プロローグ ―透明に生きる女の物語―
“誰にも傷つけられたことがない私”が、誰かに壊されたいと願うのはなぜか。―― 社会的に“完璧”な30代女性が、崩れていく日々の記録。
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DM、ゼロ。
リアクション、2。
私は深川 澪その名の通り、“深くて静かな水路”のような女。表情を崩さず、感情を抑え、完璧な社会人として生きている。
「澪さんって、完璧ですよね」
何度聞いたかわからないその言葉。そう言われるたび、少しだけ微笑む。口角だけで。うれしいわけじゃない。ただ、もう慣れてしまっただけ。
仕事は早いし、書類ミスはない。言われたことはすぐに処理するし、頼まれたら休日でも出る。
同期より早く役職を与えられたけど、誰よりも早く「女」として見られなくなった。
この社会で“優秀”と呼ばれる女は、優しい男には気に入られる。でも、選ばれは――しない。だから私は今日も、誰にも命令されないまま、勝手に自分を追い詰めていく。
「支配されたい」と言えば笑われる。
「壊されたい」と言えば引かれる。
「誰かのために生きたい」と言えば怪訝な顔をされる。
それならもう、“ちゃんとした大人のふり”をして、誰にも気づかれずに壊れていこう。
今日は日曜日、ランチは、冷凍ミールの低糖質プラン。社内では「美意識高いですね」って言われたけど、ただ、“誰か”の目に触れるかもしれないから。
その“誰か”は存在しない。でも私は、存在しない誰かの命令のために生きている。
仕事のメールは、五分以内に返信する。
会話では笑顔を崩さない。
鏡を見るたび、完璧な私がそこにいる。
……なのに、通知は鳴らない。
ねえ。
ねえ……
ねえ、誰か……。
……私に、命令してよ。
*
賞に応募中の長編小説(約10万文字小説)なため少しづつ公開中、この続きは、8月18日ごろ、ここに編集にて公開予定。