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十七






幾重にも積み重なる書類がある。

その一つ一つに目を通しているのは、陸堂 佐之助。肘掛けに体重を預けたふてぶてしい態度であるが、その目は真剣なものであった。

書類は、教導院内で目星をつけた学徒の詳細な調査報告書である。大陸各地で行動している手の者の仕事だ。その働きぶりに、満足感を覚える佐之助。


数多の書類に目を通し、一息つこうというのか息を吐きながら書類を卓に戻し、姿勢を正す。

そこに、そっと差し出される湯飲み。佐之助は「む、すまんな」と一言言ってそれを受け取った。

湯飲みを差し出したのは氷雨丸。ほどよい温度の茶を一口啜り、佐之助は語りかけた。


「お前は先に目を通しただろう。……どう思う?」


佐之助の手元に至る前に、氷雨丸の手によって選別が行われている。それにより四割方の資料が淘汰されていた。そう言った手合いの仕事に関しては、兄である佐之助よりも手慣れている氷雨丸であった。

兄の問いに、氷雨丸は形の良い眉を微かに寄せて応える。


「幾人か図抜けた人間がおりますが、やはり見城 誠志郎と伊上 力丸でしょう」

「武に優れ、なおかつ下級貴族であるからか。……しかし共に上級貴族のひも付きぞ? どうする」

「伊上の方は、自尊心を煽ればわりと容易く動くかと。特に見城に対して敵愾心を持っているようですから、そこを上手く突けば腰も軽くなりましょう。……見城に関しては、感情に訴えるは愚策かと。かの者向上心はありますが強い欲がありませぬ。思慮深いというわけではありませぬが激情家ではなく、武威を振るうことを躊躇いませぬが血に飢えてはおりません。ただ義侠心に溢れ、他者の窮地には手を差し伸べずにはおられない質かと」

「ふむ、ならば?」

ことわりをもって『口説き』ましょう。我々にも義があり、行おうとしているのは成さねばならぬ事なのだと理解して貰うのです」

「ほお、随分と入れ込んでいるではないか?」


微かにからかうような気配を含んで佐之助が言う。その言葉に、僅かだがむっとしたような様子を見せて氷雨丸は応えた。


「良くも悪くも、今の世代で中心に近い位置にいるからです。他意はございません」

「左様か」


なんでもないように応える佐之助であるが、内心はこの状況を面白がってもいた。氷雨丸が身内の人間以外に関して多くを語ることは滅多にない。それが見城 誠志郎に関しては妙に口数が増えるように思える。もちろん気のせいと言うことも考えられたが。


「(そう考えるのは、面白くないな)」


人の縁とはただ損得勘定で成り立つものではない。もっと複雑で有機的なものだと佐之助は思う。それはこれからのことに利用できることであると同時に、世の中を面白いものにする味付けのようなものだと。彼は冷徹な策謀家としての才覚を持ちながら、どこか夢想家ロマンチストのような部分もあったようだ。


「まあよいわ、それでどのようにするつもりか」

「以前より行われていた『調査』、それに見城を連れて行ければと。幸いにして彼は匠合会に剣客として登録しております。仕事と言うことで依頼をすれば断らぬでしょう」

「そこで実情の一端(・・・・・)を見せる、か。……なるほど、即座に心動くものでは無かろうが、楔は打ち込めるやも知れぬな」


佐之助が帝都に赴く前から、永原の手の者は大陸各地であることを調べている。それは決定打とまでは言わないが、帝国政府に対する攻撃材料の一つになると永原の首脳陣は考えていた。それなりに重視されているものを見せようと言うのだ、言葉とは裏腹に見城 誠志郎に対してかなりのこだわりをもっていると、佐之助は見た。


「(こやつの『歪み』、矯正するよい機会になるやも知れんな)」


佐之助は、ある種の期待を抱く。自分たちではどうしようも出来ないことだった。だが氷雨丸がこれほど興味を示す相手であれば、そう思う。

この話、どう転がるか。野心とは違う所から生じた笑みを、佐之助は口元に浮かべた。











十七・潮風に曝す











木刀が打ち鳴らされる音が響く。

ここ最近、春川道場は以前の閑古鳥鳴く状況が嘘だったかのように喧噪に満ちている。

とはいってもそれを生じさせているのは、数人の少年少女であったが。


「しぃいりゃあああああ!」


烈破の咆吼が迸り、薙ぎ払われた木刀が少年の躰を容易く吹き飛ばす。

蹴られた小石のように吹っ飛んだ少年は空中で体を捻り、危なげなく着地。そこから正面ではなく横に飛び、壁や空歩を使って高く飛翔する。


が、敵も然る者。少年の動きを読んだか、同様に宙へと飛び、少年に追いすがった。


「しっ!」

「おおっ!」


交錯。がづ、と堅い音が響き渡り、二人は着地した。がくりと少年が膝をつく。


「それまで」


松之丞の声が響き、道場内が緊張感から解き放たれた。

雪彦はほう、と息を吐いて肩から力を抜く。


手に汗を握るというのはこのことを言うのだろう。型に拘らない、身体能力を最大限に生かした剣戟。これでまだ未成熟の少年少女なのだ。本物の一流とはどれほどのものか、想像もつかない。


「まだ、届きませんか」


膝をついた少年――誠志郎が少し悔しげに言う。

それに対して相手――来夏が汗をぬぐいながら応えた。


「それは某も誠志郎と同様、成長しているからな。早々後れは取らんさ」


幾度も肝を冷やしたがなと、本音は口にしない。まだ負ける気はないが、危ういと思う場面が増えた。誠志郎の成長がそれだけ伸びていると言うことだろう。油断がならない、益々精進せねばなと内心気を引き締める来夏であった。

こうやって数日に一度、主に雪彦が訪れる日に合わせて彼らは道場に集い、切磋琢磨を繰り返していた。

誠志郎が基本を教え、平八が理論を語り、松之丞と来夏が意見を戦わせ、そして今回のように剣戟が交わされる。それは僅かずつではあるが、少年少女達の糧になっていく。


彼らだけではなく、たまには松之丞の派閥から金魚の糞のようについてくるものもいた。が、そのほとんどはごますりで媚びを売るのが目的であり、真摯に剣と向き合う姿勢など持ち合わせているはずもない。木刀の素振り千本を言い渡した時点で、尻込みするものがほとんどであった。ごく少数のものだけが、時折現れ稽古を共にしている。(松之丞などはよい淘汰になったわと気楽な調子であるが、誠志郎や平八などは派閥に妙な亀裂でも入らないかと内心はらはらしていた)

結果、春川道場は松之丞派閥の中核的な人物が集う所と、学徒達からは目されている。実際には単なる剣術馬鹿の集まりなのだが。


それはともかくとして、一通り汗を流した彼らの元に、「はいお疲れ様、今日は暑かったでしょう?」などと声をかけながらなずなが現れる。両手で盆を持ち、その上には人数分の小皿が並んでいた。

皿の中身はよく冷えたくず餅。きな粉がほどよくかけられ、食欲をそそる。


「おう、これはありがたい。頂きましょう」


相好を崩し、感謝の言葉を口にする松之丞。すかさず平八が盆を受け取り、車座になった面々へと皿を配る。

なずなが冷えた麦茶を入れた湯飲みを配り、道場はさながら小さな茶会の様相を見せることとなった。


「む、美味いな」


くず餅を口にした雪彦は、その味に舌鼓を打つ。その立場上、彼の普段の食事はあらゆる意味で吟味されたものばかりで、このような庶民的なものを口にする機会など皆無と言ってよかった。

春川道場に通うようになってから、雪彦の食は大きく広がりを得た。世の中にはこれほど美味いものに満ちていたのかと、感動することひとしきりである。まあ多くの従者に傅かれ、母以外の兄弟家族と席を共にすることなく淡々と済まされる食事では、味気もなにもなかったであろう。和気藹々とした空気の中、食する『大したことのない庶民的なもの』がどれほど彼の心に響いたか、想像に難くない。


一噛み一噛みを後生大事に味わいながら、雪彦は席を同じくするものたちと気楽に言葉を交わす。平八などは未だ内心冷や冷やものであるが、松之丞は開き直ったか、大分遠慮が無くなってきていた。


「まったく。なずな殿の菓子は絶品にござるな。雪彦殿もそう思われましょう」

「うむ、このくず餅も良いが以前食した栗ぜんざい、あれは美味かった。時期が来ればまた口にしたいものだ」

「あらあら、褒めても美味しいものしか出せませんよう」

「それはいい。なればことあるごとに褒めましょうか」


なずななどともすっかりうち解けている。大雑把で考え無しなところが、ここでは良い方に働いているようであった。

その遠慮のなさは、勿論誠志郎や来夏にも向けられる。


「しかし来夏よ、そなたの剣どこまでも伸びよるな。いや誠志郎もなかなかのものだが、限界というものが見えん」


誠志郎に対する来夏のように呼び捨てでざっくばらんな口調である。そして来夏も口調こそ目上の者に対するものだが、その態度は堂々としたものであった。


「ははは、領一つ立ち上げようというのです。むしろまだまだと言ったところでしょう。同年代ならともかく、この道場に訪れるような剣客にはまだ及びませぬゆえ」


事実、庄造や三十郎とも剣を交えてみたが全くと言っていいほど届かなかった。見ていた誠志郎達はこの御仁でも勝てない相手がいるのだと、驚くことしきりである。まあ相手は帝都でも指折りの、本来であれば剣匠にも届こうかという相手だ。当然と言えば当然なのだが、未だ少年少女たちはその事実を知らない。


「目指すところがどんどん上に上がっていってる自分の立場って……」


誠志郎がかくりと肩を落とす。元々武で身を立てるつもりが無いとか言ってたくせに何を今更と、平八は内心呆れる。そもそも他の同年代と比べれば図抜けているのだ、贅沢にもほどがあるというものだろう。

誠志郎の言葉に対して、来夏はふんぬと胸を張る。


「先も言ったが早々後れを取るつもりはないぞ。……そうだな、もし一度でも某に負けを認めさせたなら、出来る範囲でなんでもしてやる、というのはどうだ? 張り合いが出るだろう」

「はは、凄まじい自信ではないか誠志郎。これは受けねば男が廃るというものぞ?」

「そもそも断るとは思っていないでしょうに。……お受けしますよ、いつになるか分かりませんが」


やれやれと言った様子で来夏の挑発に乗ったように見える誠志郎だが、その目に一瞬だけ鋭い光が宿ったのを平八は見逃さなかった。穏やかなように見えてやはり負けん気が強い所があるようだ。そうでなければここまでの腕を持つには至らなかっただろうがと、密かに得心する。


「……強さというものには果てがないな。未だ五百も振れない僕にとっては遠い話だ」


眩しいものを見るような目で、雪彦は言う。剣を学び、高い技量を持つ剣客たちの技を目の前で見取るなどの経験を経た彼は、すっかり剣に魅せられていた。未だ見取り稽古と素振り、走り込みの日々であるが、むしろ嬉々としてそれらをこなしている。出来なかったことが少しずつ出来るようになっていく、それが存外に楽しいらしい。その感覚は、誠志郎が感じ向上心の元となった感覚と同じものであった。

剣に対して欲が出てきた、そう言ってもいい。これが人を斬ることに喜びを覚えたりしたら拙い方向に行くだろうが、教えている誠志郎も、そして本人もそのような傾向はないし覚える機会もないだろう。雪彦の正体を聞いてはいないが察している平八は、ひとまず安堵した。


そこで少々思い当たることがあり、警告の意味も込めて彼は口を開く。


「そう言えば話は変わりますが、最近帝都のあちこちの小さな道場に、道場破りが出ているという話です。なんでも我々と同年代ぐらいで、どうにもたちが悪い素行をしているとか……」











どが、と重く鈍い音が響き、壮年の剣士が勢いよく吹き飛ばされる。

そのまま壁に叩き付けられ、呻きながら崩れ落ちた。


小さな道場。その中は死屍累々といった様子で、あちこちに呻きながら倒れ伏す門下生達の姿がある。それぞれ骨の一つも折っているようで、身動きもままならないらしい。

それを見下ろすのは、僅かに息を乱しているだけの力丸。小馬鹿にした視線のまま、ふんと鼻を鳴らす。


「約束通り、看板は頂いていきましょうか」


返事も聞かぬ――まあろくに受け答えも出来ないだろうが――うちにさっさと玄関先の看板を引っぺがし、その場でへし折ってうち捨てた。そうしてから堂々と物見高い見物人が遠巻きにする中、木刀を担いで悠々と去っていく。


道場破り、という存在は珍しいものではない。大抵は名に傷が付くのを恐れる大きめの道場に赴き、試合を申し込んで拒否されたら難癖をつけ小銭を集る。あるいは腕に覚えがあれば道場で主要な門下生や師範代を叩きのめし、名が落ちるのを恐れるならばとこれまた銭を集る、という強請り集りが主流であった。無論大概のものはそう上手くいかずに門前払いされたりあるいは叩きのめされて追い払われる。そもそも真っ当な剣客であれば公の場で自身の実力を示そうとするだろう。結局の所道場破りとは、強請り集りの一種でしかないというのが一般的な見解であった。


しかし力丸は違っていた。彼は実力はありそうだが金回りは良くなさそうな小さめの道場ばかりを選び、訪れ、道場破りを申し込む。その際金銭を強請るのではなく、自ら小判を十両ほど見せつけ、勝てばくれてやるなどと挑発を行い立ち会いことを承諾させる。そして存分にその実力を振るっていく。

その金は、千里に用立てて貰ったものだ。どうにも伊上 力丸という男、意外なほどに口が達者で他人を挑発したり乗せたりするのが得意であったようだ。ただし相手が体育会系の教官であったり千里であったり、その系の『乗せやすい』人物に限られていたようではあるが。実際金の力もあったとはいえ、数々の道場に立ち会いを承諾させた手管は限定的とはいえ確かなものでは無かろうか。


ともかく彼は手加減無く次々と犠牲者を産み出していく。その目的は腕試しに修行……と言う面も確かにあるが、実際の所は『憂さ晴らし』にすぎない。

以前の敗北以降、力丸は千里の傍付きを務めながら虎視眈々と復讐の機会を伺っていた。しかしその機会はなかなか訪れず、苛立ちを募らせていくのが現状である。普通に立ち会いを求めればよいのではないかと思うが、妙に自尊心の高い力丸はもう一度戦ってくれなどと頭を下げるのは屈辱だ、とか考えている節がある。あくまで彼は、衆人環視の元誠志郎が逃れられない状況での決着に拘っていた。


道場破りそのものは法で禁じられているわけでもなく、立ち会いでの怪我も剣を取り戦っていればあることだと言われるに留まるであろう。だがそれが幾度も続けば噂にもなってくる。

伊上 力丸は、道場潰しの狂犬として僅かながら名を広めつつあった。


その彼を密かに追うものがいる。


「(ふん、猛っているな)」


気配を殺し、つかず離れずの位置を保って力丸を追うのは、永原――陸堂家の手の者。

彼は佐之助の指示を受け、力丸の素行を調査していた。自分たちの勢力に取り込める人材かどうか、それを見極めるためである。


調べたことを判断するのは佐之助たちであるが、男は力丸のことを御しやすい人間だと考えていた。

本人が気付いているのかどうか、力丸は対人関係に置いて常に自分が優位に立とうとする。目上の人間に頭を下げるときですら、どこか小馬鹿にしたような、苛立たせる雰囲気を醸し出す。それを逆手に取れば思考を誘導することは容易だろう。


「(さて、若様方はどうなさるおつもりか)」


内心そう思いながら、男はただ淡々と己の役目を果たす。











さて、いつも通りの匠合会窓口事務所。

くるくると働き回る誠志郎に、笹舟から声がかかる。


なにかと思いながら、招かれるまま奥の座敷へと向かう。匠合会に持ち込まれる様々な依頼、その中には表沙汰に出来ないようなものもある。そういった話が持ち込まれた場合など、密談じみた事をするための場所になっている座敷だが、誠志郎は掃除など以外では足を踏み入れたことはなかった。

よほど重要なことなのか、そしてそれに対して自分が呼ばれるというのはどういう事なのか。疑問を抱き緊張しながらも簡単に居住まいを整え奥へ。廊下に座し、「失礼します」と内心恐る恐る障子を開ける。


「来たわね、まあ入ってこちらに座りなさい」

「はい」


いつも通りの笹舟に促され部屋に入る。部屋の奥、笹舟と対峙していたのは、従者を一人従えた男装の少女であった。


「(……来夏様といい、流行っているのか?)」


そんな内心の思いなどおくびにも出さず、「見城 誠志郎にございます」と失礼にならない程度に頭を下げる。

それに対して少女は、鈴の音を転がすような声で誠志郎に語りかけた。


「お初にお目にかかる。拙者永原領領主が子、陸堂 氷雨丸と申す」

「!?」


男だったのか、と言う驚きを飲み込む。どう見ても少女にしか見えないし気配でもそう感じたのだが――

自身の隣に座る奇矯な人物のことを思い出し、ああまあ世の中にはそう言う人もいるだろうと、何かを色々と棚に上げた。

奇矯な人物の方はと言えば、普段通りの雰囲気で言葉だけは慇懃に問いかける。


「ご指名通りですけれど、いかなる御用向きでしょうか? 内々の話にしてくれとのことでしたけど」


この場に置いて一応責任者であり、誠志郎の保護者代理でもある笹舟が話の舵を取ることになる。氷雨丸は頷き、口を開いた。


「今回の用向きですが、見城殿にある仕事をお願い致したく参り申した。まずは話を聞いて頂ければと」


堅く、真剣な口調である。まずは話を聞かねば判断は出来ないだろうと、笹舟は続きを促した。


「見城殿にお願いしたいのは、この私の護衛にござる。我等永原のものは以前より大陸各地にてある調査を行っており、此度はこの私も加わることになり申した。しかしながら諸事情により護衛の数が足らず、その上日程を変更するわけにもいかないということで、匠合会に腕の立つ人間の紹介を頼みたくまかりこしました。最近教導院でも名が売れ、魔獣の駆逐などでも実績のある見城殿であれば申し分ないかと思いまして」


同世代でもあることですしこちらも気が楽というもの、という氷雨丸の言葉にさほどおかしな所はないように思える。が、長年匠合会長を務めた笹舟は、微妙に裏を感じ取っていた。


ある領国がよその領を調べる、これ自体はよくあることだ。それこそ戦術的なことから一次産業関係の見学など表に裏に色々とある。

もちろん機密ともなればそう容易く調べられないようどこも配慮しているが、一般的な、そこらでどこでも見られるようなものに関しては大概どこも鷹揚であった。まだ発展中の領であればそのような事柄でも重要な情報であったりするから、結構頻繁にそのようなことはある。


しかし今回はそう言った類のものとは何か様子が違うような、そう言う気配を笹舟は感じていた。

まず永原は発展中の領国ではない。それなりに裕福で、辺境伯ほどではないにしても数少ない他大陸との窓口だ。それなりの立場にあるし、他の領から吸収すべき技術や情報などはほぼ無いはずである。

あるいは新たな事業にでも手を出すつもりなのかも知れなかったが、それにしたところで大陸各地(・・・・)というのはどういう事だ。何かを行うつもりであれば、ある程度の目星をつけ情報を得る場所は限定されていくものだろう。なにかがあるとしか思えない状況であった。


ただでさえ永原には後ろ暗い噂が事欠かない。が、明確に何かをやらかした証拠があるわけではないので依頼を断るわけにも行かなかった。それにこの依頼自体にはさほどの危険性も感じられない。あとは誠志郎の判断に任せるべきではあるのだが。


「(ひょっとして、この子との繋がり(コネ)を作りたいのかしら)」


むしろ依頼よりすれが目的なのではないか、とそう思う。教導院での誠志郎の立場は松之丞派閥の中核……と目されている。その立場に何らかの利用価値を見出したならば、別の派閥からであろうとも接触を図ることは考えられる。

どちらにしろ判断するのは誠志郎だ。果たして彼は。


「……お引き受け、いたします」


軽く概要を聞いて、誠志郎は依頼を引き受けることを承諾した。

胡散臭さを感じなかったわけではない、だがそれ以上に興味を引かれたのだ。


話の内容も気を引かれるが、一番気になったのは氷雨丸の目。穏やかな態度を装ってはいるが、その瞳の奥にある黒々とした何かを隠しきれていない。

それは憤り。そう誠志郎は直感した。何に対して隠しきれないほどの怒りを抱くのか、それが気になった。

誠志郎は激しい怒りを抱いたことも、誰かを深く憎んだこともない。だからか隠しきれないほどの憤りを抱える氷雨丸という人物に興味を引かれたのではないだろうか。


とにもかくにも。

誠志郎は氷雨丸からの依頼を受け、数日ほど教導院を休み同行することとなる。

行く先は帝都結界の外、そこから少し東にある海沿いの小領地【水上みなかみ】。











荒い波が、岩肌を叩く。

故郷の北之浜と似て非なる海の様相に、誠志郎は目を細めた。


水上は大陸周囲に巡らされた大結界、海流の流れが丁度ぶつかり合う場所にある。外洋から海流が流れ込んでくる位置にあるため、本来であれば沿岸に生息するはずもない大型回遊魚などを獲ることも出来た。ゆえに漁が盛んな土地である。

確か智助の所も似たようなものだったなと誠志郎は一瞬思い返すが、すぐに思考を切り替えた。


「此度は無理を聞いて頂きまことにありがたく」

「いやいや、たいしたことはできませぬが、まあゆるりとなさってくだされ」


水上の領主と挨拶を交わしている氷雨丸に、それとなく視線を向ける。見た目麗しく物腰柔らかな氷雨丸は、交渉ごとに関してそれなりの素質と才覚があるように見えた。まあ外見と態度だけでも大概の人間から受けはいいだろう。とてもその内心で何かを燻らせているようには見えない。


ともかく氷雨丸とその一行は、早速手分けして調査とやらを始める。基本は領内の住人__主に漁師と農民から話を聞いて回っていた。聴くともなしに内容は耳に入ってくる。

漁で獲れる魚介類の種類、米を含む作物。各の大きさ、量。それらにここ何年かで変化があったかどうか。また海や山の気候、近隣の動植物の様子、それらにも変化がないかなど、微にいり細にいり聞いて回っていた。


それが何を意味するのか、誠志郎にはさっぱり分からない。しかし調査をしている氷雨丸たちの真剣な表情、そして問われて言葉を交わした後、難しげな顔で考え込む幾人かの領民。それらを見ているとなにやら深刻な事態が進んでいるような感じを受ける。

一通り聞き込みが終わったのか、氷雨丸とその部下たちは再び集まり領主とともになにやら話し込み始めた。

始めは穏やかな様子の領主であったが、話し込む内にやはりなにやら難しげな顔になる。一体どのような内容なのか気にはなるが。


「(関わるとろくなことがなさそうだなあ)」


心の中で鳴らされる警笛に従い、一歩離れて話の内容を聞き取らないようにする。この時点ではまだ、誠志郎は佐之助らが行っていることを噂ですら知らない。依頼を受けたのは氷雨丸個人に対する興味からであったが、それと行っていることに首を突っこむのは別問題だ。ゆえに彼は護衛に専念し、深く立ち入らないよう心がけている。


しかしこの調査で護衛が必要なのだろうか。頭の隅でそのようなことを考える。

まあ道中魔獣や賊に襲われる可能性はあるが、帝都結界の近隣で、しかも街道に近い十分に開発されたあたりではその可能性は低いと言っていい。その上やっていることは大分力こそ入っているものの、ただの調査だ。領主や民と軋轢が出来るような事はしていないし、今いる部下だけで十分では無かろうか。自分が護衛する必要性というものを感じられない。


「(もしかして、何か他に目的が……)」


やっとそのあたりまで考えが及んだとき、「お待たせした」と氷雨丸から声がかかり誠志郎は現実に引き戻された。


「お話は、終わりましたか」


少し考え込んでいたことなどおくびにも出さず、誠志郎は対応する。その様子になぜか一瞬少し眉を寄せ、それから何事もなかったかのように話しかけた。


「ああ、この後は泊まりがけで実際に土地や産物などの調査を行う。よろしゅうたのむぞ」

「は」


淡々とした誠志郎の反応に、やはり微かに眉を寄せる氷雨丸。何か言いたげであったが、結局言葉にせず誠志郎を従え移動を始める。

微妙な雰囲気の中、ついに堪えきれなくなったか氷雨丸は誠志郎に言葉をかけた。


「……つまらぬか?」


その問いに対し、誠志郎はこう応える。


「仕事ですので」


それは仕事だから興味がないことにも付き合ってやっているのだと言うことなのか、それとも興味はあるが仕事だから深く関わらないと言うことなのか。氷雨丸は言葉に詰まる。

義侠心に溢れ好奇心旺盛。それが誠志郎に対して抱いていた人物像であった。大陸横断鉄道での事件や北之浜における来夏の救出劇など、話だけ聞けばそのような人物では無かろうかと思うのもやむを得ない。

であればなにやら深刻そうに見える此度の調査など、興味を引かれるのではないかと思っていたのだが。


「(やはり胡散臭く見えるのであろうか。日頃の行いが徒になった、と……)」


ほんの少しだけ、落ち込んだような気分になる。自分たちに大儀があると言うことは確信している。そのことで人からどう見られようと胸張って進む覚悟は出来ている……と思っていた。

だがなぜだろう。この男、見城 誠志郎に『認められていない』という事実が重く感じられるのは。氷雨丸は自分の心持ちが分からなくなって戸惑う。


誠志郎がやらかしたことを聞き、調べ、そこに英傑の質を見た。焦がれたと言ってもいい。英雄譚に出てくる登場人物のようだと、そう感じたのだ。ゆえに取り込みたいと思いこうやって接触を図ったのだが、どうにも上手くいかない。今までの不満を抱えたものたちであればわりと容易く扇動し集めることが出来たが、さすがに英傑の質。それに腰が引けていると言うことなのだろうか。

今までが上手くいっていたためか、食い付きが悪い誠志郎の反応に我知らず落ち込んでいるらしい氷雨丸。単に、誠志郎は何かがあると匂わせるだけで食い付いてくるような人物ではないと言うだけの話なのだが、どうにも夢見がちと言うか、問題ごとには必ず首を突っこんでくるような人間だと思い込んでる節がある。


当然ながら、誠志郎はそのようなことを知るよしもない。そも氷雨丸が思っているような人物ではなく、行ったことも成り行きに任せたという部分が多い。分かりやすい窮地が目の前にあるのであればともかく、今回のように深刻さを匂わせているだけでは積極的に動こうとしないだろう。つまるところ氷雨丸の読み違い、であった。


どうにもやりづらい氷雨丸であったが、ここで諦めるようなら大儀など抱かない。

意を決して、一歩踏み込んだ。


「……見城殿、仕事の延長と考えて一つ話を聞いてはくれまいか?」











千載一遇の好機が訪れたと、そう感じた。

誠志郎の仕事。それにより彼が帝都を離れたことは、すなわち普段来夏がほぼ単独で行動することを意味する。

それは彼女の守りに大きな隙を作ると、来夏の命を狙う陰陽師たちはほくそ笑んだ。


彼らにとって、誠志郎の存在は意外なほど大きな障害となっていた。実際、誠志郎の存在が無ければ大陸横断鉄道事件の時に、来夏は討たれていただろう。その後もなにかと来夏と共に行動する誠志郎の存在は、非常に目障りなものであった。

ゆえにこの時こそ、そう考えてしまうのもやむかたない。


日が落ち、仕事帰りの者たちが一杯引っかけるような大衆酒場の片隅で、ひそひそと言葉を交わす平服の陰陽師たちの姿があった。


「予定外であるが、なに手はある」

「偽の依頼か」

「左様。郊外であの目障りな小僧の存在さえなければ容易かろう」

「それにきゃつの躯体は今整備中。生身の小娘ごときに後れを取る我等ではない」

「……が、今までのこともある。準備していた計画を並行し進めておこう。万が一と言うこともあるしな」

「承知。では詳細は後で皆が集まってから詰めよう」


連れだって席を立ち、勘定を済ませて店を出る二人をさりげなく追う影。


「(そうそう上手いこと、物事が運ぶと思うなよ?)」


宵闇の中で、幸之助は獣のような笑みを浮かべた。











旅籠で己に宛われた部屋の中で、誠志郎は布団の上で大の字に横たわる。

ぼんやりと天井を見上げながら、彼は考えにふけっていた。


「(大結界の悪影響、ねえ……)」


思うは昼間、氷雨丸から聞かされた話。


「簡単に言えば、大結界の不備が各部に影響を及ぼし始めている、と言う話だ」


氷雨丸の話は、誠志郎からすれば実に規模スケールの大きい話であった。

大結界の存在が地脈の力を大きく弱め、その綻びが少しずつ各所に影響を与えているということ。今回の、いや以前から行っている同様の調査はそれを確認するためのものであると、氷雨丸はそう言った。


「今はまだ微々たるものでしかない。がこれが続けばどうなるか、下々の者ですら不安を覚えるくらいには見通しは暗い。我等はそれを何とかしたいのだ」


具体的にどうするか、までは言わなかったが、なにやら大きいことを考えているのは明白である。それを聞かせたと言うことは自分にも力になって欲しいと、そういうことなのだろう。さすがの誠志郎も、それくらいは分かる。

それに誠志郎は松之丞の派閥と見られている現状だ。やもすれば国の中枢に太い繋がりを持つ事になるやも知れぬと思われても仕方がない。そう言った面からも接触を図りたかったのでは無かろうか。そう考えられた。


大して力にはなれそうにもないと、誠志郎は思う。松之丞などに口添えくらいはできるだろうが、やっとうの腕前と机仕事くらいしか取り柄のない己自身には何も出来ることはないように思えた。まさか帝国をひっくり返すような謀を氷雨丸たちがしているなどと夢にも思わない誠志郎は、その腕っ節こそが望まれていると気づく事はない。


身に余る話である。だがやはり帝国の基盤を揺るがすような話だ、気にならずにはいられなかった。夜も更けたというのに眠れそうにない。

息を吐き身を起こす。頭をばりばりとかいて、ふと自分がうっすらと汗をかいていることに気付いた。


「……風呂にでも入るか」


この旅籠は近場から温泉を引き、天日などで加熱したかけ流しの風呂がある。清掃時間以外であればいつでも入られたはずだ。思いたったが吉日とばかりに手早く用意をし、風呂へと向かう。


旅籠の裏手に風呂場はある。海に面し少し崖のようになったその上、岩風呂に簡単な屋根がついた半露天の、雰囲気のよい風呂である。

夜中であることもあり、脱衣所に人影はない。さすがにこんな時間に入りに来る人間は他にいないだろうと大して周囲に注意を払わず、浴衣を脱ぎ手ぬぐいだけもってからりと扉を開けた。


風呂の熱気が潮風に押し流され吹き込む。

そして風呂には先客の姿があった。


薄明かりに照らされ風呂の中央で立ち上がっていたのは氷雨丸。

驚きのあまりか目を丸くして固まっている。


尻が丸かった。腰が細かった。


そして胸はささやかながら柔らかそうな膨らみを魅せていた。


呆然とその姿を見ていた誠志郎は、思わずぽつりとこう零す。


「……やっぱり女の子じゃないか」











次回予告



誠志郎と氷雨丸はどこかぎくしゃくしたまま次の目的地に向かう。

来夏は偽の依頼と知りながら目的地へと向かう。

千里は気晴らしのため、力丸を伴い目的地に向かう。

そして、刃の下に狂気を隠した男が彼らの前に現れる。


次回『凶刃との邂逅』


刃鋼の光は行く先照らすか。











きょうだい、とは言ったが兄弟とは言ってない、はず。

よくある誤字脱字を利用したトリックよすんませんうそです緋松です。


多分みんな気付いていたと思いますが氷雨丸ちゃん正体ばらしの回。潮風に曝されたのは裸体なわけですなんていやらしい。

こうしてどんどん誠志郎君周りの人間関係がおかしくなっていくわけですが、多分次回はもっとややこしいことに。まあ適当にがんばれ。(無責任)


でわ今回はこのあたりで。次回は剣戟アクションだ?

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