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7、トマスとゲルト



 相手は本当に自分と同じ、理性と知力のある生物なのか?


 ゲルト・ケプラー公爵はこれまでの人生の中で多くの者を相手にし、その中で言葉を交わす価値もなかった者を思い浮かべたが、それでもこの目の前で何かを喧しくわめきたてる男よりは随分マシだったな、と認識を改めた。

 ヴィオラを見送った翌日。公爵家にウォール伯爵がやってきたと家令から告げられ、ゲルトはおそらくトマスが帰って来たことで複雑になる伯爵家についてウォール伯爵が助言を求めてきたのだろうと考えた。

 だが応接間で待っていたのは老貴族ではなく、若々しい二十代の青年だった。記憶にあるトマス・ウォールが歳を重ねるとこうなるという姿であったのでゲルトはその点では驚かなかったが、トマスが単身で自分を訪ねてくる理由がわからず、しかしヴィオラのことが気がかりだったゲルトはトマスの相手をすることにした。


 トマス・ウォールは伯爵になるということを自慢げに語り、自分が真実の愛を貫きこの十年間いかに素晴らしい時間を過ごしていたのかを、聞いてもいないのに話し続けた。いつまで聞いていればいいかわからないが、トマスが「それで、君はうちの手伝いをしてるんだろう?」と言ってきた辺りで、控えている執事が怒りから失神しかけた。


 手伝いではなく、ゲルトはヴィオラの協力者パートナーだった。しかしトマスはゲルトが先代ウォール伯爵への恩からウォール家の顧問弁護士のような「手伝い」を無償でしていると考えたらしい。それで、ゲルトに自分の「妻」のために力を貸して欲しいと頼んできた。


 ……最初、ゲルトは「妻の為に力を貸してくれ」とトマスに言われた時に、気に入らないとは思った。トマスに頼まれずともゲルトはこれからもヴィオラに自分が自由になるものを全て差し出しても構わないと考えていた。だがトマスが態々「僕の妻の為に」と言って来たことが不快だった。なるほどトマス・ウォールはウォール伯爵として、そしてヴィオラの夫として、今後伯爵家を預かる身として、ゲルト・ケプラー公爵に釘を刺しにきたのかと、あくまでヴィオラとゲルトの二人の関係ではなく。ヴィオラへの友情からではなく「伯爵家として公爵家の助力を要請する」形に筋を通したいのだな、とゲルトは考えた。それは夫として、妻の最も近しい友人に対して必要な振る舞いだとゲルトの冷静な部分は判断した。だが、十年間もヴィオラを、あの聡明で素晴らしい女性を一人で戦わせた男に「お前はもう必要ない。これからは僕が彼女を支える」と言われるなど、ゲルトからすれば腹立たしくて仕方ない。


 だがそれは、あくまでゲルトの、一方的にヴィオラに抱いている感情からくる、理不尽な思いだった。ゲルトは自分を律した。それで、色々な思いを飲み込んで「伯爵夫人のために力を貸すことは自分にとって当然のことだ」と、それだけを答えた。

 途端トマスは破顔して、ゲルトを「話の分かる方でよかった!」と評価して、ゲルトの法の知識を最大限に活かして、助けて欲しいと続けた。


「ヴィオラとの結婚はあくまで二回目の、愛人としての第二のものになるように、最初の結婚は僕の妻のエヴァージェンが正式なものになるようにしてくれ!」

「……なんと?」

「ほら、貴族の間である、いわゆる「第二夫人」さ」


 そんな説明はされずともわかっている。

 この国の法では三人までは「妻」を持つことができる。法的に最も優遇される「第一夫人」と、その第一夫人の「使用人」という扱いにはなるが、夫と婚姻を結ぶことはできる「第二夫人」「第三夫人」がある。これはかつて愛人による相続問題に対して「法的に第一夫人が圧倒的に守られる立場」であることで、たとえば子供が生まれない、あるいは夫から関心を向けられなかった立場の弱い第一夫人を守るために作られた制度である。

 

 トマスはヴィオラはただ「貴族の家に入って、貴族の身分を使って自分の能力をひけらかしたかっただけ。金儲けがしたかっただけ」だと言い、それは第二夫人の身分でも問題なく、彼女の才能を発揮するには貴族の女主人としての振る舞いが求められる第一夫人よりよほど自由で彼女に合った身分になるはずだと語った。


「……彼女のため、だと?」

「あぁ、そうだよ。ヴィオラは平民だし、伯爵家の女主人なんて務まらない。淑女教育も受けてない女が社交界に出たって恥をかくだけだろう?」

「…………」


 トマスの頭の中は十年前で止まっているのか?いや、十年どこかで生活していたのだから、この男が何かしらの魔法か呪いでもかけられて十年間石になっていたわけではないだろうとゲルトは自分の妄想を振り払う。


 この男は彼女が社交界でどれほど良い話題になっているか、彼女の着るドレスがこの三年間、淑女たちの羨望の的になっていることを知らないのか?

 誰もがヴィオラを自分のサロンやパーティーに招きたがっているなど、想像することもできないのか?


 そして、そうなるためにヴィオラがどれほど血のにじむような努力をしたのか、彼女を少しでも知る者であればわかることではないのか。


 トマスは無言になるゲルトを気にせず、ヴィオラを自分がどう「上手く使える」のかを語り始めた。先代ウォール伯爵、自分の父は歳を取っていたことと病を持っていたから、仕方なくヴィオラを表に立たせていたのだろうとも。だからあの女が勘違いをして、自分こそがウォール伯爵家だというような振る舞いをしてしまったのだと、それをトマスは「僕がいなかったばっかりに、あの女の野心を助長させてしまったんだ」と恥じた。


「…………彼女は今どこに?」


 ゲルトは様々な感情、自身の中に沸き上がるマグマのような衝動を鋼の精神で押さえつけ、なんとかそれだけを問いかけた。


「残念ながらまだ屋敷にいる。僕の不手際で、あの女にはさっさと別邸に移って貰おうとしたんだけどね。悪足搔きのつもりなんだろうが、倒れたふりをしてまだ部屋に居座ってるんだ」


 呆れるように、嫌悪するように告げるトマスに、ゲルトは心の中でなぜ昨日、ヴィオラに同行しなかったのだと自分を罵倒した。ヴィオラに嫌われたくなかったからだ。助けを必要としていないと決めた彼女に無理を言って、彼女にゲルトがヴィオラの能力が低いと思われたと感じられたくなかったからだ。


「……公爵?」

「私は今から貴方に暴力を振るう」

「……は?」


 ゲルトは立ち上がり、心得てすぐに傍に寄った執事にジャケットを渡し、トマスの傍に立った。ソファに座り、訝るトマスを見下ろす。


「もちろんヴィオラ・ウォールという素晴らしい女性は自立した一人の人間だ。自分の問題を自分で解決できるだけの能力が彼女にはあり、彼女は誰か男性に守って貰わなければならない未熟な少女、保護対象ではない。だからこれは、貴方が彼女に対して行った言動への報復や戒め、あるいは何かしらの警告ではなく、純粋に、単純に、これはれっきとした犯罪行為だ。私が保証しよう」

「??あ、あの?公爵……?冗談、ですよね?」

「立ちたまえ、トマス・ウォール伯爵」

「え?え?」

 

 丁寧に説明してやったのに、トマスはそれでもまだ理解できないらしい。だが無表情で淡々と、トマスが立つことを待っているゲルトに本気なのだと徐々に悟り始めた。これから自分が殴られる、とそれを理解すると人は青ざめる。殴られる痛みや衝撃を想像し、トマスの顔に怯えが見えた。だがゲルトはその恐怖の間に殴ることはせず、トマスが立ち上がり「殴られるつもりはない」と逆にゲルトを殴ろうかと、それを考える余裕を取り戻すのを待ってから、トマスの胸倉を掴み、右頬を殴り飛ばした。


「……っうぐぅっあ!!!???????」


 殴られると予想していても、避けられなければ意味がない。


 派手に後ろに倒れ、口からボドボドと血を滴らせるトマス。ゲルトは執事が差し出すままにジャケットに袖を通した。きっちりと身なりを整えトマスの前に立つと、トマスが喚き散らした。それは暴力を責める言葉や、理不尽を訴える言葉で、正当性の高いものだった。


「う、訴えてやるからな……!」

「無論、構わない」


 法廷で会おう、と、ゲルトは淡々と承諾し、従僕にトマスの手当をして屋敷から叩き出すようにと命じた。




十年分の片想いを乗せた渾身のストレート!!!!!!!

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こいつまだ書類が受理されてないなら伯爵を名乗ってるただの子息だよなあ
 トマスは貴族の身分をなんだと思ってるのかね。流石はクズの両親の血を継いだクズのサラブレッドだ。
10年間の血の滲む努力を支えてきた10年分の片思い公爵パンチかあ。トマスくんよく生きてましたね?w 手加減込みか。
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