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【番外】それいけ公爵~恋愛初心者が指輪を探しに悪戦苦闘する話~【後篇】



 帝都中央広場の喧騒は昼下がりの穏やかで暖かい。ゲルト・ケプラー公爵は露天商の老女の前で宙づりにされたスリの少年とそれをつまみ上げるメフィスト・ドマ子爵を前に赤い目を細めた。


「メフィスト・ドマ、貴公がなぜここに?」


 少年の手に握られていた「膨らんだ財布」はメフィストが少年を何度か揺すると、メフィストの手に落下する。ゲルトの訝る様子にメフィストはやや大げさにため息をついた。


「それは俺の台詞だろう?公爵様ともあろう者がなんだってこんな所にいるんだ。アンタが何気なく身に着けてる服のボタン一つだって、拾った人間の運命を狂わせるって自覚がねぇのか」

「私は華美な装いはしていない」

「はぁ~、これだから、生粋の貴族ってのはねぇ」


 貴族であるのはドマであるメフィストも同じだろうが、確かに明らかにこの場所に対して「浮いている」ゲルトと異なり、メフィストはこうした場所に良くなじんでいた。同じ仕立ての良いスーツを着ているのだが、とゲルトは不思議に思う。


 メフィストはこの財布を少年が持って帰っても、高い確率で死ぬぞ、と説明した。


「放せ!放せよオッサン!」

「まだ言うかこのクソガキめ。――金の使い道を、パンを買うくらいしか知らないガキにこんな大金を掴ませるなよ。どうせ周囲に寄ってたかって毟られて、運が悪けりゃ殺されるだけだ」


 げしげしと、掴まれていない方の足で果敢にもメフィストを蹴る少年。メフィストは地面に放り投げ、自分の懐から取り出した硬貨を一枚投げつける。憲兵に突き出されるのではないかと思っていた少年は一瞬呆気にとられた顔をするが、目の前の身なりの良い男たちからはこのくらい貰っても構わないだろうと、舌を出して人ごみに消えていった。


 それを眺めながら、メフィストは再度「で?なんだって公爵様がこんなところに?」と問うてきた。


 ゲルトはヴィオラに婚約指輪として適したものを贈らなければならないこと、そのための市場調査にきていることを告げた。


「へぇ、指輪ねぇ。いいんじゃねぇのか。で、サイズは?」

「彼女の指はとても細い」

「……どんなデザインが良いって言ってた?」

「これは意外性サプライズを以て贈呈するものだ。彼女には何も話していない」

「…………予算は?」

「現時点の調査の結果、この露店の銀の指輪が最有力候補だ」

「よおぉおおおぉし!!公爵!ちょっとこい!!いいから!な!?こっちこい!!!!!!!」


 ぐいぐいぐい、と、メフィストは路地裏にゲルトを引きずり込んだ。


 その顔は「面白そうなことなら全力で揶揄って遊んでやるか」という悪魔の顔から、この世の悪夢を垣間見てしまった一人の男の顔になっている。


 この時点でメフィスト・ドマは「誰も止める奴はいなかったのか!!」と、ゲルトの交流関係を疑いたい。


「いいか公爵!いいか!?どう考えても大事故だろ!!」

「む……失礼な、何を根拠に……」

「古今東西、男が女への贈り物、それも装飾品をサプライズなんてすんじゃねぇッ!!!!!!」


 全力で、腹の底から、メフィストはゲルトに力説する。


 マジでなぜ、この世間知らずの公爵様がノコノコ市場に初めてのお使いよろしくウキウキと出かけるまで、誰も放っておいたのだ。


 伊達男で知られるメフィストは、それなりに女性関係も華やかだ。今日この市場に来たのも馴染の娼館からの帰りに腹に入れる軽食でもつまもうかと寄っている。そのメフィストをして、絶対にしてはいけないことは「贈り物の装飾品を男が独断と偏見で選ぶ」ことである。


 どんなに気心の知れた、相思相愛、熱愛カップルであったとしても、やるべきではない。男の一方的な趣味とチョイスの装飾品……とくに、指輪、ネックレス、ピアスの三大アイテムはほぼ間違いなく「外す」のだ。


 好みの色や普段身に着けている物を把握している?だからどうした。

 持ってるアクセサリーがどんな組み合わせで使用されてるのか、当人に聞いたことがあるのか。

 このデザインは持っていないだろうから喜ばれる?ふざけているのか。

 なんで持ってないか理由があるに決まってるだろう。趣味じゃねぇんだよ。


 伊達男を気取るメフィストも、まだ若かりし頃……自分のセンスの良さを慢心して馴染の女に装飾品を渡した。表面的には喜んだ女が、質屋で速攻換金しに行ってホクホクと現金を手に入れた時の笑顔の方がはるかに晴れ晴れとしていた。メフィストは泣いた。


 指輪に細かいサイズがあることも知らない(まぁ、公爵家なら代々指輪はサイズ調整されて受け継がれているんだろうが、当人は「男と女で指の太さが違うくらいだろう」程度の認識なのだろう)恋愛未就学児が、よりにもよって婚約指輪をサプライズ……!!


「大惨事じゃねぇか……ッ!」


 ぐっ、と、メフィストは顔を顰める。


「……ヴィオラ殿は、誰かからの贈り物を疎むような女性ではないが?」

「有難迷惑って知ってるか公爵!?しかもテメェ、婚約指輪をその辺の露店で済まそうなんざ……ゴシップ誌にすっぱ抜かれたいのか?!テメェの所有してる鉱山でデカいルビーくらい採れるだろ!それを贈れよ!」

「公爵領のルビーは確かに名産品だが……聊か派手ではないか?確かに露店では産地や品質の保証書がないことは懸念材料ではあるが、ヴィオラ殿は実務的な物を好む。高価なものをただ贈るより、彼女に似合うものを贈りたい」


 この童貞が、とメフィストは罵倒した。もちろんゲルトは法廷では強く否定しなかったが、女性経験の1つや2つくらいある。メフィストも知っている。だが今論点はそこではない。


「あのトマス・ウォールですら、婚約指輪はちゃんとした物を渡してただろ」

「………」

「確か、アンタへの最初の依頼料だってヴィオラ女史が渡したはずだ。トマスは……まぁ、用意したのはロバート・ウォール氏だが、婚約指輪の意味ってのをちゃんと踏まえて用意してる。つまり、未亡人になった時に真っ先に売り払っちまえる程度の値は必要なんだよ」


 婚約指輪。婚約指輪……。貴族の婚約指輪は、結婚式のその日までしっかりつけて、周囲に見せびらかすためにあるものだ。ヴィオラ嬢はまだまだ多くの場に顔を出すだろうし、若い女性たちは彼女を手本にしたいと思っているが、「公爵夫人」になる彼女を歓迎する者ばかりではない。


 公爵とヴィオラのロマンスは誰もが歓迎していたが、それはそれとして、クソのような意識の高いお貴族の連中の中にはヴィオラを貴族の仲間入りをすることを認めても「公爵夫人」貴族の最高位の女主人になることをなんとしてでも阻止したい者もいるはずだ。そういう連中が目を剥くほどの派手で大きく、豪華な指輪は、ヴィオラ嬢に必要だろう。


 万が一、その辺の露店で売ってる指輪を大事そうにつけたヴィオラが夜会に出た時は、女どもがどんな噂をするか。メフィストは自分は善人ではないと思っているが、メフィストがこの世で最も大切にしている女がヴィオラ嬢の幸せを願っているので忠告くらいはしておきたい。


 ここまで話して、説明して、ゲルトは自身の考えについて大分改める気になったようだった。


「…………なるほど。貴方の助言はよくわかった」

「よぉし!!それなら、アンタんところで石を見繕ってうちの工房で……」

「だが、やはりヴィオラ殿には銀の指輪が相応しいのではないだろうか?」


 メフィスト・ドマの容赦ない左ストレートが公爵の腹部にめり込んだ。







「……うぅっ………ここは?」


 目を覚ますと、見覚えのある天井、自分の家の一室だった。


「ゲルト、よかった。気が付いた?」

「……ヴィオラ殿」


 心配そうにゲルトの額を濡れた布で拭っていたヴィオラは泣き出しそうな顔にほっと笑みを浮かべる。彼女にこんな顔をさせてしまった事がゲルトには辛く、しかし自分は一体どうしたのかと訝る。腹部の痛みと、あとは頭がズキズキと痛む。


「路地裏でタチの悪い人たちに絡まれたんでしょう?お財布を盗られそうになったって。メフィスト・ドマ子爵が助けてくれたのよ」

「……………」


 状況把握。

 メフィスト・ドマに殴られ、倒れ、ついでに頭を打ったのだろう。


「護衛もつけずに貴族が市場に行くなんて危険よ」

「…………………」


 ヴィオラの中でゲルトは慣れない場所に行ってカツアゲにあい、それをドマに助けられたということらしい。不名誉極まりなく、ゲルトは物申したかったが、そうなるとサプライズが失敗してしまう。唸るような声を出すと、ヴィオラが「痛むの?」と案じてきた。


「……いや、大した怪我ではない。貴方が心配することは、」

「わたしの指輪を買いに行って貴方が怪我をしたのに、わたしが気にしないとでも?」

「…………メフィスト・ドマ」


 サプライズは完全に失敗だ。その上こんなにみっともない姿も晒してしまった。

 ゲルトは情けない気持ちになった。なぜ自分は人並みのことさえまともにできないのだろうか。


 法律書に書いていないことばかりだ。


 ゲルトは褐色の肌を持って生まれ、人と違う自分を自覚してきた。人の理解や話し方はゲルトが適切だと感じるよりずっと遅く、人が関心を持つことにゲルトはこれっぽっちも興味が抱けなかった。けれど法というものは「正しい」「適している」と決まっている。それらを順守することで違和感なく、周囲に対して異質、異常、逸脱者ではないと示すことが出来た。


「……貴方に人並みの、当たり前のことをしたいが、私にはそれさえ難しい」


 自分がどれほどヴィオラを愛しているか。大切にしたいのか。示す方法がゲルトにはわからない。愛していると告げるとヴィオラは優しく微笑んでくれる。だが、はたして、本当に自分が伝えたいだけの量を彼女はわかってくれているのだろうか。伝えることが、できているのだろうか。法のように答えがきまっていることではなく、数値化できるものでもない。


 せめて、当たり前の恋人同士の出来事イベントを一つ一つ行って、自分がどれほど彼女を大切にしたいと考えているのか、伝えられると思ったのだ。


「私は貴方に実用的な銀の指輪を贈りたいし、貴方を侮る者がいないよう公爵夫人に相応しいと思われるような華美な指輪も贈りたい。どちらがより貴方に相応しいのか選ぶことが出来ない」

「なら二つくれてもいいのよ??」


 悩むようなことじゃないわ、とヴィオラは笑った。


「仕事中の普段使いに使う物と、パーティーに出る時の物と二つあっていいんじゃない?」

「……いや、だが、婚約指輪は一つではないのだろうか」

「そういう法律ってある?」

「……数の制限は設けられていなかったはずだ」

「なら問題ないんじゃない?あ、でも、パーティー用の物はわたしに選ばせてね!貴方と一緒にお買い物に行けるなんて素敵だわ」


 楽し気にヴィオラは提案し、ゲルトの承諾を待つ。思えば二人で夜会や商談に赴くことはあっても、ただの外食や買い物というものをしたことはなかった。


 ここにメフィスト・ドマがいれば「さりげなくテメェの趣味はやめろと言われてんだよ」と突っ込みを入れただろうが、ここにドマはいないし、そもそもヴィオラにもそういう意図があったかどうかも不明である。


 ゲルトは「そうか、1つでなくても良いのか」と、1つではなく2つなら、より自分が彼女を愛しているのか伝わるだろうと納得した。なお、これによりゲルトは何か贈りたいと思った時に「これらは全て貴方に良いと思うのだが」と、自身が思った物を全て購入するようになるが、まぁ、公爵家の財政はこんな程度は贅沢の内に入らない。


 二人はまだ婚約期間が続く、結婚は婚約から一年程度がよろしいだろうと言われており、この後二人にはまだまだ試練がやってくる。

 具体的には、ゲルトの母が保養地から舞い戻り、ヴィオラを強く拒絶したり、ゲルトがヴィオラと自分の間の子供の肌の色を気にして同衾するのを拒んだりと、平和というものが訪れるのはまだまだ先だった。


 それでも、それはそれとして、ゲルト・ケプラー公爵はヴィオラという女性をとてもとても深く愛していたし、ヴィオラという女性もゲルト・ケプラー公爵を強く強く愛していたので、どんな物語が始まっても二人の最後は必ず「そうして二人は幸せに」と締め括られると決まっているのだ。








番外編その①、終了です~。

お付き合いありがとうございました~~~!

日間総合ランキングも一瞬だけ輝いていました。ヤッタネ。ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
 『悪魔』と称される男を(数時間だけ)『世話焼きあんちゃん』にジョブチェンジさせた快挙(笑) 次は夫婦に執事も着いていくべきでは(笑)
恋愛未就学児に、大惨事、とか、言葉のチョイスが笑えました。そして、ドマ氏の「最初うっきうきでからかおう」からの、「シャレにならんわ!」への変化に、ごもっとも、と深く頷きました! それにそれに、「一緒に…
ドマを青ざめさせる漢、ゲルト・ケプラー 快挙では?
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