十一
最近、誠志郎は疑問を抱いていた。
今までであれば自身で一笑に付していたところなのだが、どうにも違うようだと今更ながら気付いたのだ。
そこで、数少ない友人たちに聞いてみることにする。
「起き抜け素振り千回とか、普通だよね?」
「…………最初に聞いておくぞ見城殿、それ普通の木刀だよな?」
「え? 普通の木刀じゃ鍛錬にならないでしょ?」
「…………重り仕込んでるとか、鉄製とか?」
「そこまではしないよ、ただの丸太の削り出しだって」
「…………ま、まあそれはいいや。鍛錬ってそれだけじゃねえべ?」
「うん、続けて型稽古を半刻くらいやって、教導院近くまで走るくらいかな」
「「(ちょっと多めだけど常識的な範囲内か、素振り以外)」」
「朝は」
「「朝は!?」」
「早く帰れたら木に藁巻いたやつ相手に打ち込みやって、風呂と飯終わった後に銃術の稽古ってところかな。大体一刻づつくらい。時間ないから田舎にいたころより大分減ったけどね。あ、たまに出来ないときもあるよ? よその道場の人に稽古つけてもらったり出稽古に行ったりするときもあるから」
「「…………………………」」
橋蔵と智助は、いや、話を耳にしていた組の学徒たちは黙って席を立ち、揃って誠志郎に指を突きつけ吠えた。
「「「「「あんた絶対おかしいわあああああ!!」」」」」
それまでどこかぎくしゃくしていた組が、一つに纏まった瞬間であった。
十一・注がれ、混ざる
「だってあんた、ほぼ半日だぞ半日。軍だって毎日は訓練してないつーのに。どの口が武人じゃないとか言うか」
「その上で時々道場に来る人と立ち会い稽古とか出稽古だべ? どう考えてもかなり本気で本格的じゃねえの」
あきれ果てたといった表情で言う橋蔵と智助の言葉に、がっくりと肩を落とす誠志郎。
「いや、最近うすうすおかしいな~、とは思っていたんだけど……」
「田舎でもみんなそんなんだったわけ?」
「さすがにみんなってわけじゃ……けど父上も兄上も全然鍛錬してないのに、自分なんか足元にも及ばないほど強いんだよ」
「門崎領って、どんな魔境だよ一体……」
「いや俺門崎だけどここまで酷くないって」
門崎領ではなく見城という一族がおかしいのである。
ともかくやっとのことで、自分がおかしいことに気付いた誠志郎であるが。
「……となると、大して鍛錬してない(※注 誠志郎目線での話である)のに自分より強い来夏様って、一体……」
「あの方そんなに強いのか? 噂だけは聞いてるけど」
みんな眉唾物だって思っているし、誠志郎から話を聞いている橋蔵と智助だって半信半疑だ。
しかし誠志郎は真顔で、確信を持った表情で頷く。
「強い。実際に何度か立ち会った事はあるけど、一度も勝ちを拾えたことはなかったさ。どうしても紙一重で届かない」
「紙一重って、それじゃ見城殿と大差ないんじゃ……」
「大差ないんだったら、一度は勝ちを拾えているよ。紙一重が、決定的な差なんだ」
断言する。その雰囲気だけで噂話が途端に真実みを帯びてきた。固唾をのむ周りに気付いているのかいないのか、誠志郎は言う。
「鍛錬の差じゃない、そして資質の差でもない。なんていうかな、覚悟、意志。そういったものが、どこか決定的に違うんだ。……なんか上手く言えないけど、そう言う感じを受ける」
周囲は押し黙る。さすがは音に聞こえし鹿野島の姫君ということか。最低でも、鍍金のお飾りというわけではないようだ。
戦慄を覚える周囲を余所に、誠志郎は密かに考える。
「(けど……いくら阿修羅が住まう地とも言われる鹿野島の姫君とは言え、あの執着とも言える闘争心はおかしいんじゃなかろうか。異常なまでに命を狙われていたのと何か関係があるのかな……)」
今更になって改めて気付いたことだ。誠志郎には予想もつかない事情があるのだろう。深く関わるべきではないのだろうが気にはなった。
彼の考えることなど気づきもしない橋蔵は、それにしても、そう前おいて誠志郎に問う。
「道場じゃ鍛錬ばっかみたいだけど、見城殿っていつ予習復習とかしてるんだ?」
「………………え?」
「おいこら文官志望」
件の試動試験以降、花島 鉋の周囲は劇的な変化を見せた。
接触してくる人間が増加したのだ。
無論、その大半は機殻鎧関係者である。試動試験を見た者から話を聞き、半信半疑であったのがほとんどであったが、記録映像と伏龍の実物を見せれば目の色が変わった。
是非ともうちに来ないか、設計を売ってくれなど手の平を返し必死に懇願してくる。現在の職場が気に入っており、それなりに事情があるので勧誘の類は断ったが、いくつかの工房とは機能の設計を販売する契約を結んだ。
しかし。
「……やはり自動姿勢制御は受けが悪いなあ」
「機構も複雑ですしね。理解されるのは時間がかかると思いますよ」
眉を顰めて不機嫌な表情で椅子の背もたれに体重を預ける鉋を幸之助が宥める。
派手で目立つ電磁動輪や飛駆器などは注目度が高かったが、自動姿勢制御に注視したものはほとんどいなかった。ごく一部の工房職人が設計の販売を強く要望した程度である。
「ふん、自動姿勢制御がなければ電磁動輪など宝の持ち腐れだぞ? 竹馬に滑車取り付け飛び乗るのと大差ないというのに」
「【本間】と【錫岸】の職人は気付きましたがね。……あの二つ、伸びますよ」
今のところ中堅どころの工房ではあるが、目の付け所は良い。実際、幸之助の予想は的中するのだが、今はまだその鱗片が見えているだけだ。
「ふん、まあいい。今はやれることをやるだけさ。……さ、講義の準備をしようか」
席を立ち、控え室から教室へ向かう。講義のほうは相変わらず閑古鳥に近い。まあわざわざ人気講義の裏側に差し込んでいるのだし、機殻鎧の機能に興味はあっても錬金学に興味を持つ者はそうおるまい。さて今日もおもしろおかしく適当なことを学徒たちに吹き込むか、鉋はわりと酷いことを考えながら教室の戸を開けた。
教室は、異様な緊張感に包まれていた。
いつも通りなのは来夏くらいのものである。誠志郎ですら居心地悪いというか複雑な表情をしていた。その原因は教室のど真ん中の席に堂々と居座っている。
ふてぶてしいとも言える態度であったがそれも当然、公爵家の嫡子ともなればそのようなものだ。
乾 松之丞。武門の頂点とも言える乾家の男。今まで錬金学講義と同時に行われている機殻鎧運用講義の方にしか顔を仇していなかった彼が現れる。その事実に鉋は一瞬視線を鋭いものにした。
「(ほう、直に訪れず講義に顔を出してきたか。聞いていたより思慮深いのか、それとも?)」
それほど数がいたわけではないが、鉋の元に直接おとずれ威圧的に機密を話せと振る舞う『自称』高貴なるものが幾人か存在した。そういった輩には多少痛い目に逢ってもらったのだが、話に聞く分には松之丞も似たような系統かと思っていた。
しかしこうして講義に顔を出しただけでは判別しがたい。直接訪れ無理を押しつけようとすれば痛い目を見ると知っていれば、このような場に出てくることも考えるだろう。下手をすれば講義を引っかき回しかねない。油断は禁物だ。
じゃまをするならどうとでもしてくれる、相手が公爵子息であろうが欠片も容赦する気などなく、鉋は講義を開始した。
周囲の予想を裏切り、松之丞は実におとなしいものであった。
態度こそふてぶてしいものだったが、黙って講義に耳を傾けている。それもただ聞き流しているのではなく、ちゃんと内容を書き取っているようだ。鉋や来夏はふむと得心し、誠志郎や智助はほっと胸をなで下ろし、共に訪れていた平八は何を企んでいると内心戦々恐々としている。
やがて時が過ぎ、講義は滞りなく終わりを迎える。
微妙な緊張感が解けるように霧散する。時を告げる鐘が響く中、松之丞がやっと口を開く。
「花島教官、この後少しよろしいか? いくつかお尋ねしたきことがあり申す」
ぴくりと幾人か反応を見せた。最も顕著であったのが平八。彼はぎょっとした表情を見せた後、諦めたかのような、絶望したような、ひどく意気消沈した様子で肩を落とす。
おもしろいな、鉋はそう感じる。
おそらく松之丞がこの講義に顔を出したのは、鉋の人となりを見るためであろう。機殻鎧職人とは人格的に問題のある者も多い。松之丞が鉋の予想通りのことを望むのであれば、その人となりを見知っておきたいという気持ちも分からないではない。
ともあれ、そのためとはいえまじめに講義を受け、それなりに気遣いらしきものを見せた。油断はできないが、話を聞くくらいはよかろう。鉋はそう判断した。
「よかろう、教官の控え室まで来たまえ」
白衣を翻し、教室を後にする。横柄とも言えるその態度に眉一つ動かさず、むしろにやりと不敵な表情のまま、松之丞は死にそうな顔の平八を伴って後に続く。
それを見送って、誠志郎は大きく息を吐いた。
「い、一時はどうなることかと思った……」
そんな誠志郎に、疲弊した様子の智助が椅子の背もたれに体重をかけながら声をかける。
「やはり件の躯体だろうなあ。偉い大物が引っかかったじゃねえの」
「武門の雄ともなれば、あの価値は分かるだろうけど……また本人が突撃してくるとは、ね」
千里からの呼び出しに始まり、そして未だに尾を引いている騒動を思い返して、誠志郎はぶるりと身を震わせた。最近の公爵家というのは、皆あのようなものなのだろうか。そう思うとなにやらぞっとするものがある。
悪寒に襲われる誠志郎に、智助がぼそりと言った。
「でもさ、見城殿あの躯体の試動機師やってんだべ? 関わるんじゃねえのあの御曹司と」
「……うわあ」
ついに片手で目元を覆い天を仰ぐ誠志郎。そんな馬鹿な、などとはもう言えない。すでに彼は想像外の経験を重ねている。最悪の状況などいつだって更新されるのだ。
これは絶対に関わることになる。誠志郎だけでなく、話を聞いていた学徒のほとんどが諦観の念を覚えた。
ただ一人だけが、別なことを考えていたが。
「(乾家の御仁、か……)」
ざわめく教室の後方で座したまま、来夏はなにやら企んでいるような底意地の悪そうな笑みをこっそりと浮かべていた。
「(使えるかも知れんな、この縁)」
実際に何かを企んでいるようであった。
どうやら誠志郎と違い、彼女は松之丞と積極的に関わる気満々である。
そして、肝心の松之丞であるが。
「お時間をいただき、ありがたく」
勧められた椅子にかけ、神妙に頭を下げる松之丞の姿を、平八は気味の悪いものを見る目で伺っていた。
これまで松之丞は必要なとき以外頭を下げたことはない。最低でも平八は見たことがない。が、誰の助言を聞いたわけでもないのにこの態度。訝しがるの無理はなかった。
平八の心情をよそにして、状況は進む。
まず椅子にふんぞりがえった鉋が切り込んだ。
「さて、聞きたいこととは何かな? まあ講義の内容ではないとは思うが」
対して松之丞はこう返す。
「願わくば、それもいずれ。しかしながらまずはご推察通り、お聞きしたいことは別にございます」
真っ直ぐに鉋の目を見つめ、松之丞は問いかける。
「教官殿が開発した躯体、あの性能は躯体そのものによるものなのか、それとも機師の腕によるものか、それをまずお尋ねしたい」
「……ほう?」
「(!?)」
誰だこれは。平八の知る松之丞という人間であれば、このような応答をするとは考えられなかった。
もちろんこれは平八の思いこみである。松之丞は横柄で考え無しな部分も多いが、決してただの馬鹿ではない。でなければ親類の推薦とはいえ、家臣候補でしかない平八の言葉に耳を貸したりしないだろう。
そしてこと武術や兵器――特に機殻鎧に関しては驚くほどに真摯な態度で臨む。彼はそう言った講義の最中常に偉そうではあるが、教官に対して一度も逆らったことはないしそれなりに敬意を払う。大きな態度と公爵家の嫡男であると言う事実が、周囲の目を曇らせ萎縮させている部分が確かにあった。平八ですら例外ではない。
先だっての試動は松之丞に大きな衝撃を与えた。その性能を、力を、彼は強く望んだ。が、それだけでは終わらない。
帝国の軍事を担う武門の血筋が、鎌首をもたげ始める。
ともかく松之丞の反応に興味を引かれたか、鉋は少しだけ態度を改めて口を開く。
「礼儀に反するが先に問わせてもらおう。それを聞いてどうするつもりかね?」
松之丞は迷いなく間髪入れずこう返した。
「躯体によるものであれば貴女の技術を、機師によるものであれば『彼』を、所望したい」
実に単純で、率直な言葉であった。鉋の笑みが深まる。
最初彼女は、松之丞が『己の新しい躯体の制作を依頼する』、あるいは『己の躯体を改良させる』ために自分の元を訪れたのだと思っていた。もしかしたら最初はそのつもりであったのかも知れない。だがどうやら紅顔不遜に見えるこの少年、機殻鎧の、いや兵器の道理というものを知っている、または本能的に感じ取っているようだ。
松之丞は確かにあの力を欲しいと思った。だが闇雲に力を求めてどうするかという声が己の心の中から響いた、ように感じた。
これは自覚はしていないが、千里とのやりとり、および彼女の行動を耳にして無意識に己を鑑みたかららしい。千里の行動が所謂反面教師としての役割を果たしたのだ。(当時の手記によれば、ことあるごとに「ああはなるまい」と己を戒めるような言葉を残している)
とにもかくにも、松之丞は考えた。何かが己の中で引っかかっている、と。
そうして出た結論は、結局自分は己の目で見たことと噂程度しか、かの躯体と誠志郎を知らないということだった。
当たり前と言えば当たり前、今更と言えば今更の話である。が、それに気付いた松之丞には天啓とも感じられた。そこから先が松之丞らしいというか、知らないならば聞けばいいという判断に至り、すぐさま鉋の講義に足を向けたのだ。いきなり鉋の元を訪れなかったのは、様子見と彼なりに気を遣った結果、らしい。
そのような松之丞の姿勢を、鉋は好ましく思う。
先に自動姿勢制御に目をつけた職人たちと同じように、見るべき所をわきまえている。そう、ただ躯体の性能に目を奪われているのではなかった。たとえ躯体の新造や改造を望んでいたとしてもまずどのようなものか、それを知ろうとする姿勢は評価に値する。
ゆえに彼女は誤魔化し無く、真摯に応えた。
「性能は、間違いなくあの躯体によるものだ。だがあの域までそれを引き出せる人間は、今のところ見城 誠志郎のみだろうな」
実際には幸之助がかなり近い領域で伏龍の性能を引き出せるし、乗せれば来夏も同等の所まで持っていけるだろう。幸之助を手放すつもりなど鉋にはなかったし、予想は出来ても確証がない以上来夏を紹介する気もなかった。だが今のところ伏龍の性能を最大限に引き出せているのは誠志郎だけであることは間違いない。
あの躯体、あの機能はこのままであれば限られた人間にしか使いこなせない。松之丞はそれにうっすらと気づいたのだろう。それでもその力を欲したのは、伏龍、そして誠志郎、双方に将来性を見出したからだ。上手くすれば今までにない能力を持つ躯体と、優秀な機師の卵を手中に収められる。そう言う計算が働いていると見える。
もちろん鉋自身も伏龍の欠点に気付いていた。だからこそ躯体そのものの設計ではなく機構の設計に限定して譲り渡したのだ。大手の工房に使いよくしてもらうために。(電磁動輪と併せて勧めた自動姿勢制御機構は思ったように売れなかったが)
どちらにせよ、この少年には詳細を話しておく価値がある。いずれ帝国の軍務を背負う一角と成るであろう松之丞に、鉋もまた将来性を見出した。
「見城……誠志郎君に関しては、直にあって確かめてくれた方が良いな。やつがれに出来るのは、我が躯体の詳細な説明だが……聞いて判断してみるかね? 長いぞ?」
ぎらりと鉋の単眼鏡が光る。
「是非に、お願いいたします」
頭を下げた松之丞がにやりと笑う。
幸之助に次からの講義を休講すると告げ手筈を整えさせる。同時に白板を引っ張り出し油性筆を取りだして、鉋は意気揚々と解説を始めた。
食い入るように鉋の話を聞き入る松之丞。その横で話に耳を傾ける平八。
解説が進むにつれ、平八の顔が徐々に青くなっていく。
「(おいこれは……もしかしたらとんでもないことになるんじゃねえか!?)」
彼は気付いたのだ、自動姿勢制御を含む新機構の利点と、それらが及ぼすであろう弊害に。
そして同時に、『ある懸念』が彼の脳裏をよぎる。
「ふむ……平八よ、お前から何か質問はあるか?」
自身の考えに没頭していた平八は、松之丞からの言葉に一瞬反応が出来なかった。そして、「は?」と間抜けな声を出して目を丸くする。
「あの若? なぜ自分が……」
「何のためにお前を伴ったと思っている。俺の気付かぬことに気付いてもらうためであろうが軍師志望」
当たり前のように言う松之丞の言葉に閉口する。が、これは良い機会だ、折角だから頭の中の懸念を吐き出すことにしよう。
平八は、鉋に向かって問うことにした。
「では遠慮無く。……花島教官、貴女は【さんぜるまん】という人物をご存じでしょうか?」
満足げな松之丞と難しい顔をした平八を見送った後、幸之助に背中を向けたまま鉋が口を開く。
「有意義……とばかりは言えぬ時間だったな」
「やはりご不満ですか?」
間髪入れぬ幸之助の問いに、鉋は振り返らないまま鼻を鳴らして応えた。
「不満、と言うのとは違うな。もしそうだとすればやつがれたちは『かの御仁』の手の平の上で踊らされていると言うことになるやも知れん。我知らずとて乗ったのは己の意志だが、しかし気に食わん」
言葉の中に苦々しいものが混じっている。鉋は口調に少し力を込めて続ける。
「いずれにせよ、やつがれはやつがれの思うがまま、胸はって進むのみ、さ。再び道が交われば、かち合うことがあるやも知れん。余裕があれば問いただしてみるとしよう」
機嫌が完全に直ったわけではなさそうだが、気持ちを切り替えることにしたようだ。
とにもかくにも、幸之助は内心胸をなで下ろす。
「(うまいこと乾の御曹司は師匠を気に入ってくれたようだ)」
彼の取り巻きに少々『仕掛け』をして、誠志郎の災難のことを伝えたかいがあった。誠志郎に好感を抱いていた松之丞は、彼とも親しくしている鉋に好感を持ったようだ。これなら何かあったとき、彼が鉋の後ろ盾になってくれる可能性は高いだろう。無論、誠志郎たちに対しても。
まあそれはいいとしてと気持ちを切り替え、幸之助は背後に向かって声を発した。
「それで、『そちらの方』は何かご用でしょうか?」
微かに棘が含まれた言葉に応え、物陰から現れたのは。
「これは失礼を」
痩躯の、どこか異様な気配を纏った少年。伊上 力丸。気配を断ち密やかに気配を伺っていた模様だが、その存在はすでに幸之助によって察知されていた。そのことを気にした様子もなく、彼は二人に向かって深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります。某、北東部北海守護役皆藤家旗下子爵伊上が一子、伊上 力丸と申す者。本日は花島 鉋教官に是非ともお願いしたき事があり、参りました」
その瞳の底に宿る光に、幸之助は不快感を覚えた。鉋はそれに気付いているのかいないのか、「ほう? なにかね」と力丸に続きを促す。
得たりとばかりに、力丸はぬたりとした笑みを浮かべた。
「他でもございません。某を見城 誠志郎に代わりかの躯体の機師として採用して頂きたく、重ねてお願いいたします」
嫌らしい笑みを浮かべながらも土下座せんばかりに頭を下げる力丸。いや、放っておけば本当に土下座しかねない。
鉋と幸之助は思わず顔を見合わせた。
急須から茶が湯飲みに注がれる。
湯気立つ湯飲みを主に向かって差し出しながら、那波は感情のこもらない声で言う。
「姫様、やはりあの少年は信用できぬと思われますが」
歯に衣着せぬ言葉。あの少年とは無論力丸のことだ。
那波が危惧を覚えるのも無理はない。あの少年、表向きはそれなりの礼儀をわきまえているように見えるが、一皮剥けば高慢で欲望の塊だ。言動の端とそこから漏れ出る思考からそれが見て取れる。
現状を利用し、のし上がる事しか眼中にない。このままであればその野望は、いずれ主に災いをもたらすやも知れぬ。
早いうちに縁を切るべきだ。那波はそう考えていたが。
「そんなことは百も承知よ」
主たる千里は耳も貸さない。
彼女はじっと手の中の湯飲みを見つめ、那波にと言うよりは自身に言い聞かすような言葉を吐く。
「彼は私が持つ唯一の牙。見城 誠志郎に対抗するためには、彼を失うわけにはいかないのよ。まだ」
千里の取り巻きは基本武門とは全く関係のない家系の者ばかりだ。その上策謀などの小細工に長けた者もいないため、誠志郎を陥れる役には立たない。全てを己が仕切らねばと内心心許なく考えていた千里にとっては、藁を掴む思いであったのだろう。
彼女自身も力丸に胡散臭いものを覚えている。だが背に腹は代えられないと、割り切っているつもりであった。
そもそも必要のない、八つ当たりから起こった一方的な難癖である。真夏の逃げ水を追っているようなものだ。千里は最早迷走していると言っていい。
自ら泥沼にはまっていくような行為。どうにかしてそれを止めなければと、那波は使命感に燃えるが。
「(現状、打つ手がないのも事実。さてどうすべきか……)」
本家に連絡を入れるという手は使えない。何しろ現頭首とその奥方が揃いも揃って親馬鹿だ、知らしめれば状況が悪化すると言うことはあっても改善されることはまずないだろう。
であるならば、外部に頼らねばならないと言うことになるが……伝手がまるでない、ということに那波は今更ながら気付いた。
千里の周囲に存在する取り巻きは、彼女の言葉に従うことはあっても意見や、まして苦言など口にすることすら考えないであろう。彼女を止める役には立ちそうもなかった。それ以外では人脈など皆無に等しい。
公爵家の三女、とすれば正しい。跡継ぎとして婿を取る長子ならばともかく、それ以外ははっきり言えば『家の道具』だ。下級貴族の子女とは違い無理に人脈を広げる必要性はないのだから、唯々諾々と家の方針に従い良家にでも嫁げばいい。それ以外は『好き嫌いだけで人付き合いが選べる』立場なのだ。だがこのような場合、それが裏目に出る。
己の派閥以外からの孤立。しかも派閥に苦言を呈する者がいないのだから始末が悪い。誰にも舵取りが出来ない状況であった。
これが松之丞や来夏のように従者の言葉を受け入れる度量があればまだ目はあるが、生憎と比べて千里は狭量である。自分ごときの言葉などで己を曲げるようなことはことはすまい。
八方ふさがり。打つ手が限られるどころか手詰まりな状況に、那波は内心歯噛みする。
「(あの少年に、望みをかけるしかないというの?)」
力丸が誠志郎を制する……事が出来るかどうかはともかく、全てを丸く収める。そんな起こるはずもないことを期待しろと言うのか。那波は目の前が真っ暗になると言う感覚を覚えた。
乾 松之丞と猿条 千里。
二人の明暗は、この時点で分かたれていたのかも知れない。
ところで、来夏のほうにも動きがあった。ある人物から呼び出されたのである。
場所は下級貴族の中でも裕福な家の者が住まう一戸建ての寮。来夏本人が居を構える寮よりはこじんまりとしているが、手入れは行き届いており住人の人柄を見て取れる。
「不作法な呼び立てに応じて頂き、ありがたく」
来夏に向かって頭を下げるのは、彼女より一つか二つ年上の少年。
【金見 久太郎】。鹿野島家配下の法衣、金見子爵家の嫡子。そして上級生であった。
さて、いままで上級生という存在が出てこなかったことに疑問を覚える方もいらっしゃるだろうが、教導院では上級生と下級生の交流は最低限でしかない。
なぜか。『ややこしい』のである。
通常、教導院に在籍する期間は、十三歳から元服する満十五歳までの三年間。しかしこれはあくまで目安である。多くはないが、諸事情により一、二年ほど前後して入院する場合もあった。
例えば平八などは、実の所松之丞や誠志郎より一つ年上である。主となるであろう松之丞に合わせられたのだ。このような形でなくとも、病気や怪我など入院がずれる理由はいくつもある。
そして、この上爵位による格の差、というものが絡んでくる。同学年でさえ面倒なことであるのに、先達を敬うという風潮がある中で先輩後輩が絡めばどうなるか。後輩なのに年上でさらに家の格が上。などという事態などざらにでてくるわけで。
つまるところ、だれもかれもがこれ以上の面倒は御免だと、交流を自粛していった結果が現状である。一部に例外――例えばどこぞの公爵家次女など――はあれど、この風潮は院内に定着していた。久太郎と来夏も早々に一度挨拶を交わしたきりで、それ以降の接触は避けていたはずなのだが。
「火急、というわけではございませんが、ぜひともお聞き頂きたいことがありまして、筋を曲げ、このような席を設けました」
「いや、こちらこそ手間をかけさせたようで申し訳なく」
互いに頭を下げる。国元であればもっと違った対処の仕様もあるが、何せ前例のないことだ、それぞれ手探りの部分も多い。
が、久太郎にはそれを曲げてでも来夏と話し合う必要があった。
久太郎の目が力を帯びる。
「早速ですが一つ。来夏姫はご自分が周囲にどのように思われているか、ご存じでしょうか?」
「は、奇矯をやらかす歌舞伎者、という程度であれば」
迷い無く応える来夏。彼女は周囲に自分がどう思われているかということにあまり興味がない、というかどう思われていても噂話程度で他人を判断する人間などこちらから願い下げだ、そう考えている節がある。
久太郎は一瞬やっぱりなあといった表情になるが、すぐ真面目な表情に戻った。
「それよりも数倍貶められた噂が流布しております。しかも故意にそのようなものが流されている形跡が」
その言葉に、来夏は動揺の欠片も見せなかった。久太郎は確信を得る。
「……気付いておられましたね?」
「気にするほどのことではありませぬゆえ」
来夏はすまして応えるが、問題はそこではないと久太郎は眉を顰める。
「明らかに姫を周囲から孤立させようとしております。……これは『三年前』から続くもの、姫の暗殺を狙った企みに相違ありますまい」
断言する。これは久太郎一人の考えではない。密かに連絡を取った国元でも同じ判断が下されていた。
久太郎は一瞬迷ったが、意を決して問う。
「…………【南方諸島】でのこと、未だ響いておられますか」
三年前のことである。
当時、来夏にも専属の侍従がいた。【金見 美汐】、金見家の分家の娘であり、久太郎の従姉であった。
まだ年若かったが、気立てが良く芯もしっかりとした女性で、幼きころからおてんばであった来夏を世話し、見守っていた。その彼女を伴い、来夏は西南部のさらに南、南方諸島へと赴く。
帝国の正式な領土ではなく、独立した民族が治めていた南方諸島は風光明媚な観光名所として成り立っていた。面白そうなことがあれば興味を示して行動に移し、やもすれば城を抜け出そうとする来夏の気晴らしにはよいと思われたのだろう。美汐と護衛を引き連れて、来夏は意気揚々と乗り込んだ。
そして、何者かから襲撃を受ける。帝国からの完全独立をもくろむ現地の独立派の犯行、と言うことになっているが、結果、護衛の半数が死傷。そして……来夏を庇った美汐は、凶刃に倒れた。
彼女の最期を見取ったのは来夏だ。その時どんな会話が交わされたのか、それは彼女らしか知らない。
そこからだ、来夏が変わったのは。様々なことに興味を持ち、首を突っこもうという姿勢は変わらない。だが底にあるものは真剣さで、そしてどこか鬼気迫る気配も漂わせている。
教導院に入る前あたりでは随分落ち着き、余裕すら見せるようにはなってきた。
だが彼女は生き急ぐことを止めてはいない。
「……従姉は、己の役目を果たしただけ、姫が気に病むことはございません」
そう言ったところで聞き入れはしないだろう。それは久太郎にも分かっていた。
「気に病まずにはおられませぬ。某のせいで美汐を始めとした家臣たちは命を落とし、しかし周りはそれを責めません。己が己を責めねば、己が己を許せぬのですよ」
ただでさえ後妻の娘という立場。鹿野島家の者は腫れ物をさわるような扱いをすることが多かった。来夏自身の責任ではないということもあって、むやみに責め立てられないという事情は彼女自身にも分かる。分かるが納得できるかどうかは別問題だ。
「彼女らが命をかけた価値が己にあるのか。それを証明することこそが弔いになると、そう思えてなりませぬ。ただ無病息災で、安寧であればそれでよいなどと、誰が認めても某が認めるつもりは欠片も」
領を創る。誇大妄想とも取られかねないその野望の源は、こんな所にあったようだ。
誰が何を言っても、何が起ころうとも、己自身が納得できなければ彼女は止まらない。自分ごときではどうにもならないなと、久太郎は早々に諦めた。
「……そのあたりはまあ、致し方ありません。ですが姫のお命が狙われていることには変わりなく、なおいっそうのこと周囲に気を配って頂かなければ」
来夏は神妙に、「ご忠告、ありがたく」と頭を下げていたが、国元に連絡を取って密かに護衛を増やしておくべきだろうと久太郎は考える。なにしろ敵はこの帝都に潜んでいるのだ。用心のしすぎということはあるまい。
その上でと彼は気持ちを切り替え、『もう一つの懸念』を口にした。
「では次に、最近永原からの学徒より、何か接触がありませんでしたか?」
「? いえ、そもそも某と好きこのんで接触するような者はなかなかおりませんので」
さようですかと返事を返し、久太郎はふうむと考え込む。その様子に、来夏は眉を顰めた。
「何かあるのでしょうか?」
「いえ、まだはっきりとしたことは……ですが永原のものたちが様々な学徒に声をかけ、密かに一種の派閥を形成しているとの話があります。何を目的としているのかは分かりかねますが、ひとまずはご用心を」
「……承知」
己が命を狙われていることもそうだが、何か大きなものが動き出そうとしているのか。来夏はもやりとした、霧霞みの先を見るような感覚を覚える。
それは千獄の世の到来を感じていたものか。
少なくとも、この時点ですでに『前哨戦』は始まっていた。
帝都の下町にある、とある道場。
看板は、ない。しばらく前に諸事情によってたたまれ、その後買い取られたのだが新たな主は道場として使うつもりはないようであった。
夜も更け、煌々と明かりが点る道場内で行われているのは稽古ではない。
酒宴であった。
「皆よう参られた! この場は立場も年代も忘れ、日頃の憂さを晴らし英気を養って頂きたい!」
主賓が杯を掲げ、集まったものたちがそれに習う。見れば集まっているのはまだ若い、教導院の学徒を中核とした面子であった。
出身地、学年。それぞれ様々で、共通点など無いように見える。が、確かにそれはあった。
「そちらもか。やはり中央は、いや上級貴族のほとんどが地方をないがしろにしている」
「魔獣を駆逐し、土地を切り開き、帝都に富をもたらしているのか誰なのか、考えもしないのでしょう」
「これは噂だが、やんごとなき立場の人間が、地方貴族の小娘を害せんと企みを巡らせているという話もある。世も末にござるな」
「商人を畜生商売などと侮る者も多いが、その商人のおかげで世が回っているという事実に目を背けておるわ!」
口々に吐き出される不満や愚痴。そう、この場に集っているものたちは、それぞれ現状や己の立場、中央を牛耳る上級貴族たちに不満を抱えるものたちばかりなのだ。
それらを集めた者――主催は、若い意見を戦わせる者たちを肴に、ゆっくりと杯を傾けていた。
この年代にしては大柄な背丈、五尺半(約165㎝)を越える少年。このまま成長すればさぞかし偉丈夫になるであろう。幼さを残した顔であるが髪を整髪料で後ろに流し、教導院の制服を着崩したその姿は一端の風格を感じさせるものであった。
その少年の傍らに、腰を落とす者がある。
「本日も盛況ですな、兄上」
「おう、皆よほどため込んでいると見える」
少年に語りかけたのは小柄な、誠志郎よりもさらに背の低い、つややかな髪を肩口で切りそろえた少女のような人物。纏っている制服は男子のものだが、声変わりもまだなのか鈴を転がすような言葉で語る。
「さて、この中からどれだけ我等の『同志』が見いだせますやら」
「ふ、贅沢は言わんよ。心の中に火種を抱えてくれれば、今はそれで良い」
少年はく、と杯をあおる。すかさず小柄な少年がそれを満たした。
「いずれそれが、大火の元になるやも知れん。そうなれば、『祭』は派手になるだろうさ」
少年の言葉に、小柄な方はにこりと微笑んだ。
互いに瞳の奥にある、暗い炎を隠そうとしていない。
【陸堂 佐之助】、【陸堂 氷雨丸】。
千獄の世にて風雲児となる二人。
彼らの暗躍は、徐々に染み渡りつつある。
次回予告
絡み合う運命。
剣は交錯し、少年たちは己が技をぶつけ合う。
それを見守るものたちは何を思うのか。
戦いの果てに、彼らが得る物は。
次回、『宿敵、邂逅』
切磋琢磨の砲火を散らす。
見城さんちの日常の鍛錬は、他の所のEXハードモード。
ノブナガ・ザ・フールの存在に涙目緋松です。
さ、話は進みませんが徐々にキャラクターが絡み始めた……はずです。新キャラも続々登場。話の綱取りは難しくなる一方自分で自分の首を絞めているぞ緋松! どうするんだ緋松!
ま、書くしかないわけなんですがね。倒れるときは前のめりという心持ちで生きていきたいような気がしないでもない今日この頃です。前のめりに倒れたところに地雷が埋設してあるような気がひしひしとしますが。
それでは今回はこんなところで。
次回は真っ向勝負です。




