"拘束小説"
僕が自死を選ばない事には、
一つだけ大きな理由が在った
部屋のカーテンは、総て引かれて居る
密やかな儀式の為だ
我が主は幼く整った顔立ちで酷薄な笑みを浮かべ、革紐を引く手に力を入れる
その先から伸びた首輪へと繋がれた僕は、喉に、そして吸気の欠乏した脳髄そのものに致死的な感覚を覚え、震える素足で主の招く先へと歩き始める
後ろ手に指錠を架せられ、両の親指を固定されて居る
これは即ち、僕が手を突いて這いながら歩く事さえ赦されない事を意味して居た
主が、くすくす、と嗤う
彼は、僕の死にかけた歩調に合わせる事など無い
かろうじて足で、或いは痛む膝で這いながら、首輪の引かれる方へ僕は歩みつつ在ったが、結局のところ少しずつ置き去られて革紐が張り詰めたあと、もう幾度目かも解らない転倒をした
喉の圧迫が再開される
藻掻く為の指も抵抗する為の手も、躰の真後ろ、腰の辺りで拘束されて居る
こんなにも両眼を視開いて居る筈なのに、視界は視る間に黒く、暗く変わっていった
陽が堕ち、夜の帳が訪れれば、星が煌めくのは必然だ
黒色よりも昏くなった視界には、きらきらと星が踊り始める
何処からか、音がする
躰が、断続的に揺れて居る気もする
星空への浮遊が始まる事は無く、僕は現実に帰還する
なんという事は無い
僕は、頭を垂れた罪人の姿勢で気を喪いながら、我が主に足蹴にされ続けて居たのだった
「死ぬ事は、許可して居ない」
せせらぎの様な声が
睫毛の長い瞳が
こんなにも、慈悲の無い加虐を繰り返して居る
我が主の手が、
足が、
或いは時として、
骨張った膝や、
吐き出される唾が、
総て、そのように造られた美術の様であり、また同時に苛烈な暴力でも在った
「そろそろ遊び尽くしたか」
主は、興味を喪ったように革紐を捨てると、顎に手を当てて思案する
躰が熱くなる
動悸と呼吸が荒くなり
期待の予感に、顔を上げる事すら難しくなった
「今度は、私が与える番であろうな」
膝を曲げてうつ伏せに倒れて居ても、
そして力尽きた肉躰で伏して居ても、
言葉を聞いただけで、躰の幾つかの筋繊維が跳ね暴れた
「あ」を引き伸ばしたような、意味の通らない声が部屋にこだまして居る事に気付く
意識の何処かでは、それが悦びに漏れる自分の声だと解って居た
原初の人類は、罪の林檎を食んで楽園を追われたのだという
林檎は、繊維と甘露なる水でその身を構成されて居る
朦朧とした意識の中で、僕は「自分は罪の果実であろうか」と考えた
我が主の吐息が、噛む為の牙が、湿った吐息と共に近付いて来る
僕は誕生日を祝われた子供のように、
「わあ………」と微笑んだ




