を失った上で顔面を庇ったことにより、視界が一瞬完全に失われる。

庇った腕を、そこから振り払う。誠志郎が真っ直ぐ跳んでいれば、その腕は直撃していただろう。だが、丸太を振り回したような打撃は空を切った。誠志郎の姿はさらに上、牛鬼のほぼ直上にある。

空歩による二重跳躍。そこからさらに虚空より踏み込む(・・・・)。刃が鎚のごとく振り下ろされた。

金剛剣。虚空からの、しかも片手で放たれたものであるが、それは的確に牛鬼の頭頂を捉える。人類のそれと言うよりは、最早機殻鎧の装甲と同等と言える頭蓋が砕けた。

頭頂部がひしゃげ、ごは、と吐血し前のめりにゆっくりと倒れる牛鬼。誠志郎は一打を繰り出した反動を利用しさらに飛翔。道を挟んで反対側の雑木、その枝へと危なげなく着地する。


再びじゃりんと剣を振り回し燃料電池を廃莢、装填しながら、に、と牙を剥く。

『自分にはおあつらえ向きの状況』だ。周囲の雑木林とある程度開けた道路、得意の三次元機動を存分に発揮することが出来る。

相手が牛鬼だというのも有利に働いた。確かに知能以外の全ての面で人間の基本性能を遙かに上回る。数匹もいれば機殻鎧とも十分渡り合えるだろう。しかしながら牛鬼は大型の類人猿――猿の一種が変質したものであり、非常に人類に近い身体構造を持つ。弱点も人類に近い。その上知能は大猿と大して変わらないため、その戦い方は原始的なものだ。よほど訓練されていればその限りではないだろうが、どうやら急場しのぎで集められたものらしく行動は野生のものとさほど変わりない。地面に立っていればその巨躯は十分な武器であるが。


「空中戦は、できないだろ!?」


頭上を取る事が出来れば、優位を保てる。そしてそれができる技量が誠志郎にはあった。


ど、と枝を蹴り、宙を駆ける。一直線に躍りかかるのは、今にも来夏に向かって拳を繰り出そうとしていた個体。その個体は誠志郎の動きに反応したのか、それとも術者がそう操ったのか、振り上げた拳を無理から誠志郎の方に叩き付けてくる。その腕に向かって誠志郎は上から刃を叩き込んだ。

気を込めない、燃料電池も使わないただの斬撃。致命傷になる可能性が少ない攻撃で、燃料電池を無駄に消耗する気はなかった。自身の技が未だ未熟ということを誠志郎はよく理解している。

その斬撃は肉を裂く程度に留まった。勿論致命打にはほど遠い。だが――


十分な隙となる。


「ぜええええええ、りゃああああああ!」


烈破の気合いが迸り、衝撃が奔る。

斬空剣。唐竹割にそれを放ったのは勿論来夏。ある程度距離をとっても使えるその技を、彼女はすでに習得していた。

胸部がはぜ割れ、またもや血流が飛び散る。これも致命打とは言い難い。が、来夏は打開を得る。


放たれた斬空剣。それは牛鬼を後退させただけでなく、隙をうかがうように地面を這っていた影の蔦をも霧散させた。すぐさま影は元の形を取り戻すが、来夏は笑みを深めた。


「その程度の術か。種は割れたぞ」


正しく『足止めだけ』の術。見た目こそ不気味に見えるが拘束力は弱く、構成も半実体化が精々で不安定だ。強い衝撃があれば容易く霧散する。実情が見えれば恐るるに足りない。

もっともこの術も『見せ札』でしかない可能性はあるが、それと分かっていれば対処のしようはある。

それに来夏にはまだ手札――幸之助という存在があった。事前の打ち合わせでもいざ生命の危機と言うときまで手出しはないと言うことになっているが、それでもいざというときの構えがあると言うだけで心理的な余裕がある。むしろそれが慢心を呼ばぬよう気を引き締めなければと考えるほどであった。

最早この場は窮地にあらず、存分に技を振るわせてもらおう。誠志郎が参戦したことにより、来夏は水を得た魚のごとく闘志を燃え上がらせる。


そして誠志郎は、縦横無尽の戦いぶりを魅せていた。


来夏のために隙を作った直後、そのまま空歩にて跳ね飛び次の目標へと挑みかかる。

一度の接敵で倒すことに拘らない、一撃離脱の繰り返し。遊撃と攪乱が己の役目と、誠志郎は自身を定めていた。

その上で、有効打を叩き込む隙を逃さない。


右手の刃を大きく後ろに構え、左の銃で牽制。先の個体と同じように両腕で顔面を覆い弾を防ぐ牛鬼。その交差した腕に、誠志郎はのしかかる勢いで着地した。

相手に反応させる暇を与えず、横合いから牛鬼の頭部――角の下、耳へと突き込む。牛鬼の頭蓋、特に額から頭頂にかけては装甲と言ってもいい頑強さだ。その上で腕により防御されていては金剛剣を叩き込んでも有効打にはならない。術者が先の交戦を見ていたならば、同じ轍は踏まないだろう。

だが頭蓋でも目と耳は無防備に近い『穴』であり、そして脳に近い。正面を覆っている両腕をかいくぐり目を突く事は不可能に近いが、耳は全くの無防備であった。無理もない、そんなところを正確に攻撃できる人間など滅多にいないのだから。

誠志郎はその滅多にいない人間である。そして魔獣に対する容赦など無かった。刃を突き込んだ瞬間に引き金。気と衝撃を込められた切っ先は、頭蓋の中身を攪拌しながら吹き飛ばす。

頭部の穴という穴から様々なものを噴き出しつつ、ゆっくりと仰け反り倒れていく牛鬼を蹴り飛ばすように跳躍。悠々と群れを飛び越え、雑木の枝へと降り立ち、気導剣を振り回した。


この一連の流れで牛鬼どもは、そしてそれを操る術者は行動に迷いが出る。来夏に集中すればその命を奪うことも可能かと思われたが、宙を駆ける誠志郎の存在は脅威に過ぎる。何しろただの牽制ではなく、ほんの少しの隙をついて致命的な一撃を叩き込んでくるのだ。否が応でも注意を裂かねばならない。そしてそんな隙を見逃す来夏ではなかった。足下の術に幾分意識を取られながらも、的確に位置取り有効打を与えんと虎視眈々に狙い続ける。次元流本来の技も繰り出してくることだろう。


そして、先程まで力丸と相対していた個体が、ついに力尽き倒れる。満身創痍の末の出血多量。即死ではなかろうが、最早術の制御ではどうにもならない。これで残りは四体。まだ数の上では有利だが、すでにそんなことはなんの足しにもなりはしなかった。


「……これまでか」


離れた位置で牛鬼を操っていた術師が苦みを含んだ口調で言う。この状況を逆転することは難しい。急場しのぎの計画であったがため参加した人数は少なく、またあくまで事故を装うつもり――どう考えても無理があるが、本人たちはそのつもりであったようだ――だったので、そうそう大仰な仕掛けを施す事は出来なかった。それが仇となったようだ。

それに。


「またしてもあの小僧か、忌々しい」


術師たちは舌を打つ。事実、誠志郎が現れるまでは術師たちに有利な流れであった。が、まさか現れると思っていなかった彼が現れごらんの有り様。最早疫病神としか思えない。

これはまさかこちらが釣り出されたのか、そう思ってもやむを得ない状況である。なにしろ偶然にしてはできすぎていた。これ以上この場に留まっているのは危険だろうと、彼らは早々に撤収を始める。そうしながら一人の術師が吐き捨てるように呟く。


「あの小僧、先に排除しておくべきやも知れんな」


この言葉が彼ら一派の共通認識になるまでさほど時間はかからなかったのだが、それはさておいて。


「これで片が付くとは思えんが……悪あがきはさせて貰う」


去り際に、牛鬼を操っていた術師が手早く印を組む。途端にそれまである程度統率の取れた動きをしていた牛鬼たちが、びびくんと動きを止めた。

続けて今までとは違う、命を絞り出すような猛り狂う咆吼をあげる。いわば一種の暴走。破壊衝動のみを肥大化させ、肉体の制限リミッターを解放する、使役の術の奥義が一つ。対象の制御は不可能になり、また肉体の限度を超えるため長持ちせず数分で死に至る。が、能力全体が上昇し攻撃性は遙かに高まる。ただ場を攪乱させるためであれば、有効な手段ではあった。


連携も何もなく、ただ闇雲に腕を振り回して駆け出す牛鬼たち。その速度、込められた力は先ほどまでの比ではない。その突撃を、来夏は避けるしかない。

が、牛鬼たちは来夏を無視し、そのまま駆け抜けていく。これには来夏も「は?」と目を丸くせざるを得なかった。


まさしく単なる暴走である。目的も何もない。たとえばすれ違いざま一刀でも入れていれば反撃を行っただろうが、ただ避けただけの来夏には目もくれないようだ。これまでの死闘を忘れ、思わず唖然とする来夏であったが。


「っ! いかん! 追うぞ誠志郎!」

「承知!」


牛鬼たちが駆けていくのは街道。その先には力丸が守ろうと(・・・・・・・)していた(・・・・)送迎車がある(・・・・・・)。安全圏まで逃げられていればいいが、そうでなかった場合被害を被る可能性があった。さらに後方には来夏の『雇い主』が借り上げた輸送車もある。もしかしたら連携を取るつもりなのかも知れない。その狙いが無くとも送迎車の乗っている人間が巻き込まるやも知れぬ。早急に始末をつける必要があった。


疾風の速度で駆けゆく二人。その後に忘れられた者が一人。


「ま……待て……っ!」


必死に、だが力無く呻くように言うは力丸。彼は崩れ落ちそうな体を歪んだ太刀で支え、這いずるように二人の後を追おうとする。


まったく眼中にない扱い。そのように感じられたし客観的に見ても事実だろう。かてて加えて殴り飛ばされ多挙げ句正気を取り戻せば、目の前で戦っているのは憎き宿敵。しかも自分よりよほど手慣れた様相であった。

これ以上ない屈辱である。九死に一生を得たという事よりも、嫉妬と憎悪が身を焦がす。が、疲労に加え骨折と打撲により体の自由がきかない。よれよれと数歩進んだところで、力丸は倒れた。それでも、今度こそ本当に這いずりながら、彼は進もうとあがく。


「けん……じょおおおおおおお……」


怨念のこもった表情で、怨嗟の声を上げる。届かない、追いつかない。誠志郎の背中を掴まんとばかりに伸ばされたその手は、虚しく宙を掻くのみであった。


そんな彼の傍に、やっとの事で現場にたどり着いた永原調査団搭乗の輸送車が停まる。











運が悪いときには、それが重なるものであると那波は実感していた。

運転手の手落ちによる脱輪。普段なら滅多に起きない事であったが、非常事態に御者も焦ったのだろう。慌てて脱出しようとするが、こう言うときに限って深みにはまる。那波はこっそり溜息を吐き、千里に告げる。


「こうなれば徒歩で少しでもこの場をはなれるべきかと存じます。姫様、よろしいですね?」


有無を言わせぬ口調であった。さすがにこの状態で我が儘を言う余裕もなく、千里はその言葉に従う。

従者を伴って車を降りる。御者は青い顔をしてへこへこと頭を下げていたがそれどころではない。一刻も早く少しでも遠くへ逃れなければと考えたところで、身の毛もよだつ獣の咆吼と地響きが鳴る。


ぎょっと振り向けば、街道を爆走してくる牛鬼の姿。完全に正気を失った上での暴走で、送迎車の元に向かってきたのは偶然であったが、勿論そんなことが分かるはずもない。那波と従者の一部は叶わぬまでも千里の身を護らんと、「姫様をお連れしなさい!」と残りの従者に命じ、小刀を抜いて構えた。

が、肝心の千里が拙かった。迫る牛鬼の姿に身をすくませてしまう。無理もない、あからさまで純粋な害意を持ったものが迫ってくる経験など無いのだから。誘拐やその他理性を保った相手に襲われることは想定され、それなりの薫陶は受けている。が、このような状況は想定外であった。


拙いと思いながら「急いで!」と鋭く告げる那波。絶望的な状況ではあるが、刹那の間でも時間を稼げれば……そう悲壮な決意を抱く。

それも無駄に終わるが。


「おおおおおおおおおおおお!」


咆吼、そして剣閃。


真正面から迫ってきていた牛鬼。その頭頂から股間まで一筋の線が奔ったと見えた途端、左右真っ二つに分かたれる。


背後からの唐竹割り。それを成したのは来夏。

なんのことはない。暴走し暴れまくるだけとなった牛鬼は、後方に対する警戒心など欠片もなくなった、それだけのことだ。別に特別な何かをしなくとも背後から幾らでも不意が打てる。


が、さすがに攻撃されれば彼らも反応する。真っ二つにされた個体の左右に位置していた二体は即座に反応し来夏へと殴りかかる。

ただ後退するだけでそれを回避する来夏。確かに制御されていたときとは比べものにならない速度であったが、連携も何もないただ殴りかかってくるだけの攻撃などなんの脅威にもならなかった。先程と同じようにするりとすり抜けながら斬りつける。最早流れ作業と同じである。放っておいてもほどなく片が付くだろう。


しかし最後の一体は、そんな状況に脇目もふらずただ駆ける。そして行く先には立ち往生している送迎車と、身がすくんだ千里を護る那波以下従者たち。


「はああっ!」


そんな彼女らの窮地は、あっけなく去った。


気合いの声。そして鈍い音を立てて打ち据えられ、ぐしゃりと凹む牛鬼の頭頂部。駆けた勢いのまま前のめりに倒れる――直前で、千里たちの前に降り立つ影。

牛鬼の背後から金剛剣の一撃を頭に入れ、そのまま飛び越えた誠志郎である。彼は千里や那波たちを庇うかのごとく眼前に立ち、じゃきりと右手の気導剣を振り回す。


薬莢が地面を跳ねる涼やかな音が、妙に遠くから聞こえてきているように千里には感じられていた。彼女の目は、誠志郎の背中に吸い付けられるように向けられている。

同年代に比べて僅かに小さな、しかし鍛えられた背中。発している闘気のせいか、その背中はとても大きく見えた。


己の恐怖の源を、苦もなくたった一撃で葬り去ったその姿が、なぜかずしりと胸の奥に響くような、そんな感覚を覚える。一体何なのか混乱している間に、男――誠志郎は牛鬼の絶命を確認。後ろの千里たちを気遣うそぶりも見せず――と言うよりどうやら千里だと気付いていないようだ――来夏と交戦している残りの二体へと向かう。


来夏に良いように弄ばされている二体も放っておけば始末がつくであろうが、すぐ傍に戦力を持たない一般人がいる以上、被害が及ぶ可能性がある。一刻も早くけりをつけなければならなかった。


駆けながら誠志郎は銃を鞘に戻す。最早牽制は必要ない、剣だけで十分だ。

腰だめに構える突きの体勢から、一瞬かがみ込んでばねが弾けるように跳ぶ。甲貫突。向かって右側、ほど近いところに位置した個体の背中側から右脇腹、肋骨の下あたりを狙う。

狙い違わず切っ先が差し込まれる。同時に引き金。その一撃は、牛鬼の胴体を大きく抉った。


ほぼ同時に、もう一体の脇腹をすり抜けながら来夏が一刀を入れた。腹部から背中側までを大きく裂かれた牛鬼は、血と内臓をまき散らしながら倒れる。


どう、と牛鬼たちが倒れ込み、静寂が場を満たす。目に見える脅威は完全に排除された。足下を狙っていた術もいつの間にか消失している。その上で周囲を警戒しながら、誠志郎は血振りの後、鞘元で剣をくるりと回してから収める。背負っていた鞘を下ろして太刀を収めた来夏が振り返り、誠志郎に語りかけた。


「ひとまずは……というところか」

「そのようで。……しかし我々はこういった機会に『好かれて』おりますね」


鞘に留められていた予備の燃料電池をぱちりぱちりと剣に装填しながら応える誠志郎の言葉に、言い得て妙だなと来夏は苦笑する。そうやってから、思い出したかのように彼女は唖然としている千里たちの方へ向き直った。


「お怪我などはございませんか? 某教導院の学徒、鹿野島 来夏と申す者……猿条殿!?」


そこでやっと千里たちの存在を認識する。そう言えば、なんの脈絡もなく力丸がこんな所で戦っているはずもなかった……。


「! しまった! 伊上を忘れていた!」

「あ!」


実に間抜けな話であるが、二人とも戦っている内に力丸の存在が頭から抜け落ちていた。これは拙い、もし死んでいたりしたら後味が悪いなんてものではないと慌てて踵を返そうとすれば。


「見城殿~!」


街道の先から駆けてくるものたち。散弾銃を提げた氷雨丸を筆頭とした永原調査団の面々だった。渡りに船だと状況を尋ねようとした誠志郎だが、この場に現れたのは彼らだけではなかった。


続いて街道の反対側から来夏が乗っていた輸送車が現れる。そこから得物を提げて降り立つのは来夏の雇い主の配下だ。もしかしたらあわよくば……と狙っていたのかも知れないが、第三者の目が多すぎたのか不穏な動きはしていない。かてて加えてさらに後方から、黒塗りの不整地走行車が現れ急停車する。そこから降り立ったのは。


「帝都東部奉行所、【街道野盗改方】である! この場は我等が預かりとなった! 状況の説明を願おう!」


街道の治安維持と犯罪捜査を担う奉行所の部門。狙ったように現れた彼らの存在は、これ以上ない抑止力となり来夏を害せんとする動きは完全に封じられた。

事実彼らは機会を伺っていた。東部奉行所奉行の密命を帯びている彼らは来夏の動きを張っていたのだ。とにもかくにも、彼らの取り仕切りの元、現場検証と取り調べが始まる。











「……いやはや、怒濤の展開だな」


雑木林の影から様子を伺っている幸之助は皮肉げに口元を歪めた。

奉行所の手勢が張っていたの分かっていたが、介入してきたとなるといよいよ本格的に首を突っこむ気のようだ。恐らく上の方でも来夏周辺のきな臭さに眉を顰めているものたちがいるのだろう。


これで状況が変わる、とまでは行かないが微かにしろ光明が見えてきた。上手くいけば事態を軟着陸させることが出来るかも知れないと考えたところで。


「っ!?」


ぞくりと、背中に氷柱を入れられたような悪寒が奔る。


眼下では、未だ現場検証が続いている。そんな中で氷雨丸は誠志郎に語りかけていた。


「……怪我などは、無いようだな」


ほっとする。まだどこか気後れのような部分があったが、それよりも誠志郎が無事であったことに安堵していた。対する誠志郎は、ぎくしゃくしていたことなど忘れたかのようにするりと受け答えしていた。


「おかげさまで。しかし助かりました、伊上の事」

「あ? ああ、我々ではなく行商の仕事だったが」


力丸は氷雨丸たちを乗せていた商人の手によって治療を受けていた。今は鎮静剤を打たれ眠らされている。(怪我を押して誠志郎たちの元に向かおうとしたため)

彼の雇い主である千里はと言えば、気分が悪くなったとかで引き上げられた送迎車の中にこもっているようだ。まあいきなり修羅場を見せつけられたのだ、無理もないかと誠志郎は内心で肩をすくめる。

と、そこに事情聴取を終えた来夏が訪れた。


「やれやれ、おかしな事になった。……誠志郎、そちらは?」

「此度の雇い主、陸堂殿です。陸堂殿、こちらが……」

「お初に。鹿野島 来夏にござる」


す、と軽く会釈する来夏。氷雨丸もぎこちないながらそれに返した。

なんとなく言葉を交わしていく。そんな中、氷雨丸は徐々に気分を害していった。


誠志郎の態度が、来夏と自分では随分違うように思える。まあ誠志郎からしてみればぎくしゃくとしていた氷雨丸より慣れている来夏の方が相対しやすいだろう。自身では意識しなくとも、態度に差が出てしまうのは致し方がない。


そして、来夏と自分を比べてなんというか、惨めな思いを抱き始める。

氷雨丸と違い、来夏は女を捨てていない(・・・・・・・・)。男勝りであり私服はほぼ男装と言っていいが、女性であるとはっきり分かる。女性であるという不利を承知しながら、それでも目標に向かって邁進する彼女と比較して、男の振りをし世間の目を誤魔化している自分が矮小に思えてきたのだ。


来夏に悪意はないし、自分のことは自分の責任だった。だがそれでも、心の中のわだかまりは晴れそうにない。つまるところ――


「(この女、気にくわない)」


のであった。


誠志郎と来夏は、氷雨丸が気分を害しているのに気づきもしない。それがまた勘に障る。自分の心の中に生じたものがなんなのか、氷雨丸はまだ理解していない。

と、その時。


「ふうむ、終わってしまっていたか」


突然その場に響く声。誠志郎と来夏は咄嗟に飛び退き得物に手をかけた。


なぜ臨戦態勢を取ってしまったのか、二人にも分からなかった。ただ気配なく突如響き渡ったその声に、本能が最大限の警笛を鳴らしている。


雑木林の間から現れたのは、旅装束に編み笠の男。左手になにやら風呂敷包みをぶら下げたその男は、穏やかと言うよりは軽薄な笑顔でひょこひょこと歩み寄る。


この男は、なんだ(・・・)? 害意も敵意も感じられないのに、なぜこれほどまでに恐ろしい(・・・・)? 異様な感覚に、二人は流れる脂汗を抑えられなかった。

男は二人の様子など気にしたそぶりもなく、語りかけた。


「すまんがこの場の責任者はどこかな? 少々用事が……」

「街道野盗改方の広瀬である! 何者か、名乗られよ!」


男の存在に気付いた改方の一人が身分証がわりの印籠を示しながら誰何する。男は飄々と、これはうっかりとか言いつつ肩をすくめた。


「素浪人、谷郷 兵鋭と申す。こちらのほうで救難の狼煙が上がったのを見受けましたもので、向かっておったところ、なにやら怪しげな術師どもとでくわしたもので……」


言いながら、提げていた風呂敷包みを地面に放る。


「斬りもうした」


ひっ、と誰かが小さく悲鳴を上げた。さもありなん、風呂敷包みから転がり出たのは、数個の生首だったのだから。


空気が凍り付く。そんな中で兵鋭だけがへらへらと嗤いを浮かべていた。この男はおかしいと、誰が見ても分かる状況である。


「……お話を、聞かせて頂こうか」


固い声で、改方の男が兵鋭を促す。下手に刺激をするのは危険だという思いからか、どこか及び腰になるのは仕方がない。誠志郎と来夏も、警戒を解けないまま男を見送るしかなかった。


事情聴取を受ける兵鋭。その姿を、来夏の雇い主である商人を装った男は内心驚愕と戦慄の目で見ていた。


「(谷郷……真影だと!? だがあの男、凶状持ちで真影からは縁を切られていたはず……。しかしこの介入、偶然とは思えん。もし奴が未だ真影と繋がりを持ち、そしてこの件に介入してきたのだとすれば……)」


生じた疑心は際限なく膨れあがる。そしてそれは収まらず、彼一人のものではなくなっていった。


こうして来夏の命を狙った策略は、また失敗に終わる。

しかしそれはただの失敗ではなく、少年少女たちに波乱の気配をもたらす。


さらに少年たちは出会ってしまった。散歩をしているような空気で死をまき散らす希代の剣鬼と。


道筋には、暗雲のみが広がっている。

晴れる気配は、無い。











次回予告



襲撃事件の後、微妙な空気を漂わせる誠志郎の周囲。

そんな中、千里の父文生はついにある行動に出る。

千明に対してのその行動はいかなる波紋を呼ぶのか。

そしてそれは、誠志郎の運命にどのような影響を与えるのか。


次回『籠の鳥は、飛べるや否や』


刃鋼の光は行く先照らすか。












ついに深夜の時間帯になったか、ガンダム……。

夕方では視聴率が稼げなくなったのかしら緋松です。



え~、えらく時間がかかってしまって申しわけありません。なんかやたらと話が長くなってしまいました。なぜだターニングポイントでもないというのに。しかも肝心要の兵鋭さんとの出会いは最後にちょこっとだけ。どうしてこうなった。


で、大体予想はつくと思いますが人間関係ぐちゃぐちゃになる予定です。自分でやっててなんですがうわあどうすんのこれ。誠志郎君刺されるんじゃあるめえな。(酷)

彼の冥福を祈ることにして(おい)今回はこのあたりにしておきたいと思います。


ではまた次回。




で、こっそり今更ながら戦闘シーンBGM

ドラマ【サムライハイスクール】メインテーマ

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