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4、それから


 あっという間に、ヴィオラの十年は過ぎていった。目まぐるしく、あまりに早く、しかし一時たりとも気の抜ける一年はなかった。


 最初の一年、社交界はヴィオラを完全なる「余所者」として扱った。


 彼女を結婚詐欺にあった憐れな被害者ではなく、むしろトマスの勇気を讃える風潮さえあった。理由としては単純で、トマスは貴族としての義務を感じながら、家門を守るために成金に「貴族の誇り」を売り渡さなければならなくなった「悲劇の主人公」だったからだ。これは、帝国の羽振りのよくない貴族であれば常に怯えていることだった。裕福な平民の娘を妾にして支援を受けるとか、そういう「苦肉の策」は彼らにとって「家の為に貴族の血を薄める悲しい選択」なのだ。


 そのためトマスは勇気ある決断をした英雄扱いだ。だが彼はそれだけでは終わらず、貴族家に平民の女を迎え入れ、そして、貴族からすれば「たかだか平民のくせに、金儲けがちょっとばかり上手かったから自分達より金回りの良い」商人に一矢報いたのだ!


 あのケプラー公爵が法的に「なんの問題もない」と判断したことも貴族たちには痛快だった。つまり貴族たちにとって気に入らない金持ち娘は家を建て直す選択をするしかない。また彼らは貴族の家門を立て直すために、裕福な商家が傾くことも余興のように望んだ。社交界で必死になって事業を「うまくやろう」と駆けずり回る16歳の若い娘を、着飾ったドブネズミが蠢いているなというような目で眺め続けた。


 二年目はもっと悲惨だった。一年目はそれなりに表舞台に一緒に出てくれた、ウォール伯爵がついに自力で歩くことが出来なくなった。結婚式の息子の愚かな選択で心身に負荷がかかり、それでも伯爵はただ一人ヴィオラの味方であろうと努めてくれた。病床の身を無理に起こして社交界に出続けた結果である。ヴィオラは自身を責めた。自分に才能があると彼女は信じていたが、それでも社交界で発言する際に伯爵がまず口を開き、ヴィオラの話の大まかな内容を告げ、それに対して「詳しくは彼女が」と告げてやっと、伯爵の友人は彼女の言葉に耳を傾けようとしてくれたのだ。

 

 三年目、状況は少しも良くならなかった。いや、ヴィオラは伯爵家を維持し続けるだけの利益は出し続けていたし、実家に過剰な資金援助を乞うこともしなかった。ヴィオラの父は「駄目なら家門を潰して帰ってこい」と言ったが、それはヴィオラにとっては侮辱と同じだったし、父もそういう意図を持っていた。ヴィオラには意地があったのだ。もちろんこの時には、目の見えない義母がヴィオラを頼りにして毎朝毎晩、ヴィオラを呼ぶようになっていたし、ウォール伯爵も自分の弱った姿を使用人たちに見せることを望まず、食事や排せつなどの介助をヴィオラに頼った。ヴィオラはこの家を使い自分の才能を発揮したいという当初の野望の他に、二人の老人を放り出して「失敗したから次!」という気にはなれなかったのだ。


 そうして四年、五年、と過ぎていく中でヴィオラにとって唯一の「友人」となったのは意外なことに気難しく融通が利かないことで知られるケプラー公爵だった。ヴィオラより7歳年上のこの若き公爵はヴィオラに「法に関することで質問があれば来なさい」と手紙を寄越した。それはヴィオラが彼の書斎で初めて話をしてから三年経った頃で、彼女は公爵は自分の存在など覚えていないだろうと思ったのでこの一枚の手紙には本当に驚いた。交流を始めて二年経った頃に公爵は「あの手紙を出すのに法的に問題がないのかは一日でわかったのだが、貴方があの手紙を読んで不快な思いをしない確証がなく三年かかった」と言って来た時には、もっと驚いたが。


 公爵の協力を得られたことで、ヴィオラの状況は一変したと言える。何しろ公爵の元にくる招待状はヴィオラと伯爵がどうツテを駆使しても手に入れることのできないものばかりだった。ケプラー公爵は興味なく積み上げられ、暖炉の燃料にするくらいだった招待状をヴィオラに選ばせ、ヴィオラを伴ってパーティーに赴いた。貴族の頂点に君臨する公爵の隣にいる者を誰も無視はできない。そのうえケプラー公爵は不正を許さず厳格で、そして大変裕福だった。ヴィオラ・ウォールの話を聞くだけで公爵の視線に入ることができるのならと、最初はそんな理由で耳を傾けた者たちは、次第にヴィオラ・ウォールそのものに興味と関心を持つようになっていく。

 これは何も公爵のネームバリューだけではなくて、五年も貴族社会で生きていけばヴィオラは彼らがどんな話し方を好むのか、どんな立ち振る舞いを望むのかをすっかり学習できたからだ。五年かけてやっと、ヴィオラは自分の才能を正しく発揮できるだけの装備を終えたのだ。



 ヴィオラの始めた領地改革の中で、ウォール家の領地はとても良質なワインが造れることがわかった。先々代の時代にはちょっとした知る人ぞ知る名品だったが、天候の悪化や、満足な手入れができない状況が続き放置され続けていたのだ。ヴィオラはこれを再興してウォール領地のワインをブランド化した。地元の農民たちと協力し品質を向上させ、そこにウォール家の紋章を入れたボトルデザインを採用し、当初はヴィオラの醜聞から物珍しさと、「これがあの身の程知らずの女の血ですよ」「となると処女の?」などと下卑た楽しみのために購入されていたが、ヴィオラの実家が貴族や富裕層向けに売りに出し、実の親が扱うのだからそんな下品なものではないと、これは「伝統と挑戦」だと評判になった。富裕層は貴族家で奮闘するヴィオラを応援する者も多く、自分達のパーティーでは「誇り高き血に」とこのワインを最初に開けることが流行った。


 またヴィオラは七年目にちょっとした金融サービスの仲介を始めた。彼らは自分たちの体面を保つために「借金」をすることを恥じとしながらも止められない状態が続いており、ヴィオラは彼らのコンサルタントを行った。ワインである程度定期的な収入が見込めるようになり、伯爵と相談し、そしてケプラー公爵に現在の法的に問題がないかも議論したうえで、ウォール家の名義で「投資クラブ」を設立した。貴族たちが商会や新興産業に投資し、利益を得る仕組みを提供した。仲介手数料はウォール家のよい収入源となった。この投資クラブが広まると、他の貴族や商人もそれを真似ようと似たことを行ったが、貴族のプライドを尊重でき、なおかつ「この事業は見込みがある」という目利きが必要だった。ヴィオラは投資先を厳選し、失敗リスクを最小化にした。


 これは商人の娘であり、貴族社会に出入りできる貴族の嫁のヴィオラにしかできない立ち回りだった。

 そしてさらに、この投資契約の法的裏付けをケプラー公爵が協力して強化したのだから、投資をしたい貴族が「ウォール家の投資クラブを使わないで他を使う」メリットを見出せるだけの他の投資クラブは存在しなかった。


 貴族たちは商人に自分の投資クラブに入らないか、と誘われると呆れたように『それはヴィオラ・ウォールより頭の良い人間がコンサルにいて、ケプラー公爵より法に詳しい人間がついているのか?』と返すのが当たり前になった。


「まぁ、ヴィオラさん。とても良い香りね。ダージリンかしら」

「えぇ、お義母様。先日皇帝陛下のお茶会に参加させていただいた際にお土産にお渡ししたら、とても素晴らしい茶葉だったと喜んでいただいた品ですよ」


 そうしてあっという間に過ぎた十年。

 ヴィオラは美しい花が丁寧に手入れされた庭で、今日は体調が良いからと義両親を誘って昼食を摂っていた。


 ウォール伯爵はこの夏で体重が十キロも落ちた。顔色は悪く、明るい日の下でも青白さが目立った。日の光を浴びれば気分も良くなるのではないかとヴィオラが誘うと、伯爵は笑顔でそれに応じ、自分は足が悪く行けなかった皇帝夫妻のパーティーでの様子を何度もヴィオラに聞いた。


(やっと、穏やかに眠れる時間がとれてきたわ)


 ヴィオラは義両親の介護にも慣れた。伯爵と伯爵夫人には二人が安心できる介護人を見つけることができたし、もう誰もウォール家を見くびることはできない。あともう少し、最後の踏ん張りは必要だが、次の春にはヴィオラが書斎でゆっくりとお茶を飲む時間も作れるようになるだろう。


「ヴィオラ」


 物思いに耽るヴィオラの手をウォール伯爵がそっと握った。


「本当にありがとう。これで私はいつ天に召されても惜しくない」

「お義父様」

「あの愚かな息子が式場に現れなかった時、私は自分がこんなに優しい時間を過ごすことができるとは想像することもできなかった。これから先、妻や、使用人たちはどうなるのだろうかと考えたのは最悪の結末だった。この十年、私は一度も自分が惨めな老人になるという想像をしなくて済んだんだ。それはヴィオラ、君がいるからだ」

「私もよ。ヴィオラさん。貴方は血の繋がらない私たちに、本当の娘のように優しくしてくれましたね」


 伯爵夫妻はヴィオラに微笑む。

 

 もちろん二人はこれまで何度も何度もヴィオラに感謝の言葉を告げてくれたし、ヴィオラによりかかるばかりではなかった。ヴィオラの仲介業が上手くいったのは、かつて社交界の華だった伯爵夫人が昔の友人たちに直接「私の娘を助けてください」と説得に行ってくれたからだ。目が不自由で外に出ることを怖がっていた夫人が、毎日抱きしめる義娘の身体が細くなることに気付き、「何かしなくては」と勇気を出したからだ。

 

 ヴィオラにとって二人はけして重荷ではなかった。貴族社会でも自分の才能は有効だと無謀にも息巻いていた十年前のヴィオラのままでは、今日は迎えられなかった。ウォール伯爵夫妻がヴィオラに「ウォール家を任せよう」と託してくれて、そしてヴィオラにできない、ヴィオラに足りないものをサポートしてくれたからだ。


「ま、まだ……安心できないですよ……っ!」


 ごしごしっと、ヴィオラは顔を拭った。目の見えない伯爵夫人や、女性の涙は気付かないふりをすべきだと心得ている伯爵は穏やかに微笑んでヴィオラが背を向けるのを眺める。


 ヴィオラは二人を抱きしめるために、気持ちを落ち着かせようと深呼吸した。そうして笑顔で振り返り、ヴィオラの顔が凍り付く。


 振り返った先。

 伯爵夫妻がヴィオラを待っているその離れた後方に、夫妻によく似た男性と、小さな男の子が立っていた。

 

 

メンタルのリハビリで書いているので、あと4~5話くらいで終わります。

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これでエヴァージェンが平民だったらずっこけるべ
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