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東方大陸。

大陸とは言っても、正確には大まかに四つの大きな島が寄り集まって形成されている。


最大の面積を誇るのが中央の【本土】。そして【北東部】、【南部】、【西南部】の三つが狭い海峡を挟み存在し、それ以外の諸島群が周囲に点在する形で位置していた。


この大陸にて帝国が興ったのが約三百年前。以来大陸を平らげ脈々と続き、現在では十五代を数える。

栄華を極め、君臨を続ける皇帝と貴族たち。彼らは己が世が果てなく続くと信じて疑いを持たなかった。


しかし。


澱みはゆっくりと積もり、濁った水は少しずつ溢れ出そうとしていた。










一・天より降りたるは鋼と姫君











本土の西、西南部と海峡を隔てた向かい側。本土と西南部をつなぐ玄関口とも言える港町【門崎かどさき】。門崎守【西部にしべ 忠尚ただなお】伯爵が治める門崎領が中核であり、漁港、交易港としても栄える領庁所在地だ。


が、話の舞台はそこではない。


門崎から海沿いに街道を北へ向かって三十里ほど、のどかな風景が広がるそこそこの大きさを持つ町がある。

門崎領旗下地方領地【北之浜】。漁業と農業を主幹として成り立っている小規模の領地であった。

そこを治めるのが北之浜領主【見城けんじょう 兼定かねさだ】男爵。元々は武に長けた人物であり、若き頃は見聞と称して大陸中を巡った経験もある。


彼には二人の息子がいた。長男が【見城 慈水じすい】、数年前に元服し、父親を支える文官として働く若き後継者だ。

そしてもう一人が――


「おおい、弟若おとわか~」


町から少し離れた場所。町と広大な農地をあやかしや魔獣といった外敵から守る【結界】の発生基部に近い雑木林。そこに生えた大木の根本に集う子供たちの姿がある。

その中で周囲の子供より一回り大きな身体を持つ少年が、大木の上に向かって声をかけていた。

見上げる大木の、張り出した一本の太い枝。その上に寝転がっていた影がむくりと身を起こす。

するりと、まるで猫のようにしなやかに枝から飛び降りる影。子供の身丈から見れば、いや大人でも一瞬躊躇するような高さであったはずだが、一切の迷いがない。


降り立ったのは集った子供たちと同い年くらいの少年。藍色の胴着に同色の袴、腰に鍔なしの脇差を差している。降り立った少年は糸のように細めた目で子供たちを見回し、ふわ、と欠伸をしてから問うた。


「どうしたのさ山手の連中が揃いもそろって。また海の連中と諍いかい?」


山手と海。ようは地主を中心とした農業を営む家の子供たちと、網元を中心とした漁業を営む家の子供たちの派閥だ。まあ所詮は子供のじゃれ合いなので大人から見れば微笑ましいものなのだが、間に挟まれる当事者としては少々困りものであった。

領主の息子である少年は立場上どちらかに肩入れする事をよしとせず、中立の立場を保ってきた。しかしそれ故に事あるごとに板挟みにされ、無理難題(というほどのものでもないが)を押しつけられる。毎度毎度くだらないことで諍いを起こすな言いたいのが正直なところだ。

言って分かってくれるなら誰も苦労はしないんだけどなあ、そう思いながらも少年は話を促す。それに対し得たりとばかりに、大柄な少年が鼻息も荒く言う。


「おお、それが今朝なんだがなあ、また海の連中と獲物比べをしてたんだが……やつら言いつけを破って沖まで出て、でっかい鱶を獲ってきやがったんだ」


どうせそんなこったろうと思った、少年は年に見合わぬ苦労人の気配を背負ってため息を吐く。しばらく前から山手と海が狩りや漁の真似事をして獲物の成果を競い合っているのは知っていたが……ついに横紙破りをしでかしたらしい。当然の事だが子供たちだけで結界の外にあたる沖合まで出るのは禁じられている。競い合いの末、意地と見栄がそうさせたのであろうが……考え知らずもいいところだ。

となれば話の内容も予測はつく。少年はやる気なさげに問うてみた。


「で、【吾一ごいっ】ちゃん。自分ぼくに何を頼みにきたのさ」


少年の問いに、吾一と呼ばれた少年は堂々と言葉を放つ。


「勿論、殿様に山に入る許可を……」

「却下」


即座に吾一の言葉をぶった切る少年。結界の中に入ってこれる野生動物はただの狐狸や兎の類が限度。せいぜいが子鹿くらいのものであろう。となれば結界が張られていない外に行けばもっとでかい獲物が……などと考えるのは素人である。

先にもちらりと語ったが、そも結界とは外的を防ぐための物だ。つまり外には結界を張って進入を(・・・・・・・・・)防がねばならない(・・・・・・・・)ほどの物が存在する(・・・・・・・・・)と言うことである。人がなまなかに対処できるはずもないのは無論、野生動物なら余計にその存在におびえ行動も慎重になる。こわっぱ風情が簡単に捕らえられるはずもない。海の子供たちが大物を捕らえたのはたまたま偶然運がよかったとしか言いようがなかった。下手をすれば彼らは今ごろ海の藻屑だ。


実際に結界の外に出たことのない――危険に晒された事のない子供たちにはそれが理解できていないのだろう。だからこのような無謀な事を考える。幸い――と言っていいのかどうか、少年には妖や魔獣といった存在と相対するための知識や経験があった。ゆえに即吾一の提案を却下したのだった。


しかし予想通りというか何というか子供たちは不満げな表情となり、吾一は縋り付くような感じで懇願してくる。


「そこを何とか曲げて、頼むよぉ~。せめて猪くらいじゃねえと張り合えねえんだよお」

「親父殿どころか兄上だって許すわけないでしょそもそも」


少年は取り合わない。無駄かもなあと思いつつも、大体ねと言葉を紡ぐ。


「海の連中が今頃どうなってんのか分かってる? 多分さんざ殴り散らされて説教の雨霰、一昼夜正座でとどめが飯抜きってところじゃないか?」


少年の言葉に、子供たちはぐっ、と呻いて顔を見合わせた。彼らからすれば身も知らぬ危機より烈火のごとく怒り狂う親の方が余程恐ろしい。言いつけを破り、しかも身を危険にさらすような真似をすればどのようなことになるか火を見るより明らかだ。その事に今更思い当たったらしい。

青くなったり固まったりする子供たちの様子を見てやれやれと肩をすくめる。まあここまで言えばそうそう馬鹿はやらないかな、とそう判断した少年はひょいと手を伸ばし大木の根本に立てかけていた物――えらく太い棍棒のような木刀を手に取り担ぐ。そしてそのまま「んじゃ自分は帰るから」とだけ告げ、ひょこひょこと雑木林を後にした。


林から出てみれば暖かい日差しが降り注ぐ。背後の雑木林のさらに向こうから、結界施設の上で回る風車の音が響いていた。細めた目をさらに眩しそうにゆがめ、少年は「ん~」と伸びをする。

少し小高い山の麓近く。ここからは北之浜の城と城下町、その先に広がる海までが見て取れる。その光景を眺めながら少年はふと思った。


もう少しでこの光景ともしばらくお別れなのだと。


「【帝都】、ね。……はてさて何が待っているやら」


帝国の首都である帝都【阿須賀あすか】。少年はこの春から、その地にある貴族専門の教育機関【国立教導院】に入学することになっていた。最低でも三年は北之浜に戻ってくることはない。さらに万が一もしも国軍などに仕官、あるいはどこぞの貴族の令嬢と婚姻、婿入りなどと言うことになれば、下手をすると一生戻ってくることはないかもしれなかった。

ま、今からそんな事を考えていても仕方がない、なるようになるさと気楽に考え、少年は再び歩き出して城下に向かう。


北之浜領主が次男【見城 誠志郎】、この時齢十三。

後に『戦匠ウォーマスター』と称される武将、【見城 鋼刃ごうは】が幼き日の姿である。











北之浜城。目の前の海に流れ込む川の畔に建ち、船着き場なども備えた小さいながらも堅牢な城である。

その城主執務の間にて、領主見城 兼定は書類の山と壮絶なる戦いを繰り広げていた。

小領地でありながら、いや小領地だからこそ人手は足らず、仕事は溜まる。最近は息子である慈水も使えるようにはなってきたが、それでもまだまだ文官――書類仕事ができる要員は足らない。そもそも人を雇う予算もそれほどないうえ、世に流れている人材は武芸一辺倒に偏った者が多い。当然といえば当然、文官であればこのような辺境ではなくもっと有力な領地や大貴族の元へと身を寄せるであろう。

困ったものだが打開策はまったくといっていいほどない。せいぜいが門崎守に訴え目ぼしい人材が居たら回してくれないかと頼むくらいだ。それもあまり期待はできそうにないがなと、目を通した書類に判子を押しつつ兼定は鼻を鳴らした。


そこで襖の向こうに気配。控えめな女中の声がかかる。


「お仕事中失礼いたします兼定様。商人の【紀邑きむら屋】がお目通りを願いたいと参っておりますが」

「おお来たか、通してくれ」


表情を明るい物に変え、兼定は職務を中断し茶室に移る。茶の用意をしながらしばし待てば、失礼いたしますと現れる人物。

頭を下げ座に着いたのは面長で茄子を思わせる様相の、愛想良い男。

【紀邑屋 文五郎】。門崎領を中心に手広く商いを行っているそこそこ大店の商人である。兼定とはまだ駆け出しの商人であった頃からの付き合いであり、気の置けない間柄といってもよかった。立場を越えた友人と言っても過言ではない男に対し、兼定は相好を崩して語りかけた。


「久しいな文五郎。ま、まずは喉を潤していけ」

「兼定様手ずからとは。ありがたく頂戴いたしましょう」


お決まりのように言葉を交わし、茶を振る舞う。丁寧な作法で茶を干し、一息ついたところでそれではと、文五郎は携えて来た細長い包みを恭しく差し出す。


「ご注文の品でございます。お確かめ下さい」


うむと頷いて兼定は包みを受け取り梱包を解き、中身の品を確かめる。満足げなその様子に文五郎は目を細めた。

品を再び包み、兼定は顔をほころばせて文五郎に言う。


「よい出来だ。任せてよかった」

「ご満足いただけたようで何より。ご子息の箔づけにもなりましょう」

「この程度しかできんがな。さすがに大貴族のようにはいかぬよ」

「分不相応な無理をなさる必要もありますまい。手前から言わせてもらえば、大仰にすぎるのはいささか品のない事かと。……と、そう言えば一つお耳に入れたいことが」


深刻な、というよりどうしたものだかと困惑したような表情で、訳ありげに声を落とす文五郎。飄々とした普段の態度とはまるで違う様相に、兼定は訝しげに眉を顰め話を促す。


鹿野島かのしま守、ご存じでしょう?」

「知らぬわけが……ぬ、末の姫か」

「はい、かの訳ありの末姫のことでございますよ」


鹿野島守。西南部が最南端にして最大の領地鹿野島領を治める辺境泊。ただの田舎の大貴族ではない。かつて帝国の発展期に、中央大陸からの侵略に対抗するため任命され遣わされた防衛組織防人の総大将、【西威大将軍】の役目を代々受け継ぐ、大陸でも指折りの有力地方貴族である。

その役目こそ形骸化し、惰性で世襲しているような有様ではあるが、その勢力は未だ健在。地方の端にありながら中央にも影響を及ぼすと言われている。

事実公爵家や親王、皇帝の後宮ハーレムなどに一族の娘を送り込み、関係を深めるなど抜け目がない。大貴族とはいえ安穏と過ごしてればすぐにでも中央から忘れ去られる辺境にて勢力――特に軍事力を維持するための涙ぐましい努力と言ってもいいが、それを疎ましくも驚異とも考えている輩も多い。


まあそのことは今は置いておくとして、現在の鹿野島守【鹿野島 岩斬がんざん】。その後妻に収まっている女性にとある問題があった。互いに再婚。それだけならば別になんと言うことはなかったのだが、以前に居たのが前皇帝の後宮だったのである。

一族出身の女性であったが、高齢であった前皇帝の元に送られたのはほとんど人身御供のような意味合いであった。それでも皇帝の寵愛を受けていればそれなりに安泰であったのだが……その前に皇帝が崩御。代替わりのおりに他の立場を同じくする女性たちと同様、国元へと送り返されたのであった。

流石に代替わりしたばかりの皇帝の元に居座るわけにもいかず、さりとて他の有力な貴族へ輿入れさせるとかいうのも気が悪い。そのまま彼女は後家ような形で尼にでもなる……かと思いきや、哀れに思ったか前妻をしばらく前に亡くしていた鹿野島守が、後妻として迎え入れたのである。


このあたりはお家の事情もあったろうし一悶着もあったろうが、詳細は伝えられていない。しかし現段階でも微妙な立場にある事は容易に推測できる。その女性と鹿野島守の間には一人の娘がいた。

この娘、己の立場を弁えているのかいないのか、随分と歌舞いた言動で周囲を振り回しているともっぱらの噂だ。


曰く武芸者で身を立てると剣に打ち込んでいるとか、その技を持って近隣の腕自慢に対し道場破りの真似事を繰り返しているだとか、家来衆の目を盗んで鉄騎サイクルを乗り回し城下を駆けめぐっているだとか、どこまで本当のことかはわからないが話題には事欠かさない。他の領国のことゆえ詳細は分からないが、それでも地方の小領主である兼定の耳に入るほどなのだ。実際どのような人物なのか想像もしたくない。


「まさかとは思うが、かの姫君も教導院に入るという分かり切った話なのではなかろうな? 確か誠志郎と同い年であったろう」


渋い顔をして兼定は言う。貴族の子であれば女子とて教導院に入ることは珍しくもない。それに限定的ではあるが女性の皇族や親王家、または皇帝の後宮の守護役として女性の武官もそれなりに存在する。教導院に入学すればそちらの関係に繋がり(コネ)を作り仕官することも可能だろう。武で身を立てるというのであればそのような道を志してもおかしくはなかった。

まあ時を同じくして教導院に入る、しかも同い年とはいえ領国を預かる大貴族の子女と地方領主の小せがれ、関わり合いになることなどまずあるまいが……万が一にも知り合ってほしくはない。兼定とて親だ、子に波乱の人生など望むものか。元々そういう事もあろうと前もって釘を刺す腹づもりだったのだ。


が、文五郎からもたらされる情報は、予想の斜め上であった。

彼はなんというか、非常に言いにくそうな顔で兼定に告げる。


「いやそれがですな、教導院に入学するのは決まっておるのですが……その祝いと称して鹿野島守より機殻鎧を賜った……というか半ば無理矢理強請り取ったという話で。おそらくはそれで乗り込んでくるのではないか、と」

「…………は?」


ぽかんと、剃刀を思わせる雰囲気の顔に似合わぬ表情を浮かべ間抜けな声を発する兼定。

子に箔をつけるため教導院入学を口実に機殻鎧を与える貴族は確かにいる。さらにはそれで意気揚々と教導院に乗り込む子もだ。しかしそのような行為は一般的に品のない行為をして影で笑い物になる。元服も迎えぬ未熟者が不相応な武の誇示など愚の骨頂、風潮としては昨今そのようなものなのだから。


鹿野島守ともあろう大貴族がそれを理解していないはずはないのだが、道理をねじ曲げてまで機殻鎧おもちゃをあたえるほどの理由があったというのだろうか。それとも鹿野島守をして首を縦に振らざるをえない状況にかの姫君は持っていったというのか。そもそも女子が機殻鎧を賜るなどよほどの状況でもないかぎりありえない。傭兵や魔獣猟師イェーガーであれば保有する例がないでもないが、貴族の子女では前代未聞と言ってもいい。

どこまでも常識はずれ。言い淀んでも当然の話である。


言葉もなく暫し惚ける兼定。告げた文五郎もそうであろうなあと困り顔だ。

ややあって、やっとの事で二人が絞り出せた言葉は。


「……歌舞いておるなあ……」

「歌舞いておりますなあ……」


最早呆れたとしか言いようのな、その一言だけだった。

しかしまあ、それを聞いたところでどうしようもない。先にも言ったが普通に過ごしていればまず関わることはないし、誠志郎もそのような奇天烈な歌舞伎者ロッカーと好きこのんで関わるような性格ではない。後はもう、神にでも祈っておくくらいしか対処のしようがないだろう。


この時点で言うのも詮無い事であるが、結果的に言えば兼定も文五郎もかの姫君を甘く見積もっていたと言うしかない。

全ての道理を蹴り飛ばし無理を乗り越えると謳われた姫君は、比喩ではなく(・・・・・・)予想の遙か彼方から飛び込んできて誠志郎に――ひいては北之浜に深い関わりを持つこととなる。











見城 慈水。後の評価では目立たず可も不可もなく、地道な功績はあれど大成することのなかった人物であると記されている。だが知る人から見れば、綺羅星のごとき功績を残した弟よりよほど恐るべき将であると言うに値する。

何しろ戦乱のまっただ中、最前線ともいえる小領地北之浜を難攻不落とし、一度たりとも敵の侵攻を許さなかった傑物であったのだ。


……のであるが、今現在の彼は人材と予算の不足にあえぐ文官にすぎなかった。


「……だからといって、出立前の身内をこき使うのはどうでしょう兄上」

「何事も経験です。それに悪事巻き込むのはまず身内から、というのは基本ですよ?」

「悪事って……(げ、ここごまかしてる! ここも、こっちも!?)」

「基本ですよ?」


にこにこと穏やかに笑う兄の様子に、誠志郎は背後に流れる汗を覚えた。とは言っても不正の類とは微妙に言いづらい。例えば小作人が家庭菜園規模で賄っている畑を収入として勘定していなかったり、漁師たちが漁に出られない日に行った内職を目こぼししたりとその程度のものだ。

本業に対する税収は厳しくとは言わないまでもきちんと納めさせているが、それでいて小さな副収入は見逃す。締めるところはきっちりと締め、緩いところは緩い。飴と鞭による執政が、慈水のやりかただった。


民を肥え太らせれば自ずとこちらの懐も潤う。そう言う彼は領地に対する整備や投資も積極的に行い、効率よく収益を上げさせるよう父であり上司である兼定に働きかけていた。事実僅かづつではあるがその効果は現れてきており、兼定を唸らせている。慈水に代替わりすれば領地の収益は倍に跳ね上がるのではないか、そう関係者に言わしめるほどの手腕。実際何事もなければそれは事実になっていたのかも知れない。


が、運命というものはかなり無理矢理に、平穏な小領地を巻き込まんとしていた。


文官執務室の外から慌ただしい気配。何事かと誠志郎が顔を上げたとき、襖の向こうから少し慌てたような官員の声が響く。


「慈水様いらっしゃいますか? 火急の用件がござます!」

「? なんですか?」


問いながら慈水は席を立ち、襖を開ける。その行動に外でかしこまっていた官員は少したじろぐが、「火急なのでしょう?」と慈水に促され、戸惑いながらも話を続ける。


「は、それでは……つい今し方、城下の童が幾人か警備詰め所の方に飛び込んで参りまして。なんでも地主の息子と幾人かの童が結界外の山間に許可無く向かったとのことで」

「!」

「ふむ」


官員が告げた言葉に誠志郎はびくりと反応し、慈水は眉をひそめる。そうしてから彼は振り向いて誠志郎に問うた。


「何か知っていますか?」

「はい兄上、実は……」


真剣な面持ちで己の知る全てを告げる誠志郎。それを聞いた慈水は一瞬考えた後、やおら公職の制服とも言える紋付き羽織を脱ぎ捨てると、鋭い声で官員に指示を飛ばす。


「警邏隊に連絡を、急ぎ捜索を開始します。……誠志郎、あなたも来なさい」

「は、ですが……」

「言ったでしょう、何事も経験です。それに同年代であればあなたの方が詳しい事もあるでしょう」


そう促され、誠志郎は大して役に立てないとは思うがそういうものかと腰を上げた。


先に仕事を手伝わせていたのもそうだが、慈水はこのころから誠志郎に文官や統治者としての教育を行っていた節がある。それはたとえ北之浜に戻ってこずとも、どこぞに仕官する際に役立つだろうという一種の親心だったのかもしれない。

今回のこともその一環であったのだろうが……まさかこれが誠志郎の運命を大きくねじ曲げようとは、流石の慈水も思わなかったに違いない。後の傑物も、未来を見通す力など持っていなかったのだから。











「若殿様ぁ、弟若ぁ」


涙と鼻水を垂らしながら小作人の子が駆け寄り、誠志郎はそれを宥めながら話を聞こうと試みる。

だいぶん苦労はしたが、それでも何とか落ち着いてきた相手から聞き出したのは。


「……大将(吾一)、弟若がもうじきいなくなるから、でっかい獲物とってごちそう作ってもらって盛大に送り出してやるんだーって、怒られるくらいなんともないって……」


この言葉には正直困ってしまった。よく聞いてみれば海の子供たちとの獲物比べもそもそもそれが原因だったらしい。思った以上に慕われていた事を知って気恥ずかしいやなにやらあるがそれとこれとは話が別だ。第一命の危険を冒してまで祝われたくはない。今の時期ならまだ危険な生物は闊歩していないが、万が一というのはある。それにただの野生動物であっても大型の獣であればそれだけで十分驚異だ。とてもではないが慣れていない子供に何とかできるものではない。


急がなければ。子供たちが知っているであろう結界の緩い場所を兄に知らせようと振り向けば、眼前に投げつけられる何か。反射的に受け取ってみればそれは鉄騎の起動鍵キー


「兄上?」

「先行して身柄を押さえなさい。使えるのは分かっています」


語外にこっそりと借りて乗り回していたのは知っているぞと滲ませた兄の言葉に背筋が冷える誠志郎。戦慄する弟の態度をよそに、慈水はそれと、と言いながら懐からあるものを取り出して誠志郎に差し出した。


「万が一と言うこともあります。これを持っていきなさい」

「これは!」


挿絵(By みてみん)


受け取ればまず感じるのはずしりと重量感。鉄の冷たさと吸い付くような木の感触。人殺しの道具、回転弾倉式短筒リボルバー。目を丸くしてそれを見つめた後、唖然とした顔で兄を見上げる誠志郎。慈水はただ頷き、静かに告げる。


「くれてやります。使いこなしなさい」

「で、でもこれは兄上の……」

「そろそろ買い換えるつもりでしたしね。出立祝いと思っておきなさい」


えらく物騒な祝いもあったものだ、と現代の感覚でいえばそうなるのであろうが、この時代刀剣や銃などの武器を祝いに送るのはよくある話であった。ただこのとき慈水が与えたのは数多の鍛冶工房が軒を連ねる武器類の産地【留河るがー】製の逸品。慈水自身もかなりのお気に入りだったはずだ。


戸惑う誠志郎であったが時間もなく、「……お預かりします」と頭を下げ、受け取った短筒を腰のベルトに差す。そのまま身を翻して誠志郎は駆けだした。

その後ろ姿を見送り、不安げな顔をする子供たちに対してしゃがみ目線をあわせてから「大丈夫ですよ、詰め所で待っていなさい」と言い含め、慈水はすくりと立ち上がり矢継ぎ早に指示をとばしながら自らも駆け出す。


時間との勝負。とりあえずは誠志郎を先に行かせたが彼だけで事が済むとは限らない。打てる手はすべて打っておかねば。全く、領民に慕われるというのも問題だ。

駆けながらも、慈水はこっそり苦笑を浮かべていた。











起伏の激しい小さな沢を中心とした地形。追い立てられ必死で駆けていた兎がそこを通り抜けようとして……見えない何かに引っかかったように動きを止める。

じたばたと藻掻き、そして……すぽんとばかりに兎は『向こう側』へと抜けた。ころころと転がり、身を起こしてきょろきょろと周囲を見回して、兎はあっという間に姿を消す。


その光景を確認した吾一はにんまりと笑った。


「へへ、やっぱり凸凹激しい所は結界が緩くなんだな」


彼は振り返るとついてきた子分たちに頷いて見せる。手製の粗末な得物や投網などを持った子供たちは緊張した面持ちで吾一の後に続こうとし。

そこで彼方から微かな音が響いてくる。

なんだと子供たちが顔を見回す間にも音は近づき大きさを増して。


「ごいちいいいいいいいいいいい!!!」


咆吼とともに飛び出す。


それは警邏隊などで使われている軽鉄騎。それを駆るのは鬼のような形相をした誠志郎。

ひ、と誰かが小さく悲鳴を上げる。そこからの光景はまるで時間がゆっくりと流れているかのように子供たちの目には映った。

すごい勢いで飛び込んできた鉄騎から、誠志郎が飛ぶ。化鳥のように宙を舞う誠志郎は空中で器用に体を入れ替え――


両足を揃えて吾一の顔面に跳び蹴り(ドロップキック)


縦回転しながら吹っ飛ぶ吾一。藪につっこみ転けて、からからと空しく車輪を回す鉄騎。

そしてずがしゃあ、と吾一が地面に叩き付けられる音とともに、子供たちの時間は元の速度を取り戻した。


唖然とする彼らの目の前で、びくんびくんと痙攣し倒れ伏している吾一。その首元をむんずと掴んで引き起こすのはもちろん誠志郎。彼は白目をむいて気を失っている吾一の頬を容赦なくはたいて叩き起こす。


「あ、あだっ! お、弟若!?」

「やあお目覚めかい吾一ちゃん。またぞろ面倒起こしてくれやがりましたね?」

「い、痛! いてえってちょ、や、やめ!」

「痛くしてるんだから当たり前じゃないか。死ぬってのはもっと痛いぞこの野郎」


ごりごりと吾一を締め上げる誠志郎。普段の穏やかな様子と全く違う形相に戦く子供たちであったが、はたと我に返ると慌てて誠志郎を止めにかかる。


「ま、まったまった弟若やめて!」

「そ、そだよこれには訳が!」


縋り付く子供たちにぎぎんと鋭い視線を向ける誠志郎。気の弱い子供なんぞは「ひん」と引きつけ起こして半泣きだ。もちろんそんなことで誠志郎の怒りは収まらない。


「話は聞いてるけどね、世の中にゃあやっちゃあいかん事ってのがあるの! 死んだら元も子もないでしょうがなんでみんな口酸っぱくして止めてると思ってるの!? みんなになんかあったら自分泣くよ!? 恥も外聞もなく大泣きするよ!? いいの!?」


わけの分からない脅し方だった。しかしすごい迫力と説得力はあった。とりあえず訴えながらぶんぶん振り回している吾一がまた意識を飛ばしかけているのだがいいのだろうか。とはいっても誰も止められそうにないが。


この時点で誠志郎の意識は説教という名の鉄拳制裁に集中しており、周囲に対する警戒は疎かにはなっていた。

しかし今現在の彼……いや、例え後の最盛期の彼が全力で警戒したとしていても、これから起こる災厄を避ける事はできなかっただろう。











「見えたっ!」


網膜投射の視界、その彼方に平地。近くには都合のよいことに人里も見受けられる。

荒波に揉まれるより激しい振動。悲鳴を上げる機器の音。限度を遙かに超えた無茶ぶりに躯体は保つのだろうか。いや、保たせなければならない。


「もう少し……往けェえ!!」


どがん、とひときわ大きな衝撃が響く。そして鋼鉄の塊は最後の力を振り絞るかのように加速した。











「よーし君らそこ座れ。正座だ。兄上たちが来るまで自分が……」


目の据わった誠志郎が本格的に説教に入ろうとしたそのとき、どおん…、と微かな音がどこか彼方から響いた。

眉をひそめる誠志郎、顔を見合わせる子供たち。そして再び響く太鼓のような、重い音。先ほどよりも近い。


「花火……か? でも誰が何で……」


探索の関係かとも思ったが、それならば信号弾か煙幕狼煙カラースモークだろう。それに兄や父ならば自分の居場所を気で探れるはずだ。山間部にまで探索の手が伸びているのならともかく花火など使う必要はない。

などと考えているうちに音はどんどん近づいて、間隔も狭まってきている。それどころか何か風切り音というか落下音というか、いやな予感のする音も伴っていた。


そろおりと、子供らとともに空を見上げる。さすれば案の定、何かがすごい勢いでこっちに向かってきているではないか。


誠志郎の反応は早かった。


「伏せろおおおおお!!」


叫びつつ抱きつくように子供らに飛びついて押し倒す。

次の瞬間地震のような衝撃。そして轟音。やや遅れて爆風が叩き付けられる。


入り組んだ地形が丁度堰のような役目を果たし、直接の被害はない。そうでなければ纏めて吹き飛ばされているところであった。永劫に続くかと思われる時間だったが、実際にはさほど長くは続かなかった。飛来するつぶてがなくなり、土煙が薄くなってきた辺りで誠志郎たちは恐る恐る身を起こす。


互いに顔を見合わせ、そろそろと岩陰から土煙が漂ってくる方向をのぞき込む。この辺りはなだらかな傾斜地で、食用の作物を植えるのには適していないが家畜用の放牧地として時折使われている。今時分ならまばらに雑草が生え始め、花を咲かせ始めているあたりだ。そんな光景が見るも無惨に引き裂かれていた。

地面をえぐる深い溝。結構な長さで続くその先、それを穿ったものの正体は――


「……ま、機殻鎧……?」


仰向けに地面に埋まりかけたその巨体を見紛うはずはない。冷却機構が損傷したか、躯体の各部から蒸気を噴いている。幸いにして主機機関ジェネレーターの破損などはしていないようだが。

何がどうなってこんなものが空から降ってきたのか。空を飛ぶ機殻鎧など聞いた事もない。竜巻などに巻き込まれたのだろうか。でなければ説明がつかない。

全く訳は分からなかった。分からなかったが。


「……放っておくわけには、いかないよなあ」


この事故(?)を放っておくのは心情的にも立場上的にもなしだ。機師がどうなっているかは分からないが、生きているならば救助しなければなるまい。今この現状でも応急手当くらいはできるはずだ。


「みんなここにいて。いや、吾一ちゃんは一緒に」

「お、おう」


顔を腫らした吾一を伴いおっかなびっくり機殻鎧に近づく。うろ覚えの記憶を頼りに躯体によじ登り、装甲の一部を開いて緊急用の外部操作機構を用い胸郭装甲を展開する。


そして中をのぞき込んだ二人は――

しばし言葉を失った。


ややあって、吾一が絞り出すように言葉を発する。


「……なあ弟若」

「……なに」

「…………最近の天女様(・・・)ってのは、羽衣の代わりに機殻鎧乗ってんのか?」

「…………んなあほな」


そう、胸郭の中で気を失い微かにうめいているのは。

だぶだぶの軽装甲冑を着込んだ、栗色の髪を持つ絶世の美少女であった。











世は水面下で動き出し、乱世はもうすぐそこまで近づいていた。例えこの出来事がなくとも千獄の時代は始まっていただろう。


しかし少年たちにとってはこれが、この出来事こそが。


物語の始まり。

















次回予告。



空から降ってきた機殻鎧とそれを駆る姫君。それを巡って上を下への大騒ぎになる北之浜。

目覚めた姫は豪放磊落。悪気はないが困ったものだ。で、なぜか始まる大宴会。

背後に流れる不穏な空気。それは時代の脈動なのか。


次回、『袖擦りあって捕まって』



乱世に刃鋼の疾風かぜ奔る。











「~領」は「~のくに」、「~守」は「~のかみ」と読みます。なんで西洋風の貴族位なのかって? ノリだよ。

どーすんだよ続き書いちゃったorzな筆者です。


筆者にしては文章量が多いですが多分冒頭だけじゃないかなと。お約束っぽく仕上げてみたつもりですが大体の文章がいらないような気も。一体いつになったら主人公はロボに乗るのか。


さてこの後どうなるのかそもそも続くのか。筆者にも分からぬまま次回へ続くやもしれぬ。



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