(3)
第二夫人なら許してあげると、その申し出はクラリッサにとって寛大な処置のようだった。それを受け入れて初めてヴィオラを視認するに許容できる存在として認識するという姿勢に、ヴィオラはとにかく驚いた。
まず感じたのは「そうだ。公爵家の人間とは、本当はこういう態度なのだ」という自省だ。
貴族位の頂点に君臨する公爵家。
彼らは他人の顔色を気にする必要がない。常に堂々と振る舞っていいし、自分の考えを主張し、それが通ることを当然だと考えている。この貴族社会において、それはごく当然のことだった。
ヴィオラは相手に好かれることをまず意識する。人の話に耳を傾けて、彼ら彼女たちがどんなニーズを抱えているのか、ただ希望を聞くだけではなくよく傾聴し、質問しながら、問題について一緒に言語化するための会話を行う。それらは商人で、平民であるヴィオラの処世術でもあった。だからこそヴィオラはクラリッサに対しても良い印象を持ってもらう努力をすることが自分の中では当然だった。
(これが公爵夫人なのだわ)
ヴィオラと違い、クラリッサは他人に好かれる努力をする必要がない。
自分たちの予想通りに動く努力をするべきで、そうでなければ共存する価値がないと判断を下す。支配階級とはそういうものだ。ヴィオラは感心した。
「ヴィオラさん、とお呼びしても?」
「え?あぁ、はい。ロジーヌ……夫人、ではありませんよね?」
「夫が死去し、生家に戻りましたのでアンバー侯爵家の人間に戻りました」
「ではアンバー侯爵令嬢?」
「ロジーヌで構いません」
「ではわたしのこともヴィオラと」
緊張するヴィオラに声をかけたのはこれまで無表情で黙っていたロジーヌだった。彼女がヴィオラに話しかけることは意外だったのか、クラリッサが僅かに眉を動かしたが、同じ親族らしい彼女の言動に関してクラリッサは一定の自由を許す判断をした。
ロジーヌはヴィオラに二人だけで話をするべきではないかと提案してきた。お互い初対面であり、クラリッサの提案通りになるのなら、ヴィオラとロジーヌはお互いに良く知る時間を設けるべきだと言う。ヴィオラはロジーヌに対して「冷静で理性的なひと」という印象を抱いた。蜂蜜色の髪の侯爵家の女性はヴィオラに対して、ただ「人間を相手にしている」という目を向けている。
ただ、完全に二人きりになることをゲルトが納得しなかった。クラリッサは「ロジーヌがお前の愛人を池に落とすとでもいうのですか」と鼻で笑ったが、どちらかといえばゲルトは「私の妻になるかどうかの問題をなぜ私がいないところで話すのか」という気持ちらしい。まぁ、それはそうだろう。
ヴィオラとロジーヌは庭で歩きながら話すことにした。ゲルトの執務室から二人の様子は見ることが出来、何かあればすぐに飛んでいくとゲルトはヴィオラに約束をした。
「貴方は、わたくしを嫌がる権利があるということは理解しています」
「……ロジーヌ?」
二人きりになり、ヴィオラはまず自分から何か話せばいいのかと迷った。とりあえず、庭の花の説明をしていると、少し遅れて歩いていたロジーヌが立ち止まり、話を切り出す。
「ただ、この結婚の問題に関して、ヴィオラさんには冷静な判断を下すことができるはずです」
「と、言いますと?」
「わたくしは公爵夫人としてこの国で最も相応しい働きをする能力があるからです」
それは立ち振る舞いからも容易く想像できることだった。
生まれた時から高位貴族で、そのように育てられてきた生粋の貴族の女性。それがロジーヌなのだろう。
ロジーヌはこの国に4つしかない公爵家に16歳で嫁ぎ、子が生まれなかったので24歳になった春に夫が死去し、生家に戻されたことを語った。
歳は26歳でヴィオラと同じ年だ。もう少し年上かと思ったのは彼女があまりに落ち着いているからであるのと、20代の女性にしては化粧や着ている服が抑え目であるからだ。整った顔立ちに、凛とした表情がとても素敵なのにもったいない。ヴィオラは数年前からモード商のパトロンも行っている。お抱えのデザイナーたちの元にロジーヌを放り込んだらどれほど美しくなるだろうかと、一瞬そんなことを想像してしまった。
「わたくしは公爵夫人として生きる術だけを教えられてきました。嫁ぎ先では子を産めなかったこと以外は何一つ問題なく、女主人としての務めを果たしました。本人の話だけではなく、第三者の評価として、これが、公爵家の執事によるわたくしの能力評価表です」
「……………………え、ちょっと待って??え?」
ヴィオラは目を大きく瞬かせた。
貴族女性にしては珍しく自分でポーチを持っているな、とは思ったが、そこから出てきたのは数枚の書類だった。折りたたまれていたそれを受け取り、ヴィオラは目を丸くした。5段階評価で各能力が記載され、各項目に関してのコメントと、そして総評があり「~のため、ケプラー公爵家での業務に問題なく携わる能力があると想定される」と結ばれていた。
どこかで見たことのある形式だ。
そう、とても、とても、見覚えのある書式だ。具体的には、ヴィオラが「キャリアアップしたいんです!」と離職を申し出た人間に持たせる紹介状にそっくりだ。
「何か不備がありますか」
黙ってしまったヴィオラにロジーヌはほんの少しだけ、初めて彼女の表情に感情が浮かんだ。不安というのに適しているその色に、ヴィオラは恐る恐る尋ねる。
「……貴方、もしかして……人事面接に来たの?」
ロジーヌはなぜ今更そんな当たり前のことを確認するのか、という顔を一瞬したが、すぐにこの質問を「志望動機を聞かれた」と考えたようだ。
「王都で刊行される貴女の著書や記事は全て拝読しております。わたくしはこれまで、嫁ぎ先の公爵領と生家アンバー侯爵領で暮らしてまいりましたが、弟を通じて貴女の事業とその革新性について常に耳にしておりました。貴女の事業や振る舞いが他者を動かす力は認めつつ、その手法の幾つかは、貴族の視点からは未だ理解しがたいものもございます。わたくしは貴族女性として最高位の教育を受け、公爵家では女主人として家政の統括、領地の慈善事業、貴族間の交渉を成功裏に導いた実績がございます。とりわけ、故夫の領地で開催したサロンは、帝国の改革派貴族を結集させ、名を馳せました。これらの経験と、ケプラー家の名を高める使命感を胸に、ゲルト様の公爵夫人として貴女の事業を補完し、新たな高みへ導く所存です」
具体性やヴィオラへの敬意、簡潔で流暢だ。おそらく文字数にしても300文字を少しオーバーするくらいだろうか。(日本語換算)
…………添削のしようのない、完璧な志望動機だ……ッ!!
ヴィオラは真顔になった。背筋を伸ばし、商会で行う時のように相手の瞳をまっすぐに見つめ、急遽始まったこの人事面接に挑むため頭を切り替えなければらないようだ……ッ!!
あれ……おかしいな。
ゲルトの第一夫人の座を争う、女同士の戦いになると思ったのに、と、ヴィオラは自分の人生はなぜこうも、予想通りにいかないのだろうと困惑した。
侯爵「アンバー侯爵です☆」