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(4)


 ヴィオラは完全に、商会のボスモードになっていた。ここが美しい花の咲き乱れる公爵家の庭であることを頭の中から追い出して、気分的には商会の自分のオフィスだ。


「ロジーヌ、素晴らしい『能力評価表』と志望動機、拝見しました。この書式はわたしがこうしたものを使用していると事前に調査された貴方の行動力もよくわかります。次に、貴方自身の自己理解について伺います。貴方の強みはどのように考えていますか?」

「ヴィオラさん、ご質問ありがとうございます。わたくしの強みは、貴族女性として培った『統率力と社交力』、および『貴族家の名を守る使命感』でございます。まず、統率力と社交力につきましては先ほど申し上げた通りです。次に、使命感につきまして。ケプラー家の歴史と名誉は、従妹として現ケプラー公爵と過ごした幼少期からよくよく存じ上げております。公爵家の女主人としての自覚と志を待ち、貴族社会の伝統と革新を調和させ、ゲルト様の公爵としての責務を補佐する覚悟がございます。ヴィオラさんの事業は民衆を動かす力を持ち、敬服いたしますが、貴族社会の複雑な慣習や政治を円滑に進めるには、わたくしの存在が不可欠と自負しております」

「わたしはこれでももう十年、貴族社会でやってきたけれど?」


 あえてヴィオラは意地の悪い言葉を投げた。しかしロジーヌは動揺することなく答える。


「はい。存じております。ヴィオラさんのご活躍は目覚ましく、身分の垣根を越えて、この国の女性の目標となるでしょう。ですがそのために、ヴィオラさんはご自身の活動に集中する必要があるのではありませんか。気分を害さずに聞いて頂きたいのですが、わたくしはヴィオラさんが第二夫人という立場になることが公爵家において貴方の能力を十分に発揮できると考えています。公爵家の女主人の仕事は事業の片手間にはゆきません。ヴィオラさん、貴方には公爵夫人という使用人が必要ではありませんか?」


 クラリッサの「第二夫人」発言と、ロジーヌの「第二夫人」の方が良い、という発言は同じ言葉を使用しているが意味がまるで違っていた。


 ヴィオラはなんだか楽しくなってきた。


 このひと、面白いわ!





「それほど愛人の様子が気になるのですか」


 窓から離れずじっと庭の方を見ているゲルトを、クラリッサは馬鹿にするように笑った。笑うと言っても表情は冷ややかで声には明るさの欠片もない。鼻で笑い飛ばすような軽薄さだ。昔、母にと美しい花を育てて贈った時に向けられた声とよく似ている。


 ゲルトは振り向かなかった。昔は少しでも、一瞬でも、クラリッサの視線に入りたくて仕方がなかった時があったはずなのに、今はまったく、それどころではない。


「ロジーヌは従順で大人しく淑女の手本のような女性です。いかに平民で卑しい女が相手でも礼儀を尽くすことを忘れないでしょう」

「私が心配しているのはそのようなことではありません」


 ゲルトはクラリッサの思い違いを訂正した。だが彼女はそんなことは気にしないだろう。

 

 仕方なしにゲルトはやっと窓から離れ、執務室の机に座る。ソファに腰かけて紅茶を飲んでいたクラリッサは「やっと話をする気になりましたか」という視線を向けてきた。


「ロジーヌはあの平民を説得するでしょう。本物の貴族、公爵夫人を務め上げた人間を前にすれば、あの挑発者も身の程を知る……そのくらいの知能はあってもらわねば困りますが」


 いや、そんなことにはならないだろう、ゲルトは心から母のこの勝手な願望に待ったをかけたかった。

 おそらく、いや、まず確実に……二人は意気投合する。


(とくにヴィオラ殿は……ロジーヌを気に入るだろう)


 ゲルトはこれでもヴィオラの性格をよくわかっているという自負がある。彼女はロジーヌのような、優秀で有能、その上冷静でてきぱきとした人間が大好きだ。伺い見た庭の様子では、いつか同席させてもらった商会の人事面接のような雰囲気が二人の間に出ている。


 ロジーヌについてゲルトは思い返す。


 昔から笑ったことがないと親兄弟に言われているような人物だった。クラリッサの大のお気に入りで、ゲルトとの婚約の話が上がったのはこれが初めてではない。ただ、ロジーヌは幼いころの病が元で子供が望めない体だった。


 彼女が嫁いだのは、すでに跡取りがいる公爵家で、先妻に先立たれた公爵は後妻が子供を産んで愛する先妻との子供が脅かされないかと案じており、ロジーヌを望んだ。彼女に求められたのは子供を育てる母であり、公爵家の女主人としての役割だった。それを問題なく全うし、彼女は「業務終了」だと言わんばかりにアンバー侯爵家に戻ったのだ。

 クラリッサはロジーヌに、ケプラー公爵家でも同じことをするように望んでいるのだろう。


「エレオノーラはもう三人も子供を産んでいるでしょう。公爵家の跡取りに迎えたいと申し出て断られるはずもないわ」


 クラリッサはゲルトの子に公爵家を継がせないために、ロジーヌを連れてきたのだ。


 ゲルトはヴィオラと出会うまで、自分は生涯誰からも愛されず、誰かを愛する方法もわからないまま死んでいくのだろうと思っていた。


 そう仕向けたクラリッサはそれを眺めているだけだったのに、ヴィオラとの話を聞きつけたのだろう。


(……貴方は、ただ私に対しそうした仕打ちをするために二人の女性を敵対させたいのか)


 あまりに身勝手だ。

 ヴィオラも、ロジーヌもそれぞれの考えがあり、生きているというのにクラリッサにとっては、この女性にとっては他人と言うものは自分が思った通りに動くものだとしか見えていない。


 だが、大変気の毒だが、もうあれはクラリッサが期待しているような「高位貴族の威光に恐れをなす平民の身の程知らず」のような構図ではない。


 どう見ても違う。いや、本当に違う。


 なぜ急に現れた婚約者候補相手にそんな雰囲気になれるのか、常識的に考えればおかしいのだが、ヴィオラ殿なので仕方ない。


 ゲルトが気にしているのは、ヴィオラとロジーヌの「話し合い」が終わった後だ。


 間違ってもクラリッサの言うように、ヴィオラが悔しげに身を引く、身の程を弁える、という顔でやってくるはずがない。ゲルトにはわかっていた。


『素晴らしい提案があるの!ロジーヌに第一夫人をやってもらって、わたしは外で働くわ!!』


 ヴィオラ殿は言う。絶対に言う。

 ゲルトは正直な所、頭を抱えたかった。


 自由で伸び伸びと彼女には生きて欲しいし、結婚を理由に抱えている事業を手放して窮屈な家の中に閉じ込めるなどしたくない。確かに、確かに、ロジーヌであれば文句なしに第一夫人として適任だった。ゲルトはロジーヌのことを不快に思った事は一度もないし、他人に対してどう情を抱けばいいのかわからない者同士、気が合う自覚もあった。そしてそれをヴィオラも見抜くだろう。残念なことに。


 ゲルトは苦しんでいた。クラリッサの思惑通りではないが、彼女の希望通り苦しんではいた。


 妻はヴィオラだけがいいと、彼女に公爵夫人になって欲しいと、そう願っているのはあくまで自分の希望なのだ。そのために、ヴィオラに不自由な思いをさせることもわかっている。彼女が彼女らしく生きられない籠の中に入れてしまうとわかっていて、それでも、自分だけの「妻」になって欲しいと、そう醜く渇望しているのだ。


 だからゲルトは恐れていた。

 ヴィオラとロジーヌの人事面接はなしあいが終わった後に、彼女が笑顔でゲルトに他の女性を妻にしてもいいと言ってくるのを。


 ゲルトにとって、愛しているのはヴィオラだけだ。

 彼女だけがゲルトの中で花のように美しく、春の日差しのように暖かい。彼女の声を聞くだけでこの世に生まれてきた苦しみがすべて消えうせ、彼女が微笑んだ先にいるのが自分だと疑わず受け入れられるようになった。


 だが、それは、それほど愛しているのは、自分だけだとゲルトはわかっていた。


 ヴィオラは、自分ほど、ゲルト・ケプラーという人物を愛してはいないのだ。

 わかっている。

 愛してくれていることを疑うことはない。

 ただゲルトは、自分が思うほどの熱量を持って愛されてはいないのだと、わかっていた。

 それを願うのはあまりにも贅沢で、彼女が愛してくれただけ奇跡なのだと受け入れてきた。


 だからゲルトはヴィオラが笑顔でこの部屋の扉を開ける前に、まずは自分の人生に必要のない者はご退場願おうと、引き出しから書類を取り出す。


「クラリッサ、こちらの書類をご確認いただきたい」

「……なんです」

「私がトマス・ウォール氏とどのように相対したかは、様々な新聞が面白おかしく書き上げたので貴方の目にも触れていると思いますが」

「……あの低俗極まりない茶番ですね。神聖な法廷でなんと嘆かわしいこと」

「その際に、トマス・ウォール氏に対し十年間の不在による家棄と、伯爵としての責任放棄について触れました。クラリッサ、貴方は二十年、公爵家から遠ざかり、女主人としての務めを一切果たしていませんでしたね」

「放棄した覚えはありません。権限を一部、使用人に与えてやっていただけです」

「家政のことはそれで問題なかったでしょう。しかし、使用人では行えないものもある。本来公爵夫人の決済の必要な事務処理は全て私が行ってきました。貴方はそれらに関してこの二十年間に指示を出された公的記録がありません。実際になさっていないので当然でしょうな」


 先代公爵夫人は、ケプラー公爵が自分に対して何をしようとしているのか、素早く察した。先代公爵は褐色の肌を持つ長子に嫌悪を向け続けていたが、それでも無視できない有能さと冷静さ、そして、公爵には必要な冷酷さを持っていたことを認めずにはいられなかったから、この男は今、ここにいる。


「わたくしを脅すつもりですか」

「申請すれば貴方の身分は結婚前に戻るでしょう。そして、法廷で争っても確実に私が勝ちます」


 持参金は返金するが、元々クラリッサは先代公爵の強い希望で……二人は恋愛結婚だった。そのため持参金の額もそれほど多くはない。生家は既に兄弟の子が継いでおり、褐色の肌の子を産んだ女として、以前よりクラリッサへの当たりは強かった。


 そんな環境に行きたいのか、と言外に告げながらゲルトは、一応、念のため、万が一、メフィスト・ドマを弁護人に雇う可能性について考えるが、ドマ家を「汚らわしい一族」と蛇蝎のごとく嫌うクラリッサがドマ家に助けを求めることは……おそらくないだろう。


「母親になんて仕打ちを……!」

「貴方に私の母という自覚があったのですか?」


 立ち上がり、ゲルトに扇を投げつけたクラリッサは憎しみで燃え上がる目を向けてくる。飛んできた物を避けて、ゲルトは赤い目を細め、酷薄な笑みを浮かべた。


「では母親らしく祝福してください、母上。貴方の息子は素晴らしい伴侶を得て幸福になります。貴方が望んだ不幸も孤独も一切得ることはなく、世に生まれてきたことを神に感謝する毎日を送りますよ」


 貴方が余計な真似をせず、また大人しく田舎に、死ぬまで引っ込んでくださっていれば生活費はこれまでどおり送りますと、ゲルトは孝行息子として相応しい言葉を告げた。 


 これでクラリッサがロジーヌを連れて帰ってくれればいいのだが、と、本命はそこであるが。




そんなこんなでこちらの作品、書籍化の運びとなりました( ;∀;)

これもひとえに、応援してくださった読者の方々のおかげでございます。本当にありがとうございます。

アンバー侯爵、フルネームもちゃんとした出番もないのに人気ですね。


ただ気の毒なのは、公爵の恋愛初心者っぷりが暴かれる法廷シーンが商業で世に出ることにより……国立図書館に保存されるんですかね、やっぱり。かわいそう。

あと、私がヴィオラ嬢の髪の色を全く考えていなかったのでキャラクターシートなど、どうしたもんか、とも思っています。たぶん……茶色とか赤系…だと思うんですけど…。

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国立国会図書館法で腹筋崩壊しました。
ヴィオラとロジーヌがタッグを組んで クラリッサを追い出す同盟ができる未来しか思い浮かばない
おもしれー女過ぎて気に入りそうだけど、恋愛に失敗してるヴィオラがけゲルトのそこを慮らないはずがないという信用もあるのでどういう所に着地するのか気になります
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