第4話 鉄と血と水
銃、その存在はラシケントとマーシャの間で機密とされ、私を通じて売買契約が締結された。
持ち運びが可能で、弾さえあれば十発でも二十発でも一人で打つことができるその武器は、まさに私達の戦争にとって、革命をもたらすようなものだった。だが、新しい武器であるが故に取り扱いに慣れるには難しく、色々と苦労していると聞く。しかし、ラシケント正規軍の間には銃士、及び銃兵が組織され、その訓練も順調に進んでいるらしい。ただ、私はその兵達の勇姿を見ることは叶わない。
父が事故で亡くなってすぐ、新宰相の勅命により、大使としてこの国に派遣されたのだから。
ちらりと日記を書く手を止め、窓の外に目をやれば、そこは灼熱の太陽が降り注ぐ、砂漠の国エフェスの中にあって、丘の上の涼しい風が吹き抜ける、高級住宅街の一角だ。用意された大使館は、お互いの条約の締結により、それぞれの国の領土となっており、治外法権の区域となっている。また、お互いの国の大使に危害を加える事は、良くて十年の労役、たいていは死刑に処せられると言う厳罰もあるおかげで、治安面についても問題は無い。
私達はお互い、顔の割れたスパイのようなものだ。情報を探り、それを伝書鳩などの手段を用いて、お互いの国にやりとりする。
「エンドさん、今日も町は平和です」
「ま、いつも通りだよね。私達は公にスパイ活動してるけど、本当の軍事機密とかは知る由もないし、分かってて教える馬鹿もいない」
「はい。ただし気になる事があります」
「何?」
「このエフェスには全部で四つの川があるのはご存知かと。アルム川、マルマ川、エスカ川、そしてラシケントとエフェスを横断し、マーシャにも支流が流れ込む大河川のレテ川。
一年を通じてほぼ雨が降らないエフェスですが、これらの河川によって、豊富な水を手に入れており、農作物を収穫できていることは、既にエンドさんもご存知かと思います」
「何よ、私に地理学の講義を垂れようっていうの?」
「いえ、そうではなく、これら四つの河川のうち、レテを除く三つについて、水量が減っているという話が出ています。おそらく、ラシケントも含めて、あらゆる地域で日照りが続いているとの情報があり、そのせいかと」
その言葉に、あまり興味を無い振りをして、窓の外を見ながら相槌を打つ。空は恨めしいほどに晴天。そして、この砂漠の国が水不足に陥るというのは、あまりにも危険な事だ。
カルはおそらく、私がわざと取り乱さないようにしていることは分かっている。
予想通りだったのだろう。カルは軽く溜息を吐き、言葉を続けた。
「まだ数日以内に水が涸れるとか、そういった問題があるわけではありません。ただ、遠からずこうした水不足は、大きな軋轢を産むことになるでしょう」
「大きな軋轢? えらく可愛く言うじゃない。もっとストレートに言いなさいよ」
「それじゃ」
こほんと咳払いをして、カルは感情のこもらない声で言った。
「レテ川の水利権をめぐって、エフェスとラシケントの間に於いて、血で血を洗う全面戦争になる可能性があります」
「よくできました」
「褒められても嬉しくないですね」
「こんな敵地にいるんだもの。冷静に現実を見る能力が求められるわ」
机の上にあった水差しから、陶器でできた器に水を入れ、それを飲み干す。
ここら一帯は共同利用の井戸があり、飲み水に関しては無料で振る舞われている。ただし、一般市民が多く住む旧市街に於いては、水は水源を持つ水商人から購入することになっており、その価格が上がっているとの情報は、前々から既に聞いていた。町には徐々に浮浪者の姿が見受けられるようになり、彼らを兵士として雇う事でかろうじて町の治安は保たれてはいるが、兵士が増えればやることは一つ。戦争という名の殺し合いだけだ。
「ヨシュア様がご存命だったら、どのようにされるでしょうね」
その言葉が出た瞬間、立ち上がった私はカルを壁際に押し付け、顔を近付ける。彼も今さらまずいことを言ったと理解し、すぐに謝る。
きっと今の私は、鬼のような顔をしている事だろう。誰も彼もが口を揃えて言う事は、『ヨシュア様がご存命なら~』という父の事だ。これではまるで、その娘であるエンド・ガーウィンは居ても居なくてもいいただの人形と言われているようで、気分が悪いったらありゃしない。
それも、今まで一緒に頑張ってきたはずのカルに言われるなど、本当に泣きたい気分だ。
と、胃をむかむかさせていると、窓から鳥が入ってくる。連絡に使っている伝書鳩だ。
カルから離れて席に戻ると、カルはこわごわとこちらを窺いながら、伝書鳩の足に着いている連絡事項を外す。
「どうせまたいつもの、もっと役に立つ情報を集めなさーいっていう、新宰相のルアドからのお達しでしょう?」
「いえ……違います……」
「どうしたの。声が震えてるじゃない」
「レテ川上流、デトラと真反対にあるラシケント国境の町、ブルーノに於いて、ダム建設の計画が持ち上がっており、これについてエフェス側がどれほど把握しているか、今後定時連絡に入れるようにとの事です……」
「ちょっと待ってよ!」
思わず椅子を蹴って立ち上がる。さらりと今、とんでもない事を言われた。
ただでさえ水不足が叫ばれるこのエフェスに対し、水の供給を一切絶つに等しいダムの建設を行う。そんなものは、和平の延長どころか、最終戦争を行って下さいと言っているに等しい。ましてや、そんな事がこのエフェスの国民達が広く知るところになれば、自分達は血祭りにされてもおかしくはない。
「えーっと、ルアドは私達に死んで欲しいのかしら」
「いえ、ラシケントでも日照りが続いており、渇水という話は現実味を帯びた話になっていましたから、対策を講じただけ、といったところでしょう」
「ラシケントが渇水って言っても、エフェスに比べれば可愛いものでしょう?」
「そうですけど……僕に言われても……」
「このままじゃ私達、殺されちゃうんだよ?」
その言葉に、カルはぴくりと眉をつり上げる。ここに来て、改めて自分が置かれている立場がある程度見えてきたのだろうか。と思ったが、違った。
「僕がエンドさんを守ります。だから大丈夫!」
「ほほー……そりゃー嬉しい。唯一神ソーリア様に感謝しておこう……」
「神じゃなくて、僕に感謝して下さい!」
ドンと胸を叩くカル。ああ、今ほど君が眩しく見えた事は無いよ。聡明で男らしいと思っていたけど、本当はアホの子だったんだね。
だが、彼の目は真剣そのものだ。嘘でも私を励まそうとしているんだろうか。なんだか少し嬉しいな。そういうこと、言われた事無かったっけ。
「奴隷市場に居た時、僕はあの時一度死んだも同然だったんです。そんな僕を友達だと言ってくれて、今こうしてここに居られるようにしてくれました。だから僕は、エンドさんを守るためならどんな事だってしますよ」
「おおっ、何かよく分からないが照れくさいぞカル君!」
「照れて下さい。その為に言ったんですから」
笑顔を絶やさずさらりと言ってのける。ひょっとしたら町で、女の子をこんな風に食い荒らしたりしていないだろうか。少しだけ心配になる。
鋼鉄の処女とかごく一部で言われてしまってる私だけれど、久々に乙女チックな気分に浸ってしまった。いかんいかん。
「とりあえず、あまり他の女の子の前でそういう事言わないようにね」
「嫉妬ですか? 可愛いなあエンドさん」
よく分からないが、ちょっとムカついたぞカル君。
さっきときめいた私の心、返せこんちくしょう。
「とりあえず、機密事項扱いとして、今後この話は大使館内以外絶対に禁止。それも、人通りがある時は大使館内でも禁止。分かったわね?」
「そうですね。了解です」
「じゃ、お昼からは長老衆のバドルに会いに行くわよ。いつも通り冷静を装ってれば、単に水でも飲んで世間話をして終わりだから」
「まあそうでしょうね。水不足はお互い様って感じですし、いつも通りでしょう」
「じゃ、行くわよ」
残っていた水を飲み干し、大使服に袖を通すと外に出る。
ここからは確実な異国、エフェスの領内だ。気を引き締めて掛からねばなるまい。
昼間の住宅街は極めて静かで、人っ子一人歩いては居ない。まあ、たいていは暑いから、涼しい家の中に引きこもっている主婦がほとんどで、子供は遊びに行っている。
一見すると平和な町も、ダム建設の話が出てから眺めると、まるで今にも自分達を包み込もうとしているような、得体の知れない化け物のように見える。そう、かつて父が言っていた、ここは化け物の胃袋の中だと――
「今日も暑いですね」
「お肌に良くないわ、この陽射し」
「まあ、さっさと済ませて大使館に戻りましょう」
「そうね」
空は相変わらず、雲一つ無い晴天。ああ神よ、居るならちょっとくらい慈悲を見せろ。
ラシケントの暴走が現実となる前に。この国の人々が気付くその前に。