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第9話 放蕩娘の帰還

 長いようで短い、それが私の物語。過ぎてはまるで一炊の夢。

 そして私は今日めでたくも、千人の屈強な男の人達に囲まれるという、人生最大のモテモテの季節に見舞われ、ふとしたはずみでもみくちゃにされ、ついでに挽肉にされそうな状態というわけだ。

 エンド・ガーウィン危機一髪。美しくて知性溢れるエンドさんは、果たしてこの事態をいったいどうやって切り抜けるのか?

 寝物語としては胸がわくわくするのにね。だって、必ず助かる方法を主人公がひらめいて、見事に窮地を脱出する。けれども、私が生きている現実には、そんなご都合主義は無い。敢えて言うなら、カル君が私みたいな女を守ろうとして、格好良く銃を構えている姿が眼福。

 真剣な目をした男の子と、武器という組み合わせは本当に格好いい。絵になるよ。もしも生きて帰れたら、今日の事を油彩にして残しておきたいほどに凛々しい。

「エンドさん、時間は今何時ですか?」

「えーっと、十一時半だけど。今日はお昼ご飯、一緒に食べられそうにないね」

「そうでもないと思いますよ」

「あははっ、あの世で一緒に昼食って事だね」

「いいえ、言ったでしょう? 僕がエンドさんを守りますって」

 銃に弾を込め、私にここから動くなと手で合図しながら、できるだけ音を立てないように、部屋の中を進んでいく。

 もはや一触即発の状態だが、あくまでも大使館を囲むだけで、建物からはエフェス兵達は少しばかり離れているらしい。その様子は、ドアに付いている小さな覗き穴から見て取れる。

「もう少しですね」

「何が?」

「僕が合図したら、僕に付いてきて下さい」

 一瞬考えて、分かったと小さく返事をする。本当は怖い。ほんの少し、普段の炊事の際に包丁で指を切るだけでも痛いのに、腕や足、腹を切り裂かれるのはどれほどの苦痛だろう。格好付けても、結局のところ私は女だ。

 それでも、カルは戦うと言っている。私の酔狂に付き合って、無駄に犬死にしようとしてくれている。ほんの一秒でも、瞬きの間でも、私の寿命を伸ばそうとしてくれるはず。同じように怖くて仕方ないはずなのに。

「まだかな……遅いぞ……」

「まだって、何が?」

 その時、にわかに外の兵達がざわめき始める。覗き穴から外を見ると、なぜか誰もが空を見上げて、あれは何だと言っている。

「来ました。行きますよっ!」

「え? えーっ!」

 突如ドアを開いて外に飛び出すカル。まるで周囲の時間が止まったように、ゆっくりと銃を構えると、初めて人に向けて引き金を引く。

 鳴り響く小さな破裂音。そして、馬に乗った一際偉そうにしていた男が、ぼとりと地面に落ちた。唖然とする者、魔術だと叫ぶ者、指揮官を失った兵達は一気に混乱状態に陥る。

 だが、彼らは銃声だけに驚いたわけではない。空にぽっかりと浮かぶ、白く巨大な丸い塊。見たこともない、鳥とは違う何かがゆっくりとデトラの上空を飛んでいるのだ。

そして、そこから縄ばしごが降りてくると、カルは私の腕を掴み、急いでそれに飛びつく。

「エンドさん、しっかり掴まって」

「うんっ!」

 言われるがまま、私が縄ばしごに掴まったのを確認すると、カルは空いている方の手に銃を持ち、脇で固めてもう一度引き金を引いた。

 さっきと同じ破裂音と共に、こちらを取り押さえようとしていた、ひげの男が倒れた。

「エンドさんと僕は大丈夫です! ネイ様、援護を!」

「はいはい、たっぷりどうぞ」

 遥か上の方にある、籠のようなものから声がする。やがて、何か黒くて丸いものが地面にぽとりと落ちてくる。その瞬間、さっきとは比べものにならない爆発音が響き渡り、辺りの混乱に拍車を掛ける。

 大使館と隣接していた建物の壁がぼろぼろに崩れ、数人の兵士が折り重なるようにして倒れている。間違いない。これはとびっきり上等の炸裂弾だ。

「上昇させて下さい! 早く!」

「人使いが荒いなあカルさん。ちょっとくらい死にそうなのが、一番楽しいのに」

「こっちは必死なんです! 早くして下さい!」

 カルが籠の中の人間と、何か話し合っている。そうしている間にも、私達は徐々に体が浮かび上がっていく。よく分からないが、このまま助かるのだろうか。

けれど、私が天井の高さくらいまで浮かび上がったところで、足下に一人の兵士が駆け寄って来た。さっきの爆発で額に傷を負ったらしく、だらだらと濁った色の血を流し、祈りの言葉を叫んでいる。

 彼は縄ばしごに掴まると、次は私の足を掴もうとして手を伸ばす。ほんの一瞬、足首に奴の手が触れたが、体を揺らしてそれを避け、もう一段上がった男の顔に向かって、思いっきり蹴りをお見舞いする。

「うおりゃあ――――ッ!」

「へぶしっ!」

「宣戦布告が出たんでしょう? さよならエフェス!」

「降りてこい! 異教徒共! 異端者共!」

 もはや二階建ての建物よりも上まで浮かび上がった私達に、彼らの剣も槍も届かない。もし弓兵がこの戦いに駆け付けていたら、かなり危ないところだったが、都市を警護するのは槍や剣を中心とした重装兵がほとんどだ。

 町の人々は、今まで見たこともない白く丸い、巨大な風船を見て、この世の終わりだとか神が降臨されるとか、好き放題に騒いでいる。私自身も、正直今空を飛んでいる事が不思議で、これが何なのかよく分かっていない。

 ただ、一つだけ言える事は、この白い何かまさに間一髪で私とカルは命拾いをした。それも、世話になっていたバドルの顔を汚す事無く、追っ手の兵達から逃れ、無事にラシケントへと帰還を果たす事ができると思われる。それも、よりによって一番大嫌いなあの少年、ネイ・ハーマンの手によって。

「ふふふーっ、ラシケント辺境伯であるこのボクに感謝するがいいのです! ボクの用意したこの最新兵器『気球』が無ければ、君達は今頃あの世行きだったのです!」

「はいはい……嬉しくて涙が出そうよネイ……」

 籠の上にいるのは、その声を忘れようもないあの男しかいないだろう。

 全財産を賭けてイカサマ賭博で勝負をしたり、火を使って髪を切る機械で父を殺しかけたりしたことでも知られている。ラシケントで最大の危険人物であり、法皇や宰相でさえ手を焼くという事から、父が死んだ後のヨシュア派の粛清の際、私と同じく厄介払いとして、最前線となる地の辺境伯に任ぜられた少年、彼の名はネイ・ハーマン。

 きっと今もあの籠の上には、最後に会ったあの時と変わらず、金髪をわざわざ染料で染めた赤い髪と、よく分からないだぶだぶの白衣に袖を通し、常に錬金術の書物を脇に抱えている。

あまりにも珍妙で、目立つ姿をしている彼を、ブルーノの人々は親しみと皮肉を込めてこう呼んでいる。狂った森の妖精と。

「あはははーっ、エフェス兵共がゴミのようだーっ! ねえねえ、炸裂弾がまだ余ってるし、せっかくだから使ってもいいですよね? ねえ、いいですよね?」

「騒ぎを大きくしないで。弓兵とかが駆け付けたら、私達、殺されかねないから」

「エンドさんの言う通りです。どうか、私とエンドさんの為にも、お控え願えますか」

 二人に反対され、ネイはぶーぶーと露骨に不満の声を漏らす。

「まあ、宣戦布告はまだ首都のシエナまで届いてないだろうし、今はあまり事を荒立てない方がいいですね。ボクはちゃんと理解してるのです。偉いのです!

そういうわけで、とりあえず進路をボクの住む都、ブルーノに向けるのですよ」

「お願いするわ。ありがとう、ネイ」

「とりあえず縄ばしごを上がってくるのです。新しくニガヨモギで作ったお酒、これが結構旨いので、帰りの道中で味見してもらおうと、酒瓶に三本も持ってきたのです!」

「ニガヨモギの酒……なんか遠慮したいわね……」

 カルが籠の中に先に入り、私を引き上げる手伝いをしてくれた。

 なるほど、籠の中は意外と広く、まだ二人くらいは乗れそうな面積を確保している。そして、そこには懐かしい白衣に赤髪の少年が、濃緑色の酒を鼻歌混じりにグラスに注ぎながら、私を出迎えてくれた。

「よく分からないけど、助かったわ。ありがとう」

「中央の奴らはボクを馬鹿にするけど、ボクはただの頭がおかしい錬金術師じゃない。ちゃんとエンドさんやカルさんを助けて、ラシケントの戦争に加勢ができる、ボクは科学者なのです」

 えへんと小さな胸を張り、褒めてもいい。と言うか褒めろと、催促するように私を見る。

 その姿は、一見するとやんちゃな子供。だが、その瞳の奥に秘めた冷たい狂気と冷酷さが、私にはどうも好きになれない。弱さという名の皮をかぶって、ルアドを筆頭とした中央の権謀術数主義者達を出し抜こうという、野心に満ちた獣の目。

「ネイ様、案外いけますね。このお酒」

「なかなか旨いでしょう? 今度、ボクの名前付けて、売り出そうかなーって思ってるんです。

 マーシャの商人が出入りしてた時に味見させたら、是非量産化して、売り出しませんかって。

 これが売れればブルーノの財政、いや、ラシケントの財政が潤うこと間違いなし! 新名物として、エフェスの奴らにもマーシャ経由で売りつけてやろうかなーと思ってるのです!」

 さっきまで死にかけていたっていうのに、カルはネイとうまが合うらしく、早くも新しい酒をぐいぐいと飲んでいる。まあでも、気分が昂揚するのも分かる。酒を気付け薬の代わりに、落ち着きたいのかも知れない。

「そう言えばお礼が遅れてたわ。ありがとう、ネイ」

「ふふふーっ、ヨシュア様にはボクも生前とてもお世話になっていたのです。そんなヨシュア様の忘れ形見であるエンドさんが危機だと、カルさんがボクに伝書鳩を飛ばし、教えてくれたのです」

「なるほど。ネイなら確実に私達の味方だし、幸い、デトラと一番近いところにいるもんね」

「そうですね。でも、この気球が完成していたから良かったようなものの、通常に兵を動かせば、エフェスの重装兵達と全面衝突になってしまう。結果、双方の被害は甚大なものになっていた事でしょう」

「まあ、ネイの変な発明も、役に立つことがあるのくらいは知ってるわ。

 とりあえず、私にもこの緑色のお酒、お代わりちょうだい」

「ほら、美味しいでしょ? 飲んで飲んで! まだいっぱいありますよ!」

 やれやれ、今回は本当にネイに感謝せねばならない。中央に戻ったら、彼が欲しがっている実験用の水銀やら硫黄やらを、たくさん送ってやろう。

 特に彼が治めるブルーノは、無敵要塞と言われてはいるものの、国境の町という事もあり、これから始まる戦争では、再び最大の激戦区となるだろう。防戦一方の日々の中で、実験は良い退屈しのぎにもなるだろうし、こうして新しい武器の発明にも繋がるかも知れない。

 悲惨でどうしようもない戦争も、彼にとっては大人の遊び場になるだろう。休戦が延長できなかった以上、私達はもはや、再び底無し沼に足を突っ込まざるを得ない。そこから一刻も早く抜け出すには、相手を総力戦に持ち込ませるような刺激をさせない内に、勝利を収める事にある。

 今後の戦争において、例えばこの気球と呼ばれるものや銃のように、兵器の進化や質の高さは、きっと我が国の軍を強くすることだろう。

「まずは命拾いですね。そしてエンドさん」

「何?」

「おかえりなさい、ですよ♪」

「ああ、ただいま」

 さっきまでの狂気はどこかに消え失せ、優しい笑顔を浮かべる。

 まるで無邪気な殺人鬼。百年戦争の間は、幼い頃から投石機の改良を行ったり、炸裂弾に使う火薬の質を上げたり、色々な功績を残している。だが、彼はあくまでも少年なのだ。それは今も、少し歳をとっただけで変わらない。

「それにしても、カルさんから書簡を受け取った時はびっくりしたのですよ。いきなり明日から戦争が始まって、エンドさんとカルさんが殺されそうだから、助けに来て欲しいだなんて」

「あんたのところでダム作ってるでしょう? あれが原因よ」

「ん? エフェスの人は皆さん承知の上で、マーシャの商人達が建設費用に関して請け負ったと聞いてたのですが?」

「エフェス人が承知? あくまでもダムを造ってる事を『知ってるだけ』であって、みんな水が値上がりしたって、毎日どこかで抗議の集団自殺が行われてたわよ!」

「おかしいですね。宰相のルアド様が言うには、水を効率的に分け合う為にもダムは必要不可欠のものであり、これはラシケント・エフェス・マーシャの三国にとって、非常に有益な史上最大の公共事業であると言ってましたですよ」

 思わず言葉を失う。あの地獄のような状況を見て、これが『非常に有益な史上最大の公共事業』などとは、口が裂けても言えるはずがない。明らかに何らかの利権か、開戦派が裏で動いているのだろう。もちろん、その筆頭は宰相のルアドに違いない。

 せっかく命が助かっても、頭痛の種は尽きそうに無い。一難去ってまた一難。私の周りは年中無休の内憂外患。神様、本当に居るなら助けてよ。

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