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14、勝者トマス・ウォールの歓喜



「勝った……!!!!!!!!」


 逃げるように去って行く黒と金の礼装の後ろを姿を眺め、トマス・ウォールは全身で喜んだ。


 指を指して笑い飛ばしてやりたい。あれほど威勢よく自分に挑んできたくせに、結局何もできず無様に退散するしかないみっともない男、ゲルト・ケプラー!


 トマスは新聞各社にいかにゲルトが法廷で惨めだったか、まぁ、多少の脚色はするかもしれないが、大衆に与える餌は甘ければ甘いほど良いわけで、あの男が情けなく泣きわめきながら役人たちに引き摺られて退廷したとでも語ってやろうと考える。


 実際には慌てて、自分の鞄さえ忘れて出て行ったのだが、泣きわめいていたという方がより笑えるだろう。

 

 残されたヴィオラは空になった代理人席の隣に黙って立っていた。俯いている姿はなんと憐れだろうか?まぁ仕方ない。たかが平民女のくせに貴族であり男である自分に楯突いたんだ。これで身の程を知っただろうか。だが今後のためにもしっかり躾をしておく必要があるとトマスは思った。法を盾にしてきた女に、こちらがきちんと、法的にこの女が主張する権利の何もかも、お前はそもそも得てすらいないのだと突きつけてやって、ただ与えられる苦しみに喘ぐだけの女にしてやらなければならない。

 

 傍聴席に座っていた父が立ち上がり、何か喚いていた。

 証人席に立った時から、トマスは父がヴィオラの味方をする気でいたことを知り、父の裏切りを嫌悪した。病床に就いていた父だから、寝ている間に特にすることもなくヴィオラの肉欲に溺れさせられたのだろう。憐れなものだ。


 父はケプラー公爵の代わりに自分がヴィオラの弁護人になると叫んだ。トマスはそれを鼻で笑い飛ばす。父は無能だ。だからウォール家を傾けた。そういう、死に体の老人がメフィスト・ドマの前に出てきたところで、薄壁一枚分の風よけにもならない。


 トマスはヴィオラに慈悲を与えてやろうかと揶揄った。


「新しい、今度はちゃんとした弁護人を探してくる時間をやろうか?」


 尤も、ゲルト・ケプラーより法に詳しく、メフィスト・ドマより狡猾な法律家などいないことはこの場の誰もがわかっている事だ。


 トマスはメフィスト・ドマを雇った自分の有能さに満足する。

 誰もがドマ家と関わることを「不幸の始まりだ」と避けることはもちろん知っていた。トマスも自分がもし平凡で勇気のない無能な男だったら、普通の連中と同じ判断をしただろうと思う。だが自分は違う。そもそもヴィオラにウォール家を任せてやったのも自分なのだ。トマスは自分に金儲けの才能がある必要はないと考えている。必要なのは必要な場所に必要な駒を当てはめることだ。上に立つ者として必要な資質はまさにこれだろう。自分自身が重い剣を振るう筋力があることより、その剣を振るう騎士を戦場で働かせられることができる才能。トマスは自身がその才能を持つ選ばれた人間だと知っていた。


 メフィスト・ドマをこれほど上手く使える人間がいるだろうか。

 誰もが悪魔だと恐れる制御不能の男を自分の手足のように使い、ゲルト・ケプラーを敗北者にした。


 トマスはメフィストを見る。悪魔の男は金の目をトマスに向けた。軽く手を上げると、袖を青いリボンで結んでいるのが見えた。色々な人間がつけているそのリボンは王都の流行りのものなのだろう。トマスは自分が「なんだそれ?」とそれを知らないことで田舎者だと侮られるのを嫌がった。だがメフィストのような男までつけているのだから、この裁判が終わったら自分もそれを手に入れて、流行りにも敏感なセンスのある人間だというのをわかりやすく見せてやってもいいかもしれない。


 トマスは自分こそがこの法廷の支配者で、勝者なのだと実感した。トマスの言葉に憤慨することも、足掻く事もできずただ俯いているヴィオラ。弁護人もおらず、選べず、丸裸にされてあとはトマスに蹂躙されるだけの女だ。


 今この場で這い蹲って許しを乞えば、当初の予定通り第二夫人にしてやるとトマスは提案した。ヴィオラはそこでやっと体を動かす理由が出来たのか、ゆっくりと法廷の中央に進み出る。トマスはヴィオラが自分に丁寧に頭を下げるのを優雅に待った。


 敗北を受け入れ、トマスの主張を受け入れ、従順な女になるとヴィオラが宣言するために口を開いたので、トマスは腕を組んでそれを眺める。


 ゆっくりと顔を上げたヴィオラ・ウォールは静かに言葉を発した。


「新たな弁護人は必要ないわ。――わたしが、自分で自分の弁護をするから」





 愛と謝罪を同時に口にし、ゲルトはヴィオラを抱きしめた。メフィスト・ドマの喝采が法廷に響く中、ゲルトは「貴方の望む言葉ではなかった」と、再び小さな声で謝罪する。


「……」


 ヴィオラはゲルトを抱きしめ返さなかった。ただ黙って、愛の言葉と謝罪の言葉、そして言い訳を聞き、ゲルトの服に額を押し付けたまま、二人にだけ聞こえる声で囁いた。


「なぜ知り合って十年の貴方がわたしの望む言葉をわかるの?」

「……」


 その言葉はヴィオラの拒絶ではなかった。


 それは二人にだけわかる過去を思い出させた。


 十年前。初めてヴィオラがゲルトの書斎に飛び込んできた時の、会話をゲルトは思い出す。そして、自分がとんでもない間違いを犯しそうになっていたことを悟る。


 ゲルトの記憶には確かに、怯えてか細く、頼りない十代の幼いヴィオラがいた。大人の庇護を必要としている少女がいた。誰もがあの時の彼女を見れば「自分が守ってやらねばならない」と深く決意しただろう。ゲルトだってそうだった。だが、しかし、しかしながら、それは事実でありながら、彼女の望むこと、真実ではなかったことを、ゲルトは思い出す。


「……私はまだ貴方のために何かできるのか?」


 たった今弁護士を失ったばかりのヴィオラの声には絶望が一切なかった。ゲルトは自分の罪深い告白が、彼女に悲しみを与えてはいなかったことを知る。それどころか、ゲルトはもし自分が「貴方を愛してはいない」と言っていたら、ヴィオラを永遠に失ったのではないか。この状況に対して「何も問題はないわ」という、いつもと変わらないヴィオラはゆっくりとゲルトの胸から顔をあげる。


「私が私の弁護人を務めることは法的に可能?」

「……」


 ゲルトは純粋に驚いた。彼女の提案、彼女の考え、彼女の挑戦に、ただ驚いて息を呑んだ。だが、自分達には時間がない。メフィスト・ドマは寛大にも自分とヴィオラが別れを告げる時間を与える気らしいが、綿密なやり取りを可能にするほどではなかった。


 素早く、これまでの経験、得た知識のすべてを総動員してゲルトはヴィオラの問いへの法的根拠や解答、可能性、勝率について考えた。


 まずヴィオラ当人の「強さ」だ。彼女は帝国きっての事業家で、十分な知性と行動力を持っている。過去どれほど困難な状況に陥っても冷静に立ち回り解決に導いてきた。この点から、彼女は法廷に立つ精神力を有し、戦略的な思考ができる人物だと断言できる。


(だが、ヴィオラ殿は法律の専門家ではない)


 法律家としての訓練や法廷での戦術に精通しているわけではない。その上相手はメフィスト・ドマだ。狡猾で法廷を彼の「劇場」に変える程の策略家。ゲルトのような熟練の法律家でさえ、自身の感情を暴かれた。ヴィオラが一人でメフィストに対抗するには並外れた冷静さと法廷戦術の即席の学習が必要だった。


 ゲルトは「可能性はあるか」について思案する。

 ヴィオラが一人で法廷に立つことは、理論的には可能だったし、法的にも「本人訴訟」というやり方がある。これは退廷したゲルトが即座に書類を作成し、提出すれば問題なく受理されるだろう。


 だが、感情面ではどうか。彼女は法廷に立ち、メフィスト・ドマと戦うことのできる状態だろうか。


 たった今、ヴィオラはゲルトによる思いもよらない愛を告白された。友情を望んでいたはずのヴィオラからすれば裏切りだっただろう。そしてゲルトが自身の想いを隠さず、ヴィオラを「見捨てて」退廷する状況を選んだことは、彼女を動揺させたはずだ。

 そう、ヴィオラは今、自分を恨んでいるはずなのだが、ゲルトは先ほども感じたように、彼女に自分の想いを告げたことが「最悪の手ではなかった」という思いがある。


 それはこちらを見上げてくるヴィオラの緑の瞳が、この世で最も自分が幸福な人間であると言う確信を持ったような、そんなきらきらとした光を宿していたからだ。


 彼女が望むのは法律家であるゲルトの「お墨付き」と、助言。


 いつもと同じだ。


 それらを、望むものを手に入れれば、彼女は書斎を飛び出して戦いに行く。

 そして勝利する。


 いつもと違うのは、戦いの前からヴィオラが「一番欲しいもの手に入れた」という顔をしていることだ。


 ゲルトは今日この日の為に自分が用意した全てが入っている鞄をヴィオラに託した。そして、彼女が、法律について法律家ほど詳しくない彼女が戦えるための、彼女に必要な言葉を助言する。


「帝国法第72条、詳細は書類に記載してある」


 メフィストがゲルトに退出を促した。時間切れだ。だが、都合の良いタイミングでもあった。ゲルトは必要な言葉はヴィオラに伝え終えた。あとは自分も早々にこの法廷を出て、次にやらねばならないことがあり、それは、それこそ時間を急ぐものだった。早足で扉に向かい、トマスがそれをあざ笑ったが、ゲルトにとってトマスの評価などどうでもいい。


 一度、ゲルトはヴィオラを振り返った。空席の代理人席の隣に立つ彼女はか細く弱々しい、誰かに守ってもらう必要のある無力な女性に見えた。

 だがゲルト・ケプラーは知っている。


 彼女はヴィオラ・ウォール。


 降りかかる理不尽や不幸から逃げるために誰かに手を引いてもらうことを望まず、自分の欲しいものは自分で手に入れる女性だ。




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 ん?
リボンか...メンバーの1人 南ちゃん頑張って!
やはりドマが出てくるともう大丈夫という安心感がw なんて良い悪役。大好きです。
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